第35話「共闘」
「お、おはよう、アスカ」
どこか憂鬱そうに机に頬杖をついている惣流アスカに、おどおどと声をかけたのは洞木ヒカリである。
朝のホームルーム前。
教室にいる生徒はまだまばらだったが、雑然と会話が飛び交っている。
「おはよ、ヒカリ」
返事はしたものの、心ここにあらずといった体。
昨夜、碇シンジに聞かされた話が気になっていた。
現実感のない話だった。
確かに辻褄は合うので、少年が嘘をついているとは考えない。全て真実なのだろう。
……だからってねえ。
エヴァ。使徒。アダム。リリス。
その真実の前に自分ができることなどあるのだろうか、と。
エヴァを動かして使徒を殲滅する、その日常が変わるわけでもないような気がした。
理屈はどうあれ、使徒はやってくるのだし、それを放置すればやはり死んでしまうのではないか。
……でも、あいつは。
なにか考えを持って動いてるのかも知れなかった。
……それとも。
やはり『以前』と同じく、ただ流されているだけなのだろうか。
妙に透明な微笑みも気にかかる。
そして自分の碇シンジに対する感情も。
分からなくなっていた。
「あ、あのね」
洞木ヒカリには惣流アスカの想いは読めない。
思い当たることと言うならば。
「昨日のデート、どうだった?」
「デート?」
惣流アスカに似合いであるかどうかは疑問もあったが、一般的に見ればかなりの相手。
人の恋の取り持ちをするというのが自分に似合わないと、そしてその相手が惣流アスカであるということに乗り気ではなかっただけのこと。
それほど悪い相手を無理に紹介したというつもりもない。
もしかすると、惣流アスカも一目惚れしたということかと疑った。
「うん。すてきな人だった、でしょ?」
「ああ」
……すっかり忘れてたわ。
とこちらはすでに記憶の片隅にもない惣流アスカである。
……それよりも、シンジのことよねえ。
「もしかして、好きになっちゃった?」
「うーん、そういうことでもないと思うんだけど……」
話題の対象がずれている。
「ま、まさか。もうキスしちゃったとか?」
「キス?」
「う、うん」
その言葉に、あ、と思わず唇に手を当てる。
貪られた感触が甦ってきた。
……あ、あれは反則よね。
洞木ヒカリは真っ赤に染まった惣流アスカの頬に、目を丸くした。
「し、しちゃったの!?」
「う、うん、まあね」
「ふ、不潔よ〜!!」
この少女もどうも脈絡がない。
その叫びに教室の注目が集まった。
横で耳を澄ませていた一部の旧友から情報がこそこそと教室中に広がっていく。
「ちょっと、ヒカリ?」
「ねえ、アスカ、いくらなんでもね、初めてあった人とキ、キスなんて!」
「な、何言ってんのよ?」
ようやく惣流アスカも誤解に気づいた。
「んなことするわけないでしょ」
「だって、今、キスしたって」
「そうじゃないわよ。キスしたのはシンジとよ、シンジ!」
……あ。
叫んでしまってから血の気がひいた。
目の前の洞木ヒカリのみならず。教室中が固まっている。
「嘘、うそよ。ジョークよジョーク」
遅かった。
……綾波のみならず、惣流とも!?
嫉妬の炎が燃えさかった教室で、綾波レイも碇シンジも欠席だったのは幸いだった。
「綾波」
碇シンジの姿はネルフ本部にあった。
機体相互互換試験。
急激に過密になっている綾波レイのスケジュールに合わせ、学校より優先して実験に呼び出されている。
その本部実験棟パイロット控室で、数日ぶりに二人は再会していた。
LCLに濡れた青い髪が、清楚な綾波レイの表情に似合わぬ艶やかさを与えている。
「碇くん」
薄く笑みを浮かべて、紅い瞳をめぐらせる。
碇シンジは、やや辛そうに言葉をかけた。
「ダミーシステムの開発実験だね」
「ええ、そうよ」
「ごめん」
「……どうして?」
「だって、さ」
地下の水槽に浮かぶ無数の綾波レイと呼ばれるもの。
同じかたちを持ちながら、魂のない数十の肉体のダミー。
その存在が綾波レイを希薄にさせる、と碇シンジには感じられていたのだろう。
……わたしが死んでも代わりはいるもの。
そう諦観した虚無的な綾波レイの姿が、今の時にあっても少年を焦らせる(じらせる)記憶だった。
しかし。
ダミーシステムを喪うわけにはいかなかった。
「いい」
「綾波は、綾波だから、ね。誰にとっても」
……ぼくにとって、ではないのだろうか。
と綾波レイは瞳を翳らせた。
やはり拒んだのが悪かったのかも知れない。
このところ少女を悩ませる悔恨がまたふと浮かんだ。
