第24話「闇の中」
「だめです。予備回線、つながりません」
「生き残っている回線は全くないのか?」
「MAGIは!?」
「無停電電源が作動しているようですが……」
「冷却が止まっている。暴走するぞ」
「生命維持システムはまだ動いています。2567番からの旧回線の電力は来てます!」
「よし、それをMAGIの冷却システムに回せ」
「全館の生命維持に支障が出ますが?」
「かまわん、最優先だ」
本部中央作戦室発令所。
闇の中で怒号が飛び交っている。
突然、本部の主電源がダウンした。主回線、副回線とも、その電力供給をほぼ完全に停止していた。
電力を必要としない非常灯の淡い光だけが、ぼんやりと人影を闇の中に浮き上がらせている。
「MAGIの作動熱を抑えられないか?」
「冷却が止まりましたから、スリープモードに自動移行してるはずです」
「セントラルドグマの維持システムだけでいい。他のデーモンは止めろ」
「は、はい」
ようやく各所に携帯電灯とハンドスピーカ、トランシーバが配布される。
喉の限りに叫んでいた混乱は終息し、復旧調査作業が動き出した。
「赤木くん」
零号機の動作延長試験途中電源ダウンに見舞われ、全ての実験データを無為にされて怒り心頭の金髪の科学者。
発令所に駆け込んできたところを、最上部指令塔の冬月コウゾウから呼ばれる。
動かないエレベータの代わりにタラップを昇って、二人の上官の前に立つ。
「事故とは考えられん」
「電源は落とされた、と考えられるな」
「何のためにでしょう?」
「調査だろう、本部構造の」
声をひそめてのやりとり。
「そんな。どこが?」
「碇。やはりあれだろう?」
「ああ。仕返し、か」
「A-17、ですか? では日本政府の?」
「内調の仕業だろうな」
飄々とした尻尾髪の男の顔が浮かんで眉をひそめる赤木リツコ。
「やはり強引すぎたのではないかね?」
「ばかな話だ」
「ハッキング対策を行ないます」
「外部との回線を全て遮断すればいい」
「しかし、それでは上の街の機能も止まってしまいますが」
「いや」
肩をすくめる。
「全ての電力が止まっているんだ。上の街も全市停電だろうさ」
「無茶苦茶ですね」
「やりきれん話だよ。こんな時に使徒でも来たらな」
「そのほうが都合がいい」
「うん? まあそうだな」
苦笑する冬月コウゾウ。
「連中も思い知るだろう」
空調も停止し、徐々に淀み温度を増す中央作戦室の中にあって、最高指揮者たちはあくまで冷静であった。
感嘆したのか、あるいは呆れたのか、そそくさとMAGIの外部通信ルートの閉塞作業に向かう赤木リツコの姿を見送り、ふと漏らす。
「葛城くんがいないようだな」
「うむ」
「エヴァの起動も難しいぞ」
「非常用のディーゼルがある」
「手動でか?」
「問題ない」
パイロットとエヴァさえあれば、使徒が来てもなんとかなる。
碇ゲンドウは些事に拘らなかった。
拘っている余裕もなかった。
葛城ミサトはエレベータの壁にもたれ、鋭く睨み付けていた。
非常灯の光が羅刹の表情に彩る。
突然停止し、閉じこめられたエレベータ。
最初こそ、さして慌てもしなかったが、数十分も復旧しないのはありえなかった。
「ねえ、加持くん?」
妙な猫なで声。
「うん?」
「説明してくれる?」
「電源トラブルだろう? 困ったよな、こんなところで。俺、ションベンもしたいしなァ」
「ごまかさないで!」
狭いエレベータで二人きりには大きすぎる声。
「おぃおぃ、どなるなよ」
「電源トラブルなんてありえないわよ。どうなってるの?」
「俺が知るわけないさ」
「……あたしが知らないとでも思ってるの?」
「なんて顔してるんだよ。俺は葛城の笑顔のほうが好きだぞ」
パシッ。
頬が鳴った。
「あんたね!」
「相変わらず、まっしぐらなやつだな」
頬をなでながら苦笑する。
妙に柔らかな声音だった。つられて表情を和らげてしまった葛城ミサト。
「これだけ長い時間動かない、非常電話も通じない。本部全体が落ちてるんだわ」
「そうだな」
「なにをしゃべってもあたし以外には聞かれる心配はないわよ?」
「まいったな」
よっと床に尻餅をつく。
「座らないか?」
「長丁場ってわけ?」
「復旧作業班の能力次第だがな。正・副・予備、全ての回線が落ちている。そう簡単にはいかないだろ」
溜息をついて、加持リョウジの正面に腰を降ろした。
