第29話「デート」
「初号機のパイロットはいるか?」
『うん、父さん』
「話は聞いた。よくやったな、シンジ」
『……うん。ありがとう』
「……では葛城三佐。あとの処理も任せる」
『はい』
通信を切る。冬月コウゾウの複雑な顔。
「碇。いいのか? 報告の初号機は異常だぞ」
単機、使徒を殲滅。絶対のATフィールドは、使徒が地上に触れることすら許さなかった。
「使徒殲滅が最優先だ」
「といってもな。まさか覚醒しているわけもあるまい?」
「シンジが不審か?」
「お前とユイくんの息子だからな。ただの子どもとも思わんがね」
「シンジがなにを考えているにせよ」
碇ゲンドウは窓外を見やる。暗い海が風にちぎれている。
「もはや時を戻すことはできん」
ロンギヌスの槍を運ぶ艦隊は南極死海を抜け、黙として日本を目指していた。
箱根山山上の公園に碇シンジと霧島マナの姿があった。
寄り添うように並ぶ。夕陽が二人の影を絡めて長く伸ばしている。
「今日はとっても楽しかった」
「よかった。マナに喜んでもらえて」
はにかんだように笑う少年を見上げて、少し躊躇う。
「どうしたの?」
「あのね」
目をそらせて夕陽に向き合いながら、霧島マナは言葉を続けた。
「このあいだシンジくんの戦う姿を見て。すごく怖かった。現実じゃないみたいだった」
「そう」
「使徒とか、エヴァとか。あたしが想像してたのとはまるで違ってたの」
「マナは……どう思ってたの?」
「兵器だって。戦車とかミサイルとかロボットとか。そんな感じの新兵器だって」
「違った?」
こくりとうなづく。
「加持さんが言ってたの。人間に立ち入る余地はないんだ、って」
「うん」
「ねえ、シンジくんはなんで、あんなことしてるの?」
「使徒と戦うのかってこと? エヴァに乗るのかってこと?」
「……どっちも」
「好きでしてるわけじゃないよ」
「それは……わかると思う。だってシンジくん、やさしいもん」
「やさしいってわけじゃないけど」
照れている、様子はない。
「ぼくはぼくに出来ることをやってる。エヴァに乗れるのはぼくだから。でもマナは。マナがするのは戦うことじゃないと思うよ?」
「え?」
「マナの友達もね」
「あたしの……友達?」
「いるんでしょ?」
「う、うん」
少女の大きな瞳が不審そうに揺らいだ。
「戦争とか、使徒と戦うとか、そんなことよりもっと楽しいこと、したいでしょ?」
少年の言葉に思わずうつむく。
「デート……」
「うん?」
「あたしね、デート、はじめてだった。ずっとしてみたかったの。今日、シンジくんに誘ってもらえてすごく嬉しかった」
「ああ」
納得したような表情の碇シンジ。
「また、誘ってくれる?」
だが少年はそれには答えなかった。
「ぼくはさ、エヴァに乗ってるから」
「忙しい? あたし、迷惑?」
「そういうんじゃなくて、さ。マナにはもっと近い人がいると思う」
「どういうこと?」
「ぼくは、綾波やアスカを捨てられないもの」
「あたしより綾波さんやアスカさんのほうが好きってこと?」
「ちがうよ」
慌てるように答えが返ってきた。
「そう言う意味じゃなくて。ぼくはマナのことが好きだったから」
突然の告白に驚いた。
が、なぜ過去形なのだろう? と霧島マナは混乱した。
「マナのことも。守って上げたいんだ」
意味がつかめず、問い返そうとしたとき。
轟音に空気が震えた。
「なに!?」
「あそこだ」
麓に火の手が上がっている。
そしてその上を戦略自衛隊の攻撃ヘリが散開していた。
森影から、夕陽を反射してキラリと無骨な機械兵器の一部が見えた。
「あれは……」
「戦自のロボットだよね」
碇シンジは驚いた風もなく、そう呟いた。
「ムサシくんたちだよ、きっと」
霧島マナは、蒼白になって少年を見つめた。
「シンジくん……」
……知っているの!?
