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第19話「心重ねて」

「ただいま〜」

 おかえりなさい、と合唱に訓練の成果を確かめ、にこやかな葛城ミサトである。

「お腹減っちゃったぁ。シンちゃん、ご飯、出来てる?」

 といいながらも冷蔵庫からビールを取り出す。

「落ち着きなさいよっ、ミサト。そんな忙しいわけ?」

「そりゃあ今はねえ」

 立ったままで、ぐびぐびっとあおる。

「ばかでかい使徒を3つも抱えてるからねえ。どの部署もツノ立てちゃって」

 陽電子砲でしとめた第五使徒の撤去作業が未だに終わっていない。

 都市外縁部ならともかく、本部直上、市内のど真ん中に残骸をたたえる巨大なブロックである。全面通行止めにするわけにもいかず、撤去作業は困窮していた。

「エヴァ使って片づけちゃえばいいじゃない」

 ミサトの提案に、それはグッドアイデアですね! と迎合した日向マコトは、ボーナスを10パーセント削減された。

 冬月コウゾウの前で滅多なことは言うものではない。

「なにを考えているの。エヴァは土木作業ロボットじゃないのよ!」

 髪の毛を逆立てた赤木リツコに、さすがの葛城ミサトも首をすくめた。

 給与が戦略自衛隊から給付されているという複雑で面倒な立場に感謝したのは、この時だけだったかも知れない。

 ともあれ、不気味に自己修復中、数十時間後には再度侵攻確実の使徒をも抱え、作戦部、技術部、諜報部はもちろん、科学分析調査部、広報部に至るまで全部署が猫の手も借りたい忙しさ。

 実際、技術部は本当に猫の手を借りているのではと噂がたっている。

 赤木リツコがコンピュータの警告音に設定した仔猫の鳴き声を聞かれたらしい。

 いつもの調子でのほほんとうろついているのは、特殊監察部の加持リョウジくらいのもの。

 もっともそれが仕事でないとは言い切れないが。

「あんたたちも訓練、大変だろうけどさ、あたしもまだこれから仕事が……」

 と愚痴をこぼしかけてダイニングテーブルに並ぶ冷めた皿に気づいた。

「ん? まだ食べてなかったの?」

「ええ、綾波が帰ってからと思って」

「まだあいつ、本部にいるの? シンジが待つっていうからさ」

 惣流アスカも食事にありつけない。つまみ食いはしたが。

 ユニゾン訓練中でなきゃ、先に食べちゃうのに。

「遅くなンなら電話くらいするように言っといてよね!」

「あれ? レイって本部に呼び出し、かかってたっけ?」

 人差し指を額に、少し悩む。

「違うんですか?」

「だってリツコは初号機と弐号機にかかりっきりだし」

 ユニゾン作戦用のシステム調整を行なっている。

「碇司令は出張中だし」

 くっと碇シンジは眉をひそめた。

 携帯電話を取り出し、短縮ボタンを押す。

 本部に連絡を付けて確かめるつもりのようだ。

「どうだって?」

「やっぱり、綾波は学校から直接帰ってるはずだって、リツコさんが」

 答えながらもすでに玄関に向かっている。

「ちょっと見てきます」

 綾波レイもただの少女ではない。

 事故とも考えにくいが、それでも年頃の美少女だ。陽もとっくに暮れている。

「ちょっと待ちなさいよ!」

「アスカは先に食べてて……」

 返事はドアの閉まる音で途切れた。

 はああ、と大げさな身振りで肩をすくめる。

「ったく、なにが綾波、綾波よ。ユニゾン訓練中だってのにさ」

 もちろん惣流アスカも心配はしていた。

 だが、あれだけ慌てられると、心配より嫉妬が先に立つ。

 ああ、もう、いちゃいちゃしちゃって!

 だいたいここに来てからの食事ときたら!

「アスカ?」

 碇シンジが表に出てから、どこかにかけていたらしい携帯電話をジャケットのポケットにつっこみながら。

「なによ」

 急に真面目そうな表情になった葛城ミサトに不審の目を向ける。

「どうもね……」

 言葉を探しあぐねている様子だ。飲み干されないビールを横に置く。

「レイ、出てっちゃったみたいなのよ」

「え?」



「な、なによ、ここ?」

 じゃあ、ちゃっちゃと仕事片づけてくっから、それまでお願いね、と葛城ミサトの車が走り去るのを見送り、惣流アスカはぶるっと震えた。

 月明かりがあるので、決して暗くはない。

 暗くはないが、人の気配がまるで途絶えていることが、光を押し殺す渺茫を生んでいた。

 荒れるに任され一部に鉄骨のむき出した巨大なマンションが、彼女を見下ろす使徒の屍のように思えた。

 解体工事の足場に張られたブルーシートが風にはためく。

 その音に押されて、惣流アスカは歩を進めた。

「ったく、なんでまた」

 ……あたしがこんなとこに来なくちゃいけないのよ!