それを待ってゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……ネルフがただ、使徒迎撃のためにだけ作られた特務機関じゃない、ってことくらいは葛城にも分かってるんじゃないか?」
目で肯定して先を促す。
「セカンドインパクトは世界の政治体制を変えてしまった。もはやアメリカも弱小国家だ。そのとばっちりを一番受けたのは日本さ」
「それが?」
何の関係があるの、と問う。
「本来、独立国家になくてはならない軍事力をアメリカに頼り、日本は全ての活力を経済力の強化に注いできていた。だから繁栄できた国だ。ところがインパクトでその庇護が喪われてしまった」
どうなるかは自明である。
軍事力を持たない独立国家などありえない。
全ての経済を道連れに崩壊する。
「生き残る方策は、自分で軍隊を持つか、あるいは別の国家に庇護を求め直すか、だ」
「ええ」
「そこに再編成された国連が入ってきた。ドイツが中心のな。俺たちがまだ子どもの頃の話だし、当時の指導者がなにを考えていたのかなんて俺にも分からんが」
結果は知っている。
「結局日本は、ふたつの方策のどちらでもない、奇妙な国家体制をとってしまった。戦略自衛隊という強大な軍隊を創設しながら、そいつは事実上、国連の極東軍だ。指揮権は政府になく、ただ、莫大な予算を吸い上げられるだけ。経済的な恩恵がまるでない」
「軍需産業は潤ったじゃない」
「そりゃあネルフ関連のごく一部だけさ。俺たちはネルフに所属してるからな、実感できないが」
日本国土全体に多くの放置地区を生み、公共事業はほとんどストップしている。
これほど人口が減ったというのに、失業率は毎年過去最大を記録した。
第3新東京市を離れれば、未だに瓦礫の山と化したままの街が延々と連なっている。
「そこにきて、先日の使徒捕獲作戦だ」
「なによ、あたしが間違ってたっていう気?」
「いや、葛城のせいじゃないさ。碇指令だよ」
「碇司令?」
「使徒の捕獲という大義名分にのっとって、A-17を発令した。現有資産の凍結、特務権限による強制運用権の発効だ」
経済的な戒厳令に近い。
企業がプールしていた資産を命令一つでネルフに接収された。
「日本はインパクトを越えても旧態依然の民主主義だ。政府は企業の意向で動かざるを得ないからな」
「企業が泣きついたってわけ?」
「今の世界で、金の成る木はエヴァだ。エヴァさえ抑えられたら、莫大な資金も技術も手に入る。本部が日本にありながら完全に日本政府からは治外法権を勝ち取っているネルフは、政府にとっては敵以外の何者でもない。それに食い込むとか取って代わるには、技術を盗むしかないさ」
自己技術だけで必死に建設したヒト型ロボットJAは無惨な結果に終わっている。
「そうしないと、アメリカも頼りにならず、搾取するだけの国連には対抗できない。このままじゃ日本は食い尽くされて終わりだからな。アメリカの占領下にあった前世紀よりひどい」
ネルフの支配する都市、と言っても過言ではない第3新東京市への遷都が行なわれる前に、政府がその実権を確保するための保証を必要としていた。
このままではネルフという名の国連機関が日本を支配してしまう。
現体制はその前にはあまりにも脆かった。
それを阻止するための第1段階としての、ネルフ本部構造調査。
内閣調査室が全力を挙げて工作活動に取り組んだ。
「ちょっと待ってよ! じゃあ、この停電は日本政府の仕業?」
え? と加持リョウジの顎が落ちた。
「おまえ、なんだと思ってたんだ?」
「あ、だから特殊監察部のいたずらかと」
「はぁ?」
お、俺の正体がばれてたんじゃないのか?
冷や汗を垂らす。
「あんたがそんなに事情に詳しいって事は……あんた!?」
やぶへびだった。
葛城ミサトの推察力を過大評価しすぎていたようだ。
「こりゃあ失言したようだな」
最後まで話さなかったのがせめてもの救いか。
「……えらいこと、聞いちゃったわ」
「綺麗事だけじゃ生きていけないからな」
「あんた、危ないわよ?」
「ところがそうでもないさ」
「え?」
「碇指令も、多分、気づいてるさ」
「なんですって?」
「だから綺麗事だけじゃ生きていけないって言ってるだろ」
「うーん」
使徒殲滅が最優先。その大義名分を真実として生きてきたのは葛城ミサトだけだったのかも知れない。
いや、だからこそ。
ネルフの作戦部長として寵遇されているのか。
しかし、と加持リョウジは考えた。
……葛城が俺の正体を知らなかったということは。
食堂でシンジくんが言った言葉はどこからの情報なんだ?