警報がネルフ本部内を駆け巡った。
「使徒なの!?」
発令所に駆け込んできた葛城ミサトに、日向マコトが首をふる。
「使徒ではありません。戦略自衛隊が駒ヶ岳絶対防衛線近郊で作戦展開中です」
「戦自?」
「高速で移動する物体、2。第3新東京市に南東部より侵入しました」
「どういうことよ。戦自に問い合わせて!」
葛城ミサトの形相が苛立ちに歪んでいる。
司令、副司令ともが不在で、本部作戦行動の最高責任者を任された彼女を、普段の数倍のデスクワークが襲っている。
天才肌の指揮官だけに、地道で面倒な書類作成は苦手だ。
おかげでほとんど家にも帰れない日が続いていた。
……その上に、戦自ですって? いいかげんにしてよね!
「戦略自衛隊総監部より入電です。第3新東京市への航空部隊通過許可を求めてきています」
「通過ぁ?」
「映像、出ます!」
メインスクリーンに、問題の未確認物体が捉えられた。
「ヒト型ロボット?」
葛城ミサトも思い当たるものがあった。
戦略自衛隊で開発されているという決戦兵器。その形や仕様までは知らないが、多分これがそうなのだろう。
「なにが通過よ。ミサイル撃ってんじゃない!」
兵装ビルはさすがに無傷だが、一般の企業ビルが爆砕され燃えている。
ヒト型ロボットを中心に、戦略自衛隊の部隊が展開していた。
「ネルフに侵攻してきたの?」
「いえ。あのロボットを攻撃しているようですね」
「はぁ? どういうことよ……」
「戦略自衛隊から重ねて通過許可が……」
葛城ミサトはぶち切れた。
「越権行為よ。第3新東京市からすぐに撤退するように伝えなさい。さもなくば、不法侵攻として攻撃します!」
「あ、はい、了解」
ネルフ本部、ジオフロント、そして第3新東京市は日本国内とはいえ、ネルフが事実上の治外法権を持つ。
日本の自衛隊はもちろん、国連軍といえども本部の許可無く侵入はできないはずである。
下手なことをすれば政治問題に発展する。
……そんなことくらい分かっているはずなのに。
それをおして許可前に部隊展開をしてきたということは、よほど焦っているのだろう。
「こりゃあ、なにかあるわね?」
「戦略自衛隊、撤退していきます」
「ロボットは?」
「1体をロスト。芦ノ湖に潜ったようです。もう1体は東部方面へ離脱」
うーんと腕を組む葛城ミサト。
「反乱、ですかね?」
日向マコトが推測を述べた。
「ありうる話ね」
はた、と思い浮かぶ。
「シンジくんの居場所は? あの子、今日はデートだって芦ノ湖のほうに行ったのよ」
「サードチルドレンは市内に戻っているようです」
「無事なのね?」
公私混同かと思われたが、司令も副司令も居ないんだからまあいいでしょ、と碇シンジの携帯電話に通信をつながせた。
「シンジくん?」
『あ、はい、ミサトさん?』
デート帰りにしてはやや元気のない声に思われた。
「いまどこ? デートは終わったの?」
『ええ。なんか軍隊が動いてて。それで慌てて帰ってきたんです』
「ケガはなかった? 霧島さんは?」
『駅で別れました。ええ、無事ですよ』
「そ。今日も帰れないと思うから。レイとアスカだけ晩御飯、お願いね?」
『はい』
通信が切れた後、伊吹マヤ。
「シンジくんも気の毒ですね。せっかくのデートだったのに」
「霧島さんって、こないだ加持さんが連れてた可愛い子だろ?」
「あ。そうですね。シンジくん、レイちゃんが居るのに浮気するから罰が当たったのかな」
「マヤちゃんはデートしないのかい?」
「あ、お忙しそうですから。今日も研究室で……」
「誰とデートするつもりだ?」
「あっ」
なにやら間抜けな会話がオペレータの間でくり広げられているが、問題が使徒でないならネルフ本部発令所も特に用はない。
警察か自衛隊の管轄であろう。
ただ、葛城ミサトだけはどこか苦い思いをかみしめながら、ロストした未確認物体……ヒト型ロボットの解析データを見つめていた。
先日来、頻出する戦略自衛隊という言葉が、とても気にくわなかった。
惣流アスカもまた不機嫌だった。
