第42話「価値」
「加〜持さん」
如雨露を片手に、育ってきた西瓜を愛おしげになで回している男の背後から、小さく揺れる金茶の髪。
「ん? よくここが分かったな」
「シンジに聞いたの」
「ほう?」
よっと腰を上げて惣流アスカに向き合う。
かけてきた声の調子より少女の表情は暗かった。
「身体のほうはもういいのか?」
「え? あたし?」
肩をすくめてふるふると首を振る。
「ただの検査入院よ。良いも悪いもないわ」
『以前』でさえ、激しい衝撃を受けたものの、入院の必要まではなかった使徒の精神接触。
その同じ攻撃に今さら参るものではない。
そもそも、それを克服できたからこそ、今の惣流アスカがあるのだ。
「そうか、そりゃよかったな」
「みんな大げさなんだから。まあ、たまには見舞ってもらうのも悪くないけどね」
念のためにと一晩病室に泊められることになったあの夜、綾波レイが訥々と見舞いの言葉を口にした。
「どうせシンジに言われたんだろうけどさ」
「彼女だってアスカのことが心配だろうさ」
「さあ、どうだか」
そう言いながらも、疑っているわけではない惣流アスカ。
確かに『以前』の綾波レイとは雰囲気が違う。
短い間ではあったが同じ部屋で暮らした相手である。人形じみた無神経さは感じられなかったし、時折、びっくりするような感情の表出も見せた。
……ま、たいがいはシンジがらみだけどね。
それでも惣流アスカに対しては、どこか柔らかさがあるように思う。
「ただの検査だから入院するっても1日だけなのにね、わざわざ花なんか活けてくれちゃってさ」
「ふうん。レイが花を活ける、か。やっぱり気に掛けてくれてるんだろう?」
「ん? 加持さん?」
まさかレイが花を持って見舞う姿を想像してうらやましがってるんじゃないでしょうね、と非難の眼差し。
「おいおい。俺はそんな趣味はないぞ」
加持リョウジに幼女趣味はない。
もっとも、14歳にしては神秘的過ぎる少女に甲斐甲斐しく見舞われるのも悪くはあるまいと考えてしまっていた分、声の調子が言い訳じみたかも知れない。
「まったく、男の人って!」
「そんなことを言いに来たんじゃないんだろ?」
「う、うん」
表情に再び翳りが走る。
「シンジくんのことか?」
「ねえ、加持さん」
膝を折って西瓜の前に屈み込み。
「シンジの腕、どうにかなんないのかな?」
加持リョウジは、惣流アスカの頭を見下ろす。赤い髪飾りのようなインタフェース・ヘッドセットが震えるのを見つめながら言葉を拾った。
義手、というレベルの話ではないのだろう。
「その質問は、俺よりリッちゃんのほうがいいんじゃないか?」
「もう訊いたわよ」
無理ね、の一言であしらわれた。
「アスカは遺伝子工学は履修したよな?」
「うん」
「じゃあ、分かってるだろう?」
E計画のためクローン再生技術は格段の進歩を遂げていたが、人間の複製を造れるわけではない。
倫理的な問題はさておき、細胞片から移植用のクローン再生をするとしても、同一年齢の人体が即座に産まれるわけではない。胎児の状態から育てていくことになる。
クローンが移植可能な生体年齢に達するまで、十数年かかる。そしてその時には碇シンジはさらに年齢を重ねている。
「そんなことは分かってるわよ」
それでも惣流アスカは縋るものを探したいのだろう。
「シンジね、チェロ、巧いのよ」
「そうか」
「あいつはまあ謙遜してるけど。趣味、ってんでも無いかも知れないけど。せっかく人に誇れることがあるのに、もったいないじゃない」
エヴァパイロットが誇りでないとするなら。
惣流アスカは自分にとっての誇りをまだ見つけることはできなかった。
が、碇シンジにとってはチェロが、あるいはそれに当たるのかも知れないと思った。
「左手がなくなっちゃったら、弾こうにも……」
「俺だってチェロは弾けないぞ。両腕は揃ってるけどな」
「それとこれとは違うわよ」
「いや、違わないさ」
