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終章「Do you love me?」

 五月の空、晴れ渡る。

 しかし。

「暑い暑いあっつ〜い」

 息せき切って走っているからでもある。金茶の髪が揺れてたなびく。やや短めのスカートが翻る。

 白の半袖セーラー服の胸には市立第壱高等学校の記章。

「だいたいこんな日に学校なんていかなくたって……」

 ぶつくさと零しながらも、スピードは緩めない。

 なだらかな坂道の上に、赤い屋根の校舎がようやく見えてきた。

「あ……!」

 タイアを軋ませながらその坂道を駆けのぼる青いルノーが巻き上げた塵煙に思わず立ちすくむ。

「な、なによ、自分も行くんなら乗せてってくれてもいいじゃないの」

 すでに車影は校門に消える。

 予鈴を告げる電子チャイムが響いてきた。

「あ、まじぃ」

 とっちめるのはあとのことだ。再び惣流アスカは駆けだした。



「おはよ!」

「おはよう。今日は珍しく遅いのね?」

 国際教養科1年A組。

 肩で息をしながら飛び込んだ惣流アスカを、相変わらずお下げの少女が笑顔で迎える。

「うん」

 タン、と通学鞄を机の上に投げ置く。

 クーラーの効いた教室に、ようやく人心地。

「休むつもりだったんだけどさ……」

「どっか悪いの?」

「ん? あ、そうじゃないわよ」

 にっこりと微笑んだその姿に、思わずドギマギしてしまったのは目の前の洞木ヒカリばかりではない。

 遷都がなされ第3新東京市が日本の首都となって以来、外国人の流入も増えている。アングロサクソン種の美女、というのも以前ほど珍しくはなくなっていたし、女生徒が3分の2を占めるこの1年A組にも数人のハーフはいる。

 それでも惣流アスカはアイドルだった。

 時折見せる憂いを秘めた表情と、妙に時代がかった日本語を駆使するアンバランスが受けたのかも知れない。

 教室のそこここで、瞳を桃色に煙らせた少年や……少女の顔が、惣流アスカの表情に向けられていた。

 残念ながらカメラを向けてその表情を記録に留める少年はいなかった。

 彼は、普通科の教室にいる。

 バスケット部の朝練からそのまま制服に着替えず汗くさい黒のジャージに身を包んだ少年と窓際の場所を争いながら、職員駐車場に車を停めて降り立った妖艶な美女にビデオカメラを向けていたのは、その数分前のことである。

「ちょっと事情が、ね」

「そうなの」

 2年来の親友、といっても言葉を濁した惣流アスカを追求することはしない洞木ヒカリ。

 この華やかな少女が、ただの高校生というわけではないことは知っている。

 市立第壱中学校の級友たちの中でも高校に進学した者はさほど多くなく、人口の急激な増加とともに『エヴァ』という言葉にどこか暗い気持ちをもって思い当たる者さえ少なくなってしまった今現在。

