第25話「昇進」
「昇進、ですか?」
思わず問い返してしまった。
総司令執務室。表情を出さない男は相変わらずの姿勢で口元を隠し、白髪の男は背筋を伸ばして穏和な笑みを浮かべている。
「おめでとう。今日からは葛城三佐だな」
にこやかにそう言われても、とても喜べるものではない。
「どういうことでしょうか?」
ネルフ本部作戦部部長、葛城ミサト。
この肩書きこそ彼女の全てである。使徒殲滅が最優先。
大学卒業後、戦略自衛隊士官候補生として軍籍(日本の憲法上、形式的には軍人ではなく国際公務員であるが)に入ったのも、使徒を討つため。
その後、訓練課程で見せた抜群の成績と、葛城調査隊ただ一人の生還者という本人にとっては過去の忌まわしい記録も幸いして、国連直属使徒対策特務機関ネルフ行きの切符を手に入れた。
当時、最も設備の完成していたドイツネルフに招かれた時は驚喜したものだ。
ただ、純血の東洋人であること、そしてセカンドインパクトの影響覚めやらぬ社会背景もあって、ドイツ政府は彼女への給与支払いを渋った。
それ故、公式な所属や給与支給が日本戦略自衛隊になっているだけのことである。
事実上の繋がりなどもはや全くない。
一尉、という肩書きにも、対外的な意味以上のものはなかった。
そもそも、一尉という階級自体がネルフへの移管に伴って便宜的に付与された形ばかりのものなのだ。
もしも戦略自衛隊に籍を戻すことがあれば二尉に降格されることは間違いない。
つまり。
戦略自衛隊における階級が下がりこそすれ、上がるなどと言うことはありえないのである。
「納得できないかね?」
非難するでもなく、むしろ当然だろうなという調子で冬月コウゾウ。
「はい。もしよろしければ事情をお教えいただけませんか?」
「葛城くんのこれまでの使徒戦に於ける功績が高く評価されたということだよ。私たちも深く感謝しているよ」
あまりにも胡散臭い答えが返ってきた。
「しかし」
「葛城三佐」
「はい」
答えてからしまったと思う。
階級付けの呼びかけに答えたのでは、自ら昇進を認めてしまったようなものだ。だが、碇ゲンドウの呼びかけを無視する事など出来るはずがないのだから、これは選択の余地がない。
「私と冬月は、しばらく留守にする。その間に万が一使徒の襲来があった場合、エヴァンゲリオンの運用を含む全ての作戦指揮権を君に委任する」
「事実上の本部最高責任者だ。よろしく頼むよ。なあに三週間ほどだから」
「了解しました」
「以上だ」
用は済んだ、帰れ、とでも言いたげな碇ゲンドウの言葉に、最敬礼をもって退室する。
数歩進んだところで。
手近の壁に力一杯の蹴りを入れた。
「どうなってんのよ!」
「どうなってんのよ!」
煙るように鳴り響く蝉の声に寝起きの目をこすった惣流アスカは、時計の針に叫ぶ。
寝過ごしていた。
「遅刻じゃないの、もう、ばかシンジは!」
なんで起こしに来ないのよっ。
二段ベッドの上段からズシンと飛び降りる。
下では青い髪がまだ夢見心地。
「レイ! 起きなさい、朝よ、朝!」
「……むぅ」
ちっ、こいつも。
ドタバタと飛び出し、隣の部屋のドアを足で蹴り開く。
「ばかシンジ!」
狭い部屋の主は乱れた布団の中で、くふぅと微かないびき。涎が少しだらしない。
その顔にしばし躊躇う。
……こいつのこんな顔見るのも、久しぶりかな。
そういえば最近は、いつも張りつめた顔が多かったように思う。
最近? いえ、ずいぶん。
いつからだろう。
時を遡ってきてから。ずっと。
『以前』のように情けないやつ、という感慨は抱かなかった。
レイに慕われているからだろうか。
守ってあげようという少女がそばにいるからだろうか?
