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第43話「再会」

「あーあ、駄目だわ」

 両手に自動販売機で買ったらしいアイスキャンディを抱えて、赤いプラグスーツがパイロット控室に入ってきた。

「訓練、終わったの?」

「ん。食べるでしょ」

 ソファーシートに腰掛けていた碇シンジと綾波レイに、ひとつずつ手渡す。

「うん」

 綾波レイも軽く頭を下げて受け取る。

「あ、ごめん」

 惣流アスカは碇シンジに手渡したアイスキャンディをもう一度取り戻すと、袋を破り中身を取り出す。

「はい」

「ありがとう」

「どういたしまして」

「それで、なにが駄目なの?」

「シンクロ率よ」

 自分もあむとアイスキャンディを頬張りながら惣流アスカ。

 表情は明るい。

「リツコははっきり言ってくれなくなっちゃったけどね、相当落ちてるみたい」

「そうなの」

 空元気だろうかと心配そうな視線に、大丈夫よ、と笑う。

「エヴァに拘ってるわけじゃないのよ。あんたが言ったんじゃない。パイロットがどうとかって思っちゃいけないって」

「そうだけどさ」

「あんた、おいしそうに食べるわね?」

 碇シンジの横にどすっと腰を降ろしながら、綾波レイを見やる。

 綾波レイは会話を聞いているのかいないのか、じっとキャンディを見つめながら口を動かしていた。

「ええ。おいしいもの」

 そうかしら? と自分で買ってきたくせに首をひねる惣流アスカ。

 ネルフの自動販売機のアイスクリームはたいして美味くないと愚痴をこぼす。

「まあ、まずいなんて文句つけられちゃ、買ってきた甲斐がないけどさ」

「おいしいと思うよ」

 一口はんで、碇シンジ。

「あんた、料理は巧いくせにお菓子は選ばないわね?」

「そうかな?」

「それはそうとね」

 また話題を変えた。

「次の使徒はいつ来るのよ?」

 この辺りになると、惣流アスカはほとんど記憶がなかった。『以前』は自棄になってしまっていた頃だ。

「今日よ」

「へ?」

 綾波レイの返事に目を剥く。

「あ、あんた、早く言いなさいよ。のんびり食べてる場合じゃないでしょうが」

 碇シンジも知らなかったらしい。表情が固くなった。

「綾波?」

「大丈夫。碇くんはわたしが守るわ」

「レイ!」

 惣流アスカが碇シンジの身体ごしに首を伸ばす。

「今度また自爆なんて馬鹿なことしたら許さないわよ?」

 その剣幕に少し引きながらも綾波レイは。

「分かっているわ。代わりはいないもの」

「そうだね、綾波」

「人の目の前で雰囲気つくってんじゃないわよ!」

 ゴチ、と。

 アイスクリームを持った手で鼻を押さえてうずくまる碇シンジをそのままに、惣流アスカは立ち上がった。

「とにかく、シャワー、浴びてくるわ。まったくもう!」

「大丈夫?」

「アスカ、石頭だ……」

 控室のドアが閉まるのを確認してから小声でこぼす。

「けど、アスカが元気で良かったよ」

「あの人は……もうエヴァを必要としないもの」

「ふうん?」

 綾波レイは説明しない。

「そうなら……ぼくも助かるよ」

「碇くん……」

 少年の望みが自分自身の望みでもあるのかどうか、綾波レイは判断をつけることが出来なかった。

 だから。

 赤い瞳はただ黙して不安げに揺れた。

 ぽたりと、溶けたアイスクリームが綾波レイの足下を濡らしたとき、警戒警報が響き始めた。



「警報を止めろ。総員第一種戦闘配置」

 冬月コウゾウの発令だが。

「ミサトは?」

 作戦部長が発令所に姿を見せていない。

 非番ではないはずなのに、と怒気をはらむ赤木リツコの声に日向マコトは首をすくめる。

 ……まずいですよ、葛城さん。