 少女の過去を知る中学以来の同級生は、そばかすの消えてずいぶん愛らしく成長した洞木ヒカリだけだった。

 ……まさか。また使徒が。

「ちがうわよ」

 少し翳った友人に惣流アスカは掌をふる。

「それよりむかつくのは、ミサトよね」

「葛城……先生?」

「あたしを走らせといて、自分は車で通学。はぁ、生徒って損だわ」

「それは」

 当り前じゃないか、と笑う。

「それで納得すんのが日本人の悪いクセよ!」

「そうかしら?」

「あたしも車、買っちゃおうかな」

「アスカ、免許持ってたの?」

「持ってるわよ……特殊免許だけど」

「特殊免許って?」

「だからそのまんま。特殊車両は乗れるの。装甲車とか、戦車とか」

「戦車で学校に来るつもり?」

「……じゃないけど」

「普通免許は?」

「車輪がついてんだから、同じようなもんよ、うん」

 誤魔化した。

 戦車なら無限軌道だろ、と突っ込む少年と同級でないことは幸いである。

「わたしもバイクなら欲しいかな。買い物に便利だし」

「所帯じみてるわね」

「アスカも料理くらいしなきゃ」

「う」

 この1年以上、食事は全てネルフ本部の食堂を利用していた。

 独身者用の宿舎でも自炊できないことはないのだが。

「わたしでよければ教えてあげる」

「そ、そうね」

 根本的に向いていないのかも知れない。

「おっはよー、諸君!」

 ガラリと教室のドアが開く。

「起立!」

 日直の号令。

 教師、というには派手すぎる服装の葛城ミサトがにこやかな笑顔をふりまいた。

「葛城先生! 今日は担任は?」

「あ、来てらっしゃるわよん。なんか小テストの準備で忙しいってっから、ショートホームルームだけあたしが代わりにね」

「げ」

 副担任の姿に自習を期待した生徒たちが、残念そうにうなだれる。

「高校生は勉強が本分だからねえ。あたしがあんたたちくらいの頃は、死ぬ思いで勉学に励んだものよ」

 優等生からはかけ離れた印象の女教師。

 嘘臭かった。

 ……料理、か。

 高校の小テストごときは気にもならない惣流アスカだが。

 ……このままじゃあ、ミサトみたいになってしまうかも。

 むう、と悩んでいる。

 すでにかなり影響を受けてしまっている。というより、もともと性格的に近いものがあることを本人は意識していないようすである。

「惣流さん」

「あ、はい」

「4限が終わったら、あたしんとこに来てね」

 教卓に埋め込まれた端末でさっさと出席点呼を済ませた葛城ミサトは、惣流アスカにウィンクひとつを残して教室を出ていった。

 ……4限が終わったら、ってことはいよいよ午後からってわけね。

 学校まで駆け通したためではない心臓の高鳴りが、不安と期待をかき混ぜる惣流アスカであった。



 葛城ミサトの愛車が第3新東京市の中央道路を駆ける。

 助手席には通学鞄をもった惣流アスカ。

「なんで朝は送ってくんなかったのよ」

 林立する企業ビルが車窓を流れるのを見るとはなしに眺めながら、ふくれっ面。

「怒んないの。一応、教師と生徒なんだからさ。送り迎えしちゃ、まずいっしょ」

「今は乗せてくれてんじゃん」

「これはお家の大事で呼び出しくらった惣流アスカさんを副担任が家庭訪問を兼ねて送ってるの」

「なによ、それ?」

「ここももう迎撃都市じゃなくて首都だからねえ。色々、都合もあんのよ。誤魔化さなきゃなんないことも多いってわけ。前にも言ったでしょう?」

「そのわりに作戦本部長のミサトを先生にするなんて無茶やってんじゃない」

「今のとこ、作戦課に仕事はないしね、事情知ってる誰かが入んなきゃ不安でしょ、今後のためにもさ」

「そりゃそうだろうけど」

「それに、教員免許持ってんのあたしだけだったしね」

「え。そんなのほんとに持ってたの?」

「軍事教練教官の免許だけどね」

「……それ、違うわよ?」

「教えるってことは一緒じゃなあい」

 反論できなかった。

 確かにネイティブレベルの英語を扱う葛城ミサト。英語教師としての評判は良かったし、奔放な性格が生徒にも人気があったが。

 ……まずい、やっぱあたし、ミサト化してる。

 自覚してしまったからだった。

 頭を抱える惣流アスカをどう見たのか、葛城ミサトは浮かれ気味にステアリングを切る。

 側道に抜け、一般車両通行止めの標識を越える。

 企業ビルは姿を消し、無骨な兵装ビル群に囲まれる区域。

 赤い無花果の半葉。ネルフのロゴをマーキングされた数台の軽戦車が行く手を阻んだ。

「ごくろうさま」

 肩に小銃をかけた兵士に、窓越しに身分証を出しながらにこやかに微笑む。

 相手は最敬礼で確認した身分証をかえす。

「こっちから本部に入るのって久しぶりだけど」

 鼻白んだように惣流アスカ。

「なんか仰々しくなっちゃってんのね?」

「昔とは違うからねえ」

 ジオフロントに向かうカートレインに車を乗せると、葛城ミサトは腕を頭の後ろに組んだ。

「碇司令のお力で、まあネルフ本部は安泰に見えるけど、委員会は崩壊の危機だし。下手すると国連がばらばらになっちゃいそうな情勢なのよね」