……むぅ、なんかむかつく。
あんたはあたしだけを見てればいいのよっ、あたしが守ってあげんだからさ……
はっと時計に気づき、感慨に浸っている場合じゃないわ、と慌てて毛布の上から肩を。
「えーい、起きなさいってば!」
すぅすぅ。
しびれを切らして足攻撃。ガシ、ガシ。
蹴るのが癖になったらしい。
「う、う〜ん」
数度の攻撃でやっとパチリと目が開く。
「よぉうやくお目覚めね、ばかシンジ」
「なんだ、アスカか」
また目が閉じる。
「なんだとはなによ! このあたしが起こしてやってるってのにぃ!」
「うん、ありがとう。だからもう少し寝かせて」
ごろんと反対側に寝返りをうつ。
「うんもぅ〜! そうじゃないでしょうが。遅刻よ、遅刻。さっさと起きなさいよ!」
力任せに、ぱっと毛布をはぎ取る。
拍子に目に入ったものに思わず、真っ赤に頬を染め。
パン! パン!
「エッチ! バカ! ヘンタイ! もう信じられない!」
「……仕方ないわ、朝だもの」
「あんた、なに分かったようなこと、言ってんのよ!」
「ほら、アスカ。ケンカしてないで、急ごう!」
手形のついた頬が間抜けだ。
「誰のせいで走ってると思ってんの」
それほど学校を重視しているわけではないが、寝坊で遅刻は格好が悪い。
碇シンジの背中を見ながらぶちぶちと愚痴る。
「朝御飯も食べらンなかったのにぃ」
「ごめんって。夕べ遅かったから、つい」
振り向かず言い訳をする少年を問いつめる。
「いったい何時に帰ってきたのよ?」
おかげで一人、外食になった。
つまらなさに先に寝てしまって、彼らの帰りを知らない。
家主、葛城ミサトはついに帰らず。本部泊まりだったのだろう。
「えっと、何時だっけ?」
「午前……2時……よ」
後ろから綾波レイ。似合わず走らされる少女は息が切れている。
「そんな時間まで二人で訓練してたっての?」
「シンクロテストだよ。途中で点検が入って延びちゃったんだ」
「あんたら、シンクロ率低っくいもんねえ」
「うん……」
……こいつのシンクロ率の低さってちょっと変ね、レイは『以前』も低かったけど。
この時期って、もうちょっとは上がってたんじゃなかったっけ?……
疑問が形になる前に、派手に尻餅をついた碇シンジを踏みつけそうになった。
「ごめんね、マジで急いでたんだ」
同じく倒れながら言い訳をする見知らぬ少女の姿が目に入る。
市立第壱中学校の制服。栗色のショートヘア、やや垂れ気味の人懐こい大きな瞳、少し生意気そうな鼻、笑顔の似合う唇を持った美少女。
見知らぬ少女? いや、『以前』の記憶が甦る。
……き、霧島、マナ!?