「アスカにね」
少年は言葉を続けた。
「ぼくのこと、カヲルくんのことを話したよ」
「そう」
「綾波のことは話してないから。黙っていたほうがいいよ」
「……かまわないのに」
「へんに誤解を招く必要はないと思うよ?」
碇シンジは笑った。
「綾波は人間なんだし」
心と遺伝子にリリスの形質を持っていても。
数限りなく分かれた綾波レイの身体は人間だと、碇シンジは言った。
アダムから分かれ、さらに個体として群体化したヒトという使徒が、個人個人では人間であるように。
「だからもっと楽しんだほうがいいと思うよ?」
「……楽しむ?」
ふと、綾波レイは少年の頬を見つめた。
……弐号機パイロットが来てから、あまりさわれない。
かなり碇シンジの言葉とは別の理解をしているらしい幼い少女である。
「碇司令が、あなたと一緒に本部で暮らしてもいいと言っていたわ」
逆に言えば、葛城邸への帰宅を禁じられたと言うことでもあるが。
「うん。ぼくも言われた」
「そうするの?」
だが碇シンジは首を横に振った。
「加持さんを巻き込んでるから。ミサトさんのそばで居るつもり」
「……そう」
「ぼくなんかがいても、なんの役にも立たないんだけどね。気分ぐらいは紛れるかなって」
「弐号機パイロットは?」
「アスカはこのまま本部で暮らすつもりらしいよ。やっぱり『以前』の記憶があるから」
碇シンジとともに暮らすのは躊躇われるのだろう。
些細なことでも傷つけ合った思いが大きすぎた。
「離れてるほうがいいかも知れない」
「そうね」
「もうすぐだよ」
「……もうすぐ」
綾波レイは、次に来る使徒の姿を思い浮かべた。
第12使徒。ディラックの海を形成するもの……。
「どうなってるの? 富士のレーダーサイトは?」
「探知してません。真上にいきなり現れました」
「パターンオレンジ。ATフィールド、反応無し」
鳴り響く警報。ネルフ本部、中央作戦室発令所は喧噪に包まれる。
「どういうこと? 新種の使徒?」
「MAGIは判断を保留しています」
黒白のシマウマ模様の巨大な球体は、第3新東京市上空をゆっくりと浮遊していた。
スーパーコンピュータMAGIは、未確認飛行物体は使徒とは断定しない。
ATフィールドの展開がない限り、パターンブルーの解析ルーチンには飛ばないからである、とは赤木リツコは説明しない。
鋭い目で計器の測定に注目している。
だが、MAGIの判断があろうと無かろうと、非日常の存在は使徒である。
葛城ミサトの判定は、至極単純だった。
エヴァンゲリオン全機が、速やかに発進された。
「目標に接近して、反応をうかがって」
スクリーンに映る球体を睨み付けたまま、チルドレンたちに指示を下す。
「可能であれば市街地上空外への誘導も行なう。先行する一機を残りが援護。よろしい?」
エヴァからは、了解と短い返答が重なる。
了解、と思わなかったのは日向マコトである。
らしくない。
葛城ミサトらしくなく、あまりにも作戦がずさんであった。
まるきり解析行動のないままのエヴァ投入。
パイロットの判断に全てを任せるような抽象的すぎる行き当たりばったりの命令。
これでは作戦指揮ではない。
なぜだろう、と彼女への全幅の信頼から疑問を口にするわけではないが、首をひねらざるをえなかった。
葛城ミサトは。
見極めるつもりでいた。
使徒、というものを。エヴァンゲリオンというものを。
加持リョウジに見せられた地下の巨人、リリス。
明らかに人智を遙かに超越した存在。その存在を操るかに見えるネルフ。
エヴァンゲリオンが自分の考えていたような決戦兵器の枠を越えたものであるならば。
エヴァの力とはなんなのか、そして使徒の正体とはなんなのか。
それを試してみるつもりでいた。
だから。
「ちょっと、あんたたち! なにグズってんの?」
了解の声を合わせておきながら、エヴァ三機の動きが鈍い。
直上の球体より遙かに離れて、足下を踏みしめながらそろりそろりと移動している。
「どこをみてるの?」
「ミサトも勝手なこと、言ってくれちゃうわね」
……ま、知らないんだからしょうがないけどさ。
エヴァンゲリオン専用質量破砕兵器スマッシュホークを右手に、ゆっくりと弐号機を歩ませる惣流アスカである。
たちの悪い使徒、というといかにも下世話だが、他に言葉がない。
今右手にする攻撃用武具など、どだい通じる相手でもない。
人類科学を越えたディラックの海。虚数空間などを相手にまともに戦えるはずもないではないか。