全ての見かけがそのままは信用できないように、碇シンジにもまた単なるエヴァパイロットの中学生という以上の何かがあるのかも知れなかった。
特に気にもしていなかった自分への奇妙な接近にも、裏の意味があったのか。
……こりゃあ、一度シンジくんとはきっちり話をする必要があるな。
思索に沈み顔を下げる。
目の前に無造作に投げ出された二本の曲線美。
無意識にその付け根の翳りに目を凝らした。
「加持!」
叫びと同時に曲線美の片方がブンと動き、顎に激痛が走った。
「どこ見てんの!」
「この暗さで見えるわけないだろう?」
「って、やっぱり見てたんじゃないの」
「いまさら恥ずかしがるなよ」
「あんたとはもうそんな関係じゃないでしょ?」
スカートを抑えて立ち上がる。
「なあ、葛城」
顎をなでながら、そばに立ち上がる。
「俺が我が儘だったか?」
「ちょっと、二人っきりだからって変なことしないでよ」
「なんで逃げたんだ?」
「……そんなんじゃないわ」
腰に回された腕をやんわりと引き離す。
「お互い、色々あるってことか」
感情のわかりにくい笑いを浮かべて天井を見上げる。
「俺はなにかを見つけたかったんだ」
「なにか?」
「お前を追いかけるってのでも良かったんだがな。女も不思議さじゃあ似たようなもんだから」
「あたしを?」
「出来なかったけどな。俺の唯一の後悔さ。代わりに」
「……なにを追いかけたって?」
「真実、さ」
「真実?」
「さっきの話にしても一面に過ぎない。俺たちみたいな若造じゃ、普通に生きてたってなんにも出来ることなんてないさ。かといって知らないままってのは、な」
「あんた、昔っから隠されるの嫌いだったもんね」
「自分の手で世の中を動かすなんてのは、年寄り連中の特権だ。碇指令はあの若さでよく食い込んでる。俺にはそれはとても無理だが、知る権利くらいあると思ってな」
「本当に危険はないの? あたしは庇ったりしないわよ」
「葛城は葛城のことをやればいい。俺は俺の見つけられるものを探すさ」
「相変わらずね」
「だが、どこかで交わることもある。一度すれ違ってしまっても、それは永遠の別れじゃないさ」
「ばか。遊ばれる気はないわよ」
しかし今度は頬に伸ばされた手を振り払えなかった。
それを振り払ったのは葛城ミサトではなく、遠く微かに聞こえてきたスピーカの音だった。
『使徒、接近中!』
「まいったわね」
惣流アスカは自分のうかつを呪った。
全ての電源が落ちているので、ドアが開かない。暗闇で前が見えない。
加持と別れた後、自分のついた嘘に引きずられて本部の探検などとうろついたのが悪かった。停電の時には、ケージからずいぶん離れた場所で立ち往生してしまっていた。
まだ制服のままである。
更衣室に向かい、さらにケージに行かねばならないが、道は遠く、閉ざされている。
……なんのためにわざわざ早くからやってきたんだか!