 彼は上司の行き先を密かに教えられている。

「戦自に行ってくるわ」

「戦略自衛隊、ですか?」

「書類上の所属は一応、戦自だからねえ、あたし」

「それは知ってますが……」

 その複雑な立場を毛嫌いしていたはずの葛城ミサトである。

「実はちょいと前から接触してきてたのよ、あっちから。無視してたんだけどね」

 声をひそめた。

「使徒殲滅って目的は欺瞞。となるとネルフの存在意義は微妙だわ。司令の動きもよく掴めない。流れに任せてただぼんやりしてるわけにゃいかないじゃない?」

「安全保障ですか?」

「そこまではまあともかくとしてもね。やることはやっておきたいのよ」

「ネルフの諜報、気をつけて下さいよ。今、戦自と接触するのはまずいです」

「わかってるわよ。じゃ、よろしく」

 そう託された言葉は使徒の出現を予想したものではなかっただろうが。

 ……現在位置サーチで、変なところにいないでくださいよ。

 モニタを身体で隠すように、薄氷を踏む思いでサーチをかける。

 ――第3新東京市外環状道路、7番線。

「よし」

「どうしたんだ?」

 青葉シゲルの不審そうな目。

「あ、いや。葛城三佐と連絡、とれました」

 ……頼みますよ、葛城さん。

 冷や汗を流しながら通信機をとる日向マコトであった。



『ぼくが先行します!』

「だめだよ、シンジくん」

 日向マコトは待機する初号機からの通信に首を振る。

「葛城さんの命令だ。零号機が単独出撃する。初号機、弐号機は待機だ」

『父さん、ぼくを出させて!』

 情けなそうな顔を隣の青葉シゲルに向ける。

 葛城ミサトならうまくあしらうのかも知れないが、日向マコトではチルドレンは手に負えなかった。

 命令系統を無視したかのような通信にも強く叱責できない。

 それは青葉シゲルにとっても同じことだし、そもそも彼は作戦課ではない。困り顔を向けられてもフォローのしようがないと、これも諦め顔。

「現時刻をもって初号機の凍結を解除。出撃させろ」

 救いは司令塔からもたらされた。

「はい。初号機起動シーケンスよろしく」

「了解。初号機、起動準備」

 ほっとしたような日向マコトの声に、内心やきもきしていた伊吹マヤが答える。

「目標接近。強羅絶対防衛線、突破されました」

「零号機はバックアップ。8番から発進、迎撃位置へ」

『あたしも出るわよ!』

 ぐ、と日向マコトがまたも詰まる。

「アスカくん、弐号機はそのまま待機して」

『なに言ってんの! さっさと出しなさいよ!』

 葛城さん……、と泣きたくなる。

 今度の救いは赤木リツコだった。

「アスカ? あなたのシンクロ率じゃあ、戦闘は難しいわ」

『おとりくらいにはなるわよ!』

 その答えには伊吹マヤと顔を見合わせる。

「どう?」

「起動はしていますが……二桁ぎりぎりです」

「アスカ、だめよ」

「かまわん。弐号機も出せ」

 碇ゲンドウの声。

「初号機、起動完了。32番から射出します」

 通信による葛城ミサトの指示の遵守はすでに不可能になってきた。

 もうどうとでもなれ、と自棄気味に発令する日向マコト。

「弐号機、続いて発進準備」

『さっさとしてよね!』

 どうにもめちゃくちゃだな、とひとり苦笑する冬月コウゾウ。

 葛城くんの力は大きいか。



 光の円環。二重螺旋を描きつつ回転する。

 葛城ミサトがようやく発令所に姿を現わしたとき、第16使徒はその形状を全体が蛇のようなフォルムを持つ触手状の光軌へと変形した。

「アスカ、よけて!」

 軌道は弐号機に向かっていた。

 待避行動はとれない。それだけの機動性は現在の弐号機にはなかった。

 ……誰よ、あたしの作戦をめちゃくちゃにして!