惣流アスカの顔色が変わる。
追いついてきた綾波レイをちらりとみやると、彼女も不審そうに見下ろしていた。
「ほんと、ごめんね」
スカートの汚れを手でぱっと払い、少女は早口で言い残して四つ角を走り去る。
「碇くん……怪我は、ない?」
「う、うん」
どこか惚けた表情で、碇シンジは少女の後ろ姿を追っていた。
「加持!」
はぁはぁと肩で息をしながら、見た目よりずいぶん太い腕を両手で捕まえる。
「あんたって、こっちが探すと全然捕まんないんだから」
「光栄だな。エレベータの続きかい?」
「馬鹿なこと言ってないで。本部に行く前に、ちょっち付き合ってよ」
「はいはい、葛城三佐殿」
「それよ!」
ネルフ本部ピラミッド型の本館南にあるサブターミナル。地上とジオフロントを繋ぐモノレールのジオフロント終着駅である。
その展望ラウンジ廊下の端まで引っ張ってきて、葛城ミサトは声をひそめた。
「なんであたしが三佐なの? あんたなら知ってんでしょ?」
「やはり気になるか」
「知ってんのね?」
かみつくなよ、と両手で抑える。
「そう大して裏のある話じゃないさ。葛城の昇進そのものはな」
「え?」
「例の停電騒ぎ、本当ならネルフ本部の大恥だからな、たとえ被害にあってもネルフのほうで事件そのものを隠さざるを得ないって踏んでたのさ、あちらさんはな」
「内調ね?」
軽く頷く。
「ところが第八使徒の襲来だ。ネルフが動かなかったものだから、航空自衛隊がもろに被害を受けた」
「空自? 戦自じゃなくて?」
「戦自は早々にネルフに指揮権を委譲してたんだ。連絡は来なかったようだがな」
「なんて無責任!」
「いや、戦自にも都合があったのさ」
「都合?」
「ああ。どっちせ戦自じゃ使徒に勝てないしな。そりゃともかく、使徒はどこからも妨害されず日本上陸だ。慌てたのが幕僚会議と政府官僚ってわけだよ」
おかしそうに嗤った。
「怪獣が上陸してきたようなもんだからな。ネルフが動かないとあれば、自衛隊が出るしかないさ、災害対策特別法ってやつだ」
「空自なんて戦力、あんの?」
「ないない。ほとんど戦自の維持にもってかれちゃってるからな。エヴァ相手にしちゃ弱っちい使徒だったけど、府中の方面隊なんて全滅だよ」
「それで大ごとになっちゃったわけね」
「内調にしてもなんの情報も取れなかったし、国連から責任追及されて政治家連中はカンカンだし、といってネルフに文句をつけるわけにもいかないからな」
「で、それとあたしと何の関係があるのよ?」
「壊滅した空自の穴は埋めなきゃならんし。こんな時の事後処理は金が動くんだよ、ふつう。ところが、その金が無いんだな、日本には」
それで、どこかのとち狂った感覚の政治家が古くさい懐柔策に出た、と続ける。
「戦自に所属していてネルフの作戦部長、葛城ミサト。お前の昇進を政府が申し出たんだ」
「へ?」
「国連軍の戦自ったって、維持費は全部日本の税金だからな。兵器の予算を出すだけの金はないけど、人件費の増額程度ならってことで、戦自の主立った将校全員の昇進分の予算執行さ。その中にお前の名前もあったってわけだ」
「じゃあ、あたしの昇進ってとばっちりみたいなものなの?」
「そういや、そうだな」
「ったく!」
だがな、と真顔になる。
「そんな笑い話だけじゃないんだ」
「どういうことなの?」
「思い知ったんだ、ネルフに頼りすぎている現状をな。陸海空自衛隊はともかく、戦自は軍隊だ。基本的に政治的には独立した体制がある。N2兵器も通じないのは使徒もエヴァも同じだ。脅威なんだよ」
「使徒とエヴァを一緒にする気?」
葛城ミサトの苛立った声にはかまわず続ける。
「戦自は対使徒、いや対エヴァ、対ネルフかな、とにかく新しい兵器を開発してる。無駄な戦闘を避けたがるのも、こっちに力を入れてるからだ。そして、これまでのタイムスケジュールがここに来てかなり加速されているようだぞ」
あるいは、とますます声を低めた。