「行きましょう」
壁面に埋められている非常キットから懐中電灯を取り出したのは綾波レイだった。
「あんた、そんなもの、よく見つけるわね」
「知ってるもの」
「あ、そう」
……やっぱ、こいつ、優等生だわ。
「アスカ。急がなきゃ。さっきのスピーカ」
「使徒でしょ、わかってるわよ」
けれど。
「レイ、あんた、道、分かるの? 来たときのドア、開かないわよ」
「ダクトを通りましょう」
「げ」
また? と顔をしかめた。
「そのほうが早いわ」
「いこ、アスカ」
「待ちなさいよ、あたしがリーダーよ」
「わかったから」
くすくすと碇シンジ。
「はぁ、かっこわるい」
綾波レイを先頭に配線メンテナンス工事用の裏通路をくぐり抜ける。
意地を張って知らないままに自分で道を選ばず綾波レイに任せたのは進歩だが、その歩みは『以前』と変わらない。
ぶつぶつと文句を零しながら、『以前』の記憶を思い出した。
……わけわかんない連中が攻めてきてんのよ。降りかかる火の粉は取り除くのが当ったり前じゃない。
あの時はそう言ったが。
実際、使徒とはなんだったのだろう。
エヴァシリーズ。最後に自分が戦ったエヴァと使徒の間にどんな差があったのか。
綾波レイに聞けば何か分かるのだろうか。
「ねえ、レイ」
目の前に揺れるスカートに声をかける。
「なに」
「使徒ってなんなのかな?」
「……どうして?」
質問で返されてしまった。
ちぇ、と質問を変更する。
「あんた、なんで戦うのよ? ……シンジを守るため、なんてーのは無しよ?」
「……わからない」
「わからないってなによ!」
「わたしには……碇くんしか無いもの」
がぁ、こいつはまたこれか! と血をのぼらせる。
「だめだよ、綾波」
黙々としんがりを進んでいた碇シンジが突然声をあげた。
「ぼくだけしか無い、なんてさ。綾波はもっと色んなものを見なくちゃ」
こいつ、プレイボーイぶってる? いや、そうでもないわね?
「……碇くん」
「綾波は人形じゃないもの」
綾波レイの歩みが止まった。
「シンジ?」
「アスカも、ね」
「あたしはあんたなんかしか無いなんて言わないわよ」
「そうじゃなくて、さ」
「なんだってのよ!?」
ゲシ、と蹴りつけた。
落ち着いた碇シンジへの奇妙な違和感と一途な綾波レイへの自覚せぬ嫉妬を合わせて。
「あ、暴れちゃ危ないって」
「誰が暴れてるってのよ」
ゲシ、ゲシ、ガチャン。
「あんたたち!」
ダクトの床が抜けた先は、ケージ、アンビリカルブリッジだった。
赤木リツコの声に迎えられたそこでは、作業員を率先してエヴァンゲリオン起動準備に汗を流す碇ゲンドウの姿があった。
「本当にお疲れさま。電力が完全に復旧次第、迎えをやるから。悪いけど、エヴァから出てしばらく待ってて。夕飯は本部で出すから。じゃあ」
携帯端末に接続された通信機を置き、葛城ミサトは汗を拭う。
「はぁ、参ったわよね」
「あなた、どこに行ってたのよ」
手動による発進準備で滅多にない肉体労働を強いられた赤木リツコは機嫌が悪い。
ようやく使徒が殲滅されて生まれた余裕に、溜めていた質問をぶつける。
「いや、エレベータに閉じこめられちゃって」
備え付けの非常用具を使って脱出してきたときには、すでにエヴァンゲリオンは発進した後だった。
中央作戦室のシステムは使えず、伊吹マヤの管理する携帯コントロールシステムのデジタルデータのみを頼りに作戦指揮を行なった。
もし使徒の力がより強力であったなら、非常な苦戦を強いられたところだ。
「あなたひとりで?」
「ん? 加持と一緒よ」
「加持くんと?」
「停電する前からずっと一緒だったのよ」
「誰もそんなことは聞いてないわ」
口元を歪める赤木リツコ。
碇ゲンドウの真似をしているわけでは、多分ない。
「にしても、碇司令自らが起動準備なんてねえ。整備員に任せればすむことでしょ?」
わざとらしすぎたかと慌てて話をそらせる。
「あなたがいなかったからでしょ」
「あたしが?」
きょとんとする。
「パイロットの管理はあなたの職権よ。命令を出せるのもね」
だが葛城ミサトはいなかった。
「碇司令が直接命令を出すなら、命令を出すだけの値打ちのある姿は見せないと、子どもたちだって言うこと聞かないわよ」
「はぁ、それでわざわざ汗水垂らして起動準備?」
「ネルフは軍隊じゃないし、パイロットも軍人じゃないもの。人間心理の基本よ」
その程度の気を遣えない人間に指導者の資格はないと言い切った。
「あたしはそんなこと考えてないわよ」
「あなたは一緒に生活してるじゃないの」
さらに、葛城ミサトは天性の指揮者だった。
そこまでは感じていても口にはしない赤木リツコ。