十番目の使徒殲滅以来、もやもやとしたものが胸の奥に巣くっている。
……初号機のATフィールド。
あれほど凄まじい発現は、自分の記憶にはない。
……どういうことよ。
と問い質したかったが。
うまく言葉に出来ない。いや、なにを聞きたいのかさえ、自分でもよく分からない。
そっと綾波レイに尋ねてもみたが、彼女も首をふるばかりだった。
碇シンジの態度はなにも変わらない。
いつものように食事の支度をし、朝には自分たちを起こしに来る。
……だけど。
変わりが無さ過ぎる。
霧島マナとのデートから帰ってきた日もそうだった。
浮かれているわけでもなく、いつものように食事の支度をし、綾波レイの微かな笑みににこにこし、惣流アスカの厭味な言葉に苦笑する。
そのまるで変わりのない日常が。
……なんか、逆に張りつめてるような気がすんのよね。
いや、自分も。
そして綾波レイも。
三人ともが、必死で日常を繰り返していこうとしているような感じがあった。
……ミサトも帰ってこないしね。
多忙なのだろう、滅多に帰宅せず、また帰宅しても子どもたちとは時間が合わない。
いつもにやけて笑い飛ばす葛城ミサトがいれば。
もう少し落ち着けていたかも知れない。
……霧島マナのことも気になるし。
「ねえ、シンジ」
「なに?」
「あんた、この間、戦自のロボット、見たんでしょ?」
「うん、見たよ」
「かたっぽは芦ノ湖に沈んだままだって言うけどさ。もう1体が見つかったの、知ってる?」
「あ、そうなの?」
「なんとかって滝にぶち当たって壊れてたって。パイロット、収容されたわよ。あたしたちと同い年の男の子だってさ」
昨日、本部で確かめていた。
「そうか……」
「見に行ってみる?」
「パイロットを?」
「そうよ。もしかしたら霧島マナも来てるかも知んないわよ? デート以来、逢ってないんでしょ? あいつ学校、休んでるし」
なんでマナが来るのさ? と唇を尖らせる碇シンジを予想していたが。
「そうだね」
と答えられてつまってしまった。
……こいつ、なに考えてんのよ?
「レイ、あんたも行くのよ!」
それで少年のために用意していた言葉を、朝食を終え食器を重ねている少女に向けた。
綾波レイは沈黙をもって同意に代えた。
「ここよ」
戦略自衛隊病院。
一般市民にも開放されている救急病院ではあるが、その名の通り、戦略自衛隊が経営母体であり、どこか機密の臭いもする。
この集中治療室にロボットのパイロットが入院しているはずだ。
「ほら。いくわよ」
碇シンジと綾波レイは、院内の廊下をやや急ぎ足で進む惣流アスカに従った。
浅利ケイタ。
集中治療室のドアプレートにはそうあった。ロックされている。
「上から覗けるはずよ」
手術室も兼ねているのだろう。横の階段から治療室の見学スペースへと昇ることができた。
天窓のように開かれたガラス越しに、寝台に横たわる少年の姿を見下ろせた。
酸素マスクに隠されて、顔はよく見えない。
だが、戦略自衛隊決戦兵器のパイロット、と呼ぶには脆弱に過ぎる雰囲気がある。短く刈られた髪の下で八の字になった眉が、苦しげにしかめられている。
その横で看護婦が一人、計器をいじっていた。
「開発中のロボットの暴走だってさ」
戦略自衛隊からネルフにはそう連絡が来ている。
……逃げてきたのよね、本当は。
惣流アスカは『以前』の記憶から知っている。
訓練に耐えきれなくなった少年2人。
親しかった霧島マナがスパイとして第2新東京に送り込まれ、訓練キャンプから姿を消したためもあったのか、訓練中に乗っていたロボットを駆って脱走した。
「かわいそうだよね」
碇シンジは窓越しに見下ろしたまま、そう呟いた。
「シンジ……くん」
後ろから声がかかる。
「マナ」
「ふん、やっぱり来たわね」
惣流アスカが睨み付けた。手に花束を持っているところを見ると見舞いであろう。
「あんたの友達でしょ? あいつ」
「……そうよ」
「ほら、シンジ。これでわかったでしょ。こいつがスパイだって……」
ドカッ!
