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第7話「嫉妬」

「みんな寝ちゃったんだね」

 呆れたように肩をすくめた。

 取り散らかったリビングで、思い思いの格好で倒れ伏している。

 買ってきたビールをテーブルの上に静かに乗せ、綾波レイを目でベランダに誘った。

「リツコさんまで雑魚寝しちゃうとは思わなかったな」

 常夏の日本、風邪をひく心配だけはないだろう。

 寄り添うように並んでフェンスにもたれかかり、星空を見上げた。

「そういえば、さ」

「なに?」

「前も星空を見上げたこと、あったよね」

 ネルフ本部を含めた第3新東京市全体が停電した事件。

 人口の光が途絶えた丘陵に降る星はあくまで涼やかだった。

「……そうね」

 葛城ミサトのマンションは山に隣接した都市のはずれにある。

 やがて遷都が成されれば全ての部屋は埋まるだろうが、今の住民は彼女のみ。市街中心部では通勤時にドライブの楽しみがないとの我が儘で、外環状道路沿いのこのマンションを選んだもの。

 周りの建築物も光学研究所と税務署くらいで、比較的暗い。

 それでもあの時ほどの星の美しさは臨めないのが少し残念だった。

 月の光も眩しすぎる。

「綾波、でも、本当にここに住むの?」

 ビクッと怯えるように肩が揺れた。

「……いや?」

 リリスの力は心を癒してはくれない。

 サードインパクトで碇シンジと溶け合った心。

 それが今は引き離されて温もりを求めていた。

「いやなわけないよ」

 少し慌てたように答えが返る。

「でも、父さんのこともあるし、ね」

 碇ゲンドウは綾波レイ本人を見つめていたわけではないかも知れない。

 しかし、錯覚であっても、重ね合わせ大事にしていたことには違いない。

 綾波レイが息子に傾倒することをどう考えるかはよく分からなかった。

「碇くんは……どうしたいの?」

「わからないんだ」

 表情が翳った。

「力はあるよ。記憶もある。でも」

 渚カヲルと融合したことによる使徒の力。エヴァ無しに展開できる無敵のATフィールド。

 しかし。

 その力の使い方が分からない。

 全ての使徒の記憶も、実用性の乏しい知識として、せいぜい大人たちを韜晦する程度にしか役立っていない。

「ぼくは……やっぱり子どもなんだね」

 そっと綾波レイの手が、少年の手に重ね合わされた。

 温もりが伝わる。

「あなたは……わたしが守るもの」

「ごめん」

 綾波レイの言葉に笑顔が戻った。

「ぼくが綾波を守らなくちゃいけないのにね。甘えちゃってるね」

「いい」

 静かに重なる手をふりほどき、そのまま少女の頬に当てる。

 指先が青い髪に隠された小さな耳をくすぐった。

「少なくても……しばらくは一緒に暮らせるよね」

 少女は答えず、触れられている手に甘えるように、わずかに顎を上げた。

 唇が薄く開く。

 瞼を閉じる。

「綾波……」

 向き合うように姿勢をかえられた。

 少年の頭に隠され、月の光が翳る。

「碇……くん?」

 重ならない唇に目を開いて少年の視線を追うと、リビングと隔てたガラス戸越しに、興味津々と伺う観客のにやけた顔があった。

「みんな、寝てたんじゃなかったんですかぁ!」

「あー、もうちょっとだったのにぃ」

「ごめんね、シンジくん。葛城さんが寝たフリしてたらきっと面白いって言って」

「あれくらいの酒で寝るわけないでしょが」

「シンジくん、落ち着け。あ、痛い痛い」

「不様ね」

 ガラリと戸を開けて、照れ隠しに殴り込んだ少年の後ろ姿を見つめながら、綾波レイはそっとため息をついた。

 キス。口づけ。接吻。甘い檸檬。

 うまくいかない。

 駄目なのね、まだ。

 どうして? あの人たちが邪魔をするから?

