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第22話「溶岩」

 総司令執務室。

 広大なフロアの中央に、それだけがぽつんと置かれた執務机。

 その大型さは腰掛ける人物との対比でのみわかる。

 両の手を眼前で組み合わせ、それに被さるように顔を置く。濃いサングラスが表情を隠している。

 ネルフ総司令、碇ゲンドウは身じろぎもせず、静かに……うたた寝をしていた。

 最近は多忙すぎた。

 ほとんど自宅に帰る暇もない。世界中を飛び回る、その飛行機の中で眠る癖がついていた。

 ……もう少しだよ、ユイ。

 久しぶりの執務室で書類に目を通しながらニヤリとひとりごち、そのまま寝入ってしまったらしい。

 もう若くはない。苦悩と疲労が翳りとなってその貌を歪めている。

 ツゥルルル……。

 突然の電子音に、ぴくりと肩を震わせた。

 不機嫌そうに机の抽斗を開け、喧しい館内電話の受話器をとる。

「なんだ?」

『碇。孵化前の使徒が発見された』

 冬月コウゾウの声。

「……場所はどこだ」

『浅間山火口内だ。現地に飛んだ葛城くんは捕獲を提唱してきているが、どうするね?』

「捕獲?」

 そんなことには何の意味もない、と言いかけて。

 ようやく目が覚めた碇ゲンドウは、常のように口元を軽く歪めた。

「A-17を発令しよう」

『A-17? 早すぎないかね? いたずらに日本政府を刺激するのは……』

「かまわん。追加予算が望めん以上、どこかで辻褄は合わせねばならん」

 やれやれといった溜息が聞こえる。

「委員会召集の手続きを頼む」

『わかった』



「どないしたんや、お前ら?」

 消灯時間にはまだ余裕があったが、昼間の疲れかロビーにいる生徒は少ない。

 ほとんどは部屋でトランプかゲームに興じているのだろう。

 喉が乾いたとひとり部屋をあとにし、自動販売機のアイスクリームに小銭を投じていた鈴原トウジ。

 フロントの前で旅行トランクを抱え、やや緊張気味の面もちで佇んでいるエヴァパイロット3人に不審の目を向けた。

「うん。帰らなくちゃいけなくなったんだ」

 碇シンジがいつもの笑顔を見せて答える。

「また、化け物が出たんけ?」

「みたいだね」

「お前らも忙しない(せわしない)こっちゃのう」

「やらなくちゃいけないことだから」

 その瞳の色に、鼻白んでしまった。

 かける言葉をうしない、そうか、と手のアイスクリームに目を落とす。

「アスカ!」

 その後ろからおさげの少女が駆けてきた。

 担任教師と就寝前点呼連絡をとるため部屋を空けている間に、惣流アスカが荷物をまとめて出ていったと聞き、慌てて追いかけてきたのだという。

「ごめん、ヒカリ。先、帰るわね。明日の約束、だめになっちゃったけど」

「ううん、そんなことはいいんだけども」

 洞木ヒカリも、あとが続かない。同じように遊び、同じように机を並べながらも、自分たちとはまるで別の生活を持っている友人の姿に。

 鈴原トウジと並んで戸惑ってしまった。

「……碇くん」

 玄関に気を配っていたらしい綾波レイが、ようやく横付けされた国連軍のジープを知らせる。

「じゃ、ヒカリ」

 惣流アスカの動きははやい。

「あ、じゃあ、トウジ。先に帰るよ。悪いけど、みんなによろしく言っといて」

「分かった。気ぃ、つけいよ」

「うん、ありがとう」

「ほらシンジ。行くわよ」

 アメリカ人らしき軍服に添われて車に乗り込む3人を見送り、鈴原トウジは洞木ヒカリと顔を見合わせた。

 ……修学旅行もゆっくりできんのかい。

 なんやようわからんけど、やってられへんのぅ……

「委員長」

「うん?」

「アイスクリーム、溶けかかっとるけど、喰うけ?」

 なぜか苛立つ思いに、日常を探した。



 国連安全保障理事会第1委員会。

 が、一般には人類補完委員会の俗称で通っている。事実上、国連の最高位にある意思決定機関である。

 セカンドインパクト後の統廃合を経て、5つの常任理事国代表者がそれを構成している。

 多忙きわまりない彼らが一堂に会することはない。

 それぞれの執務室に居ながら、立体映像で会議を行なう。

 形式上、各国代表者は同列であるが、誰が主導権を握っているかは明らかだった。

 その巌のような老人の目は見えない。金属製の視覚補助機械が盲目を覆っている。

 議長キール・ローレンツと彼は呼ばれていた。

「リスクが大きすぎるな」

 議長キール・ローレンツは、碇ゲンドウの提案に難色を示す各委員の声を代表した。

 しかし、碇ゲンドウは動じない。

「生きた使徒のサンプル。その重要性はすでに承知のことでしょう?」

 欺瞞である。

 それはキール・ローレンツと碇ゲンドウとの間でだけ通じる。

 他の委員は、使徒という非常識の存在に論理的判断を封じられ、この非常識を常識とする男たちに付き従うしかなかった。

「失敗はゆるさん」

 キール・ローレンツの提案受諾の声が、委員会の決定となった。

