第44話「タブリス」
「マルドゥックの報告書?」
バサリと手渡された書類に冬月コウゾウは顔をしかめる。
「俺は聞いてないぞ?」
「お前が裏切ったとは思わん」
碇ゲンドウもまた苦々しげである。
「弐号機パイロットの代替として推薦されてきた。書類より先にアメリカ第2支部を発っていたようだ。すでに第3新東京市に到着している」
「委員会……いやゼーレが直接、か?」
エヴァパイロットに特殊な能力など必要はない。
コアに封じ込めるべき人格に対しエディプスコンプレックスを持つ少年少女でありさえするなら、有り体に言えば誰でも構わない。
つまりコアが先であり、コアを決定した時点でそれにチルドレンが付随する。
チルドレン発掘機関たるマルドゥックなど実質的には無意味であった。
それ故、実体は碇ゲンドウの手にあるネルフ諜報部に過ぎなかったのだが。
「しかしな……過去の経歴は全て抹消とは」
フィフスチルドレンはネルフ本部ではなくゼーレが『チルドレンだけ』を選定してきた。
パイロットだけを送りつけられても、それではコアの準備もなにも不可能である。
まるで意味がない。
「どういうことだ?」
「わからん。問い合わせは黙殺された。委員会の審議会の予定も全てキャンセルされている」
「ネルフを……切り捨てるつもりかな?」
その言葉には碇ゲンドウはいつもの笑いを見せる。
「切り捨てられるのは向こうだろう」
ゼーレがどう動くにせよ、碇ゲンドウのシナリオは進んでいる。
それは決して予定通りとは言えなかったが、かといって後戻りする選択肢は存在しない。
「分かった」
碇ゲンドウが歩みを止めないのであれば、冬月コウゾウも望まれている実務面に専念するしかない。
「ともあれ、フィフスの少年、MAGIで洗わせよう」
紅い瞳、色の抜けた髪。
添付されている写真は皮肉な笑みを浮かべる少年の姿を写していた。
「渚カヲル、くん、か」
「冗談じゃないわよ」
赤木リツコの言葉に、目を剥いて憤慨する。
「今さらアスカの代わりのパイロット? なに考えてんのよ、司令はぁ!」
「アスカのシンクロ率はほとんど起動不可能なところまで落ちているわ。弐号機の運用を制限されるのは、作戦部長のあなたも困るんじゃないの?」
「あのねえ!」
問題の次元が違うと声を張り上げる。
その大声に眉をひそめる赤木リツコ。自分の研究室で告げたほうが機密上よしと判断したのは間違いだった、他に人がいる発令所で話すべきだったかとやや後悔。
「あの子たちは兵士じゃないのよ。そうほいほい、こっちの都合を押しつけて、それで命令できると思ってるの?」
大人なら納得するであろう命令でも、子どもの純粋な感覚には通じないことも多いのはすでにこれまでの作戦で経験済み。
ほんの少しでも誤ればエヴァが敵対兵器として動きかねない。
現在のパイロットは碇シンジを中心とした三位一体で完全に統制が取れている。このチームは乱せないのだ。
「たとえ弐号機が動かなくっても、反乱されるよりマシなのよ」
それに赤木リツコの言葉では、残る使徒はあとただ1体のはずではないか。
悪魔じみた初号機の力をもってすれば、あるいは弐号機の手を借りずとも殲滅できるかも知れない。
「落ち着きなさい」
葛城ミサトの言はやや子どもじみている。冷静な作戦部長の口にすべき言葉ではないと、赤木リツコが醒めた目を向ける。
「アスカだってきっと納得しないわよ!」
「それが理由?」
「う」
図星を指されて口ごもる。
そう、惣流アスカに「パイロットを降りろ」と言いたくないというのが、感情的になりすぎている葛城ミサトの本音だったかも知れない。
「と、とにかく、弐号機パイロットはアスカよ。その子は予備でいくわ」
「先延ばしとはミサトらしくないわよ?」
