第6話「退院」
「それで結局、またミサトさんと一緒に住むことになっちゃったんだ」
ベッド横の椅子に腰掛け、しゃりしゃりと林檎を器用に剥く碇シンジ。
膝に乗せた皿に林檎の皮が積もっていく。
身体を横にして、珍しそうに見入っている綾波レイの顔を夕陽が染め上げる。
「本当は一人の部屋を借りて、さ」
剥き終わった林檎を割らずに、さくっと一口大にナイフで削る。
指でつまんで少女の口元に運ぶ。
それを、ぱくっと綾波レイ。
まだ腕が使えないので仕方ないのだが、夕陽のせいばかりでもなく、頬がほんのり赤い。
「その、綾波と……」
言い淀んでこちらも赤くなった。
一緒に住もう、とはさすがに言い出せなかったらしい。
「……ひい」
言葉にされなかったことに少し不満を感じる綾波レイ。
いい、問題ないわ、と先回りした返答をしかけて発音がおかしくなる。
……そう、食べながら話すのは無理なのね……。
ひとつ賢くなった綾波レイ。しゃくしゃくと咀嚼に命をかける。
「なに?」
気恥ずかしさをごまかすつもりか、次の林檎の欠片をもう手にして待っている碇シンジ。
リンゴ半個分近くを食べ終わるまで、綾波レイと林檎の格闘は続いた。
「まだ食べる?」
「……いい」
にこにこと笑う碇シンジに、礼をいうべきか、意地悪を責めるべきか悩んでしまう。
「……私と一緒に住むのだと思ってた」
結局、責めることにした。
「あ、えっと、まだ綾波は退院できないし、その、やっぱそれはいろいろと問題あるし、父さんも、あの……」
予想外の反撃に慌てまくる。自分で言いかけたことの否定に回ってる。
「問題ないわ」
今度はちゃんと発音できた。
「あ、ん、だけど……」
綾波レイと二人だけの時は本性に戻ってしまう。
融合した渚カヲルの魂はどこか心の奥で傍観を決め込んでいるらしい。
碇くんらしい、と綾波レイは優しくなった。思慕が母性であるゆえか。
「ミサトさんも放ってはおけないから。僕たちのことを話すわけにもいかないしね」
碇シンジなりに立ち直った。
「ひとつひとつ進んでいこう? 綾波ははやく身体を治してね」
「……ありがと」
穏やかな沈黙が流れる。
そっと手を伸ばし、少女の頬に手の甲を当てる。
それに応えてわずかに顔を傾け、少年に甘えた。
静かに心が溶け合わさっていく。
優しげな瞳が少女を包んでくれていた。
ピッ、とベッドサイドのインターコムが静止を破った。
「シンジ君、いるわね? 準備ができたから、訓練はじめるわよ」
戦闘シミュレーション室への呼び出しを告げる赤木リツコの声に、綾波レイはほんの少しだけ眉を寄せた。
しかたないよね、と少年は苦笑した。
「シンジ君、よく乗る気になってくれましたね」
伊吹マヤが感嘆した。
エヴァンゲリオン疑似戦闘訓練管制室。
初号機はMAGIが作り出す3D映像を相手に戦闘を繰り広げる。
その訓練メニューを淡々とこなす碇シンジの様子をじっと見つめる赤木リツコと葛城ミサト。
「人の言うことにはおとなしく従う。それがあの子の処世術、っていうなら……」
「わっかりやすいんだけどねえ」
「あの、どういうことですか?」
「ふふ〜ん? マヤちゃん、シンジくんのこと、気になるぅ?」
「あ、いえ」
「あら、マヤ。顔が赤いわよ」
「先輩! からかわないでください」
「リツコだって引き取りたいって言ってたじゃない」
「馬鹿ね。冗談よ」
「先輩……」
