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第26話「鋼鉄の記憶」

「はじめまして、霧島マナです」

 黒板に丸いマンガ字で名前を記し微笑んだ姿に、ほぅっと教室がどよめく。

「うひょお、かわいい子やないかぁ」

 鼻息の荒い鈴原トウジに、相田ケンスケは呆れ顔。

「お前、もしかして誰でも良いのか?」

「あほ、そんなことあるかい」

 お前こそ、と手にするカメラを非難する。

「美しい被写体はちゃんと撮しておかないとな」

「そんなこと言うとるさけ、女がでけへんのじゃ」

「トウジもだろ?」

 鼻の下を伸ばす鈴原トウジをむぅと睨み付けているそばかすの少女のことは、この際、無視する。

「なにを言うとる。霧島マナは、わいのもんじゃ」

 虚しいことを叫ぶなよ、と臨界に近づく洞木ヒカリの表情に冷や汗をかきながら、頭を抱える相田ケンスケである。

 惣流アスカの転校以来、ややボケ気味で人気を落とすかと思いきや、逆にそれが可愛いなどと隠れた評価を上げた碇シンジに目を移す。

「あれ?」

 綾波レイ、惣流アスカ以外の女子にはあまり興味を示さなかったこの友人が、なぜかぼうっと霧島マナを見つめているように思えた。

「あかん、あかんぞ!」

 その指摘に思わず叫んで、邪推を爆発させる。

 碇シンジの首根っこをつかまえた。

「センセには綾波っちゅうもんがおるやろが。惣流まで毒牙にかけおって。霧島マナはわいに任せえ! この上まだ……」

「す・ず・は・ら! なに馬鹿なこと叫んでるの!」

 メルトダウンしたようだ。

「あ、いや、委員チョ、わいは人の道っちゅうもんをシンジにやな……」

「では、席は……碇くんの横が空いてますね」

 元気があってよろしいとでも思っているのか、子どもの騒ぎには頓着しない恍惚の老教師。

「碇、くん? よろしくね?」

 とことこと自己紹介の教壇から降り、ぼんやりしている少年に顔を突き出すように、にこりと微笑んだ。

「あ、うん。よろしく」

「よろしくせんでええわい」

 洞木ヒカリに頭を押さえられながらも、転校生が碇シンジに向けた微笑みに嫉妬する鈴原トウジであった。



 睨み付けているのはまた惣流アスカも同じ。

 が、鈴原トウジのように底意のないたわいない思いとは違う。

 霧島マナはただの転校生ではないのだ、と『以前』の記憶が警鐘を鳴らす。

 ……そもそもの始まりは、さ。

 記憶が甦ってくる。

 突然、第3新東京市市街を駆け巡っていった謎のヒト型ロボットだった。

 JAのような出来損ないではない。ATフィールドを持たないとはいえ、エヴァにも匹敵する装甲に守られた高機動兵器。

 他国の武力侵攻か、と思われたがそうではなかった。

 戦略自衛隊の極秘兵器の暴走。

 相応の被害をまき散らした後、2体のヒト型ロボットは姿を消した。

 それと時を同じくして転校してきたのが、霧島マナだ。

 ……あからさまに怪しかったのよね。

 転校早々、彼女は碇シンジに積極的なアプローチをかけた。

 ……あのシンジが、そんなにもてるわけないじゃん。

 碇シンジは、『以前』の碇シンジは舞い上がった。

 学校では楽しそうに霧島マナと語らい、夜は電話を繰り返し、そして。

 ……たぶん、あいつには最初で最後の……

 デート。

 服装にはあまり頓着しない碇シンジがいそいそとめかし込んで、芦ノ湖へ連れ立って出かけていった。

 ……霧島マナなんてスパイに決まってんじゃん!