追求はやまなかった。
「わ、わかったわよ」
唇を噛みしめる。
「予備パイロットのほうがシンクロ率が高いじゃ、却ってまずいかもね……。はあ、とにかくアスカと話をしてみるから。正式な発表は、あたしの許可を待ってよ?」
「いいわよ、それは」
赤木リツコは肩をすくめる。
「フィフスチルドレンが弐号機にシンクロできるかどうか、まだ分からないのだしね」
「はぁ?」
話の混乱に思いっきり間抜けな顔をさらしてしまった葛城ミサトである。
ジオフロント地底湖畔のいつもの公園に、葛城ミサトと日向マコトの姿があった。
「正体不明の少年?」
日向マコトの示した資料はまるで腑に落ちない。
惣流アスカに話を持っていくにしても、もう少し事前に知識をと彼に頼ったのだが、参考になる欠片も見あたらなかった。
「名前と生年月日だけ。あとは全くの白紙……なにを隠す必要があるのかしら?」
「それなんですが」
必要以上に声をひそめる。
「MAGIを使ってデータを洗おうとしたら、同じく彼の情報収集プロセスが先に最優先で走ってるのにぶち当たったんです」
「他にも彼の正体を知りたがってる部署があるってこと? 加持くん?」
「いえ、それが」
思わせぶりなそぶりをひとつ。
「どうやら副司令らしいんです」
「副司令?」
「プロテクトされてましたけど、UID を解析しましたから。多分、間違いありません」
「それってつまり、上も彼の正体を知らないってことなの?」
「そうとしか考えられませんよ」
赤木リツコの話の矛盾がようやく納得できた。
それにしても。
「なんか頭、痛くなってきたわ」
「アメリカ第2支部、ネルフ本部から本当に独立してしまった感じです。がちがちにファイアウォールが固められていて、ほとんどアクセスできなくなってます」
「それが鍵ね?」
「うちもそうですけど。全体にセキュリティレベルが上がってて、ぼくらも使いにくくなっちゃってます」
「お互いにやりあってるわけか」
「いよいよ、って感じがします」
日向マコトは次の使徒が最後だとは知らない。
それでもなにかの終局を感じるとすれば、事態は確かに次のフェーズに移ろうとしている証明なのだろう。
「とにかく、この少年に会ってみてからね」
「いつなんですか?」
「今日の午後、幹部と顔合わせの予定。日向くんたちにもその後すぐに引き合わせるわ」
「写真だと、綾波レイになんだか似てますよね」
あ、と。
葛城ミサトは今さらながらその印象に気づいた。
「よ。日向くんじゃないか」
葛城ミサトと別れてわざと別の経路で本部施設に戻る途中、苦手な声に呼び止められた。
「あ、どうも。加持さん」
「どこへ行ってたんだい?」
「ちょっと散歩です。ずっと発令所で詰めてると息がつまっちゃいますから」
「ほう」
にんまりと笑うその顔に、ついどぎまぎしてしまう。
憧れの上司と、どうやら最も近しいらしい男性。
嫉妬、は確かにあるのだが、どこか憎みきれない。
人蕩し(ひとたらし)だ、と思うほど日向マコトは彼の能力を見抜けなかったが、ために苦手と感じてしまう。
「ちょっと教えてくれないかな?」
「なんでしょうか?」
「新しいエヴァパイロットが来るって聞いたんだけどね」
「え? 本当ですか?」
「おいおい誤魔化すなよ」
からからと加持リョウジは笑った。
「日向くんなら知らないわけ、ないだろ? で、どんな子なんだい? 美人か?」
「男ですよ?」
あっさり乗せられてしまった。
自己嫌悪でうつむく日向マコトに、哀れみと好意の混じった微笑みで顔を寄せる。
「詳しいこと、教えてくれよ」
「名前と顔くらいしか、ぼくも知りません」
諦めて端末にデータを呼び出す。
「加持さん?」
そこには日向マコトがこれまで目にしたことのない、呆然とした表情の男がいた。