「戦争?」

「補完計画、一からやりなおしだもんね。今までドイツにぺこぺこしちゃってたどこの国も今度は主導権、取ろうって必死よ」

「大人って成長ないわね」

 口元を歪める惣流アスカにくすりと笑う。

「まあ、そう言わないでよ。その微妙なバランスのおかげで、シンちゃんが戻れるかも知れないんだからさ」

「シンジ……。ね、ミサトは不安じゃないの?」

「だぁいじょうぶだって。そのためにアスカもずっと頑張ってきたんじゃない?」

「そうだけど」

 不安げに揺れる蒼い瞳は、車外に流れるオレンジの灯を反射させた。



 エヴァンゲリオン14号機。

 塗装もされていないその黒鉄色の機体はそう呼ばれていた。

 装甲板はない。純粋な拘束具のみが素体を幾重にも包み込む。

 胸の中心に赤褐色の丸いコアが、どんよりと鈍った輝きを放つ。

 クレーンが動き、まとわりつくパイプ類が揺れる。

「いよいよだな」

「ああ」

 管制室の奥の壁際で作業を見守る二人の男。

 冬月コウゾウの言葉に、短く碇ゲンドウは答える。

「どう?」

「今のところ順調です」

 コンソールでは伊吹マヤが赤木リツコにデータを示す。

「さすがは先輩です。シミュレーション通りですよ」

「1年以上もかけて準備をしたのよ。この段階で誤差が出るようでは困るわ」

「でも許容範囲に7ポイントも余裕がありますよ」

「このサルベージだけは失敗できないのよ。全ての希望が消えてしまうもの」

「そうですね」

 師弟の目は油断無く、立体ディスプレイを流れるデータに注がれる。

「どうなの!」

 ドアが開き、惣流アスカと葛城ミサトが駆け込んできた。

「順調よ」

 それを迎えたのは青い髪と紅い瞳の少女。

 純白のプラグスーツに身を包んでいる。

 少女、というより女性というべき曲線が艶めかしい。

「ずるい。あんた、ずっとここにいたの?」

「そうよ」

「あたしは学校に行かされちゃったってのに!」

「高校への進学を決めたのはあなたよ。わたしは高校生じゃないもの」

「好きで行ってんじゃないわよ」

「はいはい」

 葛城ミサトが割って入った。

 この二人の少女は、仲が良いのだか悪いのだか、顔をあわせば言い合っている。

 まあ、綾波レイが軽口をたたく相手は唯一惣流アスカだけだし、惣流アスカもなにかと世話を焼いている風だから、仲が悪いというわけでもないのだろうが。

「じゃれあってる場合じゃないっしょ」

「だって」

「静かになさい」

 赤木リツコが一瞥する。

「シンジくんのサルベージ、始めるわ。アスカもはやくプラグスーツに着替えて」

「うん」

 駆け出した少女を見送り、赤木リツコは14号機のエントリープラグに通信を入れる。

「渚くん?」

『はい』

 スピーカから声が聞こえる。

「リリスのエネルギー抑制、問題ないわね?」

『赤木博士の計算通りなら。今のところシミュレーション通りに推移してますから』

「わかったわ」

 ちらりとデータを確認する。

「コア内の自我境界確立には予定通り、レイとアスカの心を使うわ。彼女らの求める心でデストルドーを抑えてリビドーを増幅するから、規定値を越えると暴走する可能性があるわよ。注意して」

『わかってます』

「レイ?」

「はい」

「アスカが準備でき次第、シミュレーションプラグに。予定通りの時間にアクセスするわ」

「はい」

 伊吹マヤが振り返った。

「自我境界パルス、接続完了しました」

「いいわ。じゃ、MAGI のカウントに従って、事前接続スタートして」

「第1信号、送ります……」

 14号機――リリスを素体にしたエヴァンゲリオンに対して最初の信号が送られた。



 ……現実ってなに?

 あなたの世界よ。

 時間と空間と他人とともにあるあなた自身の世界のことよ。

 あなたがどう受け止め、どう認めるかは、あなた自身が決める世界なのよ。

 ……決まり切ってる世界でしょ?

 違うわ。あなたが決めている世界なのよ。

 あなたの心が、そうだと決めている世界なのよ。

 生きようという意思も。

 死にたいと思う心も。

 全てあなた自身が望むことなのよ?

 ……みんなが生きていればいいと望んだ。

 あなたを喪って?

 それは閉鎖され、自分一人が心地よい世界。

 自分の弱い心を守るために。

 自分の快楽を守るために。

 これはその結果に過ぎないわ。

 ……間違っていたの?

 あなたのいない世界では、あなたは生きていけないもの。

 好きになりたいんでしょう?

 嫌いたくないんでしょう?

 さみしいってなに?

 かなしいってなに?

 ……だれも傷つけたくなかったんだ。

 逃げ場所がなかったのね。

 でもあなたを捨てた世界も逃げ場所にはならないのよ。

 みんなを捨てた世界も逃げ場所にはならないのよ。

 ……みんなを守ってあげたかったんだ。

 ひとはみんなさみしい存在なのよ。

 あなたがさみしいように。

 だれもがさみしいの。

 ひとは自分の心で気づくしかないのよ?