「どうするつもりよ?」
数日前、碇シンジ、綾波レイと学校の屋上で語らった。
クラスメイトたちは、三角関係のもつれでのもめ事かと興味津々の体であったようだが。
蔓延する噂に苦い顔の碇シンジと、不満そうな視線をどちらにともなく向ける綾波レイを断ち切るようにして本題を切り出した。
「へんな噂を流したのは、アスカだろ?」
「違うって、ばかシンジ! 使徒のことよ、使徒」
「まったく、さ」
「あーんたね、しつこい! だいたいあたしの唇、犯したのはあんたでしょうが!」
「碇くん……」
「いや、あのね、綾波。アスカもそんな言い方」
「違うの!?」
「使徒だよね。うん」
負けを認めたらしい。
惣流アスカも、下手なことを口走ってしまった弱みは自分にあると分かっているだけに、それ以上の追求はしない。
「今度の使徒をどうやれば楽に倒せるかってことよ」
3人ともが未来を経験していると分かり合ってから初めての使徒戦である。
文殊の知恵、というわけでもないが、事前に協議しておけるのなら『以前』のような苦戦はないだろうと思える。
「あんたが倒したんだからさ、あれは。やり方、教えてくれれば、今度はあたしがやったげるわよ」
「といってもね」
碇シンジは首をひねった。
「あれはぼくの力じゃなくて、初号機の力だったから」
「やっぱり覚えてなかったの?」
「覚えてないっていうんじゃないよ。初号機の魂が持つ力で素体を動かしたんだ。電力は来てなかったから」
「弐号機にもママがいるわよ」
「それは無理だよ。弐号機の素体じゃパワーが足りない」
「どういうこと?」
「初号機と弐号機は違うもの」
綾波レイが答える。
「違うって?」
「どっちにしてもさ、今の初号機でも無理だと思うよ。同じことは」
「どうして?」
「だって、初号機はぼくが直接動かしているから」
完全に同化し覚醒した魂による制御とは異なるのだと、碇シンジは説明した。
「S2機関があれば別だけど。電力供給を絶たれたら、ぼくじゃ動かし切れないと思う」
「じゃあ、お手上げってわけ?」
「そうでもないけど」
多分、うまくいくと思う、と前置きして碇シンジは続ける。
「使徒がディラックの海を広げきる前に、その中に飛び込む。アンビリカルケーブルが切断されないうちに、ATフィールドを全開する。それで倒せるんじゃないかな」
「根拠はあんの? それ?」
「ディラックの海の中ってすごく広いんだよ。だから広がっちゃうとどうしようもないし。でも、小さいうちなら、ね」
「なんとかなるって?」
「うん」
「なんか頼んないわね。根拠でもなんでもないじゃん」
「でも他に方法はないと思うよ?」
「わかった。でもそれならあたしでもいいわけね」
「わたしがやるわ」
「だめだよ、ぼくのATフィールドが一番強力だ」
その言葉に、ぴく、と綾波レイは身体を震わせたが、惣流アスカは激高した。
「あたしだって、やれるわよ!」
結局。
ディラックの海が発生した瞬間をつく必要があるというので、その位置に最も近い機体が飛び込むという相談に落ち着いた。
が。
それぞれ譲るつもりはなかった。
人類のため危険をものともせず、などと大人たちが泣いて喜びそうな理由ではないけれども。
「けど、偶然に頼ってたんじゃ、シンジに先、越されちゃいそうね」
空中に浮かぶ縞模様を見上げる。
最近、シンクロ率が確かに低下している。ために、機体がどこか重い。
『以前』のように焦ることはない。というより、シンクロ率の高低などどうでも良くなりつつあったのだが。
「今はまずいわよね」
『以前』は初号機の独断専行で、その足下にディラックの海が開いた。
ならば。
「こっちからやるか」
惣流アスカは決意する。
ふりかぶって、スマッシュホークを使徒の影……空中の球体に投げつけた。
「でやぁあ!」
『アスカ!』
『消失!?』
『パターン青、使徒発見、初号機の真下です!』
「初号機ですって?」
『おりゃああ』
碇シンジの叫びが響いた。
「シンジ!」
方向を定め駆け寄ったとき、すでに初号機の姿はそのほとんどを埋没しつつあった。
出現すると同時に、飛び上がったうえでダイブしたのだろう。
『弐号機、下がって』
零号機からの通信が入る。
確かに作戦通りではある。すぐにATフィールドが展開され、亀裂が走るだろう。
「くっ」
仕方なく後退をはじめたが。
漆黒のディラックの海はとまらずその面積を広げ続けた。
「シンジ!?」
……失敗!?
