スポンサードリンク

第36話「懐胎」

 碇シンジ、である。

 惣流アスカの放ったスマッシュホークに反応したのだろう、使徒はディラックの海を広げた。

 碇シンジにとっては望んだままに、初号機の直下だった。

 弐号機を狙わなかった理由までは分からない。単なる偶然か、たまたま初号機の位置が良かったのか。

 躊躇はなかった。

 黒の円面が広がりきる前にダイブし、内部からATフィールドで破壊する。

 チルドレンの間で立てていた作戦通りに飛び込んだのだが。

「……広い!?」

 やはり、なんとなくなどという根拠のない考えは通用しなかった。

 虚数空間の広がりと、黒の円面の広さ、すなわち現実世界との接点の大きさには相関がなかったらしい。

 初号機が通るか通らないかぎりぎりのサイズの時にダイブできたはずだが、その先は無量の果て無き白の空間だった。

 己の位置が把握できない。

 人の認知とは、相対的なものである。その相対すべきかたちのない空間で自我境界線を広げることが出来なかった。

 錯覚、なのだが。

 一瞬のパニックが、碇シンジのチャンスを奪っていた。

 我に返ったとき、初号機にアンビリカルケーブルはなかった。

「くそ」

 刻々と減り行く内部電源のカウンタに、慌てて生命維持モードに切り替える。

 初号機の電装が沈黙した。

「どうしようか……」

 死に対する恐怖は希薄だった。

 年齢にしてはあまりに多くの死を見過ぎているためだろうか。どこか麻痺したものがある。

 だが。

「こんなとこで終わりなんて、やだよな」

 碇シンジはそう呟いた。

 エネルギーを断たれた初号機。

 動かない、ということもないのだが、使徒の虚数回路に干渉し、実数に置換するにはやはりパワーが足りないようだった。

 無辺の空間に、索敵はただ虚しい。

「やっぱり、コアの力に頼らなくちゃ無理かな」

 コアに封ぜられた碇ユイ……母親の魂。

 意識してATフィールドで抑え続けているその母性への拘束をとき、アンチATフィールドをもって初号機コアと完全に融合させる。

 そうすれば、初号機は、エヴァンゲリオンとして覚醒するだろう。

 虚数回路を打ち抜くエネルギーの発現も不可能ではないはずだ。

 実際に『以前』、すでに行ない得たことなのだから。

「でも、それはしたくない。しちゃだめだ」

 逡巡するまでもなく否定した。

 エヴァンゲリオンの覚醒は碇シンジにとっては救いではなかった。

「リツコさんが……N2爆雷を使って強制サルベージしようとするはずだ」

 それがうまくいくのかどうか、判断するだけの知識はなかったが。

「少なくともエネルギーは産まれるはずだから」

 その瞬間に、自分自身のATフィールドを展開して、使徒に干渉する……。

 生身のATフィールドも、相当の力はあるはずだった。太平洋で空母を襲った第六使徒戦で試している。

「待つしか、ないかな」

 微かな不安はあったが、碇シンジには今は眠り待つ以外の方策が思い浮かばなかった。



『だめぇ〜!!』

 惣流アスカの悲鳴が発令所を引き裂いた。

「N2爆雷、第1波着床しました」

 鋭い光が爆風のごとくに拡散する。

 振動はない。

 エネルギーは虚数空間へと溶け込んでいく。

「効果は?」

「MHDコード解析、パターンオレンジ。流体磁場確認できません」

「第2波、投下準備完了しま……ATフィールド確認!」

「ATフィールド?」

「弐、弐号機、再起動しています!」

「まさか? 暴走!?」

 強制シンクロカットされたはずの弐号機が活動を再開していた。

 弐号機エントリープラグを映すサブモニタに憤怒の形相が炎を纏って浮かび上がる。

「アスカ……」

『死んじゃうって言ってんでしょうがあ!』

「ATフィールド、さらに展開されます……重爆撃機、回避運動に!」

「くっ」

 浅はかな、と赤木リツコは唇を噛む。

 碇シンジを信じていないのは、惣流アスカのほうではないか、と。

 パイロットの犠牲は厭わぬと言っても、それ以外に回収の方法はないのである。

 なにもせずただ座して待つより、一縷の希望に賭けてでも動かなくては解決しない。

 とはいえ。

「ミサト!」

 ……なんとかしてちょうだい。

 子どもの気持ちも分からぬ、ではない。論理で押し切るには、14歳という年齢は幼すぎるのだろう。

 保護者たる葛城ミサトに懐柔を願うしかなかった。

「使徒に変化!」

 その時、日向マコトが叫ぶように報告した。

 ディラックの海が、赤く裂けていた。

 そして、空中の球体が、その縞模様を失っていく。

『シンジ!』

『碇くん!』

 発令所内に、低い獣じみた咆哮が長く響いた。

 使徒の影、と考えられていた球体が実体化していた。

 不可視の力で内部から吹き飛ばされるように。赤い体液と臓物をまき散らしながら左右に裂ける。

 その中に、血にまみれた紫の鬼……初号機の姿があった。

 歪んだ顎部拘束部から牙がむき出されていた。

 静寂の中、やがて青葉シゲルの我に返ったような声が響く。

「パターンブルーの消失を確認。使徒、殲滅されました」

「……サルベージ、成功?」

 葛城ミサトが問う。

 赤木リツコは、やや呆然とした面もちで首を横にふる。

 予想した結果ではない。

