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第32話「不器用」

 パチリ。

「……これで詰みだな」

 駒音が高く響いたとき、執務室奥の立体映像会議室へと続くドアが開いた。

 濃い色の眼鏡は出てきた男の表情を隠しているが、疲労の色までは隠せない。

 浅く執務机の椅子に腰掛け、机上に組んだ手に口元を埋めたまま沈黙する。

 常と変わらぬ姿勢だが、憮然としているのだろう。

 冬月コウゾウはその姿に軽く嗤いながら声を掛けた。

「予定外の使徒侵入。この事実を知った人類補完委員会からの突き上げか?」

 返事はない。

「帰国以来、休む暇もないな。くだらん連中につきあってる時間も惜しいというのに。考えてみれば、南極行きが唯一の息抜きだったな」

「全ての計画は順調だ。問題ない」

 とつ、と碇ゲンドウは呟くように断じた。

「アダムの還元も予定通り進んでいる」

「キール議長がな、直接俺のところに探りを入れてきたぞ」

 ほう、と初めて碇ゲンドウが反応を見せた。

「人類補完計画の中間報告。南極行きを理由に答申を止めただろう?」

「切り札たるものは全て我々が握っている。彼らには何もできんよ」

「とはいってもな、今ゼーレが乗り出すと面倒だぞ」

 ふっと冷酷な笑みを浮かべる碇ゲンドウ。

「リリスの成長も進んでいる。我々の予想より2パーセントも遅れていない」

「ではロンギヌスの槍は?」

 使わないつもりか、と問うた。

「いや。……レイに作業させる」

「レイくんにか?」

 冬月コウゾウは碇ゲンドウの苛立ちの根幹を見た気がした。

「そうだ。技術部を使うわけにもいくまい?」

「シンジくんのことを気にしてるのかね?」

 再び沈黙。

「レイくんとの同居は俺のシナリオにはなかったがな」

「レイは本部に呼び戻す」

「シンジくんが……いや、レイくん自身が納得するかね?」

「レイは補完計画のためにいる」

「このままでは傷つけ合うだけ、というわけか。しかし、無理をしても同じだぞ」

「問題ない」

 そのための補完計画だ、と。

 しかし、碇ゲンドウにも躊躇があるようであった。

「もうすぐ、あれの命日だ」

「ああ……」

 ユイくんが初号機に取り込まれた……いや、望んで同化した日か。

「シンジも連れていく」

 その言葉にやや冬月コウゾウは呆れた。

 ……それが解決になるのかね?

