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第4話「転校生」

 これはなに?

 これは私?

 私じゃない。私じゃない私?

 あなたは誰?

 碇……シンジと名乗った。碇。碇司令と同じ名前。

 しらない人。

 しらない人?

 知っている。初号機パイロット。碇。碇……くん?

 笑えばいいと思うよ。

 お母さんみたいだ。

 案外、主婦とか似合ってたりして。

 ゴミ以外さわってないから。

 ……ありがとう。

 こころもからだもひとつになりたい。

 碇くんと……。

 私は……人形じゃないもの。

 碇くんが呼んでる……。

「……碇……くん?」

 アンチATフィールドが収束していく。空間は落ち着いて平常を取り戻した。

 全身に疼いていた痛みが記憶と感情に取り替えられる。

 見知らぬ少年の姿が見知った少年の微笑みに変る。

「碇くん」

「綾波……。まだ痛む?」

 微かに首をふる。

「ぼくの中にいた綾波を移した。わがままだったかも知れないけど……」

 ひとりじゃあ寂しいから。

 綾波レイは綾波レイとしてリリスの記憶を受け継ぎ、未来の綾波レイの魂を受け継いだ。

 サードインパクトの金色の光の中で、碇シンジと一つに溶け合った想いが、ふと孤独感を呼び覚ました。

「もう……ひとつじゃないのね」

「うん」

「でも……」

 別の身体で。別の魂のままで。またひとつになれるわ。

 射し込む夕日のせいばかりでもなく、頬が朱に染まる……ような気がした。

「リリスの力は移せないから。身体は急には治らないと思うけど。痛みはやわらぐはずだよ」

「……大丈夫」

 動く左手を差し伸ばそうとしたが、点滴のチューブに阻まれた。

 少年が迎えるように屈み込み、少女の手のひらをそっとおさえた。

「綾波」

 ゆっくりと唇を寄せる。少女もそれを迎えるようにそっと薄桃の唇を開き……。

 パシュ。

 自動ドアの開放音が静寂を破った。触れ得ずして慌てて引き離される顔。

「碇シンジさん?」

 やや狼狽する少年の様子にはあまり興味を示さず、事務的な看護婦の声。

「面会時間は終わりです。それと検査入院していただきますので、こちらにどうぞ」

 紅い瞳に残念そうな色が浮かぶが、少年以外にはその感情は読めないだろう。

 素直に従って看護婦のもとへ。部屋を出る前に振り向く。

「じゃあ、また来るから。大事にしてね」

 あくまで優しげな声音に、綾波レイはこくりと頷く。

 少女の貌に浮かんだかすかなかすかな笑みが、無表情に慣れていた看護婦を驚愕させた。



「はじめまして。碇シンジといいます」

 きゅきゅっと黒板に、あまりうまくない文字を並べて頭を下げる。

 第3新東京市はそもそも使徒迎撃用の要塞都市。遷都の準備が進んでいるとはいえ、今はまだ大多数の住民は、なにかしらネルフと関係している。

 使徒の襲来はネルフにとっては予想されていたこと。住民にも覚悟はあって当然のはずだが、実はまるでなかった。

 ふつう、人は将来の災厄を予測して行動するようには出来ていない。それが出来るのは極一部の有能者だけ。例えば碇ゲンドウのような。

 さすがにネルフ幹部、準幹部職員は使命感を持っていたが、D級職員あるいは直接ネルフとは繋がりのない関連事業や周辺事業に従事している人々は、使徒襲来の後、慌てて引っ越しを始めた。動きのとれない夫をおいて、子どもを連れ実家に帰る妻もいる。