「変な目で見ないで。……実行したのはミサトよ」
「パイロットの管理はあたしの仕事だから、ね」
「同居までする必要はないのよ。レイだって一人暮らしなんだから」
「へっ? そうなの?」
「あ、はい。レイちゃんはマンションで一人で暮らしてるんです」
「……レイの保護者ってリツコよね?」
「書類上は碇司令よ」
「はぁん、ま、あの司令とじゃ一緒に暮らしたくはないか」
「……」
カタカタとキーボードの音。
「ちょ。まさかここ、ボイスレコーダ、ある?」
「いえ、そんなものはありませんけど……」
「……び、病院から出たらレイも引き取ろうかな」
ごまかした。
「だめよ」
「どしてぇ?」
「シンジ君もいるのに、あなた」
「んー、でもシンジ君、さっきまでレイの病室にいたんでしょ?」
「シンジ君とレイちゃんならお似合いかも知れませんね」
「そうそう。すっごく気に入ってるみたいだし」
「どうかしら?」
「あらぁ、焼き餅?」
「まさか。ここにいる子どもはあの二人だけだから。安心できるんでしょう?」
「そうかなあ。んじゃお姉さんが愛のキューピッドでもやってみるか」
「傷つけ合うだけかも知れないわよ」
「リツコ?」
「……」
「シミュレーションプログラム、終了します」
「葛城一尉?」
赤木リツコの呼びかけに仕事の顔に戻る。
「了解。シンジ君?」
『はい、ミサトさん』
「お疲れさま。今日の訓練はこれで終了します」
『はい』
「退院パーティ?」
「ええ、綾波、明日には退院できるそうですから。ここでやってもらえたらと思って」
「んふふ〜。シンちゃんってば、レイにべったりねえ。この1週間、毎日お見舞いに行ってたしぃ。惚れちゃった?」
「そ、そんなことはありませんけど。……駄目ですか?」
「いいわよ、あたしは。でもパーティならどこかのお店のほうがいいんじゃないの?」
「僕が料理しますから」
「へへえ」
「な、なんですか?」
「なんでも〜。分かったわ。確かにうちのほうが落ち着いて飲めるわね」
「飲み過ぎないでくださいよ」
「へいへい。んじゃ、リツコに許可とって、ついでに誘っておけばいいのね?」
「はい、すみません」
というわけで、コンフォート17マンションに呼び出された赤木リツコ、伊吹マヤ、日向マコト。
葛城ミサトも含めて、口をあんぐり開けるはめになった。
「はい、綾波」
「……ありがと」
頬を微かに染めながら開く小さな唇。
箸に摘まれたポテトが差し出される。消えていく。控えめに顎が動く。小さく喉が鳴る。
「おいしい?」
ちょっと照れたそぶりで優しく尋ねる碇シンジ。
「……ええ」
じゃあ、と次の総菜に箸を伸ばし、また差し出す。
ぱくんと飲み込む綾波レイ。
仲が良いとは思ってたけど、これはこれは。
「ちょっと、シンちゃん、レイ。いつの間にそんなに仲良くなっちゃったの?」
呆然から真っ先に立ち直った葛城ミサト、恐る恐る問いかける。
「あ、いえ、仲良くっていうか、その、綾波はまだ右手が使えないですから」
「そうじゃなくて……」
熱々には辟易するが、食事を手伝うことくらいで動揺する歳でもない。
驚いているのは綾波レイの表情であった。
素直ではあるが常に冷めた様子、感情を表すことなど全くなかった綾波レイが頬を染めて微笑みながら寄り添っている。
その変化についていけなかった。
いくらシンちゃんが魅力的だとしても、うーん、綾波レイが一目惚れ?