『アスカ! 下がりなさい!』
愕然とする惣流アスカの眼前に、巨大な黒の円面が広く静かに都市を飲み込んでいた。
そして、初号機のアンビリカルケーブルを必死にたぐり寄せる零号機は、その断線した末端に動きを止めた。
「ばかシンジ……」
夕闇が迫っている。
その直径を600メートルに広げたディラックの海を見下ろすビルの屋上。
惣流アスカは呆然と眼下を見つめていた。
「あのバカ、口先だけね」
背後に感じた気配に語りかける。
綾波レイに違いなかった。
「あたしがスマッシュホークを投げなかったら。失敗したと思った時にすぐにいっしょに飛び込んでたら……」
「無駄よ」
綾波レイは短く遮った。
「あんたね!」
後ろを振り返る。
「シンジが心配じゃないっていうの!?」
思わず噛みついたが、綾波レイの表情に押しとどめられた。
常と変わらぬ無表情、ではなかった。明らかに彼女も悔恨の中にいる。
唇がきつくかみしめられていた。
「ま、まあ、『以前』はなんとかなったんだしね」
逆に慰める側にまわってしまう。
しかし、言葉はあまりにも弱い。
なんとかならないからこそ、立てた作戦である。
「……」
綾波レイは答えない。
とはいえ、初号機と碇シンジに期待する以外の方法はない。
やがて赤木リツコがN2爆雷投下による強制サルベージを提言するのだろう。
『以前』は実行されなかったが、それによって救出できる可能性はゼロではない。
「リツコの作戦もあるしね、ま、なんとかなるわよ」
「だめよ」
「だめって?」
「あなた、聞いたでしょう? 碇くんは素体と直接、シンクロしている」
「それがどうしたの?」
「フィードバックがそのままかかるもの。初号機の機体が引き裂かれたら、碇くんの身体も同じになるわ」
「な、なんですって!?」
N2爆雷による強制サルベージでは助からない、と綾波レイは断じた。
「どうするのよ……」
「碇くんを信じるしか、ないわ」
星が煌めく頃、ネルフ本部内第2作戦室で、赤木リツコによる初号機強制サルベージ計画が説明された。
「作戦は初号機の機体回収を最優先とします。この際、パイロットの生死は問いません」
「あんた、人の命をなんだと思ってんのよ!」
反対したのは葛城ミサトである。
だが、冷たく赤木リツコに射すくめられる。
「シンジくんを喪うのはあなたのミスなのよ?」
肩を震わせるが、葛城ミサトは答えられない。
そう、エヴァを見極めたいなどとずさんな作戦指示を行なったのは自分自身だ。
蒼白に言葉を失った旧友に、赤木リツコはやや言葉を和らげた。
「初号機の特殊性に賭けるしかないわ。見込みはあるのよ」
見極めたいのは、葛城ミサトだけではなかった。
赤木リツコもまた。
初号機と碇シンジを見極めたいと、そう考えていた。
「この作戦行動は、使徒殲滅戦ではなく、あくまで初号機回収です。碇司令の総指揮のもと、私が指揮をとります」
赤木リツコの言葉は、あるいは葛城ミサトへの思いやりであったのかも知れない。
ネルフ本部発令所。
葛城ミサトは一歩引いて、メインスクリーンを暗い表情で見つめている。
すでに夜明けが近い。映し出される風景は薄青かった。
オペレータへの指示は、赤木リツコから発令された。
「エントリープラグの予備電源、理論値ではそろそろ限界です」
「12分、予定を早めましょう」
日向マコトを見やる。
「戦自、N2爆雷の用意は出来ているのね?」
「はい、重爆撃機、展開中。いつでも投下できます」
「レイ、アスカ。用意はいいかしら? そろそろ爆雷、投下するわ」
ディラックの海周縁で回収のため待機するエヴァンゲリオン零号機、弐号機に通信を繋ぐ。
だが。
『させないわよ』
惣流アスカの冷たい声がかえる。
「なんですって?」
「弐号機、ATフィールドを展開!」
「アスカ?」
葛城ミサトが声を出した。
「零号機、同じくATフィールドを展開しました。戦自の重爆撃機に干渉!」
「どういうつもりなの?」
『まだ時間はあるでしょ。シンジを待つわ。爆雷なんて落とさせない』
「なにを言ってるの!」
エヴァンゲリオンは軍隊ではないが。
反逆抗命罪。兵士としては最悪の命令違反である。
「ミサト!」
焦る赤木リツコの声がうわずる。
「アスカ、レイ。やめなさい。これは必要なことなのよ」
『なに勝手なこと言ってんのよ。シンジを殺す気ぃ!?』
「そのままでも助からないのよ!」
『そんなの、まだ分かんないじゃない!』
「レイ!」
『わたしも。碇くんを待ちます』
言葉はおとなしいが、手に持つライフルが重爆撃機に照準を合わせられているのでは、その背命は明らかである。
「碇」
司令塔で冬月コウゾウが苦り切った表情を向けた。
「レイ。やめろ」
碇ゲンドウの声が低く飛ぶ。