ガラス越しに鈍い音が響いてきた。
「ケイタ!」
集中治療室に黒服の男たちが乱入してきていた。
呆然と立ちつくしている看護婦に黒い銃器がつきつけられた。
看護婦の動きを奪いながら、寝台の少年を数人が持ち上げる。
「誘拐?」
慌てて階下に向かおうとする霧島マナの腕を、碇シンジがつかんだ。
「シンジくん」
「大丈夫だよ、マナ」
「ケイタが!」
「あの人たちは戦自じゃない。加持さんの部下だよ」
「加持さんってどういうことなの、シンジ!」
詰め寄る惣流アスカに目で示す。
見学スペースの廊下に加持リョウジの姿があった。
「よっ、シンジくん」
「すみませんでした、加持さん」
「いや。葛城のこともあるからな。それより」
「ぼくは本部に戻ります。マナをお願いします」
「わかった。いいんだな」
碇シンジは頷くと、立ちすくんでいる霧島マナに向きあった。
「シンジくん……」
「ムサシくんには連絡が取れたの?」
「……知ってたのね?」
「加持さんと一緒に行って。悪いようにはしないから」
「あたしは。騙していたんじゃないの。ほんとうにシンジくんを」
「いいんだ」
押しとどめて笑った。
「デート、楽しかった。ぼくも。ありがとう」
「シンジくん」
「待ちなさいよ、シンジ」
惣流アスカは立ちふさがろうとしたが、加持リョウジに留められ、少年の後ろ姿を見送ることになってしまった。
「加持さん」
「待てよ、アスカ。これからやることが残ってる」
霧島マナに真剣な目を向ける。
「ムサシくんを助けたいだろ? 俺と一緒に来てくれ」
「でも」
「シンジくんが言ってたろ? 悪いようにはしない。ちょっと怖い目にはあってもらわなくちゃならんが、大丈夫だ」
「なにをすればいいんですか?」
「俺を信用してくれ」
「加持さんってば!」
「アスカも一緒においで。説明するよ」
『うん、父さん』
「話は聞いた。よくやったな、シンジ」
『……うん。ありがとう』
「……では葛城三佐。あとの処理も任せる」
『はい』
通信を切る。冬月コウゾウの複雑な顔。
「碇。いいのか? 報告の初号機は異常だぞ」
単機、使徒を殲滅。絶対のATフィールドは、使徒が地上に触れることすら許さなかった。
「使徒殲滅が最優先だ」
「といってもな。まさか覚醒しているわけもあるまい?」
「シンジが不審か?」
「お前とユイくんの息子だからな。ただの子どもとも思わんがね」
「シンジがなにを考えているにせよ」
碇ゲンドウは窓外を見やる。暗い海が風にちぎれている。
「もはや時を戻すことはできん」
ロンギヌスの槍を運ぶ艦隊は南極死海を抜け、黙として日本を目指していた。
箱根山山上の公園に碇シンジと霧島マナの姿があった。
寄り添うように並ぶ。夕陽が二人の影を絡めて長く伸ばしている。
「今日はとっても楽しかった」
「よかった。マナに喜んでもらえて」
はにかんだように笑う少年を見上げて、少し躊躇う。
「どうしたの?」
「あのね」
目をそらせて夕陽に向き合いながら、霧島マナは言葉を続けた。
「このあいだシンジくんの戦う姿を見て。すごく怖かった。現実じゃないみたいだった」
「そう」
「使徒とか、エヴァとか。あたしが想像してたのとはまるで違ってたの」
「マナは……どう思ってたの?」
「兵器だって。戦車とかミサイルとかロボットとか。そんな感じの新兵器だって」
「違った?」
こくりとうなづく。
「加持さんが言ってたの。人間に立ち入る余地はないんだ、って」
「うん」
「ねえ、シンジくんはなんで、あんなことしてるの?」
「使徒と戦うのかってこと? エヴァに乗るのかってこと?」
「……どっちも」
「好きでしてるわけじゃないよ」
「それは……わかると思う。だってシンジくん、やさしいもん」
「やさしいってわけじゃないけど」
照れている、様子はない。
「ぼくはぼくに出来ることをやってる。エヴァに乗れるのはぼくだから。でもマナは。マナがするのは戦うことじゃないと思うよ?」