缶ビールをくぃっと仰ぎつつ、そっと実質的保護者たる友人の様子を伺うと、こちらもまだ茫然自失の体。
いや、赤木リツコのほうが衝撃は大きかった。
「シ、シンジ君、料理、うまいのね」
自我境界線の再構築までは、見なかったことにするつもりらしい。
科学者は冷静沈着が大事よ。
「やっぱり、私が引き取れば良かったわ」
「ありがとうございます」
にこにこと碇シンジ。
「いや、本当においしいよ」
「そうですねえ、シンジ君のお嫁さんってきっと幸せですよねぇ」
上司の方針に乗ってようやく再起動を果たしたオペレータ二人。
取り繕うように食事にかかって、その味に舌を巻いた。
「んふふ〜。その様子じゃ相手はもう決まってるみたいだけど〜?」
「な、なに言ってんですか、ミサトさん」
レイのことを冷やかすと、とたんに子どもっぽくなるのよね。
遅ればせながらいつもの調子を取り戻した葛城ミサトのからかいで、硬直した場がほぐれだした。
レイのことを冷やかすと、とたんに子どもっぽくなるのよね。むふふ、いい武器、手に入れたわ。シンちゃん、あんたには負けないわよ。
と、目を細める葛城ミサト作戦部長。
焦る碇シンジと対照的に、綾波レイは満足そうにもぐもぐしている。
ミサトの言葉にはピンと来なかったようだ。
「退院したといっても、ギブスが取れるまではまだかかるわ」
赤木リツコが話題を変えた。見ないふり、見ないふり。
「テストはまだ無理だから、静養していればいいわ」
「……はい」
表情が消えた綾波レイ。
柔らかな笑みは碇シンジのみに向けられるようだ。
「……明日から学校に通います」
「綾波、無理しなくてもいいんじゃない?」
「そうね、完治するまではかまわないわよ」
「もぅ、シンちゃんもリツコもなに言ってんのよ」
ニヤリと葛城ミサト。
「レイだって家でごろごろしててもつまんないわよ。それより愛しのシンちゃんと一緒に居たいわよねえ?」
あ、赤くなった。
つられて同じく頬を染めた伊吹マヤはご愛敬。
碇シンジは。先ほどとは逆に、こちらはなぜか平然。
綾波レイが話しているうちにと口にしたサラダの味が不満で、気を取られていただけだが。
「じゃあさ、レイもうちでシンちゃんと一緒に住む?」
たたみかける葛城ミサト。
狙った獲物はとことん追いつめる。
「……はい、お願いします」
追いつめたつもりが、自爆した。
「あ、綾波」
「レイちゃん……」
あうあうと声が出せない赤木リツコと葛城ミサト。
日向マコトは一目惚れした葛城ミサトとの甘い新婚生活に突入していて、すでに心ここにあらず。
だめ?
と綾波レイが目で問いかけるのは碇シンジ。
そりゃ一緒に暮らしたいけど、ミサトさんちってのは、問題があるかも……。
家主ではなく赤木リツコの顔色をうかがう。
「……碇司令のご許可が必要だわ」
とりあえず逃げを打って、旧友を睨み付けた。
あなたがつまらないことを言うからよ。
「よし! じゃ今日からレイもうちの子ね」
自分で誘っておいて、今更否定のしようもない。
張り合いがなさすぎたけれど、冷やかせば赤くなるのは間違いないのだから酒の肴に困ることはないだろうし、うまくいけば扶養手当も……。
作戦部長の計算は速い。
「ミサト!」
「いいじゃない、リツコ? 別にふたりっきりってわけじゃないんだし」
「そういう問題じゃないわよ」
「じゃ、じゃあ綾波の怪我が治りきるまでってことで駄目ですか、ミサトさん、リツコさん」
綾波レイの媚びる瞳に逆らえなかった碇シンジ。妥協案を出した。
綾波っていつの間にこんな技を覚えたんだろう?