『碇くんは必要です』
反抗する風でもなく淡々としているが、碇ゲンドウの命令にも考えを変える様子はなかった。
赤木リツコが瞠目する。
碇ゲンドウは表情を変えなかった。落ち着いた物腰と口元を隠す姿勢に動きはない。
シナリオ通りだ、というわけでもないのであろうが。
「赤木くん、時間は?」
「そろそろ限界です」
「そうか。……零号機、弐号機のシンクロを全面カットしろ」
「カットですか?」
「子どもの駄々につきあっている暇はない」
「了解。シンクロ、カットします」
『ちょっと、なにを!』
「零号機、弐号機、ATフィールド、消失しました」
「作戦開始して」
「了解。爆雷投下されます」
最初の爆撃機から投下された爆雷が、音もなく黒の円面に吸い込まれる。
激しい爆発の光がディラックの海を割った。
どこか憂鬱そうに机に頬杖をついている惣流アスカに、おどおどと声をかけたのは洞木ヒカリである。
朝のホームルーム前。
教室にいる生徒はまだまばらだったが、雑然と会話が飛び交っている。
「おはよ、ヒカリ」
返事はしたものの、心ここにあらずといった体。
昨夜、碇シンジに聞かされた話が気になっていた。
現実感のない話だった。
確かに辻褄は合うので、少年が嘘をついているとは考えない。全て真実なのだろう。
……だからってねえ。
エヴァ。使徒。アダム。リリス。
その真実の前に自分ができることなどあるのだろうか、と。
エヴァを動かして使徒を殲滅する、その日常が変わるわけでもないような気がした。
理屈はどうあれ、使徒はやってくるのだし、それを放置すればやはり死んでしまうのではないか。
……でも、あいつは。
なにか考えを持って動いてるのかも知れなかった。
……それとも。
やはり『以前』と同じく、ただ流されているだけなのだろうか。
妙に透明な微笑みも気にかかる。
そして自分の碇シンジに対する感情も。
分からなくなっていた。
「あ、あのね」
洞木ヒカリには惣流アスカの想いは読めない。
思い当たることと言うならば。
「昨日のデート、どうだった?」
「デート?」
惣流アスカに似合いであるかどうかは疑問もあったが、一般的に見ればかなりの相手。
人の恋の取り持ちをするというのが自分に似合わないと、そしてその相手が惣流アスカであるということに乗り気ではなかっただけのこと。
それほど悪い相手を無理に紹介したというつもりもない。
もしかすると、惣流アスカも一目惚れしたということかと疑った。
「うん。すてきな人だった、でしょ?」
「ああ」
……すっかり忘れてたわ。
とこちらはすでに記憶の片隅にもない惣流アスカである。
……それよりも、シンジのことよねえ。
「もしかして、好きになっちゃった?」
「うーん、そういうことでもないと思うんだけど……」
話題の対象がずれている。
「ま、まさか。もうキスしちゃったとか?」
「キス?」
「う、うん」
その言葉に、あ、と思わず唇に手を当てる。
貪られた感触が甦ってきた。
……あ、あれは反則よね。
洞木ヒカリは真っ赤に染まった惣流アスカの頬に、目を丸くした。
「し、しちゃったの!?」
「う、うん、まあね」
「ふ、不潔よ〜!!」
この少女もどうも脈絡がない。
その叫びに教室の注目が集まった。
横で耳を澄ませていた一部の旧友から情報がこそこそと教室中に広がっていく。
「ちょっと、ヒカリ?」
「ねえ、アスカ、いくらなんでもね、初めてあった人とキ、キスなんて!」
「な、何言ってんのよ?」
ようやく惣流アスカも誤解に気づいた。
「んなことするわけないでしょ」
「だって、今、キスしたって」
「そうじゃないわよ。キスしたのはシンジとよ、シンジ!」
……あ。
叫んでしまってから血の気がひいた。
目の前の洞木ヒカリのみならず。教室中が固まっている。
「嘘、うそよ。ジョークよジョーク」
遅かった。
……綾波のみならず、惣流とも!?
嫉妬の炎が燃えさかった教室で、綾波レイも碇シンジも欠席だったのは幸いだった。
「綾波」
碇シンジの姿はネルフ本部にあった。
機体相互互換試験。
急激に過密になっている綾波レイのスケジュールに合わせ、学校より優先して実験に呼び出されている。
その本部実験棟パイロット控室で、数日ぶりに二人は再会していた。
LCLに濡れた青い髪が、清楚な綾波レイの表情に似合わぬ艶やかさを与えている。
「碇くん」
薄く笑みを浮かべて、紅い瞳をめぐらせる。
碇シンジは、やや辛そうに言葉をかけた。
「ダミーシステムの開発実験だね」
「ええ、そうよ」
「ごめん」
「……どうして?」
「だって、さ」
地下の水槽に浮かぶ無数の綾波レイと呼ばれるもの。
同じかたちを持ちながら、魂のない数十の肉体のダミー。