 A-17。ネルフ特務権限による日本国資産の凍結と強制運用が国連に承認された。



「ぼくが行きます」

 ネルフ本部第2作戦室。

 葛城ミサトから作戦を伝えられると同時に、碇シンジは言い張った。

「この作戦は弐号機アスカに担当してもらうわ」

「ぼくが初号機で行きます」

「あんた、何言ってのよ。あたしに出ろってミサトも言ってんじゃん」

「ぼくが行く」

 頑なだった。

 葛城ミサトと赤木リツコはそっと目配せを交わす。

 ……そりゃ、シンちゃんでもあたしはいいんだけど。

 碇ゲンドウからの命令が下っていた。弐号機を使用せよ、と。

 作戦課への細かな指示が出ることは、これまでほとんどなかったのだが。

 ……初号機の温存、ってわけかしら?

 確かに作戦の失敗は機体そのもののロストを意味した。

 やり直しはきかない。

 ……弐号機のほうが機体性能は向上しているはずなのに。

 まさか親心ってわけでもないでしょうしねえ……

「あのねぇ、海にも潜れないようなあんたが、マグマの中に潜れるはずないでしょうが!」

 これは効いたらしい。

「海と……マグマは違うよ?」

「あたしに任せときゃいいのよ! それともなに? あたしが信頼できないって!?」

「そうじゃないよ。でも」

「はいはい。とにかく作戦は弐号機よ。もう準備が進んでっから、今から変更している時間はないの。初号機はバックアップに回って」

 不服そうだが、ここまで言われると引き下がるしかなかった。

「まったく、でしゃばんじゃないのよっ」

 ……前みたいな失敗はしないんだからさ。

 シンジに助けてもらわなきゃ死んでたなんて、情けない。

 使徒の一匹くらい、もう、あんたを危険な目に合わせずに始末してやるわよっ……

「零号機は本部で待機。いいわね?」

「わたしも……バックアップに」

 『以前』の流れは知っている。

 万が一、同じ経過をたどったとすると、碇シンジはやはり躊躇わず灼熱のマグマに飛び込むだろう。

 が、直接シンクロを行なっている今の碇シンジでは、フィードバックによる火傷の危険が大きすぎる。

 それなら自分がバックアップのほうが良い。

 それ故の志願だったが。

「大丈夫だよ、綾波」

「そうよっ、レイ。あんたまであたしを信用しないつもり?」

 そして、葛城ミサトも零号機を出すつもりはなさそうだった。

「……信用しないわけじゃないわ」

「ふん、じゃあなによ。シンジと一緒に居たいってぇ?」

 嫉妬めいた視線を送る惣流アスカに、バックアップを諦めた綾波レイはしかし、小さく惣流アスカにだけにつぶやいた。

「……ダルマ」

「うっ!」

 みっともないからやらない、などとは今度は言い出せないが……。

 思い出したあの姿に、着用前からダメージを受ける惣流アスカである。

 ……弐号機のD型装備は仕方ないとしても。

 きつい目で赤木リツコを睨み付ける。

 ……どっちせ暑かったんだし、プラグスーツの風船化なんて意味無かったんじゃないの?

 赤木リツコはその視線に気づかなかった。

 単にフィット機構の逆転操作だけで手間も金もかからずに開発できるからと装備させた効果のほどははなはだ疑問なD型装備対応プラグスーツ。

 それを惣流アスカに着せる姿を想像して喜んでいたためである。

 ……だって、仔猫みたいでかわいいから。

 そう赤木リツコ博士は感じていた。



 浅間山火口。

 耐熱極地戦仕様D型装備に身を包むエヴァンゲリオン弐号機。碇シンジの初号機を火口際にバックアップとして置き、溶岩の中に巨体を沈める。

 その両手には使徒捕獲用電磁柵発生装置、使徒キャッチャー。

 移動作戦指揮車のモニタに弐号機からの映像が映る。

「深度1300。目標予測地点です」

『反応無し』

「対流で流されている。再計算急いで」

「深度1480。限界深度オーバー」

「続けて。アスカ、どう?」

『大丈夫。まだまだいけるわよ』

「エヴァ弐号機、プログナイフ、消失!」

「深度1780。目標予測修正地点です」

『いたわ』

「目標を映像で確認」

 展開される電磁柵。孵化前の使徒の幼体が固定される。

「ナイス、アスカ」

『捕獲作業終了。これより浮上します』

 作戦指揮車内に安堵した空気が流れる。

 溶岩の高熱と高圧に耐え、使徒の捕獲に成功すれば、ほぼ作戦は終了したも同然である。

 浮上にうつれば、弐号機にかかる圧力も減じていく。

 だが。

 惣流アスカは緊張を解いた様子もなかった。

 声もなく手の中の使徒を睨み付けている。

 その様子に自分の甘さを感じる葛城ミサト。

 ……子どもに教えられるなんてね。

 山を越えたとはいえ、作戦は終了したわけではない。

 気を引き締めて、弐号機からのデータ情報と映像を見守る。

 違和感を感じたのは赤木リツコだった。

 彼女にとってはD型装備の耐圧性能が一番の関心。浮上に移ればもはや彼女の責務はない。

 張りつめたものが取れただけに敏感だった。

 ……緊張しすぎているように見えるわね。

 沈降途中よりも今のほうが表情がきついのではないか?