「綾波レイじゃないわ……」
考え込みながら廊下を歩く葛城ミサト。
今先ほど冬月副司令によって、赤木リツコと葛城ミサトにフィフスチルドレン、渚カヲルを紹介された。
最も印象的な紅い瞳、銀灰色の髪は、写真で見たときは日向マコトの言うように綾波レイを思い起こさせたが、実際に会った印象はまるで違っていた。
「はじめまして」
と人懐こい笑顔。
しかしどこか冷たく、底の知れない瞳は。
「あ」
ようやく思い当たる。
「シンジくん。シンジくんに似てるのよね」
第三使徒の襲来時、愛車を駆って迎えた少年。
あの時の碇シンジの印象と重なっていた。
それがエヴァパイロットの特質なのだろうか。葛城ミサトには推測というより憶測するしかない。
なんにせよ、印象の共通するところがあるのなら。
「気が合う、かも知れないし……」
先任パイロット3人の和にあの少年もとけ込めるかも知れない、と楽観的に考えようとしてみる。
「ううん」
甘すぎる考えかも知れない。
どうにも判断がつかなかった。
「当たって砕ける、しかないか」
思った瞬間、ゴツと痛みが走った。
「なにぼんやりしてんのよ!」
「あら、アスカ。ごめんごめん」
「ごめんじゃないって」
あたた、と額を撫でている少女。
通路の曲がり角で真正面からぶつかってしまった。
「ちょ、ちょうど良かったわん。シンちゃんとレイは? 一緒じゃないの?」
「シンジは腕の治療で病院。レイはプール。予定通りなんだからミサトだって知ってるでしょ?」
なぜか機嫌の悪い惣流アスカ。
昨日から碇シンジに話しかけてもほとんど返事をしてもらえないせいなのだが、葛城ミサトにはそこまでは分からない。
ただ、これからフィフスに会わせるって時に、と間の悪さに舌打ちしたくなる。
「そ、そうだっけ。じゃ、シンちゃんが戻ったらちょっと食事会やるからさ、本部の士官食堂にアスカも来てね」
「食事会?」
なによ、それ? と小首を傾げる。
「ん、パイロットの親睦よん」
「いまさら?」
「あ、じゃなくて、新しいパイロットがね……」
「鈴原? ばかばかしい」
「鈴原くんじゃなくて、フィフスチルドレンの男の子」
「フィフス?」
「そうなの。新任のパイロットが選ばれたのよ。顔合わせするから」
「機体もないのに?」
あちゃ、と少女の頭の回転が速すぎることを怨む。
「それなんだけどさ、あの、弐号機の予備として、ね」
「弐号機? 何言ってんの、弐号機はあたしじゃなきゃシンクロしないわよ?」
きょとんと惣流アスカは言った。
「そうなの?」
逆に問い返してしまった葛城ミサトは間抜けだったかも知れない。
シンクロが落ちていることは自覚しているはずの惣流アスカが、パイロットの座を追われることはまるで心配していないそぶりだったからだ。
「そうよ。あたしの専用機だもん。予備パイロットなんてありえないわよ」
「アスカ……」
「それともコアごと変換するってんなら別だけどさ」
碇シンジに教わった知識をちらりと漏らす。
「リツコだっていまさらそんなこと、しないでしょ? ま、そうなったらそうなったでもいいけど」
エヴァパイロットに拘りはすでにない。それに縛られていることは自らの可能性を閉ざすことに他ならない、と少女は加持リョウジの言葉を思い出す。
「と、ともかくね、新パイロットが来てるから」
少女の思惑に対する自分の考えがどこか次元のずれていたことを悟りながら、葛城ミサトは話を進めた。
「まさか、相田なんて言い出さないでしょうね? お断りよ」
「違うわよ、アスカの知らない子。おっとこ前だからさ」
「あたし、面食いじゃないわ」
変な日本語、覚えたわね、と落ち着いた少女の態度にいくらかほっとした気分の葛城ミサトだったが。