その存在が綾波レイを希薄にさせる、と碇シンジには感じられていたのだろう。
……わたしが死んでも代わりはいるもの。
そう諦観した虚無的な綾波レイの姿が、今の時にあっても少年を焦らせる(じらせる)記憶だった。
しかし。
ダミーシステムを喪うわけにはいかなかった。
「いい」
「綾波は、綾波だから、ね。誰にとっても」
……ぼくにとって、ではないのだろうか。
と綾波レイは瞳を翳らせた。
やはり拒んだのが悪かったのかも知れない。
このところ少女を悩ませる悔恨がまたふと浮かんだ。
「アスカにね」
少年は言葉を続けた。
「ぼくのこと、カヲルくんのことを話したよ」
「そう」
「綾波のことは話してないから。黙っていたほうがいいよ」
「……かまわないのに」
「へんに誤解を招く必要はないと思うよ?」
碇シンジは笑った。
「綾波は人間なんだし」
心と遺伝子にリリスの形質を持っていても。
数限りなく分かれた綾波レイの身体は人間だと、碇シンジは言った。
アダムから分かれ、さらに個体として群体化したヒトという使徒が、個人個人では人間であるように。
「だからもっと楽しんだほうがいいと思うよ?」
「……楽しむ?」
ふと、綾波レイは少年の頬を見つめた。
……弐号機パイロットが来てから、あまりさわれない。
かなり碇シンジの言葉とは別の理解をしているらしい幼い少女である。
「碇司令が、あなたと一緒に本部で暮らしてもいいと言っていたわ」
逆に言えば、葛城邸への帰宅を禁じられたと言うことでもあるが。
「うん。ぼくも言われた」
「そうするの?」
だが碇シンジは首を横に振った。
「加持さんを巻き込んでるから。ミサトさんのそばで居るつもり」
「……そう」
「ぼくなんかがいても、なんの役にも立たないんだけどね。気分ぐらいは紛れるかなって」
「弐号機パイロットは?」
「アスカはこのまま本部で暮らすつもりらしいよ。やっぱり『以前』の記憶があるから」
碇シンジとともに暮らすのは躊躇われるのだろう。
些細なことでも傷つけ合った思いが大きすぎた。
「離れてるほうがいいかも知れない」
「そうね」
「もうすぐだよ」
「……もうすぐ」
綾波レイは、次に来る使徒の姿を思い浮かべた。
第12使徒。ディラックの海を形成するもの……。
「どうなってるの? 富士のレーダーサイトは?」
「探知してません。真上にいきなり現れました」
「パターンオレンジ。ATフィールド、反応無し」
鳴り響く警報。ネルフ本部、中央作戦室発令所は喧噪に包まれる。
「どういうこと? 新種の使徒?」
「MAGIは判断を保留しています」
黒白のシマウマ模様の巨大な球体は、第3新東京市上空をゆっくりと浮遊していた。
スーパーコンピュータMAGIは、未確認飛行物体は使徒とは断定しない。
ATフィールドの展開がない限り、パターンブルーの解析ルーチンには飛ばないからである、とは赤木リツコは説明しない。
鋭い目で計器の測定に注目している。
だが、MAGIの判断があろうと無かろうと、非日常の存在は使徒である。
葛城ミサトの判定は、至極単純だった。
エヴァンゲリオン全機が、速やかに発進された。
「目標に接近して、反応をうかがって」
スクリーンに映る球体を睨み付けたまま、チルドレンたちに指示を下す。
「可能であれば市街地上空外への誘導も行なう。先行する一機を残りが援護。よろしい?」
エヴァからは、了解と短い返答が重なる。
了解、と思わなかったのは日向マコトである。
らしくない。
葛城ミサトらしくなく、あまりにも作戦がずさんであった。
まるきり解析行動のないままのエヴァ投入。
パイロットの判断に全てを任せるような抽象的すぎる行き当たりばったりの命令。
これでは作戦指揮ではない。
なぜだろう、と彼女への全幅の信頼から疑問を口にするわけではないが、首をひねらざるをえなかった。
葛城ミサトは。
見極めるつもりでいた。
使徒、というものを。エヴァンゲリオンというものを。
加持リョウジに見せられた地下の巨人、リリス。
明らかに人智を遙かに超越した存在。その存在を操るかに見えるネルフ。
エヴァンゲリオンが自分の考えていたような決戦兵器の枠を越えたものであるならば。
エヴァの力とはなんなのか、そして使徒の正体とはなんなのか。
それを試してみるつもりでいた。
だから。
「ちょっと、あんたたち! なにグズってんの?」
了解の声を合わせておきながら、エヴァ三機の動きが鈍い。
直上の球体より遙かに離れて、足下を踏みしめながらそろりそろりと移動している。
「どこをみてるの?」
「ミサトも勝手なこと、言ってくれちゃうわね」
……ま、知らないんだからしょうがないけどさ。
エヴァンゲリオン専用質量破砕兵器スマッシュホークを右手に、ゆっくりと弐号機を歩ませる惣流アスカである。
