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第48話「補完」

「弐号機にアクセスできました」

 伊吹マヤの指がキーボードを走る。

 弐号機搭載カメラからの映像。広がる砂地。

 ぐるっとアングルが流れて、4人の少年少女を捉える。

「え? シンちゃん、左腕……」

 葛城ミサトの驚愕に落ち着いた流し目をくれる赤木リツコ。

 その肩を加持リョウジがつついた。

「リッちゃん……」

「やはり、アダムと融合したようね」

「……!?」

 赤木リツコの手元のコンソールに表示されているアダム還元システムからの赤色警告。

 碇ゲンドウの補完計画のため、ヒトと融合が可能な卵の状態にまで還元されて時を待っていたアダムが、すでに取り除かれていることを示していた。

 非常識な復元を果たしている碇シンジの左手を見れば、その意味は明らかであった。

「マヤ。音声、拾えない?」

「は、はい。なんとか」

 弐号機の外部モニタシステムが制御される。

 集音マイクが途切れ途切れに少年たちの会話を発令所に届けた。

『……に語られる使徒の殲滅は終わりリリスは復活した……シンジくんの望みのままにね』

『……ヴァの中で生きるとかってぼくには分からない……だからぼくはもう一度、やり直したかったんだ……サードインパクトを……』

「なるほど、そういうことか……」

 加持リョウジは得心した。

 チルドレンたちのいくつかの謎の行動、持ちすぎている知識をつなぐピースが繋がったように感じる。

 司令塔を仰ぎ見る。

 ……碇司令、どうなさるおつもりです?

「……この子たち、なにを言ってるの?」

 葛城ミサトは完全には理解しきれなかったが。

 加持リョウジのその顔と、司令塔で見守る二人の男の態度が、この事態が狂言ではないことを告げていた。

『……ぼくの意思でリリスによる補完ができるから……みんなの魂をぼくの夢から解き放つ』

「碇」

 冬月コウゾウが顔を歪める。

「シンジくん、ずいぶん追いつめられてしまっていたようだな」

「ああ」

「その結果がこの有様かね?」

 碇ゲンドウは組んでいた掌をとき、机上の赤く輝く球体を撫でる。

 ……すまなかったな、シンジ。

 冬月コウゾウはその呟きに苦笑混じりの長い溜息をついた。

 ――光があった。

「ターミナルドグマに高エネルギー反応! アンチATフィールドの発生を確認!」

「ソレノイドグラフ反転! 自我境界が弱体化していきます」

 発令所を振動が襲う。

「きゃ」

 投げ出されそうになった椅子にしがみつく伊吹マヤ。

 足を踏ん張ったスタッフも蒼白な顔を見合わせる。

「慌てるな。まだ物理的な衝撃に過ぎん」

 冬月コウゾウの声に碇ゲンドウの命令が重なる。

「チルドレンの心理グラフを正確にトレースしろ。弐号機の電装制御をはずすな」

 赤木リツコはその命令にしがみついた。



 綾波レイの白い肌を魂の水滴が流れる。

 鮮やかに艶めき、乳房が張り、指先が痙攣し、秘唇が濡れる。

 蕩ける快感が喪失感を伴って駆け巡っていた。

「あぅ」

 微かな嬌声が喉の奥から漏れる。

 霞む紅い瞳が、震える瞼に隠される。

 甘い流れに身を委ねた少女に、軽蔑の視線が投げられた。

「これがあんたの望んでたことなの?」

「……そうよ」

「心も体もひとつになるって?」

「そうよ」

「ばっかじゃないの」

 蒼い瞳の少女は大仰に腕を開いて吐き捨てる。

「そんなこったから、人形って言われるのよ。あんたは求めてるんじゃないわ、求められることに憧れてるだけじゃないの」

「わたしにはなにもなかったもの。でも今はちがうわ」

「ちがわないわよ」

 首をふる。

「あんたはただシンジに縋りつこうとしているだけ。求められたいと願ってるだけ。あんた自身がどこにもないのに、どうしてひとつになれるわけあるのよ」

「でもひとつに溶けあえるわ」

 抗いはどこか言い訳じみて弱々しくなる。

「錯覚よ」

 さらに冷たく突き放す。

「犯されてるだけで、なにが嬉しいわけ?」

「あなたは嬉しくないの? 心が満たされていないの?」

「あのねえ」

 呆れたそぶり。

「あたしがやってきたら、あっさり自分のマンションに逃げ帰っちゃう。あいつがダミープラグを欲しがったら、その実験のために一緒に暮らせなくなっても文句一つ言わない。補完計画なんて勝手なもんにただ黙って協力する。あんたの気持ちはどこにあんのよ?」

