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第21話「珊瑚」

「修学旅行? こんなご時世にのんきなものね」

 呆れたように赤木リツコ。

 当てつけでもなかろうが、分析部からまわされてきたレポートから目を離さず、コーヒーに口をつける。

「でもちょうど良いですよ。兵装ビルの工事もほとんど終わりましたし、零号機の装甲換装作業も完了しましたし」

 取りなすのは伊吹マヤである。

「あたしたちものんびりさせてもらってますもん」

 確かに発令所もどこか午睡の気だるさがある。陽も当たらぬ24時間体制であるのだが。

 読んでいた漫画本から顔を上げて、日向マコト。

「それで、シンジくんたちはどこへ行ったんですか?」

 修学旅行の行き先が気になったのではなく、単に葛城ミサトに話しかけたかっただけだろう。

「沖縄よん。今朝、第3新東京国際空港を発ったわ」

「そんなとこ、行きたいですかねえ?」

 青葉シゲルが首をひねる。

「毎日、夏なのに。俺ならもっと涼しいところがいいですけどねえ」

「子どもたちには場所なんて関係ないのよ」

 葛城ミサトが笑いながら。

「友達みんなで一緒に騒げるんですもの」

「それにしても、レイまで行ってしまうとはねえ」

「シンちゃんに誘われたらどこだって行くわよ、あの子」

「なんだか信じられないわ」

「よっ、今日はみんな暇そうだなァ」

 にやけた笑いが発令所に姿を見せた。

「加持! あんた、妙な入れ知恵、したんだって?」

 あんたに暇なんて言われたかないわよ、と噛みつく。

「あれ、バレちゃってたのか」

「シンちゃんにあまり変なこと、吹き込まないでよね」

「まァまァ。カリカリしてたってなんにも良いことはないぞ」

「加持くん、なにを吹き込んだの?」

「シンジくんが、修学旅行にいくにはどうやって葛城を説得すればいいか、って聞くから、ちょっと教えてあげただけさ」

「ったく。冷や汗かいちゃったわよ」

「俺たちの頃は、セカンドインパクトでそれどころじゃなかったからなァ。だからって、シンジくんたちにまでそんな目を強制することはないさ」

「そりゃあ……まあね」

「シンジくんたち、ほんとうによくやってくれてますもんね」

 発令所内では唯一善意の権化に見える伊吹マヤであった。

「ああ、いい子だよ。俺にも土産を買ってきてくれるってさ」

「アスカが?」

「いや、シンジくんさ」

「あんたたち、仲、いいの?」

「ああ。本部でいるときには、よく話しかけてきてくれるしな」

「ふうん?」

 なんの話をしてるんだか、と葛城ミサト。

「あんたの影響、受けたら、ろくな大人にはなんないわよね」

「おいおい、そりゃひどいな」

「一理あるわね」

 リッちゃんまで、と苦笑い。

 少なくとも表面上は。

 他愛のない会話でそれぞれの複雑な思惑を覆い隠せていた。





「おお、青い空。青い海。そして見ろよ、あの白い雲。セカンドインパクトもなんのその、常夏の楽園は俺のこのカメラを待って今日もこんなに美しい!」

 陳腐な台詞を並べながら腕を振るわせ感動を表している姿に、引率の教師たちは苦笑しながらも満足げに頷き合ったりしているが。

「なに言うとんねん、ケンスケは?」

 妙に浮いている友人に付き合う義理は、鈴原トウジにはない。

 朝食のバイキングに膨らませた腹をぱんぱんと叩きながら、碇シンジを振り返った。

「ちょっとヤケになってるみたいだよ?」

「なんやそら?」

「ほら、昨日、沖縄本島で国連軍の基地見学が中止になっちゃったでしょ」

「んー、空港でえらい手間取ったさかいなあ」

 航空会社のミスである。手荷物を降ろすトランスポータが手違いでゲートを誤ったため飛行機から降りても荷物を受け取れず、空港で足止めを喰ってしまった。

 おかげで修学旅行初日の行動日程が狂った。

 国連軍基地見学はとりやめとなり、空港からそのまま宿泊ホテルへと直行になった。

「ケンスケってそれを一番の楽しみにしてたみたいだから」

「ははあ。ほんだらあれは先生らへの厭味のつもりかい?」

「通じてないみたいだけどね」

 あほちゃうか、と笑う鈴原トウジ。軍など第三新東京市にいても見れる。だいたい先日も国連軍の空母に乗ったばかりだ。

「そんなもんより、ワイはこれからのダイビングのほうがずっと楽しいと思うけどな」

「そんなに食べて、潜っても大丈夫なの?」

「潜るのは体力使うさかいな。しっかり喰うとかな腹減ってしゃあないやろ」

 ゆうに三人前はぺろりと片づけている少年だ。ジャージでなければズボンのベルトを緩めるみっともない姿をさらしているところ。

 トウジがジャージ愛用なのは、そのためなのかもと思わずくだらない想像の碇シンジ。

「それより、シンジはどうやねん。ほとんど喰うてへんかったやないか。おまえこそ大丈夫かい?」

「だってね……」

「ん?」

 緊張しちゃって、とは言えなかった。

 ネルフの訓練のおかげか、スポーツはそこそこにこなせるようになったが、相変わらず泳ぎだけは駄目な碇シンジであった。



「きゃはははは」

 と惣流アスカの笑いは遠慮がなかった。目尻に涙まで浮かべている。

 ダイビングスクールの順番を待つ間、生徒たちは渡嘉敷(とかしき)島阿波連ビーチで思いおもいに海水浴に興じている。

 そんな中なにを変に青い顔してぼんやり浜辺を眺めているのかと思えば。

「あんた、泳げなかったの?」

「……そんなに笑うことないじゃないか」

「エヴァのパイロットたるものがそんなことでどうすんのよ」

「関係ないと思うよ」

 ちょっと拗ねたそぶりにくすくす笑う惣流アスカ。

 みっともない、というより可愛いと思ってしまったから笑っているのだが、笑われているほうにすれば恥ずかしい。

 こちらはそれを聞いても変わらぬ澄まし顔でそばに佇む綾波レイに聞いてみる。

「綾波は……泳げるよね」

 愚問だ。

 紅い瞳の少女もそう思ったのか返ってきた答えはどこかずれていた。

「大丈夫」

 なにが、どう?