「え?」
「マナの友達もね」
「あたしの……友達?」
「いるんでしょ?」
「う、うん」
少女の大きな瞳が不審そうに揺らいだ。
「戦争とか、使徒と戦うとか、そんなことよりもっと楽しいこと、したいでしょ?」
少年の言葉に思わずうつむく。
「デート……」
「うん?」
「あたしね、デート、はじめてだった。ずっとしてみたかったの。今日、シンジくんに誘ってもらえてすごく嬉しかった」
「ああ」
納得したような表情の碇シンジ。
「また、誘ってくれる?」
だが少年はそれには答えなかった。
「ぼくはさ、エヴァに乗ってるから」
「忙しい? あたし、迷惑?」
「そういうんじゃなくて、さ。マナにはもっと近い人がいると思う」
「どういうこと?」
「ぼくは、綾波やアスカを捨てられないもの」
「あたしより綾波さんやアスカさんのほうが好きってこと?」
「ちがうよ」
慌てるように答えが返ってきた。
「そう言う意味じゃなくて。ぼくはマナのことが好きだったから」
突然の告白に驚いた。
が、なぜ過去形なのだろう? と霧島マナは混乱した。
「マナのことも。守って上げたいんだ」
意味がつかめず、問い返そうとしたとき。
轟音に空気が震えた。
「なに!?」
「あそこだ」
麓に火の手が上がっている。
そしてその上を戦略自衛隊の攻撃ヘリが散開していた。
森影から、夕陽を反射してキラリと無骨な機械兵器の一部が見えた。
「あれは……」
「戦自のロボットだよね」
碇シンジは驚いた風もなく、そう呟いた。
「ムサシくんたちだよ、きっと」
霧島マナは、蒼白になって少年を見つめた。
「シンジくん……」
……知っているの!?
警報がネルフ本部内を駆け巡った。
「使徒なの!?」
発令所に駆け込んできた葛城ミサトに、日向マコトが首をふる。
「使徒ではありません。戦略自衛隊が駒ヶ岳絶対防衛線近郊で作戦展開中です」
「戦自?」
「高速で移動する物体、2。第3新東京市に南東部より侵入しました」
「どういうことよ。戦自に問い合わせて!」
葛城ミサトの形相が苛立ちに歪んでいる。
司令、副司令ともが不在で、本部作戦行動の最高責任者を任された彼女を、普段の数倍のデスクワークが襲っている。
天才肌の指揮官だけに、地道で面倒な書類作成は苦手だ。
おかげでほとんど家にも帰れない日が続いていた。
……その上に、戦自ですって? いいかげんにしてよね!
「戦略自衛隊総監部より入電です。第3新東京市への航空部隊通過許可を求めてきています」
「通過ぁ?」
「映像、出ます!」
メインスクリーンに、問題の未確認物体が捉えられた。
「ヒト型ロボット?」
葛城ミサトも思い当たるものがあった。
戦略自衛隊で開発されているという決戦兵器。その形や仕様までは知らないが、多分これがそうなのだろう。
「なにが通過よ。ミサイル撃ってんじゃない!」
兵装ビルはさすがに無傷だが、一般の企業ビルが爆砕され燃えている。
ヒト型ロボットを中心に、戦略自衛隊の部隊が展開していた。
「ネルフに侵攻してきたの?」
「いえ。あのロボットを攻撃しているようですね」
「はぁ? どういうことよ……」
「戦略自衛隊から重ねて通過許可が……」
葛城ミサトはぶち切れた。
「越権行為よ。第3新東京市からすぐに撤退するように伝えなさい。さもなくば、不法侵攻として攻撃します!」
「あ、はい、了解」
ネルフ本部、ジオフロント、そして第3新東京市は日本国内とはいえ、ネルフが事実上の治外法権を持つ。
日本の自衛隊はもちろん、国連軍といえども本部の許可無く侵入はできないはずである。
下手なことをすれば政治問題に発展する。
……そんなことくらい分かっているはずなのに。
それをおして許可前に部隊展開をしてきたということは、よほど焦っているのだろう。
「こりゃあ、なにかあるわね?」
「戦略自衛隊、撤退していきます」