「戦自にとっちゃあ無関係のお前の昇進まで律儀に行なったって事は、なんらかの接触を考えてるのかも知れないな」
「あたしにぃ?」
「ああ」
「冗談じゃないわよ!」
「思い過ごしかもしれんがな。ま、気をつけておいた方がいいぞ」
ネルフを売る気はないわよ、と憤る葛城ミサトに苦笑した加持リョウジだったが。
事態は彼の想像をも超えて進行していた。
思わず問い返してしまった。
総司令執務室。表情を出さない男は相変わらずの姿勢で口元を隠し、白髪の男は背筋を伸ばして穏和な笑みを浮かべている。
「おめでとう。今日からは葛城三佐だな」
にこやかにそう言われても、とても喜べるものではない。
「どういうことでしょうか?」
ネルフ本部作戦部部長、葛城ミサト。
この肩書きこそ彼女の全てである。使徒殲滅が最優先。
大学卒業後、戦略自衛隊士官候補生として軍籍(日本の憲法上、形式的には軍人ではなく国際公務員であるが)に入ったのも、使徒を討つため。
その後、訓練課程で見せた抜群の成績と、葛城調査隊ただ一人の生還者という本人にとっては過去の忌まわしい記録も幸いして、国連直属使徒対策特務機関ネルフ行きの切符を手に入れた。
当時、最も設備の完成していたドイツネルフに招かれた時は驚喜したものだ。
ただ、純血の東洋人であること、そしてセカンドインパクトの影響覚めやらぬ社会背景もあって、ドイツ政府は彼女への給与支払いを渋った。
それ故、公式な所属や給与支給が日本戦略自衛隊になっているだけのことである。
事実上の繋がりなどもはや全くない。
一尉、という肩書きにも、対外的な意味以上のものはなかった。
そもそも、一尉という階級自体がネルフへの移管に伴って便宜的に付与された形ばかりのものなのだ。
もしも戦略自衛隊に籍を戻すことがあれば二尉に降格されることは間違いない。
つまり。
戦略自衛隊における階級が下がりこそすれ、上がるなどと言うことはありえないのである。
「納得できないかね?」
非難するでもなく、むしろ当然だろうなという調子で冬月コウゾウ。
「はい。もしよろしければ事情をお教えいただけませんか?」
「葛城くんのこれまでの使徒戦に於ける功績が高く評価されたということだよ。私たちも深く感謝しているよ」
あまりにも胡散臭い答えが返ってきた。
「しかし」
「葛城三佐」
「はい」
答えてからしまったと思う。
階級付けの呼びかけに答えたのでは、自ら昇進を認めてしまったようなものだ。だが、碇ゲンドウの呼びかけを無視する事など出来るはずがないのだから、これは選択の余地がない。
「私と冬月は、しばらく留守にする。その間に万が一使徒の襲来があった場合、エヴァンゲリオンの運用を含む全ての作戦指揮権を君に委任する」
「事実上の本部最高責任者だ。よろしく頼むよ。なあに三週間ほどだから」
「了解しました」
「以上だ」
用は済んだ、帰れ、とでも言いたげな碇ゲンドウの言葉に、最敬礼をもって退室する。
数歩進んだところで。
手近の壁に力一杯の蹴りを入れた。
「どうなってんのよ!」
「どうなってんのよ!」
煙るように鳴り響く蝉の声に寝起きの目をこすった惣流アスカは、時計の針に叫ぶ。
寝過ごしていた。
「遅刻じゃないの、もう、ばかシンジは!」
なんで起こしに来ないのよっ。
二段ベッドの上段からズシンと飛び降りる。
下では青い髪がまだ夢見心地。
「レイ! 起きなさい、朝よ、朝!」
「……むぅ」
ちっ、こいつも。
ドタバタと飛び出し、隣の部屋のドアを足で蹴り開く。
「ばかシンジ!」
狭い部屋の主は乱れた布団の中で、くふぅと微かないびき。涎が少しだらしない。
その顔にしばし躊躇う。
……こいつのこんな顔見るのも、久しぶりかな。
そういえば最近は、いつも張りつめた顔が多かったように思う。
最近? いえ、ずいぶん。
いつからだろう。
時を遡ってきてから。ずっと。
『以前』のように情けないやつ、という感慨は抱かなかった。
レイに慕われているからだろうか。
守ってあげようという少女がそばにいるからだろうか?