「そ、そうね」
確かに今の綾波レイが一人で生活するのは不便があるのは間違いない。
反対する適当な理由が思い浮かばなかった。
「ではそういうことで、退院パーティ兼同居記念で乾杯ねぇん」
新しいビールを開けて腕をつきあげる。
「くっ、こうなったら飲むわよ」
「あ、あたしもいただきます」
「裸エプロンは男のロマンですよね、葛城さん!」
「日向くん?」
「いつの間にか泥酔してるわね」
「フケツ」
「あ、綾波は飲んじゃ駄目だよ」
「問題ないわ」
「そっよー、シンちゃんも飲みなさい、この色男がぁ」
「中学生ですよ、ぼくら」
「大丈夫だよ、シンジくん。僕たちはもう社会人だからね」
「なんの話、してんだか」
「……彼はほっておきなさい。ミサト、ビールが足りないわよ」
「あ、じゃぼく買ってきます」
「シンちゃん、お金あるの?」
「あ、はい、カードがありますから」
「……わたしも一緒に」
「こら、酒の肴ふたりが逃げてどーすんのよ」
「若いっていいですねぇ」
喧噪の中、夜は更けていく。
ベッド横の椅子に腰掛け、しゃりしゃりと林檎を器用に剥く碇シンジ。
膝に乗せた皿に林檎の皮が積もっていく。
身体を横にして、珍しそうに見入っている綾波レイの顔を夕陽が染め上げる。
「本当は一人の部屋を借りて、さ」
剥き終わった林檎を割らずに、さくっと一口大にナイフで削る。
指でつまんで少女の口元に運ぶ。
それを、ぱくっと綾波レイ。
まだ腕が使えないので仕方ないのだが、夕陽のせいばかりでもなく、頬がほんのり赤い。
「その、綾波と……」
言い淀んでこちらも赤くなった。
一緒に住もう、とはさすがに言い出せなかったらしい。
「……ひい」
言葉にされなかったことに少し不満を感じる綾波レイ。
いい、問題ないわ、と先回りした返答をしかけて発音がおかしくなる。
……そう、食べながら話すのは無理なのね……。
ひとつ賢くなった綾波レイ。しゃくしゃくと咀嚼に命をかける。
「なに?」
気恥ずかしさをごまかすつもりか、次の林檎の欠片をもう手にして待っている碇シンジ。
リンゴ半個分近くを食べ終わるまで、綾波レイと林檎の格闘は続いた。
「まだ食べる?」
「……いい」
にこにこと笑う碇シンジに、礼をいうべきか、意地悪を責めるべきか悩んでしまう。
「……私と一緒に住むのだと思ってた」
結局、責めることにした。
「あ、えっと、まだ綾波は退院できないし、その、やっぱそれはいろいろと問題あるし、父さんも、あの……」
予想外の反撃に慌てまくる。自分で言いかけたことの否定に回ってる。
「問題ないわ」
今度はちゃんと発音できた。
「あ、ん、だけど……」
綾波レイと二人だけの時は本性に戻ってしまう。
融合した渚カヲルの魂はどこか心の奥で傍観を決め込んでいるらしい。
碇くんらしい、と綾波レイは優しくなった。思慕が母性であるゆえか。
「ミサトさんも放ってはおけないから。僕たちのことを話すわけにもいかないしね」
碇シンジなりに立ち直った。
「ひとつひとつ進んでいこう? 綾波ははやく身体を治してね」
「……ありがと」
穏やかな沈黙が流れる。
そっと手を伸ばし、少女の頬に手の甲を当てる。
それに応えてわずかに顔を傾け、少年に甘えた。
静かに心が溶け合わさっていく。
優しげな瞳が少女を包んでくれていた。
ピッ、とベッドサイドのインターコムが静止を破った。
「シンジ君、いるわね? 準備ができたから、訓練はじめるわよ」
戦闘シミュレーション室への呼び出しを告げる赤木リツコの声に、綾波レイはほんの少しだけ眉を寄せた。
しかたないよね、と少年は苦笑した。
「シンジ君、よく乗る気になってくれましたね」
伊吹マヤが感嘆した。
エヴァンゲリオン疑似戦闘訓練管制室。
初号機はMAGIが作り出す3D映像を相手に戦闘を繰り広げる。
その訓練メニューを淡々とこなす碇シンジの様子をじっと見つめる赤木リツコと葛城ミサト。