「ロボットは?」
「1体をロスト。芦ノ湖に潜ったようです。もう1体は東部方面へ離脱」
うーんと腕を組む葛城ミサト。
「反乱、ですかね?」
日向マコトが推測を述べた。
「ありうる話ね」
はた、と思い浮かぶ。
「シンジくんの居場所は? あの子、今日はデートだって芦ノ湖のほうに行ったのよ」
「サードチルドレンは市内に戻っているようです」
「無事なのね?」
公私混同かと思われたが、司令も副司令も居ないんだからまあいいでしょ、と碇シンジの携帯電話に通信をつながせた。
「シンジくん?」
『あ、はい、ミサトさん?』
デート帰りにしてはやや元気のない声に思われた。
「いまどこ? デートは終わったの?」
『ええ。なんか軍隊が動いてて。それで慌てて帰ってきたんです』
「ケガはなかった? 霧島さんは?」
『駅で別れました。ええ、無事ですよ』
「そ。今日も帰れないと思うから。レイとアスカだけ晩御飯、お願いね?」
『はい』
通信が切れた後、伊吹マヤ。
「シンジくんも気の毒ですね。せっかくのデートだったのに」
「霧島さんって、こないだ加持さんが連れてた可愛い子だろ?」
「あ。そうですね。シンジくん、レイちゃんが居るのに浮気するから罰が当たったのかな」
「マヤちゃんはデートしないのかい?」
「あ、お忙しそうですから。今日も研究室で……」
「誰とデートするつもりだ?」
「あっ」
なにやら間抜けな会話がオペレータの間でくり広げられているが、問題が使徒でないならネルフ本部発令所も特に用はない。
警察か自衛隊の管轄であろう。
ただ、葛城ミサトだけはどこか苦い思いをかみしめながら、ロストした未確認物体……ヒト型ロボットの解析データを見つめていた。
先日来、頻出する戦略自衛隊という言葉が、とても気にくわなかった。
惣流アスカもまた不機嫌だった。
十番目の使徒殲滅以来、もやもやとしたものが胸の奥に巣くっている。
……初号機のATフィールド。
あれほど凄まじい発現は、自分の記憶にはない。
……どういうことよ。
と問い質したかったが。
うまく言葉に出来ない。いや、なにを聞きたいのかさえ、自分でもよく分からない。
そっと綾波レイに尋ねてもみたが、彼女も首をふるばかりだった。
碇シンジの態度はなにも変わらない。
いつものように食事の支度をし、朝には自分たちを起こしに来る。
……だけど。
変わりが無さ過ぎる。
霧島マナとのデートから帰ってきた日もそうだった。
浮かれているわけでもなく、いつものように食事の支度をし、綾波レイの微かな笑みににこにこし、惣流アスカの厭味な言葉に苦笑する。
そのまるで変わりのない日常が。
……なんか、逆に張りつめてるような気がすんのよね。
いや、自分も。
そして綾波レイも。
三人ともが、必死で日常を繰り返していこうとしているような感じがあった。
……ミサトも帰ってこないしね。
多忙なのだろう、滅多に帰宅せず、また帰宅しても子どもたちとは時間が合わない。
いつもにやけて笑い飛ばす葛城ミサトがいれば。
もう少し落ち着けていたかも知れない。
……霧島マナのことも気になるし。
「ねえ、シンジ」
「なに?」
「あんた、この間、戦自のロボット、見たんでしょ?」
「うん、見たよ」
「かたっぽは芦ノ湖に沈んだままだって言うけどさ。もう1体が見つかったの、知ってる?」
「あ、そうなの?」
「なんとかって滝にぶち当たって壊れてたって。パイロット、収容されたわよ。あたしたちと同い年の男の子だってさ」
昨日、本部で確かめていた。
「そうか……」
「見に行ってみる?」
「パイロットを?」
「そうよ。もしかしたら霧島マナも来てるかも知んないわよ? デート以来、逢ってないんでしょ? あいつ学校、休んでるし」
なんでマナが来るのさ? と唇を尖らせる碇シンジを予想していたが。
「そうだね」
と答えられてつまってしまった。
……こいつ、なに考えてんのよ?