たちの悪い使徒、というといかにも下世話だが、他に言葉がない。
今右手にする攻撃用武具など、どだい通じる相手でもない。
人類科学を越えたディラックの海。虚数空間などを相手にまともに戦えるはずもないではないか。
「どうするつもりよ?」
数日前、碇シンジ、綾波レイと学校の屋上で語らった。
クラスメイトたちは、三角関係のもつれでのもめ事かと興味津々の体であったようだが。
蔓延する噂に苦い顔の碇シンジと、不満そうな視線をどちらにともなく向ける綾波レイを断ち切るようにして本題を切り出した。
「へんな噂を流したのは、アスカだろ?」
「違うって、ばかシンジ! 使徒のことよ、使徒」
「まったく、さ」
「あーんたね、しつこい! だいたいあたしの唇、犯したのはあんたでしょうが!」
「碇くん……」
「いや、あのね、綾波。アスカもそんな言い方」
「違うの!?」
「使徒だよね。うん」
負けを認めたらしい。
惣流アスカも、下手なことを口走ってしまった弱みは自分にあると分かっているだけに、それ以上の追求はしない。
「今度の使徒をどうやれば楽に倒せるかってことよ」
3人ともが未来を経験していると分かり合ってから初めての使徒戦である。
文殊の知恵、というわけでもないが、事前に協議しておけるのなら『以前』のような苦戦はないだろうと思える。
「あんたが倒したんだからさ、あれは。やり方、教えてくれれば、今度はあたしがやったげるわよ」
「といってもね」
碇シンジは首をひねった。
「あれはぼくの力じゃなくて、初号機の力だったから」
「やっぱり覚えてなかったの?」
「覚えてないっていうんじゃないよ。初号機の魂が持つ力で素体を動かしたんだ。電力は来てなかったから」
「弐号機にもママがいるわよ」
「それは無理だよ。弐号機の素体じゃパワーが足りない」
「どういうこと?」
「初号機と弐号機は違うもの」
綾波レイが答える。
「違うって?」
「どっちにしてもさ、今の初号機でも無理だと思うよ。同じことは」
「どうして?」
「だって、初号機はぼくが直接動かしているから」
完全に同化し覚醒した魂による制御とは異なるのだと、碇シンジは説明した。
「S2機関があれば別だけど。電力供給を絶たれたら、ぼくじゃ動かし切れないと思う」
「じゃあ、お手上げってわけ?」
「そうでもないけど」
多分、うまくいくと思う、と前置きして碇シンジは続ける。
「使徒がディラックの海を広げきる前に、その中に飛び込む。アンビリカルケーブルが切断されないうちに、ATフィールドを全開する。それで倒せるんじゃないかな」
「根拠はあんの? それ?」
「ディラックの海の中ってすごく広いんだよ。だから広がっちゃうとどうしようもないし。でも、小さいうちなら、ね」
「なんとかなるって?」
「うん」
「なんか頼んないわね。根拠でもなんでもないじゃん」
「でも他に方法はないと思うよ?」
「わかった。でもそれならあたしでもいいわけね」
「わたしがやるわ」
「だめだよ、ぼくのATフィールドが一番強力だ」
その言葉に、ぴく、と綾波レイは身体を震わせたが、惣流アスカは激高した。
「あたしだって、やれるわよ!」
結局。
ディラックの海が発生した瞬間をつく必要があるというので、その位置に最も近い機体が飛び込むという相談に落ち着いた。
が。
それぞれ譲るつもりはなかった。
人類のため危険をものともせず、などと大人たちが泣いて喜びそうな理由ではないけれども。
「けど、偶然に頼ってたんじゃ、シンジに先、越されちゃいそうね」
空中に浮かぶ縞模様を見上げる。
最近、シンクロ率が確かに低下している。ために、機体がどこか重い。
『以前』のように焦ることはない。というより、シンクロ率の高低などどうでも良くなりつつあったのだが。
「今はまずいわよね」
『以前』は初号機の独断専行で、その足下にディラックの海が開いた。
ならば。
「こっちからやるか」
惣流アスカは決意する。
ふりかぶって、スマッシュホークを使徒の影……空中の球体に投げつけた。
「でやぁあ!」
『アスカ!』
『消失!?』
『パターン青、使徒発見、初号機の真下です!』
「初号機ですって?」
『おりゃああ』
碇シンジの叫びが響いた。
「シンジ!」
方向を定め駆け寄ったとき、すでに初号機の姿はそのほとんどを埋没しつつあった。
出現すると同時に、飛び上がったうえでダイブしたのだろう。
『弐号機、下がって』
零号機からの通信が入る。
確かに作戦通りではある。すぐにATフィールドが展開され、亀裂が走るだろう。
「くっ」
仕方なく後退をはじめたが。
漆黒のディラックの海はとまらずその面積を広げ続けた。
「シンジ!?」
……失敗!?