 そう突っ込んで惣流アスカはまた爆笑した。

「うう、人間は泳げる必要なんてないよ」

 頭を抱えて座り込んでしまった少年に、惣流アスカはようやっと笑いを抑えてなぐさめともつかない言葉を投げる。

「ウエット着てんだから、溺れたりしないわよ」

「だって潜るんだよ? 海の底じゃ息もできないんだし」

「あんたバカぁ? だからタンク背負ってんじゃん」

「だってやったことないし」

「簡単よ。深呼吸するように息をすえばいいの」

「深呼吸?」

「あんたエヴァに乗ってんだからさ。LCLに潜るのと変わんないわよ」

「そうなの?」

 そこまで言われても碇シンジの情けない風情は変わらない。

 惣流アスカは肩をすくめた。

「だいたい、潜るったってせいぜい5メートルか10メートルよ、あんたらは」

「アスカは?」

「あたしはスクーバの免許持ってるから、あんたとは別の班よ」

 へへんと自慢したのだが。

「……心配しないで。わたしがいるから」

 うずくまっている少年の背中をあやすように撫でる綾波レイに、なぜかむかむかしてしまう惣流アスカであった。

「ばっかばかしい」

「あほらしのはこっちじゃ」

 傍目にはいちゃついているようにしか見えないのだろう、うんざりした顔の鈴原トウジの横では防水仕様のカメラを磨くことに余念のない相田ケンスケもるると涙を流していた。



 慶良間の珊瑚礁は、奇跡的にセカンドインパクトの被害を免れた数少ない珊瑚礁のひとつである。

 全国的に常夏となった日本でも、ほとんどの海岸線は海に飲まれ流木に荒らされて海水浴には向かない。ためにここに訪れる観光客は多かった。

 インストラクターも慣れている。

 生まれて始めてダイビングをする中学生がいくら間抜けなことをしでかしてくれようと、顔色も変えずに対処する。

 はずだが。

「おーい、碇、お前、なにやってんの?」

「こら、シンジ、はよせんかい。もうみんな行ってもうたやないかい」

「……身体が沈まない」

 には、まいった。

 人間はいやでも浮くように出来ている。ウェットスーツを付ければそれはなおさらで、潜るためにはそれなりに水を蹴って行かねばならない。

 泳げない、というのは致命的だった。恐怖心でまともに飛び込み(エントリー)できなかったせいで、水面に浮き上がったまま、にっちもさっちもいかなくなってしまった。

 これはなあ、と呆れ返ったインストラクター。

 指示を聞かずに勝手に行動する子どもをどやしつけるのには慣れているけど。

「しゃあないやっちゃ、よし、ワイが助けたるわ」

 船の上から鈴原トウジ。彼の班はまだ次の回なのに、飛び込んだ。

「こらっ!」

 それをおしとどめようとした別のインストラクタを道ずれに、碇シンジの真上へと。

 結果、3人が頭をぶつけ合って、ぷかりぷかりと仲良く土左衛門状態。

「なにやってんだか」

 船の上に引き上げられて正座させられ、教師の説教を受ける碇シンジと鈴原トウジに、久しぶりにダイビングを満喫して満足顔の惣流アスカはぷぷぷと笑った。

 綾波レイは。

「あなたはだめでも代わりはいるもの」

 碇シンジとともに潜ることは早々と諦めたようだ。碇シンジの代わりに珊瑚礁をその眼に焼き付けようと、海中へと没した。



「海。青い。青い海。青い色。青い色は好きなの」

「う、うん」

 スクーバ講習も終わり、宮古島へと向かう船の上だ。夕陽がデッキを染めている。

 綾波レイは代わりに目に焼き付けた珊瑚礁の景観を碇シンジに説明しようとしているらしい。

 が、よくわからなかった。

 助け船は相田ケンスケから差し出された。ほらと手渡されるプリントアウトされた数枚の海中写真。

「よく撮れてるだろ?」

「ほんとだ」