……むぅ、なんかむかつく。
あんたはあたしだけを見てればいいのよっ、あたしが守ってあげんだからさ……
はっと時計に気づき、感慨に浸っている場合じゃないわ、と慌てて毛布の上から肩を。
「えーい、起きなさいってば!」
すぅすぅ。
しびれを切らして足攻撃。ガシ、ガシ。
蹴るのが癖になったらしい。
「う、う〜ん」
数度の攻撃でやっとパチリと目が開く。
「よぉうやくお目覚めね、ばかシンジ」
「なんだ、アスカか」
また目が閉じる。
「なんだとはなによ! このあたしが起こしてやってるってのにぃ!」
「うん、ありがとう。だからもう少し寝かせて」
ごろんと反対側に寝返りをうつ。
「うんもぅ〜! そうじゃないでしょうが。遅刻よ、遅刻。さっさと起きなさいよ!」
力任せに、ぱっと毛布をはぎ取る。
拍子に目に入ったものに思わず、真っ赤に頬を染め。
パン! パン!
「エッチ! バカ! ヘンタイ! もう信じられない!」
「……仕方ないわ、朝だもの」
「あんた、なに分かったようなこと、言ってんのよ!」
「ほら、アスカ。ケンカしてないで、急ごう!」
手形のついた頬が間抜けだ。
「誰のせいで走ってると思ってんの」
それほど学校を重視しているわけではないが、寝坊で遅刻は格好が悪い。
碇シンジの背中を見ながらぶちぶちと愚痴る。
「朝御飯も食べらンなかったのにぃ」
「ごめんって。夕べ遅かったから、つい」
振り向かず言い訳をする少年を問いつめる。
「いったい何時に帰ってきたのよ?」
おかげで一人、外食になった。
つまらなさに先に寝てしまって、彼らの帰りを知らない。
家主、葛城ミサトはついに帰らず。本部泊まりだったのだろう。
「えっと、何時だっけ?」
「午前……2時……よ」
後ろから綾波レイ。似合わず走らされる少女は息が切れている。
「そんな時間まで二人で訓練してたっての?」
「シンクロテストだよ。途中で点検が入って延びちゃったんだ」
「あんたら、シンクロ率低っくいもんねえ」
「うん……」
……こいつのシンクロ率の低さってちょっと変ね、レイは『以前』も低かったけど。
この時期って、もうちょっとは上がってたんじゃなかったっけ?……
疑問が形になる前に、派手に尻餅をついた碇シンジを踏みつけそうになった。
「ごめんね、マジで急いでたんだ」
同じく倒れながら言い訳をする見知らぬ少女の姿が目に入る。
市立第壱中学校の制服。栗色のショートヘア、やや垂れ気味の人懐こい大きな瞳、少し生意気そうな鼻、笑顔の似合う唇を持った美少女。
見知らぬ少女? いや、『以前』の記憶が甦る。
……き、霧島、マナ!?