ゆっくりと背中に語りかける。
「シンジくんも確かにできなくなっただろうが。腕のある俺が弾こうとしても出来ないのは同じだ。腕のあるなし、じゃない」
「加持さんは練習すれば弾けるじゃない」
「それは仮定の問題だろ? 実際に今弾けないんだ。できないことを夢想したってなにも始まらないよ」
人間が一生のうちに出来ることなど、ごく限られたものだと言う。
「腕がないから出来ない。才能がないから出来ない。同じ事さ。その欠落が目に見えるか見えないかの違いだけだ。自分に才能のないことに憧れるのは無い物ねだりさ。ただの我が儘だ」
「シンジが我が儘だっていうの?」
それは話がずれているだろうと、言葉尻を捉えた少女を諭す。
「才能のないことに手を出したって苦しむだけさ。だから俺は、自分がやりたいこと、出来ることをやるんだ。山ほど出来ないことはあるが、それでも自分の可能性はゼロにはならない」
惣流アスカの横にしゃがみこみ、その横顔を覗き込んだ。
「シンジくんはチェロが弾けないって落ち込んでるのか?」
「ううん。それは……そんなこと考えてもいないかもしんない」
「だろ? 彼は自分に出来ることを見つめているんだ。左腕を失ったことは不便かも知れないが、それに気を取られて自分を見失っては本末転倒だ。無くした左腕がシンジくんの全てじゃない」
「それはそうだろうけど」
「この一連の戦闘で、大勢の人間が死んでいる」
一般市民。名もない前線の兵士。死には至らずとも意識の戻らない人々。
それに比べれば、少年の怪我は軽いほうだった。
負傷し、身体に障碍を負ったのはなにも碇シンジに限ったことでもない。
「生きてさえいれば、可能性は無限にあるさ」
加持リョウジの言葉は欺瞞であったかも知れない。
しかし、大人びてはいてもまだ14歳の少女である惣流アスカには、納得したとまでは言えないものの、感じる部分があった。
「アスカは、シンジくんにただ同情しているだけかい?」
「違うわよ!」
一瞬、顔を横に向けて睨み、激しくうち消した後、また視線を西瓜に戻す。
少女の沈黙を加持リョウジは静かに待った。
やがて、ぽつりと。
「あたし、シンクロ率下がってるんだ」
聞いている、とは加持リョウジは言わなかった。
惣流アスカも確認は待たない。
「シンジに無理はさせられないのに。あたしじゃもうエヴァ、動かせなくなるかも知れない」
第15使徒戦。
碇シンジの怪我に拘って一度は搭乗を拒否したものの、綾波レイを救うために仕方なく出撃した。
それも一面であったが、惣流アスカにはエヴァンゲリオンで戦う自信はなかった。実際、零号機から使徒の精神波長攻撃の目を反らす程度が精一杯だったのだ。
来るべき次の戦闘で、起動指数に足る数値を出せるかどうかは心許なかった。
理由は分かっているだけに、焦りはない。
動かない、のではなく、彼女自身がエヴァを必要としなくなっている証に過ぎない。
といっても。
「使徒はまだ来るのに……」
唇を噛みしめた惣流アスカに、包み込む微笑みが投げられた。
「シンジくんが好きかい?」
「たぶん、ね」
14歳の少女らしい声音。
「なら、さっきの話と同じ事だ。アスカはアスカに出来ることをすればいい」
「あたしの?」
「アスカは何を望むのか。何が出来るのか。それを考えることが大切だよ。エヴァは手段に過ぎない。選択肢はいくらもあるさ」
抽象的な言葉に過ぎなかったが。
惣流アスカは何かを見つけようとした。
「うん。ありがとう、加持さん」
「こちらでしたか」
立入禁止のテーピングで閉ざされたエヴァンゲリオン初号機ケージ。
そこに、感情を読みとらせない瞳でサングラスの奥から初号機を見上げる男の姿に、赤木リツコは声をかける。
碇ゲンドウの姿勢は変わらない。
「葛城三佐、かなり気づいているようです」
その横に佇むと、静かに報告する。
「そうか」
かまわない、と碇ゲンドウは拘らなかった。
「シンジくんと話されましたか?」