 その声に、デッキでセカンドインパクト前のとある映画ごっこに興じて両手を広げ海風を受けていた洞木ヒカリと惣流アスカも寄ってきた。

「へえ、相田ってこんな才能あったんだ」

 いつもカメラをぶら下げている少年にその言葉はかなり失礼ではある。盗撮するしか能がないと思っていたわけでもないが。

 予想以上にうまく撮影されていたから、惣流アスカにしては素直な誉め言葉のつもりだ。

 その思いは通じたらしく、へへへと自慢げな相田ケンスケ。

「うわ、これ、なに?」

 潜れなかった碇シンジは、惣流アスカ以上に感心している。

 白亜の珊瑚の影にたゆたう蒼銀の鱗に目を瞠った。ずいぶんと接写だ。

「南洋ブダイさ。これ、寝てるんだよ」

「目、あいてるよ?」

「そりゃ魚だから。瞼はないからさ」

「口もあいてる」

 どれどれと横から写真を奪う惣流アスカ。

「ぷぷぷ、変な奴〜。シンジ、そっくり」

「ぼくはこんな変な顔じゃない」

「似てるわよ」

「似てないって。ねえ、綾波?」

「……少し」

 こくこくと綾波レイにも頷かれてしまって、いじけてしまう碇シンジだった。

「ま、まあ、綺麗に写ってるわよね」

 と笑いながらフォローをする洞木ヒカリ委員長は、言い合う二人を楽しそうだなと少しばかり羨ましく思って見ている。

 無意識に探してしまった鈴原トウジの姿は、デッキにはなかった。

 講習時の無茶な飛び込みのせいで、まだ先生の説教が続いているようだった。

 明日、宮古島で見学コースを回ればそれで修学旅行の日程は全て終わる。ほんとうに短い三日間。

 船が宮古島の港に着いたときには、夕陽はもう完全に落ちきっていた。



「あー、楽しかった。修学旅行、来れて良かったな」

 と惣流アスカは過去形で言った。ホテルの部屋に入るなり。

 同室の洞木ヒカリは風呂に行く準備をしながら気が早いと笑う。

「まだもう一日あるわよ、アスカ」

「うん。まあね」

 とは答えたものの、『以前』と同じであるなら今頃第三新東京市では孵化前の使徒が発見されているはず。

 呼び戻されるだろうな、とは覚悟していた。

 シンジのおかげで待機のはずがここまで来れて、スクーバも楽しめたんだし。もう充分だわ、と。

「ねえ、アスカ?」

 その顔になにを見たのか洞木ヒカリ。にやりと頬を歪めて突っついた。

「碇君のことがすきなの?」

「へ?」

 きょとんとした後で惣流アスカはわずかに頬を染めた。

「なにとーとつにバカなこと言ってんのよ」

「だって」

「んなわけないじゃん。あんなドジなやつ」

「そう? 意地張ってると綾波さんに取られちゃうわよ」

「な、なによ、それ。それよりヒカリはどうなのよ」

「あたし?」

「あの野暮ったいのがいいんでしょ?」

「なっ、なにもあたしは鈴原なんて……! あ」

 こやつはもしかしてすさまじく単純な性格なんだろうかと惣流アスカ。

 飛んで火にいる冬の虫、だっけ。

「まあ、この旅行の間に唾くらい、つけといたら? もう明日だけしかないんだし」

「う、うん……」

「あたしも手伝ったげるからさ」

 もじもじと赤くなったおさげの少女を焚き付けながら。

 惣流アスカの心はしかしすでに使徒戦へと飛んでいた。

 あのバカは頼りにならないしね。あたしがやんなきゃ……。



「おうシンジ、風呂、行こか」

「あ、先に行っててよ」

 少女が決意して居た頃、碇シンジもやはりその目に使徒を映している。

 そろそろ呼び出しのある頃だろう。

 少しずつ少しずつ迫っていく。約束の時へと。

 一人になった部屋に、ネルフからの携帯電話の電子音が低く響いた。

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