 遅刻しただけに文句のつけ場はない。

 赤木リツコも冷ややかに葛城ミサトを流し見ている。

「初号機内部に高エネルギー反応」

「S2機関、稼働?」

「初号機、ATフィールド出力増大します」

 第16使徒本体には、ほとんど力はなかった。

 物理的融合により、より強い生体と合体して進化する。あるいはエヴァに寄生し、その力を持ってアダムを目指すつもりだったのかも知れない。

 が。

 配置された三体のエヴァの中で最も動きの鈍い弐号機を狙ったらしいことが使徒にとって裏目に出た。

 射出口からほとんど移動できなかった弐号機は、使徒の位置からは遠すぎた。

 到達する前に。

 より前線にいた初号機のATフィールドが、使徒の軌道上に不可侵の壁として展開されてしまった。

「使徒のATフィールドは?」

「初号機に中和されています」

 いける!

 葛城ミサトはチャンスを逃さなかった。

「レイ、パレットライフルを掃射」

『了解』

 殲滅の十字架が第3新東京市の空を焦がした。

「目標、消失を確認」

「パターンブルー、検出できません」

 ほっと安堵の溜息を漏らす。

「レイ、アスカ、シンジくん。よくやったわ」

『ふっふーん』

 上機嫌らしい惣流アスカ。

『今度は役に立ったでしょ?』

『うん。アスカのおかげだね』

『よかったじゃない、レイ?』

『ええ……ありがとう』

『あんたに礼を言われるのってのも、こそばゆいわねえ』

 作戦行動としては相当ひどい経過を辿りながらも、ほぼ完勝の結果に沸き立つ中央作戦室の中。

 ごく僅かの者は、交わされるチルドレンの会話に違和感を持つ。

 今度、ってなに?

 どうして綾波レイが謝辞を述べるのか?

 葛城ミサトと赤木リツコは「あなたは何か知ってるの?」と互いに邪推の視線を一瞬交錯させ、碇ゲンドウは冬月コウゾウの傾げた首を無視して執務室へと戻った。

 もしこの場にいて会話を聞いていれば「そうだったのか」と謎を解いたかも知れない加持リョウジは、残念ながら西瓜畑で緑と黒で彩られた縞模様の球体に水を撒きながら。

「第12使徒も甘いのかな」

 愚にも付かない妄想を抱いていた。



 夕陽が高層ビル群を茜色に染める。

 ……あなたが守った街よ。

 その声は遙か遠くの追憶。

 『以前』は結局守れなかった。零号機の自爆とともに、中心部は飛散し、湖と化した。

 だが、今度は。

 未だにその姿をほぼ無傷で残している。

 数カ所に見られる崩落にも、再建工事のクレーンが林立している。

「良かった」

 碇シンジは、第3新東京市を見下ろす公園で吐息のように呟いた。

 トウジもケンスケも。

 自宅を失うことなく、また明日も学校へ元気な姿を見せるのだろう。

「もうずいぶん、行ってないな」

 入院が続いていたこともある。

 また、余裕がなくなってしまっていたこともある。

「同情されるのも嫌だし」

 無くした左腕の付け根を撫でる。

 半袖のカッターシャツの袖から腕は出ていない。

 学校へ行くわけでもないのに、制服を着ているのは、やはり学校に、友人たちとの語らいに楽しさを見ているからかも知れない。

 だが。

 死海文書に記された使徒はあと一つ。

 約束の時を迎えるための最後のキー。

「やらなきゃ」

 目を細め、街並みを瞼に焼き付け。

 立ち去ろうとしたとき。

「まさか?」

 低いハミングが碇シンジの耳をくすぐった。

 それは、いつも少年が口ずさんでいるメロディ。

 驚いて振り向く。

「歌はいいね」

「……え?」

 銀の長い髪。人懐こい紅い瞳。染みいる笑顔。

 忘れ得ない姿の少年が公園のベンチに足を組んでいた。

「歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ」

 黄昏に溶け込むような声と微笑みに、碇シンジは呆然と目を開いた。

「そう感じないか? 碇シンジくん」

 ……カヲルくん?

 死んだはずじゃなかったの?

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