第5話「現場」
「それにしても暑っついわねえ」
今日何度目かの愚痴をこぼす葛城ミサト一尉。
炎天下、さらに輻射熱、さらに重機の作動熱が不快指数を上限まで押し上げている。吹き出る汗を拭う間もない。作業服にも汗がにじむ。
「やせて都合がいいんじゃなくて?」
こちらは不思議と平然とした赤木リツコ。汗は同様に流れているが。
「やせなきゃいけないほど太ってないわよっ」
二人が見上げるのは巨大な……死体。
沈黙した使徒を死体と言ってよいのかどうかは未だに分からない。活動中は明らかに生物だが、動きを止めた途端に鉱物じみてくる。
謎は果てしなく多い。そのための回収作業。
作戦行動が都市のど真ん中で行なわれたため、事後処理は困難を極めた。まるまる2日を費やして、ようやく大型輸送車の架台に使徒を固定できた。
「こいつのせいで、ますます兵装ビルの工期が遅れるだろうし」
「施設課も必死になってるわよ」
「あったり前でしょ。だいたい東区のケーブル施設さえちゃんと予定通りなら、こんなど真ん中でドンパチする必要なかったのよっ」
言ってもせんないことながら、こぼさずにいられない。
「初号機があんなにあっさり勝ってなきゃ、被害甚大のはずなのよ」
「しかたないわ。攻撃兵器はともかく、エヴァがらみのシステムビルは施工できる業者が限られてくるから」
「ふん。この戦闘もまた機密、か。事実はまた闇の中ね」
「広報部は喜んでいたわよ、仕事が出来たって」
「うちもお気楽なもんねぇ。街のど真ん中にこんなでっかい化け物転がしておいて、隠蔽なんて出きるわけないじゃん」
呆れたとばかりに簡易テント内のストールに腰をおろす葛城ミサト。
回収計画書を手頃に折り畳み、団扇代わりにぱたぱた。
「あら、そうでもないわよ。市内の口コミまではどうしようもないけれど、要するに報道さえされなければいいのだから」
しれっと答える赤木リツコ。
「っても、個人のネットワークサイトまでは管理できないでしょ?」
「なに言ってるの。第3新東京市のネットワークは全てMAGIの管理下にあるのよ。ファイアウォールを経ずに外部からのアクセスは不可能よ」
あっさりと返されて、はぁっと空を仰ぎ見る。
「……みんな怖いわけか」
「パニックは何も生まないわ」
「ここもいつまで……」
外の世界は報道管制で騙せるかも知れない。
極東の一都市の災害は世界には関係がない。
使徒の再来はない。国連の建前はそのまま維持できるだろう。さもなくば、極限の恐怖が容易に社会を崩壊させる。
しかし、現実に使徒を目の当たりにし、戦火に巻き込まれる都市がある。
そのための迎撃要塞都市とはいえ、暮らしているのは覚悟のある軍人ばかりではないのだ。
身体に絡みつくような暑さが一瞬、黒い冷気と化した気がした。
「ところでシンジ君の様子はどうなの? あなた、彼を引き取ったそうじゃない」
話題を変えたのは赤木リツコも同じ翳りを感じたためか。
「あ、シンジ君? んー、まあ本人は一人暮らしでいいって感じだったんだけどね」
退院後、保安部から指示された地下居住区個人コンパートメント。
その通達にさも当然そうに頷いた碇シンジ。
「わかんなくなりそうで、さ」
平和な時代ではない。セカンドインパクトの傷跡はまだ根深い。
前世紀のように14歳がひたすら保護されるべきまるきりの子どもだと甘えられる社会でもなかった。両親とも健在の裕福な家庭のほうが少数派だ。
インパクト後の戦火に巻き込まれなかったおかげで比較的被害の少なかった日本でさえ、義務教育の維持が精一杯。高校進学率など20パーセント以下に落ちている。
いわば少年兵たる碇シンジが個人コンパートメントに入るのは、ある意味当然とも言えるのだが。
それにしても。
「あんまり飄々としてるから。子どもって感じがしないのよね、いまいち」
「指揮官として?」
確かに訓練を受けたわけでもない少年、指揮系統への慣れはない。
命令を無批判に実行できない兵士は危険すぎて使えない。