「人の言うことにはおとなしく従う。それがあの子の処世術、っていうなら……」
「わっかりやすいんだけどねえ」
「あの、どういうことですか?」
「ふふ〜ん? マヤちゃん、シンジくんのこと、気になるぅ?」
「あ、いえ」
「あら、マヤ。顔が赤いわよ」
「先輩! からかわないでください」
「リツコだって引き取りたいって言ってたじゃない」
「馬鹿ね。冗談よ」
「先輩……」
「変な目で見ないで。……実行したのはミサトよ」
「パイロットの管理はあたしの仕事だから、ね」
「同居までする必要はないのよ。レイだって一人暮らしなんだから」
「へっ? そうなの?」
「あ、はい。レイちゃんはマンションで一人で暮らしてるんです」
「……レイの保護者ってリツコよね?」
「書類上は碇司令よ」
「はぁん、ま、あの司令とじゃ一緒に暮らしたくはないか」
「……」
カタカタとキーボードの音。
「ちょ。まさかここ、ボイスレコーダ、ある?」
「いえ、そんなものはありませんけど……」
「……び、病院から出たらレイも引き取ろうかな」
ごまかした。
「だめよ」
「どしてぇ?」
「シンジ君もいるのに、あなた」
「んー、でもシンジ君、さっきまでレイの病室にいたんでしょ?」
「シンジ君とレイちゃんならお似合いかも知れませんね」
「そうそう。すっごく気に入ってるみたいだし」
「どうかしら?」
「あらぁ、焼き餅?」
「まさか。ここにいる子どもはあの二人だけだから。安心できるんでしょう?」
「そうかなあ。んじゃお姉さんが愛のキューピッドでもやってみるか」
「傷つけ合うだけかも知れないわよ」
「リツコ?」
「……」
「シミュレーションプログラム、終了します」
「葛城一尉?」
赤木リツコの呼びかけに仕事の顔に戻る。
「了解。シンジ君?」
『はい、ミサトさん』
「お疲れさま。今日の訓練はこれで終了します」
『はい』
「退院パーティ?」
「ええ、綾波、明日には退院できるそうですから。ここでやってもらえたらと思って」
「んふふ〜。シンちゃんってば、レイにべったりねえ。この1週間、毎日お見舞いに行ってたしぃ。惚れちゃった?」
「そ、そんなことはありませんけど。……駄目ですか?」
「いいわよ、あたしは。でもパーティならどこかのお店のほうがいいんじゃないの?」
「僕が料理しますから」
「へへえ」
「な、なんですか?」
「なんでも〜。分かったわ。確かにうちのほうが落ち着いて飲めるわね」
「飲み過ぎないでくださいよ」
「へいへい。んじゃ、リツコに許可とって、ついでに誘っておけばいいのね?」
「はい、すみません」
というわけで、コンフォート17マンションに呼び出された赤木リツコ、伊吹マヤ、日向マコト。
葛城ミサトも含めて、口をあんぐり開けるはめになった。
「はい、綾波」
「……ありがと」
頬を微かに染めながら開く小さな唇。
箸に摘まれたポテトが差し出される。消えていく。控えめに顎が動く。小さく喉が鳴る。
「おいしい?」
ちょっと照れたそぶりで優しく尋ねる碇シンジ。
「……ええ」
じゃあ、と次の総菜に箸を伸ばし、また差し出す。
ぱくんと飲み込む綾波レイ。
仲が良いとは思ってたけど、これはこれは。
「ちょっと、シンちゃん、レイ。いつの間にそんなに仲良くなっちゃったの?」
呆然から真っ先に立ち直った葛城ミサト、恐る恐る問いかける。
「あ、いえ、仲良くっていうか、その、綾波はまだ右手が使えないですから」
「そうじゃなくて……」
熱々には辟易するが、食事を手伝うことくらいで動揺する歳でもない。
驚いているのは綾波レイの表情であった。
素直ではあるが常に冷めた様子、感情を表すことなど全くなかった綾波レイが頬を染めて微笑みながら寄り添っている。
その変化についていけなかった。
いくらシンちゃんが魅力的だとしても、うーん、綾波レイが一目惚れ?