「レイ、あんたも行くのよ!」
それで少年のために用意していた言葉を、朝食を終え食器を重ねている少女に向けた。
綾波レイは沈黙をもって同意に代えた。
「ここよ」
戦略自衛隊病院。
一般市民にも開放されている救急病院ではあるが、その名の通り、戦略自衛隊が経営母体であり、どこか機密の臭いもする。
この集中治療室にロボットのパイロットが入院しているはずだ。
「ほら。いくわよ」
碇シンジと綾波レイは、院内の廊下をやや急ぎ足で進む惣流アスカに従った。
浅利ケイタ。
集中治療室のドアプレートにはそうあった。ロックされている。
「上から覗けるはずよ」
手術室も兼ねているのだろう。横の階段から治療室の見学スペースへと昇ることができた。
天窓のように開かれたガラス越しに、寝台に横たわる少年の姿を見下ろせた。
酸素マスクに隠されて、顔はよく見えない。
だが、戦略自衛隊決戦兵器のパイロット、と呼ぶには脆弱に過ぎる雰囲気がある。短く刈られた髪の下で八の字になった眉が、苦しげにしかめられている。
その横で看護婦が一人、計器をいじっていた。
「開発中のロボットの暴走だってさ」
戦略自衛隊からネルフにはそう連絡が来ている。
……逃げてきたのよね、本当は。
惣流アスカは『以前』の記憶から知っている。
訓練に耐えきれなくなった少年2人。
親しかった霧島マナがスパイとして第2新東京に送り込まれ、訓練キャンプから姿を消したためもあったのか、訓練中に乗っていたロボットを駆って脱走した。
「かわいそうだよね」
碇シンジは窓越しに見下ろしたまま、そう呟いた。
「シンジ……くん」
後ろから声がかかる。
「マナ」
「ふん、やっぱり来たわね」
惣流アスカが睨み付けた。手に花束を持っているところを見ると見舞いであろう。
「あんたの友達でしょ? あいつ」
「……そうよ」
「ほら、シンジ。これでわかったでしょ。こいつがスパイだって……」
ドカッ!
ガラス越しに鈍い音が響いてきた。
「ケイタ!」
集中治療室に黒服の男たちが乱入してきていた。
呆然と立ちつくしている看護婦に黒い銃器がつきつけられた。
看護婦の動きを奪いながら、寝台の少年を数人が持ち上げる。
「誘拐?」
慌てて階下に向かおうとする霧島マナの腕を、碇シンジがつかんだ。
「シンジくん」
「大丈夫だよ、マナ」
「ケイタが!」
「あの人たちは戦自じゃない。加持さんの部下だよ」
「加持さんってどういうことなの、シンジ!」
詰め寄る惣流アスカに目で示す。
見学スペースの廊下に加持リョウジの姿があった。
「よっ、シンジくん」
「すみませんでした、加持さん」
「いや。葛城のこともあるからな。それより」
「ぼくは本部に戻ります。マナをお願いします」
「わかった。いいんだな」
碇シンジは頷くと、立ちすくんでいる霧島マナに向きあった。
「シンジくん……」
「ムサシくんには連絡が取れたの?」
「……知ってたのね?」
「加持さんと一緒に行って。悪いようにはしないから」
「あたしは。騙していたんじゃないの。ほんとうにシンジくんを」
「いいんだ」
押しとどめて笑った。
「デート、楽しかった。ぼくも。ありがとう」
「シンジくん」
「待ちなさいよ、シンジ」
惣流アスカは立ちふさがろうとしたが、加持リョウジに留められ、少年の後ろ姿を見送ることになってしまった。
「加持さん」
「待てよ、アスカ。これからやることが残ってる」
霧島マナに真剣な目を向ける。
「ムサシくんを助けたいだろ? 俺と一緒に来てくれ」
「でも」
「シンジくんが言ってたろ? 悪いようにはしない。ちょっと怖い目にはあってもらわなくちゃならんが、大丈夫だ」
「なにをすればいいんですか?」
「俺を信用してくれ」
「加持さんってば!」
「アスカも一緒においで。説明するよ」