 そう主張する惣流アスカには耳もかさない。

 だが。

 2体のロボットのうち一方は、強羅絶対防衛線東方、白糸の滝に激突して大破したところを搭乗していたパイロットとともに回収された。

 そのパイロットは。

 同じ14歳の少年だった。

 ……なんか秘密がありそうだったから。

 収容された戦略自衛隊病院に碇シンジとともに向かった。

 集中治療室で眠る少年を覗き見ていたところに。

 ……あの女も見舞いにやって来たんだ。

 霧島マナと収容された少年パイロット、ケイタは友人だった。

 ……問いつめたところが、白状したのよね。

 戦略自衛隊の特殊部隊少年兵。

 霧島マナもまたロボットのパイロットとして養成されていた軍人だった。

 が、完成されていないロボットは操縦性能が悪く、女の身には辛かった。戦略自衛隊は、パイロットとしては適性に欠けていた霧島マナをスパイとしてネルフに送り込んできた。

 霧島マナは悲惨な操縦席環境で苦しむ仲間たちのために必死でエヴァの情報を集めようとしていた。

 ……ところが、ってわけよね。

 耐えきれなくなった2人の少年パイロットがロボットを駆って訓練施設から脱走した。

 それが第3新東京市を荒らしたヒト型兵器の正体。

 ……霧島マナってやつと、その二人の少年パイロットは親友だったんだ。あたしとシンジたちみたいなものよね。

 だから霧島マナは逃げ出したパイロットと連絡をとり、結局、戦略自衛隊をも裏切ることになってしまった。

 ……名前はムサシっていったっけ? そいつはまだ捕まらずに、無傷のロボットに乗って芦ノ湖に身を潜めてたから。

 碇シンジは。

 裏切られたという思いと、それでも霧島マナを好きだという思いの板挟みになりながら、苦悩した。

 ……まあ、霧島マナもきっとシンジのことを好きになっちゃってたのよね。あいつ、情けない分、やさしかったからね。少年兵の仲間にはいないタイプだったんだろうな。シンジのこと、「愛してる」なんていっちゃって、あの女!