「いや」
「……初号機、覚醒の兆候はありません」
「まだ望みはある」
「どうなさいますか」
「ここまで来てゼーレに遠慮することもない」
公式には凍結のままだが、封印は無視して即時起動が可能な状態には保て、と命じた。
「わかりました」
残り二体の使徒に期待するというのであろうが。
その言葉とは逆に、すでに碇ゲンドウも覚悟はしているらしかった。
「これで、いいのですよね?」
その問いかけは意味がない。
それは、赤木リツコにも分かっている。
碇ゲンドウにもまた、答えはなかった。
「すまないわね」
ジオフロント地底湖畔の仮設公園。
ベンチと自動販売機以外にはなにもない。遠く見渡す緑の森林、碧の湖、黒の本部ピラミッドの景観だけを配置する。
そのベンチに二つの影。
「いえ、かまいません」
お役に立てるなら光栄ですと僅かに紅潮して上司を見つめる日向マコトである。
「ぼくじゃあ加持さんほどには掴めませんけど」
「だめよ、あいつは」
嫉妬かしら、とそれはまんざらでもなく葛城ミサト。
あたしって悪女かも、と自嘲とも奢りともつかない思いで続ける。
「ドイツ支部の事故以来、特殊監察部の権限もがた落ちなのよ」
「国連直属といっても、ドイツの部署みたいなもんでしたからね」
「こっちでもつまはじきにされちゃって、戦闘中でも西瓜に水やってるありさまだし」
「隠れ蓑でしょう?」
「さあ、どうなんだかねえ。なんにしろ、あいつの情報も限界があって、ね」
「ソースは複数あった方がいいってわけですね」
厭味ではない。
素直に作戦部長の手腕に納得しているところが、惚れた弱みか。
「で、その情報ですけど、これを」
手にする端末を示す。
「量産型エヴァの建造中止? うそ?」
「こっちに公式に来てた情報とは逆ですからね。ぼくも疑ったんですけど」
各国支部に分配されるべき建造予算が、アメリカ第2支部に集中していた。
結果、完成を目の前にして予算不足による建造ストップである。
「どういうことかしら?」
「そこまではなんとも。中止と言うより一時凍結という感じでしょうが」
赤木リツコは使徒はあと2体と言った。
対使徒戦用最終兵器としてのエヴァを求めるなら、確かに今からでは整備しても意味がないかも知れない。
が、エヴァはそれだけの目的ではない、と葛城ミサトは確信している。
「エヴァより急ぐものがあるってことか。それとも……」
考え込む葛城ミサトに、もっと情報を探ってみます、と張り切る日向マコトだった。
「今日も休みか」
ふと端末から目を上げ、ぽかりと空いた机を見つめる。
碇シンジ、惣流アスカ、綾波レイ。
惣流アスカは3人の中でも最後まで登校してきていたが、それも最近は姿を見なくなってしまった。
「なんや。まだパイロットなることにこだわってんかいな?」
「いや、それはもう諦めたよ」
ふっと溜息をもらす相田ケンスケに、疑わしそうな目を向ける。
「そうか? まだ未練ある、っちゅう顔、してるで?」
「そりゃまあね。でもそれより、あいつらのことが気になってるんだ」
真顔に戻る鈴原トウジ。
「そやな。また怪我でもしてんねやろか」
「シンジが大怪我をしたって話があるんだ」
「ほんまか?」
「はっきりとはしないけどな」
携帯電話も局がカットしているらしく繋がらない。葛城ミサトの自宅マンションにかけてもも、誰も出ない。
ネルフ職員から漏れ聞く情報だけが頼りだが。
「それやったら……」
言いかけてやめる。
見舞いに行ったところで、彼らの負担が軽くなる訳でもないことを鈴原トウジは感じている。
「学校どころじゃないんだな、今や」
「そやの」
二人が心配げにうなづきあったとき、街に警報が流れた。
『……指示に従って速やかにシェルターに……』
度重なる緊急避難。
すでに混乱はない。慣れきったことに、慌てるでもなく整然と教室は動く。
笑い声がそこかしこに聞こえる中。
鈴原トウジと相田ケンスケは暗かった。