「渚カヲルくんって言ってね」
「ぬぅわんですってぇええ!」
豹変した惣流アスカに、ひっと思わず壁に張り付いた。
「遅くなって悪かったな。ん、どうした?」
「加持〜」
ネルフ本部士官食堂。
心臓の音さえ聞こえそうに静まり返ったテーブルで、葛城ミサトは救われた思いで振り向いた。
……最悪だわぁ。
場を和ますことには一枚も二枚も上手と思える加持リョウジに応援を頼んだが、その彼が現れるまでどうにも手のつけようがなかった。
惣流アスカは、鬼女の形相で睨み付けている。
ただでさえも超然とした態度の綾波レイは、特に冷たく刺すような瞳を向けている。
頼みの綱と思えた碇シンジさえ、言葉もなく固くなって眉間にしわを寄せているだけ。
その3人と、睨み付けられている渚カヲルの間に立った葛城ミサトは、予想以上の酷さに冷や汗を流すばかりだったのだ。
「渚カヲルくん、か。はじめまして、だな」
しかし、加持リョウジも表情は固かった。
言葉は変わらないのだが、どこか彼らしさがない。
「初めまして、加持リョウジさん」
「お、俺の名前を知ってるか?」
「ええ。有名ですからね」
葛城ミサトとの初対面の時の飄逸さを取り戻したような渚カヲルは、ようやくにこやかに語った。
さすがの彼もまた、3人の少年少女の黙りこくった視線には戸惑っていたらしい。
「加持さん?」
碇シンジが瞳をまっすぐに向けた。
「いや」
加持リョウジはその意味を誤解しない。
「君に隠してることはない。間違いなくやったはずだ」
何の話よ? と葛城ミサトが訝しげな顔を向けた時。
「そう」
視線を渚カヲルに固定したまま、唐突に綾波レイが言葉を発した。
「あなたはわたしと同じね?」
その言葉を理解したのは碇シンジだった。
「そっか」
目に見えて肩の力が抜けていく。
葛城ミサトの見慣れた笑顔が、少年に戻った。
「きみは二人目なんだね、カヲルくん」
バサリと手渡された書類に冬月コウゾウは顔をしかめる。
「俺は聞いてないぞ?」
「お前が裏切ったとは思わん」
碇ゲンドウもまた苦々しげである。
「弐号機パイロットの代替として推薦されてきた。書類より先にアメリカ第2支部を発っていたようだ。すでに第3新東京市に到着している」
「委員会……いやゼーレが直接、か?」
エヴァパイロットに特殊な能力など必要はない。
コアに封じ込めるべき人格に対しエディプスコンプレックスを持つ少年少女でありさえするなら、有り体に言えば誰でも構わない。
つまりコアが先であり、コアを決定した時点でそれにチルドレンが付随する。
チルドレン発掘機関たるマルドゥックなど実質的には無意味であった。
それ故、実体は碇ゲンドウの手にあるネルフ諜報部に過ぎなかったのだが。
「しかしな……過去の経歴は全て抹消とは」
フィフスチルドレンはネルフ本部ではなくゼーレが『チルドレンだけ』を選定してきた。
パイロットだけを送りつけられても、それではコアの準備もなにも不可能である。
まるで意味がない。
「どういうことだ?」
「わからん。問い合わせは黙殺された。委員会の審議会の予定も全てキャンセルされている」
「ネルフを……切り捨てるつもりかな?」
その言葉には碇ゲンドウはいつもの笑いを見せる。
「切り捨てられるのは向こうだろう」
ゼーレがどう動くにせよ、碇ゲンドウのシナリオは進んでいる。
それは決して予定通りとは言えなかったが、かといって後戻りする選択肢は存在しない。
「分かった」
碇ゲンドウが歩みを止めないのであれば、冬月コウゾウも望まれている実務面に専念するしかない。
「ともあれ、フィフスの少年、MAGIで洗わせよう」
紅い瞳、色の抜けた髪。
添付されている写真は皮肉な笑みを浮かべる少年の姿を写していた。