 鉄錆の浮いたフェンスに手をかけ、階段を昇っていく。

 402号室。

 街灯のわずかな明かりに「綾波」と表札が読みとれる。

 ドアチャイムを押すが鳴っている気配はない。

「ほんとにここに居るんでしょうね?」

 ドアノブをまわしてみる。

 ギィ、と嫌な音がするかと思ったが、案外静かに開いた。

「……だれ?」

 奥から微かな誰何。

「ファースト? あんた、居ンなら電気くらい……」

 開け放たれたカーテンの向こうに蒼い月が茫と埃を染め抜いている。

 その月影に埋もれるようにしてベッドに座り込む白い肢体の限りなく儚げな美しさが、惣流アスカの声を奪った。



「かぁ、若いってのもねえ」

 第3新東京市外環状道路。

 惣流アスカを綾波レイのマンションに送り届けた後、本部に向かってアクセルをふかす。

 気にはなるが、明日に控えた使徒再攻に備え、ともあれ二、三の実務折衝をすまさねばならない。

「アスカ、うまくやってくれっといいんだけど……」

 綾波レイの居場所はすぐに知れた。

 ネルフにおいて、葛城ミサトなどよりは遙かに重要なチルドレンたち。

 護衛というわけでもないのだが、保安部が常に所在を監視している。

 葛城ミサトに保安部を動かす権限はないとはいえ、E計画作戦担当責任者としてチルドレンの所在情報は問いさえすれば与えられる。

 以前に住んでいたマンションに居るらしい……。

 それだけで、葛城ミサトの中では糸が繋がった。

 ……ははぁ、やっぱねえ。

 やや危惧はしていたことだった。

 綾波レイが碇シンジに対し一途な依頼を見せていることは感じられた。

 そこに碇シンジと惣流アスカのユニゾン訓練である。

 葛城ミサトの不安を裏切って、二人の訓練は成功していた。

 ……シンちゃん、楽しそうだったもんね。アスカも口じゃ、ああだけど、絶対、シンちゃんに気がありそうだし。

 逃げちゃっても無理ないか、と納得した。

 しかし、作戦部長としても、保護者としても、それでは困る。

 碇シンジに連絡して、綾波レイのマンションに行かせるのが当然の方策だろうが。

 葛城ミサトはそれを選ばない。

「レイが帰ってくればそれでいいってもんじゃないからねえ」

 パイロット3人。全員が協調してくれねば困るのである。

 そこで、惣流アスカを打開に向かわせた。

 はっきり言って、誰が見ても無謀である。

 が、その非常識、無謀をやってのけ、さらに成功させるのが葛城ミサトであった。

「よくもまあ、そんな無茶苦茶を!?」

 赤木リツコの声が聞こえるような気がして、一人、首をすくめる。

 ……ま、なんとかなるっしょ。

 ぐっ、とペダルを床まで踏み込んだ。



「ねぇ、あんたさぁ」

 惣流アスカは、葛城ミサトの予想以上に単刀直入であった。

 あるいは綾波レイの幽けさが余裕を奪ったのかも知れない。

「シンジのこと、取られちゃうと思ったんでしょ?」

 ベッドにならんで腰掛けている。

 月明かりの中で言葉を紡いだ。

「くやしかったわけ?」

「……違うわ」

「嘘ね」

 決めつけた。

「あいつのどこがいいのか知らないけどね。ずっとシンジばっか、見てンじゃない」

 嘲るように重ねる。

「ああ、愛しのシンジさま、わたしを見て、そんな女に笑いかけないで、私をひとりにしないで! ってぇ?」

「……そんなことは言っていないわ」

「ええ、そうでしょうとも、言ってないわよね、だからイライラすんのよ!」

 投げつけられて、綾波レイは戸惑った。

「……なにを」

「あんたね!」

 身体をひねって、真正面に見据える。