如雨露を片手に、育ってきた西瓜を愛おしげになで回している男の背後から、小さく揺れる金茶の髪。
「ん? よくここが分かったな」
「シンジに聞いたの」
「ほう?」
よっと腰を上げて惣流アスカに向き合う。
かけてきた声の調子より少女の表情は暗かった。
「身体のほうはもういいのか?」
「え? あたし?」
肩をすくめてふるふると首を振る。
「ただの検査入院よ。良いも悪いもないわ」
『以前』でさえ、激しい衝撃を受けたものの、入院の必要まではなかった使徒の精神接触。
その同じ攻撃に今さら参るものではない。
そもそも、それを克服できたからこそ、今の惣流アスカがあるのだ。
「そうか、そりゃよかったな」
「みんな大げさなんだから。まあ、たまには見舞ってもらうのも悪くないけどね」
念のためにと一晩病室に泊められることになったあの夜、綾波レイが訥々と見舞いの言葉を口にした。
「どうせシンジに言われたんだろうけどさ」
「彼女だってアスカのことが心配だろうさ」
「さあ、どうだか」
そう言いながらも、疑っているわけではない惣流アスカ。
確かに『以前』の綾波レイとは雰囲気が違う。
短い間ではあったが同じ部屋で暮らした相手である。人形じみた無神経さは感じられなかったし、時折、びっくりするような感情の表出も見せた。
……ま、たいがいはシンジがらみだけどね。
それでも惣流アスカに対しては、どこか柔らかさがあるように思う。
「ただの検査だから入院するっても1日だけなのにね、わざわざ花なんか活けてくれちゃってさ」
「ふうん。レイが花を活ける、か。やっぱり気に掛けてくれてるんだろう?」
「ん? 加持さん?」
まさかレイが花を持って見舞う姿を想像してうらやましがってるんじゃないでしょうね、と非難の眼差し。
「おいおい。俺はそんな趣味はないぞ」
加持リョウジに幼女趣味はない。
もっとも、14歳にしては神秘的過ぎる少女に甲斐甲斐しく見舞われるのも悪くはあるまいと考えてしまっていた分、声の調子が言い訳じみたかも知れない。
「まったく、男の人って!」
「そんなことを言いに来たんじゃないんだろ?」
「う、うん」
表情に再び翳りが走る。
「シンジくんのことか?」
「ねえ、加持さん」
膝を折って西瓜の前に屈み込み。
「シンジの腕、どうにかなんないのかな?」
加持リョウジは、惣流アスカの頭を見下ろす。赤い髪飾りのようなインタフェース・ヘッドセットが震えるのを見つめながら言葉を拾った。
義手、というレベルの話ではないのだろう。
「その質問は、俺よりリッちゃんのほうがいいんじゃないか?」
「もう訊いたわよ」
無理ね、の一言であしらわれた。
「アスカは遺伝子工学は履修したよな?」
「うん」
「じゃあ、分かってるだろう?」
E計画のためクローン再生技術は格段の進歩を遂げていたが、人間の複製を造れるわけではない。
倫理的な問題はさておき、細胞片から移植用のクローン再生をするとしても、同一年齢の人体が即座に産まれるわけではない。胎児の状態から育てていくことになる。
クローンが移植可能な生体年齢に達するまで、十数年かかる。そしてその時には碇シンジはさらに年齢を重ねている。
「そんなことは分かってるわよ」
それでも惣流アスカは縋るものを探したいのだろう。
「シンジね、チェロ、巧いのよ」
「そうか」
「あいつはまあ謙遜してるけど。趣味、ってんでも無いかも知れないけど。せっかく人に誇れることがあるのに、もったいないじゃない」
エヴァパイロットが誇りでないとするなら。
惣流アスカは自分にとっての誇りをまだ見つけることはできなかった。
が、碇シンジにとってはチェロが、あるいはそれに当たるのかも知れないと思った。
「左手がなくなっちゃったら、弾こうにも……」
「俺だってチェロは弾けないぞ。両腕は揃ってるけどな」
「それとこれとは違うわよ」
「いや、違わないさ」
ゆっくりと背中に語りかける。