「わたしがひとつになることを望んだのよ」

「だから、ひとつになんてなれるわけないって言ってんの」

「……なれるわ」

「救いがたいわね」

 嘲った。

「あんた、碇司令が死ねって言ったら死ぬ?」

「……死なない」

「じゃあ、シンジが死ねって言ったら死ぬ?」

「……」

「ほら」

 突きつけられる指。

「対象が変わっちゃっただけじゃない。結局、人形のままなのよ、あんたは」

「……そうかもしれない」

「認めるの?」

「でも心も体もひとつになること。それはとてもとても気持ちのいいことだから」

「甘いわね」

 ふふんと余裕の邪気を見せる。

「ATフィールド。心の壁なんでしょう?」

「……ええ」

「シンジのATフィールド。あんたも弾かれて入れなかったんじゃない!」

 答えられなかった。

「シンジはね、結局、孤独を求めてんのよ。他人を信じちゃいないのよ。そんな奴と、どうして一つになれるなんて思うわけ?」

 勃起していた乳首がやわらかに没する。

 内から湧き出る媚液が冷え冷えと腰にまとわりついた。

「じゃあ、君はなにを望むんだい?」

 紅い瞳の少年が綾波レイを溶かし、蒼い瞳を見据えた。



 草原を幼い少女が駆ける。

 腑をさらし首のちぎれた人形を見つめる。

 だらりと四肢を垂らした人影が揺れる。

 俯きしゃくりあげる少年が暗く見つめ返す。

「君はシンジくんに何を見せたかったんだい?」

「あたしは縋りついたりしないわよ」

「そして拒絶するのかい?」

「そんなことしやしないわ。あたしは……」

「シンジくんが好き?」

「そうよ!」

「でも言わなかった。伝えることを怖がった。それが君のATフィールドだよ」

「なにを言いたいわけ」

 一転して怯える側に回る。

「人はとても寂しい生き物だからね。分かり合えることを分かり合えないと思いこんで苦しむ運命に囚われているのさ」

 少年は遠くを見つめた。

「君の首には痣がある」

「……痣」

「シンジくんから逃げ場所を奪ったのは君自身だ。言ったよね、覚えているだろう?」

 ……もう側に来ないで。あんた私を傷つけるだけだもの。

 ……あんた、誰でもいいんでしょ。

 ……私に逃げてるだけじゃないの。

 ……イヤ!

「あたしは……」

「逃げることは弱いことじゃない。それは悲しいけれど優しいことなんだよ?」

 少年の言葉は臓腑をえぐる。

「だけどシンジくんには与えられなかった。逃げ場所がないから、シンジくんは自分で作り出そうとした。それがこの決断を生んだんだよ」

「あたしが悪いっていうの」

「君が悪いわけじゃないけどね。逃げ場所がないことで本当に力を得られるのなら、それは大人さ。シンジくんはまだ大人じゃあない。甘える場所も残してあげて良かったんだ」

「甘やかしたってろくなことになんないわよ」

「君は甘えないというのかい?」

「あたしは大人よ」

「背伸びしているだけだね。だから、人を傷つけ、自分も傷つける。本当はとても優しくて素直なのに、我が儘を他人に押しつけてしまう」

「それって……ガキって言ってんのね?」

「そうだよ」

「ばかにしないで!」

「じゃあ、どうしてシンジくんを信じさせてあげなかったんだい?」

「信じさせる?」

「シンジくんは君の好意を見つめられなかった。怖がっていたからね。だから自分の生んだ幻と思いこむしかなかったんだよ」

「だって」

「彼は今の時間を期待できなかったからね。キス、されただろう? 照れもせずに」

「あたしは……照れたわよ?」

「シンジくんのほうがさ。シンジくんはそんな性格じゃないのにね。その時に気づいてあげたら良かったのに。言葉にも出来たはずだ、好きってことをね」

「言葉にしなくちゃわかんないの? 鈍感なだけじゃない」

「鈍感も美徳さ」

 くすりと笑う。

「だからぼくはちゃんと伝えた。シンジくんは直接伝えられた気持ちは素直に受け取ってくれるからね。あの人……碇ゲンドウ氏は言葉でそれを伝えなかった。態度で分かれなんてシンジくんには酷というものだよ」