 失敗、である。が、初号機は還ってきた。

「アスカ、レイ?」

 葛城ミサトが呼びかける。

「初号機を回収して」

 内部から破裂したかのような球体は四散し、すでに形状はなかった。

 細かく飛び散る血漿がビルを濡らしている。

 その中心の道路上に、うずくまる初号機があった。

「葛城三佐」

 司令塔より碇ゲンドウの声が降る。

「はい」

「作戦指揮権を一任する。回収作業終了後、幹部スタッフは執務室に」

 言い残して、発令所を去る。

 ……あたしが命令を出したんじゃ越権だったか。

 やや鼻白んだが、わざわざ追認されたと言うことはお咎めもあるまい。

 問題は、明らかな反逆罪であるチルドレンのほうであった。

「初号機にアクセスできるの?」

 気を取り直して伊吹マヤに問う。

「はい、回路、回復しています」

「つないで……シンジくん?」

 返事がない。

「映像、出して」

 嫌な予感がする。

 サブスクリーンに映し出されたエントリープラグ内映像に、伊吹マヤが思わず口元を押さえた。

「……ミイラ?」

 枯死したかのようにやせ衰えた少年の姿が、LCLに漂っていた。

「エントリープラグ、強制射出! アスカ、レイ、初号機回収はあとよ、エントリープラグを最優先回収して!」

『ど、どうしたの、ミサト?』

「急いで!」



「サードの容態はどうだ?」

 執務机に肘を突きいつもの姿勢で問いかける碇ゲンドウの前に、憔悴しきった幹部女性二人の顔があった。

「極度の栄養失調ですが、生命に別状はありません。意識はさきほど戻りました」

 答える赤木リツコも、若いとはいえ過労に皺が目立つ。

「ただ、原因が掴み切れていません。虚数空間に於ける生命維持システムの問題だと推測しますが。いずれにせよ、相当長期間の入院が必要と思われます」

「かまわん。初号機が動けば良い。パーソナルデータをレイに書き換えろ」

「はい」

「お言葉ですが」

 葛城ミサトが割って入った。

「パイロット間の信頼関係が強すぎます。サード、碇シンジくんを喪った場合の作戦指揮には責任を持てません」

「サードは生きている。問題はない」

「それはそうですが」

 しかし、それは結果論である。

 作戦の最悪のシナリオであれば、初号機の回収はできても碇シンジは喪われていたのだ。

「パイロットの統制は君の仕事だ。使えるようにしろ」

「全てお任せいただける、という意味でしょうか?」

 碇ゲンドウの横に控えている冬月コウゾウが軽く笑った。葛城ミサトの意図を理解したらしい。

「ファースト、セカンドの処遇のことだね?」

「お任せいただけますか」

「一任する」

 短く答えた碇ゲンドウに、頬が緩もうとするのをひきしめる葛城ミサトである。

「葛城三佐は下がってよろしい」

 冬月コウゾウに促され、最敬礼で執務室をあとにした。

 その姿を見送って冬月コウゾウが苦笑する。

「よろしいのですか?」

 やや不興げに赤木リツコ。

 直接反逆されたのが自分であるだけに、大人げないとは思いながらも少しばかりの拘泥がある。

「委員会のこともある。エヴァパイロットの反逆などと洒落にならんことは公に出きんからな」

 と、冬月コウゾウが肩をすくめた。

「なあ、碇。子どもだと馬鹿にしすぎたのではないか?」

「馬鹿にしているわけではない」

「しかしな、レイくんまであの調子ではな」

「レイですが」

 赤木リツコが眉をしかめる。

「弐号機の暴走で取り紛れましたが、ATフィールドを展開していました」

「生身、でかね?」

「はい。データは抹消しました」

 やれやれと冬月コウゾウ。

 発令所のスタッフに漏れていたらただではすむまい。

「あまり強引に進めると、補完計画まで影響しかねんぞ」

 それには答えない碇ゲンドウ。赤木リツコに問いかける。

「ダミーシステムはどうだ?」

「なんとか仮試験段階には。でもまだ実用には危険があります」

「急げ。パイロットが無理ならダミーによる運用に切り替える」

「はい」

「フォースを選出するかね?」

「これ以上は葛城三佐も統制し切れまい。ダミーを優先する」

 冷徹な判断にも思えるが。

 冬月コウゾウは、綾波レイの造反に迷いを生じているらしい碇ゲンドウの逃避を見たような気がした。



「あんたね」

 ネルフ本部付属病院、内科病棟。

 数本の点滴の管に繋がれ、やせ細りやつれきった表情を見せる碇シンジの横に、憔悴の惣流アスカが屈み込む。

「心配させんじゃないわよ」

「ごめん」

 枯れた声で微笑む。

「ちょっとあの中、想像と違っちゃってて」

「……話さないほうがいいわ」

 惣流アスカの対面に佇む綾波レイが抑えた。

「疲れているから」

「なによ、あたしに厭味、言ってんの?」

「……べつに」

「大丈夫だよ、もう。ATフィールドに力、使い過ぎちゃっただけだから」

「もういいの?」

「うん」

「なんの話よ?」

 おいていかれたようで、不服そうな惣流アスカである。

「碇くんは自分のATフィールドを使ったのよ」

 N2爆雷のエネルギーを契機に生身のATフィールドをもって使徒の虚数回路に干渉した、という。

「自分のって……初号機じゃなくてシンジがATフィールドを?」

 カヲルくんとやらいう使徒との一体化とはそういう意味なのだろうか?