 無粋な冬月コウゾウにしても、この親は不器用すぎると思えた。



 第88回機体連動試験。被験者、惣流・アスカ・ラングレー。

「伸びないわね」

 赤木リツコが眉間をしかめる。

「誤差の範囲内ですけど、ほんの僅か下降傾向もあるように思えますね」

 伊吹マヤもいぶかしげ。

 惣流アスカのシンクロ率が、予想より良くない。

「システムのバージョンアップに伴う上昇期待値もまるで反映されていないわね」

「MAGIの試算だと2パーセントは伸びるはずなんですけど」

「シンジくんはともかく。レイも予想値は伸びているのに」

「やはりパイロットの心理面の問題でしょうか?」

「としか考えられないわね」

 ちらりと隣に立つ葛城ミサトを睨む。

「な、なによぅ」

「パイロットの心理ケア、誰の担当なの?」

「そうはいってもね」

 苦い顔だ。

「アスカが出てっちゃった理由、あたしにもわかんないのよ」

 理由が分からなくては、言葉で触れることは出来ない。

「惚れた腫れたってんなら簡単なんだけどねえ」

「違うの?」

「いや、だからわかんなくてさ」

 惣流アスカが突然、マンションを出ると言い張った日。

 最初は葛城ミサトも軽く考えた。

 碇シンジとケンカでもしたか、あるいは綾波レイとのつまらない若い恋のトラブルか。

 だが、碇シンジを問いつめても何も語らず。

 綾波レイは無表情に、知りませんの一言。

 そして肝心の惣流アスカも。

「ミサトには関係ないわよ」

「関係ないったって、あんた」

「ミサトの家が気に入らないわけじゃない。ファーストとケンカしたとか、シンジの取り合いしてるだとか、邪推すんのはやめてよ?」

「いや、そんなこと言ってないけどね」

「そんな顔、してるじゃん」

「ね、あたしでよかったら相談に乗るわよ」

「いいの!」

「あたしじゃ頼りない? 加持に連絡、とろうか?」

「そういうんじゃないって。あたしのことだから。一人になってみたかっただけだから」

「ひとりじゃ、不便でしょ?」

「何言ってんのよ。ネルフの食堂はただなんだしさ。お風呂もあるし。だいたいあたしはドイツでずっと宿舎にいたのよ?」

「んー。シンちゃんの手料理、食べられないじゃない?」

「あいつは弁当、作ってくれてるからいいの」

「あら。そうなの? ケンカしてるわけじゃないのね?」

「だから、違うっていってんじゃん。それとも、なに、あたしの扶養手当が目当て?」

「アスカ!」

「分かってるわよ。でも、ほっといて」

 結局、とりつくしまがなかった。

 時期的に霧島マナが関係しているのだろうとも疑っていたが、彼女の問題は葛城ミサトにも少々まずいところがある。

 ……加持がなんかやったみたいだしね。

 赤木リツコにおいそれとは言えない。

 それに、だとしても惣流アスカの態度を説明できるものでもなかった。

「まあ、いいわ」

 赤木リツコは嘆息して、テストの終了を告げた。

「これからはスケジュールも混んでくるし。本部でいてもらうほうが都合はいいけれど」

「先輩?」

 伊吹マヤが浮かない顔。

 それをちらと目で制する。

「アスカのこともだけど。それより、ミサト。シンジくんのこと」

「シンちゃん? シンクロ率が悪い話?」

「それはいいわ」

 初号機の問題は、技術を越えている。

「シンジくんのお母さんのこと、知ってる?」

「碇ユイ博士? 話は、ね」

「司令は毎年、お墓参りに行ってらっしゃるの」

「へえ」

 あの冷血の言葉が似合うオヤジが、ねえ。

「シンジくんも毎年一緒だったそうだけど、3年前から行ってないのよ」

「ああ、それは見たわ」

 碇シンジの調査レポート。

 実際に一緒に暮らす碇シンジをみた印象とはかなりズレがあるようだったが、少年の心のうちはともかく、行動記録に嘘はあるまい。

 3年前の命日、父親との諍い。その後、第三使徒襲来前に呼び出されるまで音信無し。

 反抗期、というのは早すぎる。

 物心がついて、自分の境遇に疑問を持ったが故の反発だったろう。

「でも今はまあ司令のもとにいるんだから。碇司令は連れていきたがってらっしゃるわ」

「それが?」

「シンジくんに話しておいてちょうだい」

「ああん?」

 家族の問題だろう、それは。

 碇ゲンドウが自分で言うべき事だ。

 それを。

 しかも、なぜ赤木リツコを経由して押しつけられるのか。

「あたしが、なの?」

「ええ、そうよ。お願いね」

 話は終わったとばかりに、さ、今日は帰りましょう、とスタッフに指示する赤木リツコの背中に、葛城ミサトはさらに頭を抱え込む羽目になった。

 国連直属、特務機関ネルフ。

 しかしそのメンバーは誰もがどこか歪んだ心の持ち主らしかった。

 まあ、自分も。ひとのことは言えないけどね……。

 もっとも。

 そのいびつさの故にこそ、使徒ととも戦えるのかも知れない。



 ネルフ本部地下6000メートル。

 コキュートス層の果て、セントラルドグマ最下層。

 固く閉ざされたヘブンズドアの奥、現在の南極に酷似した赤紫のLCLの海と塩の柱に囲まれて、それはあった。

 巨大な十字架に杭で両手をつなぎ止められた蒼い腐肉の巨人。

 使徒がひとつ殲滅されるたびに、不気味に細胞を増殖させる。

 七ツ目玉の仮面に隠された貌。

 下半身の完成しないかたちがぶくぶくと脈動している。

 リリス、と呼ばれるもの。

 零号機に座した綾波レイは、無表情に見上げた。

 右手に巨大な槍。切っ先が二股に分かれたロンギヌスの名を冠するもの。全生命の遺伝子が実体化したもの。

 言葉無しにふりかぶる。

 狙いは違わない(たがわない)。切っ先は一瞬、アンチATフィールドの輝きを見せて音もなく巨人の胸に吸い込まれるように突き刺さる。

 巨人の下半身の脈動が静止する。

「……碇くん」

 槍から手をはなした綾波レイは、ぽつと漏らした。



「はぁ? デート?」

 惣流アスカは屋上ですっとんきょうな声をあげた。

 最近の慣例になっている洞木ヒカリとの昼食。碇シンジ手製弁当を食べる手がとまる。

「前から頼まれてたんだけど。コダマお姉ちゃんに……」

 洞木ヒカリの高校生の姉。その同級生から惣流アスカへのデートの誘い。

「碇くんのことを好きだと思ってたからだめって言ってたの。でも、アスカ、違うっていうから」

 惣流アスカの言葉は自分ではよく理解できなかったので姉に相談してみたところ、それならと強引に押し切られた。

「ね、だめ? かっこいい人だから」

 はあああ、と溜息の惣流アスカ。

 ……こんな歴史は変わってないわけね。

 顔も名前も覚えていない。美形だったような気はするが、ともかくつまらない相手だった。

 ふつうの中学生なら舞い上がるかもしれない相手だろうが。

 あいにく惣流アスカは、どんな意味でもふつうではない。

「……断ってくんない?」

 疲れたように言葉をこぼす。

 困ったように洞木ヒカリ。

「そう。……やっぱりアスカ、碇くんのこと、好きなのよね」

「だ、誰が!」

 碇シンジが好きだとかどうとかいう問題ではない。

 『以前』のように微かな期待すらないデートでは、純粋に鬱陶しいだけである。

「だって、お弁当、受け取るときのアスカって照れてるみたいだし」

 あう、と詰まった。

 ……そんな風に見えてるわけ?

 照れ、はない。

 ただ、一人で暮らしても、なかなか自分のことも、碇シンジのことも見えてこない。

 ぶっきらぼうに弁当を受け取るのは、その苛立ちゆえの意固地に過ぎない。

 もっとも、惣流アスカ自身、自分をそう分析できていたわけでもないが。

「わかったわよ」

 つい勢いで同意してしまった。

「デート、行けばいいんでしょ?」

 ……まあ。『以前』のあたしとは違うんだし。

 別の視線で見たら、もしかしたらかっこいい奴かもしんないし……。

 期待はもてそうになかったけれども、楽観で誤魔化すしかなかった。

「ほんと? 助かった!」

「はぁ」

 お節介というより、本当に困っていたらしい。

「あたしのことよりさ。ヒカリはどうなのよ?」

「え? あたし?」

「好きなんでしょ?」

「ま、まさか。そりゃ碇くんはかっこいいと思うけど」

「なに誤魔化してんのよ?」

「う」

「ジャージも誘う?」

「だ、だめよ、そんなの」

 赤くなってそっぽを向いてしまった。

 ……まあ、どいつもこいつも世話が焼けるわ。

 自分のことは棚に上げる惣流アスカであった。

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