惣流アスカの顔色が変わる。
追いついてきた綾波レイをちらりとみやると、彼女も不審そうに見下ろしていた。
「ほんと、ごめんね」
スカートの汚れを手でぱっと払い、少女は早口で言い残して四つ角を走り去る。
「碇くん……怪我は、ない?」
「う、うん」
どこか惚けた表情で、碇シンジは少女の後ろ姿を追っていた。
「加持!」
はぁはぁと肩で息をしながら、見た目よりずいぶん太い腕を両手で捕まえる。
「あんたって、こっちが探すと全然捕まんないんだから」
「光栄だな。エレベータの続きかい?」
「馬鹿なこと言ってないで。本部に行く前に、ちょっち付き合ってよ」
「はいはい、葛城三佐殿」
「それよ!」
ネルフ本部ピラミッド型の本館南にあるサブターミナル。地上とジオフロントを繋ぐモノレールのジオフロント終着駅である。
その展望ラウンジ廊下の端まで引っ張ってきて、葛城ミサトは声をひそめた。
「なんであたしが三佐なの? あんたなら知ってんでしょ?」
「やはり気になるか」
「知ってんのね?」
かみつくなよ、と両手で抑える。
「そう大して裏のある話じゃないさ。葛城の昇進そのものはな」
「え?」
「例の停電騒ぎ、本当ならネルフ本部の大恥だからな、たとえ被害にあってもネルフのほうで事件そのものを隠さざるを得ないって踏んでたのさ、あちらさんはな」
「内調ね?」
軽く頷く。
「ところが第八使徒の襲来だ。ネルフが動かなかったものだから、航空自衛隊がもろに被害を受けた」
「空自? 戦自じゃなくて?」
「戦自は早々にネルフに指揮権を委譲してたんだ。連絡は来なかったようだがな」
「なんて無責任!」
「いや、戦自にも都合があったのさ」
「都合?」
「ああ。どっちせ戦自じゃ使徒に勝てないしな。そりゃともかく、使徒はどこからも妨害されず日本上陸だ。慌てたのが幕僚会議と政府官僚ってわけだよ」
おかしそうに嗤った。
「怪獣が上陸してきたようなもんだからな。ネルフが動かないとあれば、自衛隊が出るしかないさ、災害対策特別法ってやつだ」
「空自なんて戦力、あんの?」
「ないない。ほとんど戦自の維持にもってかれちゃってるからな。エヴァ相手にしちゃ弱っちい使徒だったけど、府中の方面隊なんて全滅だよ」
「それで大ごとになっちゃったわけね」
「内調にしてもなんの情報も取れなかったし、国連から責任追及されて政治家連中はカンカンだし、といってネルフに文句をつけるわけにもいかないからな」
「で、それとあたしと何の関係があるのよ?」
「壊滅した空自の穴は埋めなきゃならんし。こんな時の事後処理は金が動くんだよ、ふつう。ところが、その金が無いんだな、日本には」
それで、どこかのとち狂った感覚の政治家が古くさい懐柔策に出た、と続ける。
「戦自に所属していてネルフの作戦部長、葛城ミサト。お前の昇進を政府が申し出たんだ」
「へ?」
「国連軍の戦自ったって、維持費は全部日本の税金だからな。兵器の予算を出すだけの金はないけど、人件費の増額程度ならってことで、戦自の主立った将校全員の昇進分の予算執行さ。その中にお前の名前もあったってわけだ」
「じゃあ、あたしの昇進ってとばっちりみたいなものなの?」
「そういや、そうだな」
「ったく!」
だがな、と真顔になる。
「そんな笑い話だけじゃないんだ」
「どういうことなの?」
「思い知ったんだ、ネルフに頼りすぎている現状をな。陸海空自衛隊はともかく、戦自は軍隊だ。基本的に政治的には独立した体制がある。N2兵器も通じないのは使徒もエヴァも同じだ。脅威なんだよ」
「使徒とエヴァを一緒にする気?」
葛城ミサトの苛立った声にはかまわず続ける。
「戦自は対使徒、いや対エヴァ、対ネルフかな、とにかく新しい兵器を開発してる。無駄な戦闘を避けたがるのも、こっちに力を入れてるからだ。そして、これまでのタイムスケジュールがここに来てかなり加速されているようだぞ」
あるいは、とますます声を低めた。
「戦自にとっちゃあ無関係のお前の昇進まで律儀に行なったって事は、なんらかの接触を考えてるのかも知れないな」
「あたしにぃ?」
「ああ」
「冗談じゃないわよ!」
「思い過ごしかもしれんがな。ま、気をつけておいた方がいいぞ」
ネルフを売る気はないわよ、と憤る葛城ミサトに苦笑した加持リョウジだったが。
事態は彼の想像をも超えて進行していた。