「あの子たちは、そんなことしなくても戦ってくれると思うけど」
それはそうかもね、と赤木リツコも同意した。
「不器用なのよ、碇司令は。気持ちを見せればそれですむことも理論に逃げる」
「司令は可愛い人だ、なんて言い出さないでよ?」
友人の表情に辟易気味の葛城ミサトであった。
「生き残っている回線は全くないのか?」
「MAGIは!?」
「無停電電源が作動しているようですが……」
「冷却が止まっている。暴走するぞ」
「生命維持システムはまだ動いています。2567番からの旧回線の電力は来てます!」
「よし、それをMAGIの冷却システムに回せ」
「全館の生命維持に支障が出ますが?」
「かまわん、最優先だ」
本部中央作戦室発令所。
闇の中で怒号が飛び交っている。
突然、本部の主電源がダウンした。主回線、副回線とも、その電力供給をほぼ完全に停止していた。
電力を必要としない非常灯の淡い光だけが、ぼんやりと人影を闇の中に浮き上がらせている。
「MAGIの作動熱を抑えられないか?」
「冷却が止まりましたから、スリープモードに自動移行してるはずです」
「セントラルドグマの維持システムだけでいい。他のデーモンは止めろ」
「は、はい」
ようやく各所に携帯電灯とハンドスピーカ、トランシーバが配布される。
喉の限りに叫んでいた混乱は終息し、復旧調査作業が動き出した。
「赤木くん」
零号機の動作延長試験途中電源ダウンに見舞われ、全ての実験データを無為にされて怒り心頭の金髪の科学者。
発令所に駆け込んできたところを、最上部指令塔の冬月コウゾウから呼ばれる。
動かないエレベータの代わりにタラップを昇って、二人の上官の前に立つ。
「事故とは考えられん」
「電源は落とされた、と考えられるな」
「何のためにでしょう?」
「調査だろう、本部構造の」
声をひそめてのやりとり。
「そんな。どこが?」
「碇。やはりあれだろう?」
「ああ。仕返し、か」
「A-17、ですか? では日本政府の?」
「内調の仕業だろうな」
飄々とした尻尾髪の男の顔が浮かんで眉をひそめる赤木リツコ。
「やはり強引すぎたのではないかね?」
「ばかな話だ」
「ハッキング対策を行ないます」
「外部との回線を全て遮断すればいい」
「しかし、それでは上の街の機能も止まってしまいますが」
「いや」
肩をすくめる。
「全ての電力が止まっているんだ。上の街も全市停電だろうさ」
「無茶苦茶ですね」
「やりきれん話だよ。こんな時に使徒でも来たらな」
「そのほうが都合がいい」
「うん? まあそうだな」
苦笑する冬月コウゾウ。
「連中も思い知るだろう」
空調も停止し、徐々に淀み温度を増す中央作戦室の中にあって、最高指揮者たちはあくまで冷静であった。
感嘆したのか、あるいは呆れたのか、そそくさとMAGIの外部通信ルートの閉塞作業に向かう赤木リツコの姿を見送り、ふと漏らす。
「葛城くんがいないようだな」
「うむ」
「エヴァの起動も難しいぞ」
「非常用のディーゼルがある」
「手動でか?」
「問題ない」
パイロットとエヴァさえあれば、使徒が来てもなんとかなる。
碇ゲンドウは些事に拘らなかった。
拘っている余裕もなかった。
葛城ミサトはエレベータの壁にもたれ、鋭く睨み付けていた。
非常灯の光が羅刹の表情に彩る。
突然停止し、閉じこめられたエレベータ。
最初こそ、さして慌てもしなかったが、数十分も復旧しないのはありえなかった。
「ねえ、加持くん?」
妙な猫なで声。
「うん?」
「説明してくれる?」
「電源トラブルだろう? 困ったよな、こんなところで。俺、ションベンもしたいしなァ」
「ごまかさないで!」
狭いエレベータで二人きりには大きすぎる声。
「おぃおぃ、どなるなよ」
「電源トラブルなんてありえないわよ。どうなってるの?」
「俺が知るわけないさ」
「……あたしが知らないとでも思ってるの?」
「なんて顔してるんだよ。俺は葛城の笑顔のほうが好きだぞ」
パシッ。
頬が鳴った。
「あんたね!」
「相変わらず、まっしぐらなやつだな」
頬をなでながら苦笑する。
妙に柔らかな声音だった。つられて表情を和らげてしまった葛城ミサト。
「これだけ長い時間動かない、非常電話も通じない。本部全体が落ちてるんだわ」
「そうだな」
「なにをしゃべってもあたし以外には聞かれる心配はないわよ?」
「まいったな」
よっと床に尻餅をつく。
「座らないか?」
「長丁場ってわけ?」
「復旧作業班の能力次第だがな。正・副・予備、全ての回線が落ちている。そう簡単にはいかないだろ」
溜息をついて、加持リョウジの正面に腰を降ろした。