缶ビールをくぃっと仰ぎつつ、そっと実質的保護者たる友人の様子を伺うと、こちらもまだ茫然自失の体。
いや、赤木リツコのほうが衝撃は大きかった。
「シ、シンジ君、料理、うまいのね」
自我境界線の再構築までは、見なかったことにするつもりらしい。
科学者は冷静沈着が大事よ。
「やっぱり、私が引き取れば良かったわ」
「ありがとうございます」
にこにこと碇シンジ。
「いや、本当においしいよ」
「そうですねえ、シンジ君のお嫁さんってきっと幸せですよねぇ」
上司の方針に乗ってようやく再起動を果たしたオペレータ二人。
取り繕うように食事にかかって、その味に舌を巻いた。
「んふふ〜。その様子じゃ相手はもう決まってるみたいだけど〜?」
「な、なに言ってんですか、ミサトさん」
レイのことを冷やかすと、とたんに子どもっぽくなるのよね。
遅ればせながらいつもの調子を取り戻した葛城ミサトのからかいで、硬直した場がほぐれだした。
レイのことを冷やかすと、とたんに子どもっぽくなるのよね。むふふ、いい武器、手に入れたわ。シンちゃん、あんたには負けないわよ。
と、目を細める葛城ミサト作戦部長。
焦る碇シンジと対照的に、綾波レイは満足そうにもぐもぐしている。
ミサトの言葉にはピンと来なかったようだ。
「退院したといっても、ギブスが取れるまではまだかかるわ」
赤木リツコが話題を変えた。見ないふり、見ないふり。
「テストはまだ無理だから、静養していればいいわ」
「……はい」
表情が消えた綾波レイ。
柔らかな笑みは碇シンジのみに向けられるようだ。
「……明日から学校に通います」
「綾波、無理しなくてもいいんじゃない?」
「そうね、完治するまではかまわないわよ」
「もぅ、シンちゃんもリツコもなに言ってんのよ」
ニヤリと葛城ミサト。
「レイだって家でごろごろしててもつまんないわよ。それより愛しのシンちゃんと一緒に居たいわよねえ?」
あ、赤くなった。
つられて同じく頬を染めた伊吹マヤはご愛敬。
碇シンジは。先ほどとは逆に、こちらはなぜか平然。
綾波レイが話しているうちにと口にしたサラダの味が不満で、気を取られていただけだが。
「じゃあさ、レイもうちでシンちゃんと一緒に住む?」
たたみかける葛城ミサト。
狙った獲物はとことん追いつめる。
「……はい、お願いします」
追いつめたつもりが、自爆した。
「あ、綾波」
「レイちゃん……」
あうあうと声が出せない赤木リツコと葛城ミサト。
日向マコトは一目惚れした葛城ミサトとの甘い新婚生活に突入していて、すでに心ここにあらず。
だめ?
と綾波レイが目で問いかけるのは碇シンジ。
そりゃ一緒に暮らしたいけど、ミサトさんちってのは、問題があるかも……。
家主ではなく赤木リツコの顔色をうかがう。
「……碇司令のご許可が必要だわ」
とりあえず逃げを打って、旧友を睨み付けた。
あなたがつまらないことを言うからよ。
「よし! じゃ今日からレイもうちの子ね」
自分で誘っておいて、今更否定のしようもない。
張り合いがなさすぎたけれど、冷やかせば赤くなるのは間違いないのだから酒の肴に困ることはないだろうし、うまくいけば扶養手当も……。
作戦部長の計算は速い。
「ミサト!」
「いいじゃない、リツコ? 別にふたりっきりってわけじゃないんだし」
「そういう問題じゃないわよ」
「じゃ、じゃあ綾波の怪我が治りきるまでってことで駄目ですか、ミサトさん、リツコさん」
綾波レイの媚びる瞳に逆らえなかった碇シンジ。妥協案を出した。
綾波っていつの間にこんな技を覚えたんだろう?
「そ、そうね」
確かに今の綾波レイが一人で生活するのは不便があるのは間違いない。
反対する適当な理由が思い浮かばなかった。
「ではそういうことで、退院パーティ兼同居記念で乾杯ねぇん」
新しいビールを開けて腕をつきあげる。
「くっ、こうなったら飲むわよ」
「あ、あたしもいただきます」
「裸エプロンは男のロマンですよね、葛城さん!」
「日向くん?」
「いつの間にか泥酔してるわね」
「フケツ」
「あ、綾波は飲んじゃ駄目だよ」
「問題ないわ」
「そっよー、シンちゃんも飲みなさい、この色男がぁ」
「中学生ですよ、ぼくら」
「大丈夫だよ、シンジくん。僕たちはもう社会人だからね」
「なんの話、してんだか」
「……彼はほっておきなさい。ミサト、ビールが足りないわよ」
「あ、じゃぼく買ってきます」
「シンちゃん、お金あるの?」
「あ、はい、カードがありますから」
「……わたしも一緒に」
「こら、酒の肴ふたりが逃げてどーすんのよ」
「若いっていいですねぇ」
喧噪の中、夜は更けていく。