その代わりとして人間関係を構築しておくつもりなのか、と問うた。
「ってわけでもないのよ」
それは否定する。
天才肌の作戦指揮者葛城ミサト。どんなにひねた相手でもたかが中学生。コントロールしていく自信はある。
その問題ではなく……。
理論派ではない。だから説明できない。
「なんか越えてるのよね、シンジ君って」
なにを越えているのか、が分からない。
分からないからこそ、直感が警鐘を鳴らすのだろう。
それが思わず同居をごり押しした理由。
突然、他人と二人で暮らす。
一人暮らしというより遙かに戸惑いがあるだろうと思ったが、それを聞いた少年がにこにこと笑って言った、よろしくお願いします、と。
さらに分からなくなってしまった。
「でも、あなたの家、暮らせるの?」
学生時代からの腐れ縁、友人のだらしなさは身に染みている赤木リツコ。
いたずらっぽく笑った。
「しっつれいね〜。そりゃちょっち散らかってたけどさ」
昨夜、病院から連れ帰った。
確かにゴミの山だった。日本本部に赴任してから日が浅い。荷ほどきもまだ終わっておらず、必要なものを段ボールから取り散らかしたまま。
「掃除しますね?」
驚いた風でもなく、くすくす笑いながらてきぱき片づけを始めた碇シンジ。
「お嫁にいけませんよ、これじゃあ」
揶揄されながら、少年に言われるまま、夜中までかかって整頓した。
今朝は今朝で、少年にたたき起こされると食卓には朝食が並んでいた。
その話に赤木リツコは涙を流して笑う。
「あなたのほうが引き取られたみたいね」
むぅ、と葛城ミサト。
「そんなにいい子なら、わたしが引き取ればよかったかしら」
少々深い意味があったかも知れない。
「あんた、なに言ってんのよ」
リツコの心情には気づかず、とりあえず馬鹿にされたと怒りだしたミサトに苦笑しながら、ふと。
「あら、あれシンジくんじゃない?」
「え?」
立入禁止のイエローロープのところで、野次馬らしきカメラを持った中学生と歩哨がやりあっている。
声は聞こえないが、使徒を撮影しようとして咎められたのだろう。
その横で困ったように立っているのは、確かに碇シンジだ。
「ああ、今日は学校にやったのよ。手続きは終わってたから。もう友達が出来たのねぇ」
えらいえらい、と出来の良い弟を持った感慨になぜかふける葛城ミサト。
赤木リツコは携帯機材をまとめ始める。
「撤収しましょう。後は現場に任せても大丈夫だわ」
暑さに参りかけている葛城ミサトも異議はない。
現場責任者を呼び寄せ、事後の指示を簡単に出しながら作業服を脱ぎ捨てる。
伸びをしながら少年たちのもとへ歩む。
「シ〜ンジくん」
「あ、ミサトさん」
最敬礼する歩哨に軽く会釈し、にっこりと少年たちに微笑みかける。
「なんや、碇、知り合いか?」
「あ、うん」
「どしたの〜? お友達?」
「ええ、相田くんと鈴原くん」
「はじめまして! 碇君の同級生で、相田ケンスケと申します!」
葛城ミサトの襟章に気づき、ばしっと最敬礼を決める。
つられて鈴原トウジも。
なぜか碇シンジも。顔は笑っているが。
「はじめまして。葛城ミサト。碇シンジの保護者よ」
きれいな人やぁ〜、とほんわかしている鈴原トウジ。
相田ケンスケはチャンスを逃さない。
「あの、あの怪獣を撮影したいのですが許可いただけないでしょうか」
「んー、それはだめよん」
笑顔でやんわりと。
「規則だからね。逮捕されたくはないでしょう?」
残念そうだが、歩哨に対したような反発はしない相田ケンスケ。
やはり美人のお姉さんには弱い。
そのお姉さんに連れられて車に乗り込む碇シンジに、また明日と手を振りながら、しまった、怪獣は駄目でも美人は撮影できたはずなのにとほぞを噛む。
鈴原トウジは。まだ瞳が桜色。
「べっぴんさんやなぁ〜」
「保護者っていうけど、名字が違うな」
「まぁ、色々あるねんやろ」
「親戚かな? まさか二人きりで同棲?」
中学生は妄想が走る。
「いや〜んな感じぃ」