 ……ぼくは自分が嫌いだ。

 あなたはひとにすかれることになれていないだけなのよ。

 あなたがひとりでおもいこんでいるだけなのよ。

 じぶんをきらいなひとは。

 たにんをすくうことはできないわ。

 ……ぼくはぼくなの?

 あなたをかたちづくるのはあなたのこころ。

 ……でも

 ほかのひとのこころも。

 ……ぼくをかたちづくっているのも確かなんだね?

 そうよ。

「やっとわかったの? ばかシンジ!」



「コアにエネルギー反応。コアパルス、正常に収斂!」

「いける?」

「まだよ、ひとのかたちになるかどうかは」

「ATフィールド、発生します」

「渚くん!?」

『大丈夫、いけます』

「遺伝子形質、再編成されています」

「産まれるわ」

「シンちゃん!?」

 ずるり、と。

 14号機のコアは、裸の碇シンジを産みだした。



 陽光が冷たくゆらめく総司令執務室。

 碇ゲンドウは手を腰の後ろに組んで、窓からジオフロントを見下ろす。

「うまくいったな、碇」

 冬月コウゾウのかけた声に、微かに頷く。

「これでリリスは戻った。アダムの形質は喪われたが、まだ道はある」

「すなおにシンジくんの帰還を喜ばんのかね?」

「生き方を決めるのはシンジ自身だ。私の仕事ではない」

 白髪をふって苦笑する。

「まあいい」

「いつまでも委員会も誤魔化しきれん。シナリオが失われている以上、未来は不確定だ」

「やることは多い、というわけか」

「それが親ですからね」

 冬月コウゾウは吹き出した。



 見慣れた天井。

 ……ネルフ本部付属病院の病室。

「シンジ! シンジ!」

 蒼い瞳を濡らす涙。

「……アスカ?」

「碇くん」

「綾波?」

「気がついたんだね?」

「……カヲルくん」

 はっと半身を起こす。

「ぼくは?」

「サルベージされたんだよ」

「……ああ」

 ぼんやりとしていた目に焦点が戻る。

「記憶はあるかい?」

「うん……じゃあ、補完は失敗したのか」

「あったりまえでしょ。あんなのダメよ!」

 涙を浮かべながら、零れるような笑顔で決めつける。

「自己犠牲なんて、あんたにゃ百年早いわよ」

「うん。そう……だったのかな」

「なによ? 文句、あるわけ?」

「そういうわけじゃないけど」

「人は神にはなれない。人は人として生きていくほかないんだよ、シンジくん?」

「そう……だね、カヲルくん」

「あ、あんた、なに、渚のいうことだったら聞いちゃうわけ?」

「あ、いや、そうじゃないよ」

 むぅ、っと顔を近寄せる惣流アスカに赤面する。

「あのさ」

「なによ?」

「なんでセーラー服なんて着てるわけ?」

「だって高校生だもん」

「高校?」

「あんたはリリスの中で1年以上、眠ってたのよ」

「へえ?」

「リリスをエヴァンゲリオンとして組み上げて、シンジくんをサルベージするのにそれだけかかってしまったのさ」

「そっか」

 ごめん、と頭を下げた。

「かえって……迷惑、かけちゃったんだね」

「もういいわよ」

 ぎゅ、っと頭を抱きしめる。

「ちょっと、アスカ?」

「不満?」

「胸、大きくなったね」

「バカ!」

「あ、シンジくぅん!」

 はり倒されてベッドに昏倒した碇シンジに駆け寄る。

「ほっときなさいよ!」

「あらあら、もう痴話喧嘩?」

 にんまり笑って葛城ミサトが病室に顔を見せた。

「だいたいあんたが悪いのよ!」

「ちょ、アスカぁ。どうしてあたしが悪いのよ?」

 じろりと葛城ミサトの豊満な乳房を睨み付ける。

 ……うう、胸までミサト化しちゃったら、あたしって。

 惣流アスカの悩みは複雑である。

「あたしなんか睨んでる場合じゃないわよ?」

「え?」

「碇くん、わたしも大きくなったわ」

 綾波レイがベッドの中に潜り込んでいた。

「ちょおおおっと、あんたは! なにやってんのよー!」

「ああ、レイ。シンジくんの唇はぼくのものなのに!」

「かああ、このホモがぁ!」

「碇くん、ひとつになりましょう?」

「まだ言ってんの、あんたは!」

 碇シンジに繋がれた診療器具が示した数値に驚いた赤木リツコが飛び込んでくるまでの間、葛城ミサトはにやにやしながらその様子を見守っていた。

 ……これもまあ、ひとつの補完のかたちかしらね。

 と。

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