「シンジくんも確かにできなくなっただろうが。腕のある俺が弾こうとしても出来ないのは同じだ。腕のあるなし、じゃない」
「加持さんは練習すれば弾けるじゃない」
「それは仮定の問題だろ? 実際に今弾けないんだ。できないことを夢想したってなにも始まらないよ」
人間が一生のうちに出来ることなど、ごく限られたものだと言う。
「腕がないから出来ない。才能がないから出来ない。同じ事さ。その欠落が目に見えるか見えないかの違いだけだ。自分に才能のないことに憧れるのは無い物ねだりさ。ただの我が儘だ」
「シンジが我が儘だっていうの?」
それは話がずれているだろうと、言葉尻を捉えた少女を諭す。
「才能のないことに手を出したって苦しむだけさ。だから俺は、自分がやりたいこと、出来ることをやるんだ。山ほど出来ないことはあるが、それでも自分の可能性はゼロにはならない」
惣流アスカの横にしゃがみこみ、その横顔を覗き込んだ。
「シンジくんはチェロが弾けないって落ち込んでるのか?」
「ううん。それは……そんなこと考えてもいないかもしんない」
「だろ? 彼は自分に出来ることを見つめているんだ。左腕を失ったことは不便かも知れないが、それに気を取られて自分を見失っては本末転倒だ。無くした左腕がシンジくんの全てじゃない」
「それはそうだろうけど」
「この一連の戦闘で、大勢の人間が死んでいる」
一般市民。名もない前線の兵士。死には至らずとも意識の戻らない人々。
それに比べれば、少年の怪我は軽いほうだった。
負傷し、身体に障碍を負ったのはなにも碇シンジに限ったことでもない。
「生きてさえいれば、可能性は無限にあるさ」
加持リョウジの言葉は欺瞞であったかも知れない。
しかし、大人びてはいてもまだ14歳の少女である惣流アスカには、納得したとまでは言えないものの、感じる部分があった。
「アスカは、シンジくんにただ同情しているだけかい?」
「違うわよ!」
一瞬、顔を横に向けて睨み、激しくうち消した後、また視線を西瓜に戻す。
少女の沈黙を加持リョウジは静かに待った。
やがて、ぽつりと。
「あたし、シンクロ率下がってるんだ」
聞いている、とは加持リョウジは言わなかった。
惣流アスカも確認は待たない。
「シンジに無理はさせられないのに。あたしじゃもうエヴァ、動かせなくなるかも知れない」
第15使徒戦。
碇シンジの怪我に拘って一度は搭乗を拒否したものの、綾波レイを救うために仕方なく出撃した。
それも一面であったが、惣流アスカにはエヴァンゲリオンで戦う自信はなかった。実際、零号機から使徒の精神波長攻撃の目を反らす程度が精一杯だったのだ。
来るべき次の戦闘で、起動指数に足る数値を出せるかどうかは心許なかった。
理由は分かっているだけに、焦りはない。
動かない、のではなく、彼女自身がエヴァを必要としなくなっている証に過ぎない。
といっても。
「使徒はまだ来るのに……」
唇を噛みしめた惣流アスカに、包み込む微笑みが投げられた。
「シンジくんが好きかい?」
「たぶん、ね」
14歳の少女らしい声音。
「なら、さっきの話と同じ事だ。アスカはアスカに出来ることをすればいい」
「あたしの?」
「アスカは何を望むのか。何が出来るのか。それを考えることが大切だよ。エヴァは手段に過ぎない。選択肢はいくらもあるさ」
抽象的な言葉に過ぎなかったが。
惣流アスカは何かを見つけようとした。
「うん。ありがとう、加持さん」
「こちらでしたか」
立入禁止のテーピングで閉ざされたエヴァンゲリオン初号機ケージ。
そこに、感情を読みとらせない瞳でサングラスの奥から初号機を見上げる男の姿に、赤木リツコは声をかける。
碇ゲンドウの姿勢は変わらない。
「葛城三佐、かなり気づいているようです」
その横に佇むと、静かに報告する。
「そうか」
かまわない、と碇ゲンドウは拘らなかった。
「シンジくんと話されましたか?」