明日、学校で問いつめねばと妬ましさのユニゾン。
今日何度目かの愚痴をこぼす葛城ミサト一尉。
炎天下、さらに輻射熱、さらに重機の作動熱が不快指数を上限まで押し上げている。吹き出る汗を拭う間もない。作業服にも汗がにじむ。
「やせて都合がいいんじゃなくて?」
こちらは不思議と平然とした赤木リツコ。汗は同様に流れているが。
「やせなきゃいけないほど太ってないわよっ」
二人が見上げるのは巨大な……死体。
沈黙した使徒を死体と言ってよいのかどうかは未だに分からない。活動中は明らかに生物だが、動きを止めた途端に鉱物じみてくる。
謎は果てしなく多い。そのための回収作業。
作戦行動が都市のど真ん中で行なわれたため、事後処理は困難を極めた。まるまる2日を費やして、ようやく大型輸送車の架台に使徒を固定できた。
「こいつのせいで、ますます兵装ビルの工期が遅れるだろうし」
「施設課も必死になってるわよ」
「あったり前でしょ。だいたい東区のケーブル施設さえちゃんと予定通りなら、こんなど真ん中でドンパチする必要なかったのよっ」
言ってもせんないことながら、こぼさずにいられない。
「初号機があんなにあっさり勝ってなきゃ、被害甚大のはずなのよ」
「しかたないわ。攻撃兵器はともかく、エヴァがらみのシステムビルは施工できる業者が限られてくるから」
「ふん。この戦闘もまた機密、か。事実はまた闇の中ね」
「広報部は喜んでいたわよ、仕事が出来たって」
「うちもお気楽なもんねぇ。街のど真ん中にこんなでっかい化け物転がしておいて、隠蔽なんて出きるわけないじゃん」
呆れたとばかりに簡易テント内のストールに腰をおろす葛城ミサト。
回収計画書を手頃に折り畳み、団扇代わりにぱたぱた。
「あら、そうでもないわよ。市内の口コミまではどうしようもないけれど、要するに報道さえされなければいいのだから」
しれっと答える赤木リツコ。
「っても、個人のネットワークサイトまでは管理できないでしょ?」
「なに言ってるの。第3新東京市のネットワークは全てMAGIの管理下にあるのよ。ファイアウォールを経ずに外部からのアクセスは不可能よ」
あっさりと返されて、はぁっと空を仰ぎ見る。
「……みんな怖いわけか」
「パニックは何も生まないわ」
「ここもいつまで……」
外の世界は報道管制で騙せるかも知れない。
極東の一都市の災害は世界には関係がない。
使徒の再来はない。国連の建前はそのまま維持できるだろう。さもなくば、極限の恐怖が容易に社会を崩壊させる。
しかし、現実に使徒を目の当たりにし、戦火に巻き込まれる都市がある。
そのための迎撃要塞都市とはいえ、暮らしているのは覚悟のある軍人ばかりではないのだ。
身体に絡みつくような暑さが一瞬、黒い冷気と化した気がした。
「ところでシンジ君の様子はどうなの? あなた、彼を引き取ったそうじゃない」
話題を変えたのは赤木リツコも同じ翳りを感じたためか。
「あ、シンジ君? んー、まあ本人は一人暮らしでいいって感じだったんだけどね」
退院後、保安部から指示された地下居住区個人コンパートメント。
その通達にさも当然そうに頷いた碇シンジ。
「わかんなくなりそうで、さ」
平和な時代ではない。セカンドインパクトの傷跡はまだ根深い。
前世紀のように14歳がひたすら保護されるべきまるきりの子どもだと甘えられる社会でもなかった。両親とも健在の裕福な家庭のほうが少数派だ。
インパクト後の戦火に巻き込まれなかったおかげで比較的被害の少なかった日本でさえ、義務教育の維持が精一杯。高校進学率など20パーセント以下に落ちている。
いわば少年兵たる碇シンジが個人コンパートメントに入るのは、ある意味当然とも言えるのだが。
それにしても。
「あんまり飄々としてるから。子どもって感じがしないのよね、いまいち」
「指揮官として?」
確かに訓練を受けたわけでもない少年、指揮系統への慣れはない。
命令を無批判に実行できない兵士は危険すぎて使えない。