 ふと、横のモニタに目を移して、眉をひそめた。

 初号機。碇シンジが火口に近づくように移動を始めている。

 ……シンジくん?

 刹那、初号機がプログナイフを取り出した。

 ……どういうこと?

「初号機、プログナイフを投下しました」

 日向マコトの不審な声。

「え?」

 通信回線を弐号機から初号機に切り替えて、驚いた葛城ミサトが問い質す。

「シンジくん? どうしたの?」

『え、アスカがプログナイフを落としたって聞きましたから』

「だからって、弐号機は両手で使徒を捕まえてるんだから、プログナイフ、受け取れないわよ?」

『あ、そうか。ちょっとボケてました』

「もう……シンちゃんったら」

 思わず緊張が解ける。

「いくらアスカが心配だからって焦っちゃダメよん」

『あはは、すみません』

 間の抜けた返事に、葛城ミサト以外はもともと緩んでいた指揮車内に笑い声が溢れた。

 赤木リツコだけが笑わない。

 ……なにかある。

 鳴り響く警告音が、赤木リツコの漠とした懐疑を裏付けた。

「どうしたの?」

「使徒に反応」

「羽化を……はじめた?」

『シンジ! プログナイフを投げて』

 指揮車の驚愕に対し、緊張していたはずの惣流アスカの声に恐慌はなかった。

『あ、間違えてさっき投げちゃったから。もう届くと思う』

『え?』

「キャッチャー、限界です!」

「アスカ、キャッチャーを放棄。捕獲を断念、使徒殲滅に作戦変更」

『待ってました』

 葛城ミサトの命令より一瞬早く、弐号機はキャッチャーを放棄していた。

 微妙に会話の前後がずれているのだが、事態の急進行の中に取り紛れて気づいた者はいなかった。

「初号機のプログナイフ、到達します」

 キャッチャーの電磁柵を突き破り、活動を始める使徒。

 急激に巨大化し、弐号機を襲う……が。

 素早く構えていた弐号機に軽くかわされる。

「アスカ! なにやってるの!?」

 弐号機は届いたプログナイフを掴むなり、冷却液パイプの1本を切り裂いていた。

『熱膨張を利用して攻撃するわ』

「あっ」

『冷却液の圧力を3番に回して!』

 そう言ったときには使徒の口にパイプがすでにねじ込まれている。

 体圧バランスを崩し、表皮が泡立つ使徒のコアに、プログナイフが撃ち込まれた。

「アスカ……やるわね」

 あまりの手際の良さに感嘆の葛城ミサト。

「使徒、パターン消失。殲滅を確認しました」

 その感嘆が懐疑に変わる前に。

『アスカ! アスカ! 大丈夫!?』

 碇シンジの焦るような叫び声が響きわたった。

『あん? 大丈夫よ。あんな使徒なんてへっちゃら』

『弐号機は!?』

『傷、ひとつないわよ。暑すぎるけどね』

『……良かった』

『ばっかねえ、心配なんて要らないわよ。にしてもマグマの中なんてつまんないわねえ。珊瑚もないし』

『あたりまえじゃないか』

『あ、南洋ブダイがいる。シンジ、そっくり〜』

『いないって……』

 子どもたちの会話はよく分からぬものの、緊張と緩和の連続で高揚している指揮車内も再び笑いに包まれていった。

「お疲れさま、アスカ。温泉、寄っていく?」

『いいわ。帰る。レイも心配してるだろうしね』

「あら、珍しくやさしいわね」

『あたしは元々やさしいわよっ』

 ……レイの前で、シンジにマッサージしてもらおう。

 と少し意地悪な考えもある惣流アスカであった。



 回収される弐号機を見下ろす浅間山ロープウェイの中に。

 加持リョウジの姿があった。

 使徒捕獲作戦に伴い休業を強制されているはずだが、どうやって動かしたのか。

 もう一人、影がある。

「なぜA-17の要請を止めなかった?」

 問いつめているのは、ネルフ本部にはいたことのない女。

 観光客風の装い。

「俺にそんな権限はありませんよ」

 にやけたまま答える。

「お困りの方もさぞ多いでしょうがね」

「ネルフは危険だ」

「それで、ですか? いたずらが過ぎるんじゃないですかね」

「おまえは指令通りに事前工作さえすればいい」

「ネルフはそんなに傲慢ではありませんよ」

 答えはなく、あとは沈黙。

 ……アリバイには葛城を使わせてもらうか。

 碇指令はごまかせないだろうけどな……。

 エントリープラグから降り立った真っ赤なスーツに駆け寄る碇シンジの姿が遠く見えた。

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