それを待ってゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……ネルフがただ、使徒迎撃のためにだけ作られた特務機関じゃない、ってことくらいは葛城にも分かってるんじゃないか?」
目で肯定して先を促す。
「セカンドインパクトは世界の政治体制を変えてしまった。もはやアメリカも弱小国家だ。そのとばっちりを一番受けたのは日本さ」
「それが?」
何の関係があるの、と問う。
「本来、独立国家になくてはならない軍事力をアメリカに頼り、日本は全ての活力を経済力の強化に注いできていた。だから繁栄できた国だ。ところがインパクトでその庇護が喪われてしまった」
どうなるかは自明である。
軍事力を持たない独立国家などありえない。
全ての経済を道連れに崩壊する。
「生き残る方策は、自分で軍隊を持つか、あるいは別の国家に庇護を求め直すか、だ」
「ええ」
「そこに再編成された国連が入ってきた。ドイツが中心のな。俺たちがまだ子どもの頃の話だし、当時の指導者がなにを考えていたのかなんて俺にも分からんが」
結果は知っている。
「結局日本は、ふたつの方策のどちらでもない、奇妙な国家体制をとってしまった。戦略自衛隊という強大な軍隊を創設しながら、そいつは事実上、国連の極東軍だ。指揮権は政府になく、ただ、莫大な予算を吸い上げられるだけ。経済的な恩恵がまるでない」
「軍需産業は潤ったじゃない」
「そりゃあネルフ関連のごく一部だけさ。俺たちはネルフに所属してるからな、実感できないが」
日本国土全体に多くの放置地区を生み、公共事業はほとんどストップしている。
これほど人口が減ったというのに、失業率は毎年過去最大を記録した。
第3新東京市を離れれば、未だに瓦礫の山と化したままの街が延々と連なっている。
「そこにきて、先日の使徒捕獲作戦だ」
「なによ、あたしが間違ってたっていう気?」
「いや、葛城のせいじゃないさ。碇指令だよ」
「碇司令?」
「使徒の捕獲という大義名分にのっとって、A-17を発令した。現有資産の凍結、特務権限による強制運用権の発効だ」
経済的な戒厳令に近い。
企業がプールしていた資産を命令一つでネルフに接収された。
「日本はインパクトを越えても旧態依然の民主主義だ。政府は企業の意向で動かざるを得ないからな」
「企業が泣きついたってわけ?」
「今の世界で、金の成る木はエヴァだ。エヴァさえ抑えられたら、莫大な資金も技術も手に入る。本部が日本にありながら完全に日本政府からは治外法権を勝ち取っているネルフは、政府にとっては敵以外の何者でもない。それに食い込むとか取って代わるには、技術を盗むしかないさ」
自己技術だけで必死に建設したヒト型ロボットJAは無惨な結果に終わっている。
「そうしないと、アメリカも頼りにならず、搾取するだけの国連には対抗できない。このままじゃ日本は食い尽くされて終わりだからな。アメリカの占領下にあった前世紀よりひどい」
ネルフの支配する都市、と言っても過言ではない第3新東京市への遷都が行なわれる前に、政府がその実権を確保するための保証を必要としていた。
このままではネルフという名の国連機関が日本を支配してしまう。
現体制はその前にはあまりにも脆かった。
それを阻止するための第1段階としての、ネルフ本部構造調査。
内閣調査室が全力を挙げて工作活動に取り組んだ。
「ちょっと待ってよ! じゃあ、この停電は日本政府の仕業?」
え? と加持リョウジの顎が落ちた。
「おまえ、なんだと思ってたんだ?」
「あ、だから特殊監察部のいたずらかと」
「はぁ?」
お、俺の正体がばれてたんじゃないのか?
冷や汗を垂らす。
「あんたがそんなに事情に詳しいって事は……あんた!?」
やぶへびだった。
葛城ミサトの推察力を過大評価しすぎていたようだ。
「こりゃあ失言したようだな」
最後まで話さなかったのがせめてもの救いか。
「……えらいこと、聞いちゃったわ」
「綺麗事だけじゃ生きていけないからな」
「あんた、危ないわよ?」
「ところがそうでもないさ」
「え?」
「碇指令も、多分、気づいてるさ」
「なんですって?」
「だから綺麗事だけじゃ生きていけないって言ってるだろ」
「うーん」
使徒殲滅が最優先。その大義名分を真実として生きてきたのは葛城ミサトだけだったのかも知れない。
いや、だからこそ。
ネルフの作戦部長として寵遇されているのか。
しかし、と加持リョウジは考えた。
……葛城が俺の正体を知らなかったということは。
食堂でシンジくんが言った言葉はどこからの情報なんだ?