「そんな風にすまし顔で、知らん顔で、大人ぶって、黙ってるだけでなんもかんも思い通りになるなんて思ってンじゃないでしょうね?」

「わたしは」

「ふん。で、思い通りにならないからって、逃げ出すわけだ」

 睨み付けて口元を歪めた。

「そんなのシンジと一緒じゃないの!」

「碇くんは……逃げていないわ」

「じゃあ、あんたは!?」

「わたしは……」

 身体を戻して、ふふんと嗤う。

「あんた、シンジのことなら反論するくせに。自分のことは分かんないの?」

「……そうかも、しれない」

 実際、綾波レイには分からない。自分の心が、何を望むのか。

 情けないわね、と惣流アスカは眉をあげた。

「あんたもシンジもさ」

 綾波レイは逡巡しているようだった。

 遠くに虫の音が微かに流され過ぎり、月の蒼さを深めた。

「……あなたは、なにを望むの?」

 ぽつと。質問が置かれた。

「……あたしはね」

 ギッと歯を噛む。

「負けらんないのよ。あんたにとか、シンジにとかじゃなくて」

 自分に。自分自身に。

「だから嫌なことはしない。自分を騙したりはしないわよ?」

 やや綺麗ごとすぎたか。

 自信は持てないながらも言い切り、追いつめる。

 綾波レイを。惣流アスカを。

「人に負けたからって逃げちゃったら、それで終わりなのよ」

 自分にも言い聞かせるように。

「とにかく! 他人じゃないのよ。自分を見てなきゃ、エヴァは動かない」

「……ええ」

 綾波レイはそれには静かに頷いた。

「心を開かなきゃ、エヴァは動かない、ってね。昔、誰かに言われたのよ」

 クスっと笑い、再び、視線を絡めた。いたずらっぽく。

「そう、ファースト。あんたにね」

 今のあんたが知るわけないけどさ。

 だが、綾波レイはこれにも首をふった。

「ええ、言ったわ」

「え!?」

 これには当然……惣流アスカも飛び上がった。

「ど、どういうことよ! あんた、まさか。あんたも戻って来ちゃってるわけぇ?」

「……そうね」

「あ、あたしのこと、気づいてた?」

 こくり、と頷かれ、呆然とした。

 ……まさか。ファーストも時間を遡ってたとわね。思いもしなかったわ。

 いえ。なるほど、そう考えればつじつまがあうわね。

 まとまりきらぬまま問い質す。

「なんで!?」

「……望んだから」

 綾波レイは根幹を答えた。

 ううん、と混乱する。

「あんたの望みってなによ?」

 しばらく躊躇ったようだったが。

「……ひとつになりたい」

「ひとつ?」

「碇くんと……ひとつになりたい」

「あ、あんたねえ」

 急に下世話な問題に落ち込んだ。

 こ、これは完全に押されてるわよ。

「……い、言うときは言うわけね」

「あなたは……」

 今度は逆に見据えられた。

「碇くんを……どう思っているの?」

「あたし? あたしは」

 ひとつになりたい、なんて言わない、いや言えないわよっ!

 耳が赤くなるのを自分でも感じる。

 綾波レイには肉体的な希求や連想はなかったのかも知れないが。

 妙な妄想を振り払うかのように、惣流アスカは決めつけた。

「渡さないわよ?」

 にやっと笑った。

「別にシンジを好きだから、だってんじゃないわよ。さっきも言ったように、あたしは負けない。だから、シンジもあたしのもの」

 ……無茶苦茶だと思う、とは綾波レイは言わなかった。

「だいたい」

 下着姿の綾波レイを見下ろす。

 そのまま視線をTシャツ姿の自分に移す。

 ……まあ、こいつは綺麗だけど、それは認めるとしても、あたしのほうが、ね。

 クォーターの強み、ってやつ?