「渚カヲル、くん、か」
「冗談じゃないわよ」
赤木リツコの言葉に、目を剥いて憤慨する。
「今さらアスカの代わりのパイロット? なに考えてんのよ、司令はぁ!」
「アスカのシンクロ率はほとんど起動不可能なところまで落ちているわ。弐号機の運用を制限されるのは、作戦部長のあなたも困るんじゃないの?」
「あのねえ!」
問題の次元が違うと声を張り上げる。
その大声に眉をひそめる赤木リツコ。自分の研究室で告げたほうが機密上よしと判断したのは間違いだった、他に人がいる発令所で話すべきだったかとやや後悔。
「あの子たちは兵士じゃないのよ。そうほいほい、こっちの都合を押しつけて、それで命令できると思ってるの?」
大人なら納得するであろう命令でも、子どもの純粋な感覚には通じないことも多いのはすでにこれまでの作戦で経験済み。
ほんの少しでも誤ればエヴァが敵対兵器として動きかねない。
現在のパイロットは碇シンジを中心とした三位一体で完全に統制が取れている。このチームは乱せないのだ。
「たとえ弐号機が動かなくっても、反乱されるよりマシなのよ」
それに赤木リツコの言葉では、残る使徒はあとただ1体のはずではないか。
悪魔じみた初号機の力をもってすれば、あるいは弐号機の手を借りずとも殲滅できるかも知れない。
「落ち着きなさい」
葛城ミサトの言はやや子どもじみている。冷静な作戦部長の口にすべき言葉ではないと、赤木リツコが醒めた目を向ける。
「アスカだってきっと納得しないわよ!」
「それが理由?」
「う」
図星を指されて口ごもる。
そう、惣流アスカに「パイロットを降りろ」と言いたくないというのが、感情的になりすぎている葛城ミサトの本音だったかも知れない。
「と、とにかく、弐号機パイロットはアスカよ。その子は予備でいくわ」
「先延ばしとはミサトらしくないわよ?」
追求はやまなかった。
「わ、わかったわよ」
唇を噛みしめる。
「予備パイロットのほうがシンクロ率が高いじゃ、却ってまずいかもね……。はあ、とにかくアスカと話をしてみるから。正式な発表は、あたしの許可を待ってよ?」
「いいわよ、それは」
赤木リツコは肩をすくめる。
「フィフスチルドレンが弐号機にシンクロできるかどうか、まだ分からないのだしね」
「はぁ?」
話の混乱に思いっきり間抜けな顔をさらしてしまった葛城ミサトである。
ジオフロント地底湖畔のいつもの公園に、葛城ミサトと日向マコトの姿があった。
「正体不明の少年?」
日向マコトの示した資料はまるで腑に落ちない。
惣流アスカに話を持っていくにしても、もう少し事前に知識をと彼に頼ったのだが、参考になる欠片も見あたらなかった。
「名前と生年月日だけ。あとは全くの白紙……なにを隠す必要があるのかしら?」
「それなんですが」
必要以上に声をひそめる。
「MAGIを使ってデータを洗おうとしたら、同じく彼の情報収集プロセスが先に最優先で走ってるのにぶち当たったんです」
「他にも彼の正体を知りたがってる部署があるってこと? 加持くん?」
「いえ、それが」
思わせぶりなそぶりをひとつ。
「どうやら副司令らしいんです」
「副司令?」
「プロテクトされてましたけど、UID を解析しましたから。多分、間違いありません」
「それってつまり、上も彼の正体を知らないってことなの?」
「そうとしか考えられませんよ」
赤木リツコの話の矛盾がようやく納得できた。
それにしても。
「なんか頭、痛くなってきたわ」
「アメリカ第2支部、ネルフ本部から本当に独立してしまった感じです。がちがちにファイアウォールが固められていて、ほとんどアクセスできなくなってます」
「それが鍵ね?」
「うちもそうですけど。全体にセキュリティレベルが上がってて、ぼくらも使いにくくなっちゃってます」
