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第1話「ミサト襲来」

 ガチャン。

 受話器を置くと同時に覚醒した。

「ここから……なんだね。カヲルくん。綾波」

 ふうと息を吐いて時を待った。

 爆発音。

 遠くビルの谷間に巨大なヒト型の影が見えた。

 垂直離着陸重戦闘機が駆動部を破壊され、間近に墜落する。激しい光と轟音。ついで剣呑な破砕片を散りばめた熱風が襲う。

 しかし。

 ぶらりと両手を下げたままの姿勢で慌てもせず、少年はややけだるげに爆風に向き合った。

 直後。

 少年を守るようにタイアをきしませすべりこむ青い車体。アルピーヌルノーA310。

「ごめーん、おまたせ」

 開くドアから妖艶な美女。

 ノースーリーブのミニチャイナ服。豊満な肢体を包む。胸元に輝く銀の十字架。真昼の戦闘地域にあるべき格好ではない。

 心のどこかで単調な、けれど辛辣な声。

 それに苦笑しつつも迎合する。あの時はびっくりしていて考える暇もなかったけどね。僕を迎えるのに、なに、気合い入れてるんだろうね。

 思わず表情にも表れてしまったようだ。夜の胡蝶の柳眉がひそむ。

「はやく乗って。落ち着いてる場合じゃないわよ」

 助手席のドアを閉めるまもなく、激しいグリップ音とともに車は駆け出す。

 一瞬遅れて、降り注ぐ壊滅家屋。それを破壊した元凶の化け物の脚。

「私は葛城ミサト。ミサト、でいいわよ」

 相当の速度で車を繰りながらもにこやかな表情。

 さすがはミサトさんだよね。

 にっこりとほほえみ返した。

「はじめまして、ミサトさん」



 透明な透明な微笑。葛城ミサトのように内心の焦りを隠しての演技とは思えない。どこまでも落ち着いた柔らかな感情。

 どきっとした。

 なに、この子? ただ者じゃないわね。

 あの碇ゲンドウの息子だ。ただ者でないのは当り前かも知れない。

 必要と思われなかった手順や書類は無視するのに躊躇ないミサトは、彼の身上調査書もほとんど頓着していなかった。そこに描かれる無口で弱気な少年像を知らないので違和感は覚えない。

「よろしくね、碇シンジくん」

「僕のことも。シンジ、でいいですよ」

 うわ、と葛城ミサト。少年の唇からこぼれる歯が白く輝いたように思えた。当年とって29歳。中学生に翻弄される歳ではない。

 ないはずだけど。

 ちょっち自信がなくなってきた。

 ぐいとさらにアクセルを踏み込む。非常事態宣言の発令されている市中に人影はない。郊外を回る外環状高速まで赤点滅の交差点を徐行することもなく駆け抜けた。

 戦闘の爆音はようやく遠い。

 外環状に乗っても速度はゆるめない。遙かに化け物の姿がかすむ。真昼というのに、閃光が圧倒的な眩しさで断続する。黒煙がたなびく。

 こっちは冷や汗かいてるっていうのに。この子、平気な顔でいるわね?

 車載電話のベルが鳴る。

「ええ。彼、最優先で保護してるわよ。……今、外環。南14ゲートまであと5分ってとこ」

 その彼はごそごそとスポーツバッグからソニーSDATウォークマンを取り出し、ミニヘッドホンを耳に当てた。かすかに首を振って音楽にリズムを合わせている。

「なに? まだうちに指揮権が渡らないの? 戦自も無駄なことを。え? N2地雷? ちょっと待ってよ、殺す気?」

 対照的に焦りまくりの葛城ミサト。

 片手に受話器、もう片手で小型のスコープを目に当て、化け物に焦点を合わせる。アクセルは踏み込んだままだ。

 さすがにこれには少年も驚いたらしい。

「……ミサトさん?」

 うふふ、勝ったわ。

 なにが勝ったのか分からないが、とりあえず優越感を取り戻したミサトは、知らん顔で会話をつないだ。

「なるほど、鷹巣山防衛ラインに誘導してるわけね、無駄弾つかって。……わかったわ、3分でゲートに滑り込むから。ちゃんとカートレイン、上げといてよ。了解」

 ぽんとスコープを後部座席に放り出す。受話器を戻す。

 それでもなおステアリングには触れず、にっと怖い笑いを向けた。

「飛ばすわよ」

 答える代わりにシートベルトの固定を確かめてみる碇シンジだった。



「シンジくん? っんとにもう」

 ずぶとい、というのも違和感があるような気がした。

 国連直属特務機関ネルフ。その本部施設への直通車両搬送路に入ってからは、またウォークマンの音楽に没入していた。

 ふふんふふんと鼻歌でも出そうである。

 ジオフロントの景観にもまるで興味を示さない。

 子どもっぽく驚いたのは一瞬だけかあ。

 本部まで数分。エンジンを切った車を揺らすのは搬送路の振動。

 ゲート入りが間に合わずにN2地雷の爆風を受けていたとしたらどうだったのかしら、と葛城ミサトはちょっと危ない事を考えてしまいそうになる。自分の命も自分の車も犠牲にする覚悟が必要だけれど。

 もっとも。

 彼が期待されている責務を聞かされたら、こう悠長な態度はとっていられないかも。

 思い出したように運転席ドアポケットから大判のファイルを取り出し、少年の肩をつついた。

「これ、読んどいて」

 ネルフの職員用公式リーフレット集。一応部外者には極秘扱いであるが、書かれている内容はそう大したものではない。

 大したものではないけれど、一般の中学生には目を見張る内容だろう、と思う。

 ファイルを受け取った少年は、ようやくヘッドホンをはずした。

 音楽が漏れ聞こえる。

「なにを聴いてんの? ……クラシック?」

「歌は……いいですね」

 ウォークマンのスイッチを切ると、少年はそう微笑んだ。

 この物言いは似合わないわね、とミサトは感じる。

「お父さんの仕事、知ってる?」

「ええ」

 ぼんやりとファイルを開いた少年。やはり興味を持っているようには見えない。

「人類を守る……大事な仕事ですよね」

「碇司……お父さんがそうおっしゃってたの?」

「いえ、先生が」

 学校の教師ではないだろう。ネルフの存在は秘密ではないが、地方の一教師があずかり知るようなものでもない。

 しまった、彼の身上調査書をちゃんと読んでおけばよかった。時間が無かったのよねえ。

 少し焦るミサトの表情を読んだわけでもなかろうが少年は言葉を重ねた。

「ぼくを育ててくれていた人です、先生は。父とはもう3年も会ってませんから」

 あら、やっばー。

 ますます焦る。少年から見えないように、慌てて引っぱり出した身上調査書に目を走らせることにした。とりあえず略歴を……。

 4歳に別居。遠縁の中学校教員の元へ。

「恨んでたんです、なんでぼくを捨てたのかなって」

 おや? とミサト。

 話している内容はずいぶん暗いことなのに、少年の口調には暗さはなかった。

 その違和感が間抜けな質問を生んだ。

「お父さんのこと、苦手?」

 少年はファイルに目を落としたまま。

「今から父のところに行くんですよね」

「ええ」

「楽しみ……なんだと思います」

 ガタン、と搬送路が終着に止まった。

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