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第3話「戦い、終わって」

「さぁって、いよいよか」

 本部発令所で葛城ミサトは正面大スクリーンに映る化け物を睨み付ける。

 N2地雷は巨大なクレーターを作りはしたものの、使徒と呼ばれる怪物はほとんど無傷に近かった。

 ほどなく再びの侵攻を開始した敵性体を前に、戦略自衛隊……つまり日本国の予算によって運営維持される国連軍極東師団は作戦の継続を断念した。

「総員、第1種戦闘配置」

 碇ゲンドウから静かに重く発せられた命令をもって、全ての交戦指揮権はネルフに委譲される。

 そして実際の戦闘責任はこの弱冠29歳の乙女、葛城ミサトの双肩にある。

 勝つか負けるか、ではない。負ければそれは全ての終わりだ。選択は「勝つ」しかない。

 静かに静かに気合い漲る。

 本部外観を組織に映したように、中央作戦室はピラミッド型である。

 最下層フロアに数十名のオペレータ。要塞都市の全武装、全哨戒システムを統御する。

 その上には本部のみならず都市そのものを統御するスーパーコンピュータMAGIシステムの外郭端末が3台、それぞれ5名の技官がリアルタイムに膨大なデータを入力していく。

 それを見下ろす司令塔第1発令所。

 情報分析オペレータ青葉シゲル、作戦課オペレータ日向マコト、技術部オペレータ伊吹マヤがコンソールにかぶりつき、戦闘時の全権者である作戦部部長葛城ミサト、技術部部長赤木リツコの指示を待つ。

 さらに最上段の司令席には、冷厳と構える総司令碇ゲンドウと沈着な副司令冬月コウゾウ。黙してすべてを睥睨する。

 碇シンジにプラグスーツを着せ、エヴァンゲリオンエントリープラグに押し込んで遅れた赤木リツコが駆け込んだところで戦闘配置が完成した。

「第1種戦闘配置よろし」

 サブスクリーンにエヴァンゲリオン初号機ケージ。

 別のサブスクリーンにはエントリープラグ内、碇シンジの顔姿。

「エヴァンゲリオン初号機、起動シーケンス開始」

 赤木リツコの低い発令に伊吹マヤの指がコンソールを華麗に舞う。

「冷却水排水」

「停止信号プラグ排出」

「エントリープラグ挿入。固定完了」

「エントリープラグ、LCL注水」

 静かに着実に進む起動シーケンス。……静かすぎる。

 エントリープラグ内の画像。碇シンジは俯きかげんに目を閉じて動かず。

 LCLの水面が口元を越えても変らない。

 コポ、と気泡が口から漏れる。軽く深呼吸して自然に肺の空気を追い出したようだ。

「落ち着いてるわね……」

「度胸があるのかしらね」

 度胸、というのだろうか、と葛城ミサト。どうも初対面からの不思議な違和感が消えない。

 もっとも、LCL注入時点でパニックになられても話にならないが。

「おっとこのこ、か」

 とりあえずはそれで納得することにした。問題は目前に迫る憎むべき使徒だ。

 起動シーケンスは進む。

「主電源回路接続」

「全回路動力伝達」

「稼働電圧臨界点突破しました」

「第2次コンタクト開始」

「パルス送信します」

「A10神経接続異常なし」

「初期コンタクト全て異常なし」

「双方向回線開きます」

 シンクロ曲線が同調を始める。

「……シンクロ率14パーセント」

 低い。

「ハーモニクス全て正常位置」

「エヴァンゲリオン初号機、起動しました!」

 ちらと隣を見ると、赤木リツコの顔色は冴えない。

「大丈夫なの?」

 鋭く小さく問う。答えはない。代わりに伊吹マヤに細かく指示を出しだした。

 赤木リツコの指示に従い、統御システムの微調整に目の色を変える伊吹マヤ。

「シンクロ率14.3パーセント……上がりません」

「ハーモニクスはほぼ完璧なのに。どういうこと……シンジくん!」

 赤木リツコが苦悶する。

 碇シンジの反応はない。変らぬ姿勢でたゆたう。

 トラブル!?