 碇シンジは、なんとかネルフの力で彼女を助けて欲しいと哀願したが。

 ……ネルフがそんなことにかまうわけ、ないじゃん。

 使徒とは無関係の問題には、ネルフは口を挟まない。

 ネルフへのスパイ行為云々も、碇ゲンドウは気にしなかった。戦略自衛隊など、頭から相手にもしていなかったのだろう。

 霧島マナは結局、戦略自衛隊に拘束され、そして。

 未だ捕まらないロボット捕獲の囮として、檻に入れられ、芦ノ湖湖岸に引き出されることになった。

 ……まあ、戦自もムチャクチャするわよね。秘密兵器が明るみになって、頭が暴走してたんでしょうけど。

 ネルフの防衛線上で派手に展開される作戦行動に、葛城ミサトが激怒した。

 碇ゲンドウは反対だったようだが、エヴァを投入し、戦略自衛隊に協力してロボットを捕獲しようとした。

 だが、囮として置かれていた霧島マナの存在がネックになった。

 ロボットは霧島マナを奪い返そうと、その檻を手に掴んで放さなかったからだ。

 碇シンジは、エヴァによる攻撃を繰り出すことが出来なかった。

 ……零号機と協力してあたしの弐号機も必死に追ったんだけど。

 ロボットをおさえきれず、離脱されてしまった。

 追いすがった碇シンジは、霧島マナだけでも助けようと説得したが。

 ……あの女は、シンジじゃなくて、結局、ムサシと一緒にいることを選んだのよね。

 あるいは

 ……好き、っていうのはシンジのほうをだったのかも知れないけどね。仲間を見捨てられなかったんだろうな。

 ついに戦略自衛隊も捕獲を諦めた。

 代わりに。N2爆雷による焼却をはかったのだ。

 ロボットと、そしてロボットのパイロットとともに。

 霧島マナは溶けた一塊の金属として、この世界から消えた。

 ……そして。

 碇シンジは、またひとつ、心を閉ざした。

「はぁ」

 思い返してみると、なんとも悲惨な思い出だった。

 霧島マナに同情するわけではないが、碇シンジの心情を思いやると苦いものがこみ上げる。

 ……あんなことになるんだったら、あんな女と親しくならなきゃいいのよ、最初っから。

 今は何も知らないであろう少年のほうをそっと伺うと。

 霧島マナはなにやらにこにこと話しかけ、碇シンジも微笑んで返している。

「ったく!」

 休憩時間を待ちわびて、綾波レイを廊下の隅に呼びだした。



「あんたも覚えてるでしょ?」

「……ええ」

「どうすんのよ?」

「……わからない」

「わからないって、あんたねえ!」

 がなり立てる惣流アスカの声を聞き流しながら。

 綾波レイは困惑していた。

 ……碇くんは知っているもの。

 だが。

 碇シンジがどうするつもりなのかは分からない。

 霧島マナを無視するのかとも思ったが、にこやかに二人で屋上に消えていった。

 それならば。

 ……わたしには何もいうことはできない。

 碇シンジがここにいるから、自分もここにいる。

 碇シンジが霧島マナを受け入れるのなら、自分も受け入れるだろう。

 惣流アスカがやって来たときのように。

「あんな女に関わったって、なんも良いことなんかありゃしないのよ」

「……そう」

「そうよ!」

 それにしても、と惣流アスカは続けた。

「霧島マナが転校してきたのって早くない?」

 第3新東京市でのロボット事件は起こっていない。

 『以前』の歴史では、その後だったはずだ。

「人の振る舞いは変わっているもの」

「振る舞いって?」

「変わらず繰り返される歴史は、使徒の出現だけ。それ以外は全てが変わるわ」

「あたしたちが影響しているってこと?」

「……ええ、そうよ」

「戦略自衛隊なんかに影響した覚えはないわよ」

「営みは全てが繋がっているわ。ひとつの揺らぎも大きく波打つから」

「あんた、相変わらず哲学的ねぇ」

 やれやれと首をふる。

「つまり使徒がやってくる日付以外は、何が起こるかわかんないってわけよね?」

「ええ」

 それなら、と碇シンジと霧島マナが歩み去った方向を睨み付ける。

「あのバカがふらふらしないように、今度こそきっちりやってやるわよ」

 綾波レイは反対するでもなく、ただ紅い瞳を微かに揺らせた。



「0番、2番、ともに汚染区域に隣接。限界です」

「1番にはまだ余裕があるわね。プラグ深度をあと0.3、下げてみて」

 赤木リツコの命令に伊吹マヤの指がコンソールを踊る。

「まだいけそうですね」

「じゃあ、もう0.2」

「はい」

 ほうと感嘆する。

「完全に安定してますね。理論値の限界までいけるんじゃないでしょうか」

「それでどうしてこんなにシンクロ率が低いのかしらね?」

 訝しげに口元に手をやる。

「ハーモニクスはアスカをも越えているのに」

「シンクロ率だけが低いんですよね……」

「その割に、実戦での機動力は高い」

「先輩。やっぱりアルゴリズムにバグがあるんでしょうか?」

「エヴァの素体はまだまだ私たちにも分からない部分は多いものね」

 諦めたように赤木リツコはマイクを手に取った。

「3人とも、お疲れさま。今日の実験は終了します。上がってきて良いわよ」

『どう? リツコ?』

「調子良いわよ、アスカ」

『あったりまえよね』

『良かったね、アスカ』

『あんた、もうちょっと頑張んなさいよ』

 珍しく棘がある。

『あんなつまんない女にへらへらしてるから、シンクロ率が上がんないのよ』

「あら、アスカ。なになに? 何の話?」

 葛城ミサトが、うん? と興味を示した。

『転校生よ! いやらしそうな女。シンジに色目、つかっちゃってさ』

「あらん、シンちゃん、レイがいながら浮気?」

『そんなんじゃないですよ』

 苦笑混じりの声。

『なによ! 絶対下心があるんに決まってんだからね!』

「どしてアスカが怒るの?」

 にやにやと葛城ミサト。いつもの冷やかしだが鋭く反発された。

『ミサトも! あんた戦自に所属してんでしょ? しっかりしなさいよ』

 どうしてこんなところで、また聞きたくもない戦略自衛隊の名が出てくるのか、と葛城ミサトは目を白黒させる。

『あがります』

 綾波レイの静かな声が聞こえてきた。

「なぁんか二人とも機嫌、悪いわねえ」

 通信を切ってひとりごちる。

「ふたりって、アスカとレイちゃんですか?」

「ええ」

「葛城さん、レイちゃんの機嫌、分かるんですか?」

「そりゃあねえ。伊達に一緒に暮らしてないわよん」

「ミサトも保護者が板に付いてきたわね」

「馬鹿にしてんの?」

「ほめてあげてるのよ」

 あんたに言われても誉められてる気はしないわ、と横目で赤木リツコを刺す。

「シンちゃんは相変わらずなんだけどねえ」

「ジゴロ、ってところかしら?」

「あんた、古いわよ」

 葛城ミサトもまた、あまり良い機嫌ではないようだった。

「明日、あんたも来る?」

「なにかしら?」

「あたしの昇進祝いだってさ。ほら、例のカメラ小僧くんがね」

「相田、くんだったかしら?」

「うれしかないんだけどね。子どもの気持ちを無碍にするわけにもいかないしね」

 赤木リツコはクスクス笑った。

「あなた、学校の先生でもしたら?」

「なによ、それ」

「似合ってるわよ」

「ふん。使徒を全て殲滅したら、考えるわよ」

 だが。

 使徒を全て殲滅できるのか、そしてもし殲滅できたとしてその先になにがあるのか。

 葛城ミサトの心はますます晴れなかった。

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