 と、惣流アスカは唇を震わせた。

「シンジ、化け物じみてきたわね」

「化け物じゃないわ」

 静かに否定する。

「ATフィールドは誰もが持っている心の壁だもの」

「心の壁?」

「そうよ」

「あたしにも、あるの?」

「普通の人間には使えないけどね」

 惣流アスカを見上げて、苦笑、に近い表情で説明する。

「そのためのエヴァだから」

「……ね、エヴァってなんなの?」

 その答えは聞けない。

 病室のドアが開き、葛城ミサトがにこやかな笑顔を見せた。

「どぉう、具合は? シンちゃん、病院づいちゃったわねえ」

「ミサト!」

 睨み付ける惣流アスカ。

「そんな怖い顔しないで」

「ふん。いよいよ逮捕しにきたわけ?」

「なに? 逮捕って?」

「シンちゃんを守るためにね、アスカとレイ、命令違反しちゃったのよね」

 葛城ミサトの説明に、碇シンジはかなり驚いたらしかった。

「綾波、アスカ?」

「ふん。あたしたちは人形じゃないわよ!」

「分かってるわよ。あれはねえ、でもリツコもなんとか助け出す方法を考えてたんだからさ」

「理不尽だって言ってんのよ」

「逮捕、されちゃうんですか?」

 碇シンジの不安げな声に掌をふる。

「まっさか。あたしの作戦指揮でやられちゃあかなわないけどね。あれは軍事行動じゃなくて、技術部のサルベージ計画だからね」

 お咎めはなしよ、と笑った。

「姑息ね?」

 騙されはしない惣流アスカである。

「シンちゃん、どうする? エヴァ、降りる?」

 殺されかけたのは、碇シンジなのだから、と話をふる葛城ミサト。

「まさか。乗りますよ」

 彼女の予想通り、碇シンジは恬淡と答える。

「あんた、お人好しにもほどがあるわよ?」

「使徒は殲滅しなきゃ」

「そりゃ、そうだけど……」

 今ひとつ、碇シンジの拘りが理解できない惣流アスカ。

 ……あんた、いいかげんひどい目にあい続けて、それでもって、なんなの?

「じゃあ、綾波もアスカも、大丈夫なんですね?」

「ええ。あたしの命令にさえ従ってくれるならね」

「よかった」

 それは『以前』何度か拘禁された思い出による坦懐なのか。

「碇くん……」

「いいよね、アスカも」

「そりゃまあ、あんたも一応無事だったんだし」

 碇シンジがこの調子では、いまさら怒りの向けどころもない。実際、N2爆雷は脱出に必要だったという話でもあるし。

 呆れたように吐息をついて、少年の顔を見つめる。

「それにしても、取れないわね、血の臭い」

 髪に屈み込み、くんっ、と鼻を鳴らした。



 そのころ。

 ネルフドイツ支部、その中央施設から遠く隔離区域にある閉ざされた研究所に。

 加持リョウジの姿があった。

 厳重、と言えるほどの警備が敷かれていたわけでもない。

 そもそもその存在を知る者は、ほとんど生きてはいなかったからである。

 ごくわずかの創設初期からの科学者スタッフのみが、それに今なお従事していた。

 ドイツ支部に勤務していた加持リョウジですら、その存在は知っていてもすでに閉鎖された過去の遺物だとしか考えていなかった。

 知らなければ、気にならない。

 あるいは最も確実な隠蔽であったのだろう。

 その内部が。

「シンジくんの情報通りか……」

 巨大な脳髄に似た構築物が、薄暗い梁材の中を埋め尽くすように伸びている。

 その中央に、黄褐色の液体を満たされたタンクがあった。

 加持リョウジは知らなかったが、それは、ネルフ本部の地下の実験施設、綾波レイの生まれた場所とほぼ同じ構造。

 そして、そのタンクの中にたゆとうのは、銀の髪を揺らす少年の姿。

 細く伸ばされた四肢と透明なまでに白い端正な容貌は、綾波レイを思わせる。

 KAWORU、と。

 刻印されたポッドを加持リョウジは鋭い目で見つめていた。

スポンサードリンク

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 

スポンサードリンク

Linkフリー

エヴァンゲリオンのファンフィクション小説−Kaworu My Love−
エヴァンゲリオンの二次小説「終わりのはじまり」
エヴァって何?という人は初めてのエヴァンゲリオン