『アスカ! 下がりなさい!』
愕然とする惣流アスカの眼前に、巨大な黒の円面が広く静かに都市を飲み込んでいた。
そして、初号機のアンビリカルケーブルを必死にたぐり寄せる零号機は、その断線した末端に動きを止めた。
「ばかシンジ……」
夕闇が迫っている。
その直径を600メートルに広げたディラックの海を見下ろすビルの屋上。
惣流アスカは呆然と眼下を見つめていた。
「あのバカ、口先だけね」
背後に感じた気配に語りかける。
綾波レイに違いなかった。
「あたしがスマッシュホークを投げなかったら。失敗したと思った時にすぐにいっしょに飛び込んでたら……」
「無駄よ」
綾波レイは短く遮った。
「あんたね!」
後ろを振り返る。
「シンジが心配じゃないっていうの!?」
思わず噛みついたが、綾波レイの表情に押しとどめられた。
常と変わらぬ無表情、ではなかった。明らかに彼女も悔恨の中にいる。
唇がきつくかみしめられていた。
「ま、まあ、『以前』はなんとかなったんだしね」
逆に慰める側にまわってしまう。
しかし、言葉はあまりにも弱い。
なんとかならないからこそ、立てた作戦である。
「……」
綾波レイは答えない。
とはいえ、初号機と碇シンジに期待する以外の方法はない。
やがて赤木リツコがN2爆雷投下による強制サルベージを提言するのだろう。
『以前』は実行されなかったが、それによって救出できる可能性はゼロではない。
「リツコの作戦もあるしね、ま、なんとかなるわよ」
「だめよ」
「だめって?」
「あなた、聞いたでしょう? 碇くんは素体と直接、シンクロしている」
「それがどうしたの?」
「フィードバックがそのままかかるもの。初号機の機体が引き裂かれたら、碇くんの身体も同じになるわ」
「な、なんですって!?」
N2爆雷による強制サルベージでは助からない、と綾波レイは断じた。
「どうするのよ……」
「碇くんを信じるしか、ないわ」
星が煌めく頃、ネルフ本部内第2作戦室で、赤木リツコによる初号機強制サルベージ計画が説明された。
「作戦は初号機の機体回収を最優先とします。この際、パイロットの生死は問いません」
「あんた、人の命をなんだと思ってんのよ!」
反対したのは葛城ミサトである。
だが、冷たく赤木リツコに射すくめられる。
「シンジくんを喪うのはあなたのミスなのよ?」
肩を震わせるが、葛城ミサトは答えられない。
そう、エヴァを見極めたいなどとずさんな作戦指示を行なったのは自分自身だ。
蒼白に言葉を失った旧友に、赤木リツコはやや言葉を和らげた。
「初号機の特殊性に賭けるしかないわ。見込みはあるのよ」
見極めたいのは、葛城ミサトだけではなかった。
赤木リツコもまた。
初号機と碇シンジを見極めたいと、そう考えていた。
「この作戦行動は、使徒殲滅戦ではなく、あくまで初号機回収です。碇司令の総指揮のもと、私が指揮をとります」
赤木リツコの言葉は、あるいは葛城ミサトへの思いやりであったのかも知れない。
ネルフ本部発令所。
葛城ミサトは一歩引いて、メインスクリーンを暗い表情で見つめている。
すでに夜明けが近い。映し出される風景は薄青かった。
オペレータへの指示は、赤木リツコから発令された。
「エントリープラグの予備電源、理論値ではそろそろ限界です」
「12分、予定を早めましょう」
日向マコトを見やる。
「戦自、N2爆雷の用意は出来ているのね?」
「はい、重爆撃機、展開中。いつでも投下できます」
「レイ、アスカ。用意はいいかしら? そろそろ爆雷、投下するわ」
ディラックの海周縁で回収のため待機するエヴァンゲリオン零号機、弐号機に通信を繋ぐ。
だが。
『させないわよ』
惣流アスカの冷たい声がかえる。
「なんですって?」
「弐号機、ATフィールドを展開!」
「アスカ?」
葛城ミサトが声を出した。
「零号機、同じくATフィールドを展開しました。戦自の重爆撃機に干渉!」
「どういうつもりなの?」
『まだ時間はあるでしょ。シンジを待つわ。爆雷なんて落とさせない』
「なにを言ってるの!」
エヴァンゲリオンは軍隊ではないが。
反逆抗命罪。兵士としては最悪の命令違反である。
「ミサト!」
焦る赤木リツコの声がうわずる。
「アスカ、レイ。やめなさい。これは必要なことなのよ」
『なに勝手なこと言ってんのよ。シンジを殺す気ぃ!?』
「そのままでも助からないのよ!」
『そんなの、まだ分かんないじゃない!』
「レイ!」
『わたしも。碇くんを待ちます』
言葉はおとなしいが、手に持つライフルが重爆撃機に照準を合わせられているのでは、その背命は明らかである。
「碇」
司令塔で冬月コウゾウが苦り切った表情を向けた。
「レイ。やめろ」
碇ゲンドウの声が低く飛ぶ。
『碇くんは必要です』
反抗する風でもなく淡々としているが、碇ゲンドウの命令にも考えを変える様子はなかった。
赤木リツコが瞠目する。
碇ゲンドウは表情を変えなかった。落ち着いた物腰と口元を隠す姿勢に動きはない。
シナリオ通りだ、というわけでもないのであろうが。
「赤木くん、時間は?」
「そろそろ限界です」
「そうか。……零号機、弐号機のシンクロを全面カットしろ」
「カットですか?」
「子どもの駄々につきあっている暇はない」
「了解。シンクロ、カットします」
『ちょっと、なにを!』
「零号機、弐号機、ATフィールド、消失しました」
「作戦開始して」
「了解。爆雷投下されます」
最初の爆撃機から投下された爆雷が、音もなく黒の円面に吸い込まれる。
激しい爆発の光がディラックの海を割った。