「お互いにやりあってるわけか」
「いよいよ、って感じがします」
日向マコトは次の使徒が最後だとは知らない。
それでもなにかの終局を感じるとすれば、事態は確かに次のフェーズに移ろうとしている証明なのだろう。
「とにかく、この少年に会ってみてからね」
「いつなんですか?」
「今日の午後、幹部と顔合わせの予定。日向くんたちにもその後すぐに引き合わせるわ」
「写真だと、綾波レイになんだか似てますよね」
あ、と。
葛城ミサトは今さらながらその印象に気づいた。
「よ。日向くんじゃないか」
葛城ミサトと別れてわざと別の経路で本部施設に戻る途中、苦手な声に呼び止められた。
「あ、どうも。加持さん」
「どこへ行ってたんだい?」
「ちょっと散歩です。ずっと発令所で詰めてると息がつまっちゃいますから」
「ほう」
にんまりと笑うその顔に、ついどぎまぎしてしまう。
憧れの上司と、どうやら最も近しいらしい男性。
嫉妬、は確かにあるのだが、どこか憎みきれない。
人蕩し(ひとたらし)だ、と思うほど日向マコトは彼の能力を見抜けなかったが、ために苦手と感じてしまう。
「ちょっと教えてくれないかな?」
「なんでしょうか?」
「新しいエヴァパイロットが来るって聞いたんだけどね」
「え? 本当ですか?」
「おいおい誤魔化すなよ」
からからと加持リョウジは笑った。
「日向くんなら知らないわけ、ないだろ? で、どんな子なんだい? 美人か?」
「男ですよ?」
あっさり乗せられてしまった。
自己嫌悪でうつむく日向マコトに、哀れみと好意の混じった微笑みで顔を寄せる。
「詳しいこと、教えてくれよ」
「名前と顔くらいしか、ぼくも知りません」
諦めて端末にデータを呼び出す。
「加持さん?」
そこには日向マコトがこれまで目にしたことのない、呆然とした表情の男がいた。
「綾波レイじゃないわ……」
考え込みながら廊下を歩く葛城ミサト。
今先ほど冬月副司令によって、赤木リツコと葛城ミサトにフィフスチルドレン、渚カヲルを紹介された。
最も印象的な紅い瞳、銀灰色の髪は、写真で見たときは日向マコトの言うように綾波レイを思い起こさせたが、実際に会った印象はまるで違っていた。
「はじめまして」
と人懐こい笑顔。
しかしどこか冷たく、底の知れない瞳は。
「あ」
ようやく思い当たる。
「シンジくん。シンジくんに似てるのよね」
第三使徒の襲来時、愛車を駆って迎えた少年。
あの時の碇シンジの印象と重なっていた。
それがエヴァパイロットの特質なのだろうか。葛城ミサトには推測というより憶測するしかない。
なんにせよ、印象の共通するところがあるのなら。
「気が合う、かも知れないし……」
先任パイロット3人の和にあの少年もとけ込めるかも知れない、と楽観的に考えようとしてみる。
「ううん」
甘すぎる考えかも知れない。
どうにも判断がつかなかった。
「当たって砕ける、しかないか」
思った瞬間、ゴツと痛みが走った。
「なにぼんやりしてんのよ!」
「あら、アスカ。ごめんごめん」
「ごめんじゃないって」
あたた、と額を撫でている少女。
通路の曲がり角で真正面からぶつかってしまった。
「ちょ、ちょうど良かったわん。シンちゃんとレイは? 一緒じゃないの?」
「シンジは腕の治療で病院。レイはプール。予定通りなんだからミサトだって知ってるでしょ?」
なぜか機嫌の悪い惣流アスカ。
昨日から碇シンジに話しかけてもほとんど返事をしてもらえないせいなのだが、葛城ミサトにはそこまでは分からない。
ただ、これからフィフスに会わせるって時に、と間の悪さに舌打ちしたくなる。
「そ、そうだっけ。じゃ、シンちゃんが戻ったらちょっと食事会やるからさ、本部の士官食堂にアスカも来てね」