全ての見かけがそのままは信用できないように、碇シンジにもまた単なるエヴァパイロットの中学生という以上の何かがあるのかも知れなかった。
特に気にもしていなかった自分への奇妙な接近にも、裏の意味があったのか。
……こりゃあ、一度シンジくんとはきっちり話をする必要があるな。
思索に沈み顔を下げる。
目の前に無造作に投げ出された二本の曲線美。
無意識にその付け根の翳りに目を凝らした。
「加持!」
叫びと同時に曲線美の片方がブンと動き、顎に激痛が走った。
「どこ見てんの!」
「この暗さで見えるわけないだろう?」
「って、やっぱり見てたんじゃないの」
「いまさら恥ずかしがるなよ」
「あんたとはもうそんな関係じゃないでしょ?」
スカートを抑えて立ち上がる。
「なあ、葛城」
顎をなでながら、そばに立ち上がる。
「俺が我が儘だったか?」
「ちょっと、二人っきりだからって変なことしないでよ」
「なんで逃げたんだ?」
「……そんなんじゃないわ」
腰に回された腕をやんわりと引き離す。
「お互い、色々あるってことか」
感情のわかりにくい笑いを浮かべて天井を見上げる。
「俺はなにかを見つけたかったんだ」
「なにか?」
「お前を追いかけるってのでも良かったんだがな。女も不思議さじゃあ似たようなもんだから」
「あたしを?」
「出来なかったけどな。俺の唯一の後悔さ。代わりに」
「……なにを追いかけたって?」
「真実、さ」
「真実?」
「さっきの話にしても一面に過ぎない。俺たちみたいな若造じゃ、普通に生きてたってなんにも出来ることなんてないさ。かといって知らないままってのは、な」
「あんた、昔っから隠されるの嫌いだったもんね」
「自分の手で世の中を動かすなんてのは、年寄り連中の特権だ。碇指令はあの若さでよく食い込んでる。俺にはそれはとても無理だが、知る権利くらいあると思ってな」
「本当に危険はないの? あたしは庇ったりしないわよ」
「葛城は葛城のことをやればいい。俺は俺の見つけられるものを探すさ」
「相変わらずね」
「だが、どこかで交わることもある。一度すれ違ってしまっても、それは永遠の別れじゃないさ」
「ばか。遊ばれる気はないわよ」
しかし今度は頬に伸ばされた手を振り払えなかった。
それを振り払ったのは葛城ミサトではなく、遠く微かに聞こえてきたスピーカの音だった。
『使徒、接近中!』
「まいったわね」
惣流アスカは自分のうかつを呪った。
全ての電源が落ちているので、ドアが開かない。暗闇で前が見えない。
加持と別れた後、自分のついた嘘に引きずられて本部の探検などとうろついたのが悪かった。停電の時には、ケージからずいぶん離れた場所で立ち往生してしまっていた。
まだ制服のままである。
更衣室に向かい、さらにケージに行かねばならないが、道は遠く、閉ざされている。
……なんのためにわざわざ早くからやってきたんだか!