 そんなわけで、この私立第壱中学校の生徒数も減ってきている。

 大人たちを慌てさせた危険も、中学生にはあまり意味がない。せいぜい、避難訓練を少しばかり真面目に行なうようになったくらいのこと。

 それよりも「未知の敵」という現実離れした出来事への興味のほうが深い。まるでTV漫画の延長。

 それ故、友人が転校や休学していくのは、つまらなかった。寂しかった。その反動で転校生はしごく好意的に受け入れられた。

 友達が増えるのは嬉しい。

「ふうん、えらい大人びたやっちゃな」

 なぜか教室での授業中もジャージを着たままの鈴原トウジが素直に感想を述べた。

 剛胆な気性の彼も、生まれ育った大阪府堺市を離れて第3新東京市に転校してきた時は、かなり緊張した。

 それがどうもこの転校生は緊張しているそぶりもなく、にこやかに微笑みながら自己紹介をしたからだ。照れているわけでもなさそうだ。

 中学生とは思えん度胸のある奴や、と感じた。

 碇シンジにとってはそれは当り前。『前の世界』では見知った学友である。緊張などするはずもない。

 さらに。碇シンジの心には強い味方が住んでいる。

「では碇シンジ君の席はと……ああ、相田君の隣が空いていますね」

 かなりの席が空いているのだが、他は欠席か休学なのだろう。

「ここだよ、碇くん」

 担任の老数学教師の指定に応え、大きな丸縁眼鏡をかけた少年が教室の真ん中で手を振った。

 貸し与えられた携帯端末を持って、指示された席につく。

「相田ケンスケってんだ。よろしくな」

「うん、こちらこそ、相田くん」

「ケンスケ、でいいよ」

 えらく気障なことを言う。

「うん、じゃあ僕はシンジって呼んでよ」

 碇シンジにとっては、「相田君、碇」より「シンジ、ケンスケ」のほうが耳慣れている。

「わいは鈴原トウジや」

 突然にゅっと伸ばされた手が二人の間を割った。

「なかなか気に入ったで、転校生。よろしゅうな」

 まためちゃくちゃな物言いを、と頭を抱える相田ケンスケ。これじゃあケンカを売ってるようなもんだ。

「うん、鈴原くん」

 にこっと驚くほど自然に笑って、その手を握り返す碇シンジ。

 握手を求めた鈴原トウジのほうが逆にドギマギしてしまったのは愛嬌。中学生に握手は似合わない。

「お、おぅ。おまえ、なんや先公みたいやな」

「なんだよ、それ」

 思わず吹き出す碇シンジ。

 前になぜトウジから「センセ」なんて呼ばれ出したのかは覚えてないけど、また同じあだ名を付けられそうだな。やっぱりトウジはトウジだ。

 妙な感慨を抱く。

 今教室にいるってことは、妹さんも怪我はしなかったんだよね。

「シンジってどこから来たんだ?」

「どこから……って。あ、ああ、軽井沢だよ」

「やっぱり親の仕事の関係け?」

「うん、まあね」

「大変やのう。わいもな、オトンもオジンもネルフ勤めでな、3年前に引っ越してきたんや」

「まあここは山を切り開いた新興都市だからね、10年以上住んでるヤツなんていないさ」

「そらまあそうやの」

「だからシンジもすぐ馴染めるよ」

「そやそや。困ったときにはわいらがついとる」

「ありがとう。頼りにしてるね」

 あっさり出来上がったような3人の友情に、少しだけ引いてしまうクラスメイトたち。

 碇シンジはいたってまともそうで魅力もあるが、ジャージ男と軍事マニアはあくが強すぎる。

 せっかくマシな男子が転入してきたというのに、2バカの影響で汚れてしまうのか。

 うるうるしている女生徒もいる。

「鈴原!」

 これに介入できるのは彼女しかいない。おさげにそばかすがチャーミングな洞木ヒカリ。

「な、なんや、委員長?」

「ほら、もうチャイムが鳴ってるのよ。席に着きなさい」

 恍惚の担任教師は朝のホームルーム終了も告げずに教室から姿を消していた。

「わ、わかってるがな」

 男には、いや女子にもとことん強気な鈴原トウジも洞木ヒカリにだけは頭が上がらない。本人もよく理由は分かっていないようだ。

 くすくすと笑う碇シンジ。

「分からないことがあれば、わたしに聞いてね。鈴原なんか当てにするとロクなことがないわよ」

 酷い言われようとトホホの鈴原トウジ。

「洞木さんって」

「なあに?」

「鈴原君とほんとに仲がいいんだね」

 真っ赤になる洞木ヒカリ。

 あなどれない奴、と爆笑する相田ケンスケ。

「い、碇くん、なに言ってるのよ!」

「そや、碇。わいと委員長はなんでもあらへんぞ!」

 その様子に教室中が笑いに包まれた。

 ともあれ、碇シンジは無事、クラスにとけこんだ模様。



「シンジも行くかい?」

 昼休み。

 弁当を持参していないというので、学校食堂付属の購買部に案内しながら相田ケンスケが訊いた。

「行くって?」

「こいつの病気や」

 呆れたように鈴原トウジ。

「おとついの騒ぎ、知っとるか?」

 うん、まあ、と言葉を濁す。

「撮影だよ」

「なにを?」

「怪獣さ。映画みたいな世界が目の前にあるんだぜ。逃せるわけないじゃないか」

「こいつはカメラが趣味の軍事オタクなんや」

 けけけと笑いながらも、人混みの中、確実に狙いのパンをつかんでいる鈴原トウジ。

 ほれ、とシンジに分け与える。

 そっか、前は爆発しちゃったけど、今回は使徒の死体が無傷で残ってるんだよね。

「怪獣は男のロマンだよ」

 キラリと光る眼鏡に思わずたじたじと。

 知らない展開だ……。

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