「あいつは……待ってたの?」

「そうだね。でも叶えられなかった。だからシンジくんは、求められない立場でみんなに自分の好きという気持ちを伝えるしかなかった。それがシンジくんの補完計画なんだよ」

「……ほんと馬鹿ね」

「ぼくに言わせれば、悲しいほど繊細ってことになるけどね?」



「あなたは分かっていたの?」

 綾波レイの姿がまた浮かぶ。

「分かっていたのに止めなかったの?」

「選択はぼくにはないからね」

 惣流アスカが問いかける。

「シンジ次第ってこと?」

「きみたち次第でもあるよ」

 いらだたしげに唇を噛む。

「もう遅いわよ」

 儚げな表情が震える。

「もうだめなのね」

 だが、渚カヲルは微笑んだ。

「時を戻すことはできないけれど」

 溶け合う心が。

「求めることはまだできるさ」

 世界を満たす。



「アンチATフィールドさらに拡大!」

「ターミナルドグマを越えます」

 アナライズされ流れ込むデータにオペレータは悲鳴を上げる。

「碇、このままではまずいぞ」

「……ロンギヌスの槍では、人は神にはなれん」

「とは言ってもな」

「チャンスはある」

 繰り返される言葉。

 赤木リツコが叫びを上げた。

「ターミナルドグマのデストルドー、反転。サード以外の自我境界、再確立を確認しました」

 その言葉に、碇ゲンドウの身体の緊張が解ける。

「弐号機のスピーカにアクセスできるか?」

「問題ありません」

「葛城くん」

「はい!」

「槍を引き戻させろ」

「槍、ですか?」

「急げ」

 碇ゲンドウに急かされ、訳の分からないままにマイクを握る。

「だれか、聞こえる!?」



 光の世界が急激に反転し、冷める。

 十字架を抜け、浮かび上がろうとするリリス――巨大な碇シンジの白亜の像が現実のかたちとして認識された。

 輝き満ちる純白の肌。その胸を貫くロンギヌスの槍。

 黒い双眼が見開かれ、悲しげに世界を見通している。

 ……シンジ!

 ……碇くん!

『だれか、聞こえる!?』

「弐号機? ミサト?」

『槍を引き戻して!』

「槍?」

「なるほど」

「どうすんのよ?」

「槍自身に心はないからね。本来のアダムではないシンジくんの心だけでは制御しきれない」

「要するに、邪魔できるってことよね!」

「そうだね」

「でもどうやって?」

「弐号機を使うしかないだろう」

「じゃあ、はやく」

「ぼくの制御じゃ、槍には干渉できない。君が乗るしかないさ」

「あたしぃ?」

「時間がないよ」

 と言ったときには、すでに弐号機に向かって駆け出した背中が見えた。

「彼女はどうも言葉と行動が一致しないね」

「碇くん……」

 その揶揄には答えず、綾波レイはリリスを仰ぎ見る。

「心配かい?」

「もう遅いわ。今、とどめても碇くんのかたちは戻らないもの」

「それでもシンジくんの心が溶けて拡散することは防げるさ」

 自律起動に入った弐号機の軋む音に振り返る。

「あとは……彼女ときみの気持ち次第だね」

「気持ち?」

「もっと我が儘で良いとぼくも思うけどね。救いは現実の中にあるべきだよ」

 綾波レイは顎をひき、その深く紅い瞳に碇シンジの影を映す。

 ……好き、ということなのね?

『おりゃああ』

 弐号機の腕がリリスを突き刺すロンギヌスの槍にかかった。

 ずるり、と力任せに引き抜かれる。

 傷口から金色の血流が吹き出す。

 渦巻いていた光の輪が、それとともにリリスに収束していく。

 夢幻の輝きが薄れ。

 腐肉となった巨人、碇シンジの相貌をうつすリリスがゆっくりとLCLの海に倒れ伏した。

 波が塩の浜辺を洗う。

 巨人の瞼が閉じられ、色の抜けた巨大な顔に、眠りにつく少年の表情が浮かんだ。



 わからない。現実がよくわからないんだ。

 他人の現実と自分の真実との溝が正確に把握できないのね。

 幸せがどこにあるのか、わからないんだ。

 夢の中にしか幸せを見いだせないのね。

 だから、これは現実じゃない

 そう、夢。

 だから、ここにはぼくがいない。

 都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね。

 いけないのか。

 虚構に逃げて、真実をごまかしていたのね。

 ぼくひとりの夢を見ちゃいけないのか。

 それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ。

 じゃあ、ぼくの夢はどこ。

 それは、現実の続き。

 ぼくの現実はどこ。

 それは、夢の終わりよ。

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