 その惣流アスカの笑みに何かを感じたのか、穏やかになりつつあった綾波レイの表情に険が走った。

「でもね。正直言うと、あんたが羨ましいのよ」

「……どうして?」

「今日だってそうよ。ま、今頃あいつ、あんたを必死になって探してるだろうけどね、晩御飯も食べないで待ってたのよ?」

「……でも」

「あんた、肉、ダメなんでしょ?」

 意味が分からないままに頷く。

「あんたがいるからねえ、今のメニューって肉、全然ないのよ。

 サラダばっか食べてるわけにもいかないしね、あいつ、肉を使わないで栄養のある料理作んのに熱中しちゃってさ」

 ユニゾン訓練でキッチンにも一緒に立つはめになった惣流アスカは、碇シンジの苦労を目の当たりにしている。

「なんでもかんでも、綾波、綾波、でさ。あんたが思ってるほど、あいつ、あたしを見てくんないのよね」

「……そう、なの?」

「そうよ! 腹の立つ」

 これはかなり本気で言った惣流アスカであるが、少し頬を染めてうつむく綾波レイに毒気を抜かれてしまった。

「元気、出た?」

 その表情がなんとなく可愛い気がして声がやさしくなったのは、惣流アスカとしては不覚だったかも知れない。

「……ごめんなさい」

 綾波レイの感謝を引き出してしまった結果に、照れる。

「バカ言ってんじゃないわよ。どうすんの? 帰る?」

「……ええ」

「ま、あたしとしては、あんたがいないほうがいいんだけどねっ」

 立ち上がった惣流アスカに、綾波レイは多分はじめて。

 碇シンジ以外の人間に意識して微笑みを向けた。

「あっ」

 唐突に思い至った。

「ファース……レイ? まさかシンジも戻ってきてるってんじゃないでしょうね?」

「……碇くんは碇くんよ」

 綾波レイの言葉は短すぎて。

 惣流アスカは誤解した。

「そ、そう。まあそうよね。あいつ、相変わらず情けないし……」

 少し感じていた違和感は、綾波レイの影響かと納得した。

「なんにしても、心配かけんじゃないわよ。それに、シンジはあたしのもンだからね!」

「……心配は、かけないわ」

「ケンカ、売ってんの?」

 入ってきたときと同じ月の光だが。

 幽玄さはすでに喪われ、やわらかく放散している気がしていた。



「目標は強羅絶対防衛線を突破しました」

 絶対防衛線っていっても、防衛できたことがないですね、と日向マコトは言わずにおいた。

 これ以上、給与を減らされてはたまらない。

 つまらないことに拘っておれるほど、発令所には余裕があった。

 ここ一週間の徹夜仕事は伊達ではない。

「総員第一種戦闘配置」

 出張中の碇ゲンドウに代わり、冬月コウゾウの発令が下る。

 スクリーンの使徒を睨み付ける葛城ミサト。絶対の自信に裏付けられた気迫が発令所スタッフを勝利のダンスへ誘う。

 その態度を感心して眺める加持リョウジ。

 伊吹マヤの背後でMAGIの分析チェックに余念がない赤木リツコ。

 そして、冷静な紅い瞳、綾波レイ。

「シンジくん、アスカ? 用意はいいわね?」

『はい』

 返る声が揃う。

「シミュレーション通りの戦闘パターンで、分裂した使徒のコアへのエヴァ二体同時加重攻撃。タイミングはプラグに流す音楽でとって」

 ちらりと赤木リツコを伺う。

 準備よろしの目線が返る。

「両機、高機動モード、作戦、スタート!」

 ……葛城ミサトの発令後、62秒。

 使徒は殲滅された。



『楽勝ね、シンジ』

 エヴァ弐号機から、満足そうな通信。

『うん。あの、アスカ?』

『ん?』

『昨日は、バタバタしちゃって言えなかったけど』

 綾波レイを探し出せず、途方に暮れて戻ってきた碇シンジを、何事もなかったように惣流アスカが出迎えた。

 その後ろに小さく佇む綾波レイ。

「綾波! どこ行ってたの!?」

 駆け寄ろうとする碇シンジを、惣流アスカが押しとどめた。

「たまには息抜きくらいしたいわよ、レイだってね」

 ……レイ?

 その呼び方と二人の態度で、碇シンジはおぼろげながら理解した。

 やさしく微笑んで一言だけ、置いた。

「おかえり、綾波」

「……ただいま」

 その様子を最初はにこやかに見守っていた惣流アスカ、ふっと気づいて怒りだした。

 ……う、見守ってる場合じゃなかったわよ。なあにがひとつになりたい、だか!

 シンジがふらふらしてるから、最後のユニゾン訓練が出来なかったじゃないのよっ、だから、今夜は一緒に寝るのよ! と追いかけ回す。

「なに言ってんだよ!」

 逃げ回る。

 その二人の鬼ごっこの後ろを、なぜか綾波レイも、とてとてと追いまわしていた。

『だから、その、綾波のこと』

『なによ!』

『ありがとう。アスカには迷惑かけたよね』

『……ばぁか』

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