「行きましょう」
壁面に埋められている非常キットから懐中電灯を取り出したのは綾波レイだった。
「あんた、そんなもの、よく見つけるわね」
「知ってるもの」
「あ、そう」
……やっぱ、こいつ、優等生だわ。
「アスカ。急がなきゃ。さっきのスピーカ」
「使徒でしょ、わかってるわよ」
けれど。
「レイ、あんた、道、分かるの? 来たときのドア、開かないわよ」
「ダクトを通りましょう」
「げ」
また? と顔をしかめた。
「そのほうが早いわ」
「いこ、アスカ」
「待ちなさいよ、あたしがリーダーよ」
「わかったから」
くすくすと碇シンジ。
「はぁ、かっこわるい」
綾波レイを先頭に配線メンテナンス工事用の裏通路をくぐり抜ける。
意地を張って知らないままに自分で道を選ばず綾波レイに任せたのは進歩だが、その歩みは『以前』と変わらない。
ぶつぶつと文句を零しながら、『以前』の記憶を思い出した。
……わけわかんない連中が攻めてきてんのよ。降りかかる火の粉は取り除くのが当ったり前じゃない。
あの時はそう言ったが。
実際、使徒とはなんだったのだろう。
エヴァシリーズ。最後に自分が戦ったエヴァと使徒の間にどんな差があったのか。
綾波レイに聞けば何か分かるのだろうか。
「ねえ、レイ」
目の前に揺れるスカートに声をかける。
「なに」
「使徒ってなんなのかな?」
「……どうして?」
質問で返されてしまった。
ちぇ、と質問を変更する。
「あんた、なんで戦うのよ? ……シンジを守るため、なんてーのは無しよ?」
「……わからない」
「わからないってなによ!」
「わたしには……碇くんしか無いもの」
がぁ、こいつはまたこれか! と血をのぼらせる。
「だめだよ、綾波」
黙々としんがりを進んでいた碇シンジが突然声をあげた。
「ぼくだけしか無い、なんてさ。綾波はもっと色んなものを見なくちゃ」
こいつ、プレイボーイぶってる? いや、そうでもないわね?
「……碇くん」
「綾波は人形じゃないもの」
綾波レイの歩みが止まった。
「シンジ?」
「アスカも、ね」
「あたしはあんたなんかしか無いなんて言わないわよ」
「そうじゃなくて、さ」
「なんだってのよ!?」
ゲシ、と蹴りつけた。
落ち着いた碇シンジへの奇妙な違和感と一途な綾波レイへの自覚せぬ嫉妬を合わせて。
「あ、暴れちゃ危ないって」
「誰が暴れてるってのよ」
ゲシ、ゲシ、ガチャン。
「あんたたち!」
ダクトの床が抜けた先は、ケージ、アンビリカルブリッジだった。
赤木リツコの声に迎えられたそこでは、作業員を率先してエヴァンゲリオン起動準備に汗を流す碇ゲンドウの姿があった。
「本当にお疲れさま。電力が完全に復旧次第、迎えをやるから。悪いけど、エヴァから出てしばらく待ってて。夕飯は本部で出すから。じゃあ」
携帯端末に接続された通信機を置き、葛城ミサトは汗を拭う。
「はぁ、参ったわよね」
「あなた、どこに行ってたのよ」
手動による発進準備で滅多にない肉体労働を強いられた赤木リツコは機嫌が悪い。
ようやく使徒が殲滅されて生まれた余裕に、溜めていた質問をぶつける。
「いや、エレベータに閉じこめられちゃって」
備え付けの非常用具を使って脱出してきたときには、すでにエヴァンゲリオンは発進した後だった。
中央作戦室のシステムは使えず、伊吹マヤの管理する携帯コントロールシステムのデジタルデータのみを頼りに作戦指揮を行なった。
もし使徒の力がより強力であったなら、非常な苦戦を強いられたところだ。
「あなたひとりで?」
「ん? 加持と一緒よ」
「加持くんと?」
「停電する前からずっと一緒だったのよ」
「誰もそんなことは聞いてないわ」
口元を歪める赤木リツコ。
碇ゲンドウの真似をしているわけでは、多分ない。
「にしても、碇司令自らが起動準備なんてねえ。整備員に任せればすむことでしょ?」
わざとらしすぎたかと慌てて話をそらせる。
「あなたがいなかったからでしょ」
「あたしが?」
きょとんとする。
「パイロットの管理はあなたの職権よ。命令を出せるのもね」
だが葛城ミサトはいなかった。
「碇司令が直接命令を出すなら、命令を出すだけの値打ちのある姿は見せないと、子どもたちだって言うこと聞かないわよ」
「はぁ、それでわざわざ汗水垂らして起動準備?」
「ネルフは軍隊じゃないし、パイロットも軍人じゃないもの。人間心理の基本よ」
その程度の気を遣えない人間に指導者の資格はないと言い切った。
「あたしはそんなこと考えてないわよ」
「あなたは一緒に生活してるじゃないの」
さらに、葛城ミサトは天性の指揮者だった。
そこまでは感じていても口にはしない赤木リツコ。
「あの子たちは、そんなことしなくても戦ってくれると思うけど」
それはそうかもね、と赤木リツコも同意した。
「不器用なのよ、碇司令は。気持ちを見せればそれですむことも理論に逃げる」
「司令は可愛い人だ、なんて言い出さないでよ?」
友人の表情に辟易気味の葛城ミサトであった。