 葛城ミサトも青ざめた。

「シンジくん! シンジくん!」

 赤木リツコを押しのけて叫び出す。

「……あ、はい」

 一瞬の、しかし返事を待つ者には長すぎる空白ののち、間延びした声が返ってきた。

「シンクロ率上昇します……22、33、38、40……」

「あ、ごめんなさい。寝てました」

「シンクロ率、43.2パーセントで安定しました。誤差、0.1」

「シンジくん……」

 赤木リツコは顔色こそ変えないが怒りに震えているのがうかがえる。

 葛城ミサトはただ呆れていた。

 青葉、日向の両オペレータは、すなおに感動していた。そのクソ度胸に。

 司令席の2人は動きがない。

「いけるわね?」

 ようやく葛城ミサトが声を絞り出す。

「はい、いつでも。大丈夫です」

 にっこりと碇シンジ。

 初号機が射出された。



 ネルフ本部付属病院隔離病棟に碇シンジの姿があった。シャワーを浴びたばかりの髪がまだ濡れて額を舐めている。

 病室番号を確かめながら廊下を歩いていく。

「ここだ」

 個室303号。プレートに患者名、綾波レイ。面会謝絶の赤文字。

 ノックはしないで、そのまま静かにドアを開く。

「綾……波」

 ベッドに横たわる透ける肌。包帯の隙間に波打つ青い髪。眼帯に隠されて表情は分からないが、苦しげに漏れる息が彼女の身体を蝕む苦痛を示す。

 痛ましげな表情で少年は枕辺に近寄った。

 意識はあったのだろう、気配に少女の瞼が薄く開かれる。

 だれ、と問いたげに朱の瞳が揺れる。深い波間のような。

「碇……シンジだよ」

 ささやくように。

 これまで誰も使わなかったであろう付き添い用のパイプ椅子を広げ、腰を下ろす。

 重傷の少女。少年に許可された面会時間はごくわずか。その間に伝えなければならない、彼の内にいる彼女の魂を。

「痛い……よね? すぐに……楽になるから」

 かがみこんで瞳を合わせる。

「受け取って……」

 かすかに漏れるような祈りの言葉とともに、アンチATフィールドが発生した。

 少女を押し包む。

 リリスの魂が二人目の綾波レイと融合した。



 その時。

 中央作戦室の計器はアンチATフィールドの波長を受信したが、その波長の意味を理解できる可能性がある者は不在だった。

 人類初めての使徒戦による緊張から解き放たれた中央作戦室オペレータたちは、なお続く戦後処理に忙殺されていたし、自動警報システムはATフィールドには対応してもアンチATフィールドへの対処はプログラミングされていなかった。