その代わりとして人間関係を構築しておくつもりなのか、と問うた。
「ってわけでもないのよ」
それは否定する。
天才肌の作戦指揮者葛城ミサト。どんなにひねた相手でもたかが中学生。コントロールしていく自信はある。
その問題ではなく……。
理論派ではない。だから説明できない。
「なんか越えてるのよね、シンジ君って」
なにを越えているのか、が分からない。
分からないからこそ、直感が警鐘を鳴らすのだろう。
それが思わず同居をごり押しした理由。
突然、他人と二人で暮らす。
一人暮らしというより遙かに戸惑いがあるだろうと思ったが、それを聞いた少年がにこにこと笑って言った、よろしくお願いします、と。
さらに分からなくなってしまった。
「でも、あなたの家、暮らせるの?」
学生時代からの腐れ縁、友人のだらしなさは身に染みている赤木リツコ。
いたずらっぽく笑った。
「しっつれいね〜。そりゃちょっち散らかってたけどさ」
昨夜、病院から連れ帰った。
確かにゴミの山だった。日本本部に赴任してから日が浅い。荷ほどきもまだ終わっておらず、必要なものを段ボールから取り散らかしたまま。
「掃除しますね?」
驚いた風でもなく、くすくす笑いながらてきぱき片づけを始めた碇シンジ。
「お嫁にいけませんよ、これじゃあ」
揶揄されながら、少年に言われるまま、夜中までかかって整頓した。
今朝は今朝で、少年にたたき起こされると食卓には朝食が並んでいた。
その話に赤木リツコは涙を流して笑う。
「あなたのほうが引き取られたみたいね」
むぅ、と葛城ミサト。
「そんなにいい子なら、わたしが引き取ればよかったかしら」
少々深い意味があったかも知れない。
「あんた、なに言ってんのよ」
リツコの心情には気づかず、とりあえず馬鹿にされたと怒りだしたミサトに苦笑しながら、ふと。
「あら、あれシンジくんじゃない?」
「え?」
立入禁止のイエローロープのところで、野次馬らしきカメラを持った中学生と歩哨がやりあっている。
声は聞こえないが、使徒を撮影しようとして咎められたのだろう。
その横で困ったように立っているのは、確かに碇シンジだ。
「ああ、今日は学校にやったのよ。手続きは終わってたから。もう友達が出来たのねぇ」
えらいえらい、と出来の良い弟を持った感慨になぜかふける葛城ミサト。
赤木リツコは携帯機材をまとめ始める。
「撤収しましょう。後は現場に任せても大丈夫だわ」
暑さに参りかけている葛城ミサトも異議はない。
現場責任者を呼び寄せ、事後の指示を簡単に出しながら作業服を脱ぎ捨てる。
伸びをしながら少年たちのもとへ歩む。
「シ〜ンジくん」
「あ、ミサトさん」
最敬礼する歩哨に軽く会釈し、にっこりと少年たちに微笑みかける。
「なんや、碇、知り合いか?」
「あ、うん」
「どしたの〜? お友達?」
「ええ、相田くんと鈴原くん」
「はじめまして! 碇君の同級生で、相田ケンスケと申します!」
葛城ミサトの襟章に気づき、ばしっと最敬礼を決める。
つられて鈴原トウジも。
なぜか碇シンジも。顔は笑っているが。
「はじめまして。葛城ミサト。碇シンジの保護者よ」
きれいな人やぁ〜、とほんわかしている鈴原トウジ。
相田ケンスケはチャンスを逃さない。
「あの、あの怪獣を撮影したいのですが許可いただけないでしょうか」
「んー、それはだめよん」
笑顔でやんわりと。
「規則だからね。逮捕されたくはないでしょう?」
残念そうだが、歩哨に対したような反発はしない相田ケンスケ。
やはり美人のお姉さんには弱い。
そのお姉さんに連れられて車に乗り込む碇シンジに、また明日と手を振りながら、しまった、怪獣は駄目でも美人は撮影できたはずなのにとほぞを噛む。
鈴原トウジは。まだ瞳が桜色。
「べっぴんさんやなぁ〜」
「保護者っていうけど、名字が違うな」
「まぁ、色々あるねんやろ」
「親戚かな? まさか二人きりで同棲?」
中学生は妄想が走る。
「いや〜んな感じぃ」
明日、学校で問いつめねばと妬ましさのユニゾン。