「食事会?」
なによ、それ? と小首を傾げる。
「ん、パイロットの親睦よん」
「いまさら?」
「あ、じゃなくて、新しいパイロットがね……」
「鈴原? ばかばかしい」
「鈴原くんじゃなくて、フィフスチルドレンの男の子」
「フィフス?」
「そうなの。新任のパイロットが選ばれたのよ。顔合わせするから」
「機体もないのに?」
あちゃ、と少女の頭の回転が速すぎることを怨む。
「それなんだけどさ、あの、弐号機の予備として、ね」
「弐号機? 何言ってんの、弐号機はあたしじゃなきゃシンクロしないわよ?」
きょとんと惣流アスカは言った。
「そうなの?」
逆に問い返してしまった葛城ミサトは間抜けだったかも知れない。
シンクロが落ちていることは自覚しているはずの惣流アスカが、パイロットの座を追われることはまるで心配していないそぶりだったからだ。
「そうよ。あたしの専用機だもん。予備パイロットなんてありえないわよ」
「アスカ……」
「それともコアごと変換するってんなら別だけどさ」
碇シンジに教わった知識をちらりと漏らす。
「リツコだっていまさらそんなこと、しないでしょ? ま、そうなったらそうなったでもいいけど」
エヴァパイロットに拘りはすでにない。それに縛られていることは自らの可能性を閉ざすことに他ならない、と少女は加持リョウジの言葉を思い出す。
「と、ともかくね、新パイロットが来てるから」
少女の思惑に対する自分の考えがどこか次元のずれていたことを悟りながら、葛城ミサトは話を進めた。
「まさか、相田なんて言い出さないでしょうね? お断りよ」
「違うわよ、アスカの知らない子。おっとこ前だからさ」
「あたし、面食いじゃないわ」
変な日本語、覚えたわね、と落ち着いた少女の態度にいくらかほっとした気分の葛城ミサトだったが。
「渚カヲルくんって言ってね」
「ぬぅわんですってぇええ!」
豹変した惣流アスカに、ひっと思わず壁に張り付いた。
「遅くなって悪かったな。ん、どうした?」
「加持〜」
ネルフ本部士官食堂。
心臓の音さえ聞こえそうに静まり返ったテーブルで、葛城ミサトは救われた思いで振り向いた。
……最悪だわぁ。
場を和ますことには一枚も二枚も上手と思える加持リョウジに応援を頼んだが、その彼が現れるまでどうにも手のつけようがなかった。
惣流アスカは、鬼女の形相で睨み付けている。
ただでさえも超然とした態度の綾波レイは、特に冷たく刺すような瞳を向けている。
頼みの綱と思えた碇シンジさえ、言葉もなく固くなって眉間にしわを寄せているだけ。
その3人と、睨み付けられている渚カヲルの間に立った葛城ミサトは、予想以上の酷さに冷や汗を流すばかりだったのだ。
「渚カヲルくん、か。はじめまして、だな」
しかし、加持リョウジも表情は固かった。
言葉は変わらないのだが、どこか彼らしさがない。
「初めまして、加持リョウジさん」
「お、俺の名前を知ってるか?」
「ええ。有名ですからね」
葛城ミサトとの初対面の時の飄逸さを取り戻したような渚カヲルは、ようやくにこやかに語った。
さすがの彼もまた、3人の少年少女の黙りこくった視線には戸惑っていたらしい。
「加持さん?」
碇シンジが瞳をまっすぐに向けた。
「いや」
加持リョウジはその意味を誤解しない。
「君に隠してることはない。間違いなくやったはずだ」
何の話よ? と葛城ミサトが訝しげな顔を向けた時。
「そう」
視線を渚カヲルに固定したまま、唐突に綾波レイが言葉を発した。
「あなたはわたしと同じね?」
その言葉を理解したのは碇シンジだった。
「そっか」
目に見えて肩の力が抜けていく。
葛城ミサトの見慣れた笑顔が、少年に戻った。
「きみは二人目なんだね、カヲルくん」