 記録はログの海に沈み、本来、気づくべき幹部職員、作戦部長、技術部長と主任オペレータ3人組は第2作戦室でスクリーンに展開される記録映像に集中していた。

「あっけない」

 としか言いようがない。

 リフトオフからわずか17秒。使徒完黙までの経過時間。

 葛城ミサトの想定していた作戦計画は、何一つ発令されないまま全てが終わっていた。

 使徒。

 天使の名を持つとは言え、神ではなくあくまで生命体。そう認識されている。

 その不死身を保証するのはATフィールドの存在に他ならない。

 ATフィールドを人為に突破できないからこそエヴァンゲリオンがある。

 最低限の基礎訓練さえ受けられなかったパイロット碇シンジに戦闘は期待していなかった。いや、そんなものを期待するのは愚昧を通り越して異常だ。

 座っていさえすればいい……それはATフィールドの展開のみを期待した言葉。

 使徒のもつATフィールドをエヴァンゲリオンのATフィールドで相殺し、不死身性を剥離する。

 後は要塞都市が持つ兵器の仕事。ただの生命体に成り下がった使徒の抹殺は容易なこと……のはずだった。

 ところが。

 リフトオフ、最終安全装置を解除して全ての拘束から解き放たれた途端、初号機は駆け出した。すさまじい速度で。

 まずは歩くことだけを考えて……などと悠長な命令を伝える暇もなかった。

 一瞬にして使徒のATフィールドを浸食。中和ではない。圧倒的パワーで溶解した。

 そのまま激突したとき、すでに初号機の右拳が使徒胸部のコアにめり込んでいた。

 巨大な人型の化け物はあがくことさえかなわず、立ちつくしたままに沈黙した。

「本戦闘を第1次直上会戦と記録します」

 作戦部長に許された職務は、実に命名だけだった。

「シンクロ率は戦闘中も揺らぎはありませんでした。43.2パーセントで完全に安定、ハーモニクスにも異常なしです」

 伊吹マヤの報告。声音のどこかに感嘆の響きがある。

「エヴァ初号機右腕にも計測上のダメージは認められません。技術課のほうのメンテナンスで細かな疲弊が見つかるかも知れませんが」

 日向マコトは比較的淡々と。

「ま、楽勝だった、ってことよねえ」

 気楽な口調で総括する葛城ミサト。ただし表情はやや固い。

 勝てばそれでいい、とは作戦指揮者としては割り切れないのだろう。

「リツコの言ってた起動すればなんとかなる、ってこういうことだったわけ?」

「ここまでの力を予想していたわけじゃないわ」

 記録映像よりもグラフデータのほうに集中している赤木リツコ。上の空だったのか、えらく正直に答える。

「戦闘時間が短すぎたし、大したデータは取れないわね」

「動きそのものは単純なものですから」

 卓上端末を操作する伊吹マヤ。

「そうね。直線に駆けてぶつかっただけだ、とは言えるわね。それにしても……」

「それにしても、初号機の威力は半端じゃないですよ」

「初号機が凄いのか、シンジ君が凄いのかってとこだよな」

「つかみにくい子ではあるわよね」

「あの碇司令の息子さんですからねえ」

「あんまり似てないけど」

「母親似なんだろうなあ」

「碇ユイさんですよね。綺麗な人だったんでしょうねえ」

「なに、それはシンジ君が男前だってこと?」

「あはは、マヤちゃんがそういう好みだったとはなあ」

「あ、あ、なに言ってるんですか、違いますよ」

「男前ってのとは違うんでしょうけどねえ。魅力のある子よね」

 どんどん雑談めいてくる。

「使徒がほとんど無傷で残ってますし。回収作業が終わったらすぐに解析ですね」

 あ、先輩、怒ってる。

 慌ててフォローに入る伊吹マヤ。

 頷くだけで返事に代える友人の姿に、慌ててプリントアウトされたデータファイルの束を揃える葛城ミサト。そそくさ。

「じゃ、とりあえず戦闘データだけまとめて報告してくるわ」

 日向マコトを従えて総司令執務室に向かおうとするのを呼び止めて赤木リツコ。

「シンジくん、検査入院してもらうから。病院へ呼び出し、かけておいて」

「ん? シンジくんならもう病院でいるわよん」

「あら、ミサトにしては早手回しね」

「なによ、それ……。んじゃなくて、シンジくんが病院に用があったのよ」

 怪訝そうな赤木リツコ。その視線ににやりと応える。

「他のパイロットに会いたいって、ね。レイの病室に見舞いに行ったわよ」

「レイの? ……許可したの?」

「これからの作戦のこともあるしね。パイロット同士のチームワークは大事だし」

 なにしろ無理矢理乗せたようなもんだし。傷ついたレイの様子を見れば逃げ出したりしないかもってね。

 じゃあねえ、と立ち去る。

 青葉シゲルも発令所に戻る。

「先輩?」

「……なんの用があるのかしら」

 シンジくんってば可愛いし、レイちゃんはちょっと怖いけど、やさしい王子様のお見舞いで愛が芽生えたりして。ああ。若い二人は、そうして……いやん、フケツかも……、と妄想が走馬燈めぐりしてしまった伊吹マヤはともかく。

 赤木リツコは腑に落ちない顔で沈黙していた。

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