 そう、怒っているのね、わたし……。

 紅い瞳が不満げに輝いていた。

 あまりに微弱であったためにネルフ本部の探知システムが都市外縁部で一瞬だけ発生したATフィールドに反応しなかったことは幸運だったかも知れない。



「碇、わいはお前を殴らなあかん。殴らな気ぃ済めへんのんじゃ」

 冗談ではなくパンチが飛んできた。

 狙わず振り回しているだけなので当たりはしなかったけれど。

「ちょっと、トウジ。待ってよ。ケンスケ、止めてよ」

「いや、これはトウジが正しい。粛正されるべき事態だね」

 裏切られた。

「葛城はんのことは辛抱しょう。そやけど、そやけど」

 ちょっと涙ぐんでる。

「説明してくれよ、シンジ。綾波のあれはなんなんだ?」

「あ、あれって……」

 久しぶりに綾波レイが登校してきた。

 怪我をしたらしいとは聞いていたが、あまりにも包帯姿が痛々しい。

 透き通った蒼い髪、どこまでも透徹な紅い瞳、白磁のような肌、繊細なガラス細工の如く端麗な容貌。

 性的な成熟とはかけ離れていたが、その目立ちすぎる容姿に惹かれた生徒は多かった。

 ただ、誰とも交わろうともしない、笑おうともしないどこか隔絶した雰囲気のため、近寄る者はいなかった。

 綾波さんが俺だけに微笑んでくれる。

 あの消え入るような涼やかな声で、好き、とかささやいてくれる。

 そんな他愛のない妄想だけで満足するしかなかった。

「ほんとうにお人形みたいね」

 とは、ある女生徒の言。

 その一種神聖な感のあった少女が、包帯で覆われている。

 中学生らしい純粋な同情心が、少女の存在をぐっと身近なものに引き下げた。

「俺が守ってやるよ、綾波さん」

 妄想が三段跳びしてしまった者までいた。

 不幸につけ込む、というと言葉が悪いが、今ならと何人かが接近をはかった。

「あ、綾波さん、どうしたんだい、その怪我?」

「大変だよな、俺に出来ることがあったら言ってくれよ」

 妄想はどこまでいっても妄想である。

 窓際の席でどこか儚げに窓の外を見やる少女を振り向かせることすら出来なかった。

 顔を合わせることもなく、「大丈夫」と小さく返事してもらえる程度がせいぜい。

「ばかみたい。急に優しくしても胡散臭いだけじゃない」

 一理ある意見を述べるのは、憎からず思っている男が鼻の下を伸ばして語りかけるのを垣間見たそばかすがチャーミングな女生徒。

 実際は、綾波レイはそんなことを気にしていたわけではない。

 昨夜、泊めてもらった葛城ミサトの部屋。

 隣の布団から時折発射されるミサイルの如き脚、手に辟易した。

 ……葛城一尉の部屋で寝ていてはダメ。

 碇シンジとの同居は良かったが、これではとても身体が保たないと善後策に悩んでいたのである。

 彼女の心情はともかく。

 あえなく玉砕を遂げた男子生徒の屍の山、累々。

「綾波ももう少し表情があったら被写体として完璧なのになあ」

 こちらはあまり興味もなさそうにカメラのレンズを磨く相田ケンスケ。

「へぇ、綾波って人気あるんだ」

 かなり驚いた風の碇シンジ。

 『以前』のこの時期はそれどころではなかったので記憶にない。

「なんや、センセ。もう綾波に目ぇつけたんかぃ」

 玉砕組の鈴原トウジ。

 碇シンジの驚きを、初対面早々興味を抱いた少女の人気に気を病んだものと誤解した。

「なに、その言い方?」

「あかんあかん、なんぼセンセでもな、綾波は難攻不落や」

「いや、シンジならどうかな。初顔合わせだし、悪印象もないだろうし」

「わいが印象悪いっちゅうんか?」

 ちょっと拗ねる鈴原トウジ。

 あははと誤魔化す相田ケンスケ。

「でも、あんなにそっけなくしてても、もてるのかな」

 不思議そうに首をひねる碇シンジに笑った。

「ま、センセには綾波の良さはわからんやろ」

 ライバルにもならんわぃ、と周りの男子一同とほくそ笑む。

 そんな碇シンジが。

 昼休み、いつも一緒に弁当を食べる仲間から「今日はちょっと」などともごもご言いながら弁当箱を持って離れ、綾波レイの席に近づいていったので教室全体が目を見張った。

「綾波、いっしょに食べよう」

 ごく自然な体で、少女に弁当箱を差し出した。

「がぁ、なに抜け駆けしとんねん」

「無駄無駄。綾波がOKするわけないだろ?」

「ま、そらそうやな」

 思わず上げた腰を降ろしかけたところで、固まった。

「こっちが綾波の分ね。肉は入ってないから」

 タッパに詰まったサンドイッチを広げる。

「……ありがと」

 ほんのりと頬を染めて、優しく微笑む少女。

 夢にまで見た綾波レイの微笑みがそこにあったが、その効果は、教室中を唖然と凍りつかせた。

 静寂の中、注目の二人は特に気にした様子もなく食事を進めている。

 時折小さな声でのやりとりがある。

 そのたびに綾波レイは微笑んだり、困った顔をしたり、と。

 これまでの無表情とうってかわった対応をしていた。

「うそ……」

 何事もなかったように食べ終え、じゃあと別れてきた碇シンジは即座に拉致され、廊下で鈴原トウジの鉄拳制裁を受けることとなった次第である。

「だ、だからさ」

 ううん、アスカならともかく、綾波ってどちらかというと嫌われてると思ってたんだよね。

 ちょっと認識が甘かった碇シンジであった。

「以前からの知り合いなんだよ」

 あまりうまい言い訳が浮かばない。

 ひどく真実に近いことを言ったのだが、逆に胡散臭い。

「許せん許せん、許せんで、それは!」

「何言ってるかわかんないよ?」

「どういう関係なんだよ」

「だから、その、うん、ミサトさんの関係で、ね」

「あっ」

 相田ケンスケには少々思い当たることがあったらしい。

「それって、ネルフがらみか?」

「ま、まあね」

 キラリと眼鏡が光る。

「シンジ、今日の放課後、俺んちに来いよ」

「どうして?」

「ま、いいからさ」

「そやな、そこで、あんじょう、話、聞かせてもらおか」

 よくわからないまま押し切られた。

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