「いや」
「……初号機、覚醒の兆候はありません」
「まだ望みはある」
「どうなさいますか」
「ここまで来てゼーレに遠慮することもない」
公式には凍結のままだが、封印は無視して即時起動が可能な状態には保て、と命じた。
「わかりました」
残り二体の使徒に期待するというのであろうが。
その言葉とは逆に、すでに碇ゲンドウも覚悟はしているらしかった。
「これで、いいのですよね?」
その問いかけは意味がない。
それは、赤木リツコにも分かっている。
碇ゲンドウにもまた、答えはなかった。
「すまないわね」
ジオフロント地底湖畔の仮設公園。
ベンチと自動販売機以外にはなにもない。遠く見渡す緑の森林、碧の湖、黒の本部ピラミッドの景観だけを配置する。
そのベンチに二つの影。
「いえ、かまいません」
お役に立てるなら光栄ですと僅かに紅潮して上司を見つめる日向マコトである。
「ぼくじゃあ加持さんほどには掴めませんけど」
「だめよ、あいつは」
嫉妬かしら、とそれはまんざらでもなく葛城ミサト。
あたしって悪女かも、と自嘲とも奢りともつかない思いで続ける。
「ドイツ支部の事故以来、特殊監察部の権限もがた落ちなのよ」
「国連直属といっても、ドイツの部署みたいなもんでしたからね」
「こっちでもつまはじきにされちゃって、戦闘中でも西瓜に水やってるありさまだし」
「隠れ蓑でしょう?」
「さあ、どうなんだかねえ。なんにしろ、あいつの情報も限界があって、ね」
「ソースは複数あった方がいいってわけですね」
厭味ではない。
素直に作戦部長の手腕に納得しているところが、惚れた弱みか。
「で、その情報ですけど、これを」
手にする端末を示す。
「量産型エヴァの建造中止? うそ?」
「こっちに公式に来てた情報とは逆ですからね。ぼくも疑ったんですけど」
各国支部に分配されるべき建造予算が、アメリカ第2支部に集中していた。
結果、完成を目の前にして予算不足による建造ストップである。
「どういうことかしら?」
「そこまではなんとも。中止と言うより一時凍結という感じでしょうが」
赤木リツコは使徒はあと2体と言った。
対使徒戦用最終兵器としてのエヴァを求めるなら、確かに今からでは整備しても意味がないかも知れない。
が、エヴァはそれだけの目的ではない、と葛城ミサトは確信している。
「エヴァより急ぐものがあるってことか。それとも……」
考え込む葛城ミサトに、もっと情報を探ってみます、と張り切る日向マコトだった。
「今日も休みか」
ふと端末から目を上げ、ぽかりと空いた机を見つめる。
碇シンジ、惣流アスカ、綾波レイ。
惣流アスカは3人の中でも最後まで登校してきていたが、それも最近は姿を見なくなってしまった。
「なんや。まだパイロットなることにこだわってんかいな?」
「いや、それはもう諦めたよ」
ふっと溜息をもらす相田ケンスケに、疑わしそうな目を向ける。
「そうか? まだ未練ある、っちゅう顔、してるで?」
「そりゃまあね。でもそれより、あいつらのことが気になってるんだ」
真顔に戻る鈴原トウジ。
「そやな。また怪我でもしてんねやろか」
「シンジが大怪我をしたって話があるんだ」
「ほんまか?」
「はっきりとはしないけどな」
携帯電話も局がカットしているらしく繋がらない。葛城ミサトの自宅マンションにかけてもも、誰も出ない。
ネルフ職員から漏れ聞く情報だけが頼りだが。
「それやったら……」
言いかけてやめる。
見舞いに行ったところで、彼らの負担が軽くなる訳でもないことを鈴原トウジは感じている。
「学校どころじゃないんだな、今や」
「そやの」
二人が心配げにうなづきあったとき、街に警報が流れた。
『……指示に従って速やかにシェルターに……』
度重なる緊急避難。
すでに混乱はない。慣れきったことに、慌てるでもなく整然と教室は動く。
笑い声がそこかしこに聞こえる中。
鈴原トウジと相田ケンスケは暗かった。