スポンサードリンク

第17話「始原」

「あんまりだ……」

 碇シンジは教室の隅で頭を抱えていた。

 ……やだ、うそでしょ、あの碇くんが?

 でも、案外、似合ってたりして。

 うんうん、あたし前から女形の顔だって思ってたのよ。

 ね、あたしの替えスカート、履かしちゃおうか?

 きゃはは、それいい、それいい!

「悪夢だ、これは悪夢だ……」

 黒板いっぱいに落書きされた碇シンジのマンガ絵。

 顔つきが案外うまく彼の特徴を捉えているだけに、その下に描かれた身体が不気味だ。

 大きな乳房。細い腰。内股に震える脚。

 デザインはやや不正確だが、赤く塗られているのは、惣流アスカのプラグスーツのつもりなのだろう。

 その絵の前で、鈴原トウジがなよっとした姿態を滑稽に演じていた。

「センセは、実はオカマやった、ちゅうわけや」

 ぎゃはは、と笑い飛ばす。

 オーバー・ザ・レインボーでの使徒戦。

 使徒の臓物の散らばる甲板があまりに凄惨であったぶん、弐号機エントリープラグから降り立った碇シンジの間抜けな姿が爆笑を買った。

「なに、シンジくん、そのカッコ。まさかアスカのを着てるとは思わなかったわ」

 吹き出した葛城ミサトの横で、二人の旧友は腹を抱えて転げ回っていた。

 新横須賀港に着くまでもさんざん冷やかされ続けたし、そのおかしみを他の誰かに話したくてたまらなかったのだろう。

 今日は葛城邸への登校の誘いも来ず、朝早くからこのマンガ絵を描くことに熱中していたらしい。

 エヴァンゲリオンがらみのことであるので、相田ケンスケも写真は撮っていなかった。

 その代わり、思いもよらず絵画のセンスを発揮しての大作であった。

 登校するなり、教室中の爆笑が襲いかかってきた。

 さらに。男子連中に笑い者にされるのはまだ良かったが、女子の視線が痛かった碇シンジである。

「おかしい……『以前』はこんなことにはならなかったはずなのに……」

 態度が明るくなり、親しく話す級友が増えていることが、今回は裏目に出てしまったようだ。

 悪気などこれっぽっちもない。中学生らしいじゃれあいに過ぎないとはいえ。

「あぅ、綾波まで」

 自分の席で文庫本を広げていたが、視線は冷たく碇シンジを見つめている。

 綾波レイはからかっているわけでも呆れているわけでもなく、弐号機パイロットのプラグスーツを着た、というその点に拘っているだけだが。

 『以前』の記憶を持ち、避けられたはずなのだから、実は「着たかった」のではないかと勘ぐっても無理はない。

「す・ず・は・ら! いい加減にしなさい!」

 やはり救いの女神は洞木ヒカリ委員長であった。

「いくら碇くんが女の子みたいだからって、かわいそうでしょ!」

 あまり救いにもなっていないかも知れない。

 ……洞木さんもそんな目で見てたのか。

 ショックが大きい。

「ほら、チャイムが鳴ったわよ。はやく……」

 その絵を消しなさい!

 言い終わる前に、のそっと担任教諭がショートホームルームに姿を現わした。

 いつもよりずいぶん早いのは。

「起立!」「礼!」

「転校生を紹介します」

 おぉっとどよめく教室。

 皆と全く同じ制服を着ているはずなのに、見事なプロポーションの故か、桁外れにあか抜けたセンスを見せる紅毛碧眼の美少女。

 流れるような文字で黒板にサインをし、惣流=アスカ=ラングレーです! と。

 言えなかった。

 黒板に向かい白墨を手にした状態で。

「ぎゃはははははは! なっに、これ。バカねぇ!」

 涙を流して笑っている。

 ……だれのせいなんだよぅ。

 碇シンジの心のぼやきは、届かない。

 惣流アスカは、そのマンガ絵に負けないサイズで、「バカシンジ」と文字を書き足した。



「すでにここまで復元されています」

 無精髭に長髪を首の後ろで束ねた男が、巨大なスーツケースを執務机に広げて報告している。

「ああ。ご苦労だった」

 声の調子が冷たいので、ねぎらいに聞こえない。

 濃いサングラスの奥の鋭い瞳は、報告した男ではなく、スーツケースの中身をじっと見下ろしている。

 半透明の硬化ベークライトに固められた物体。

 昆虫の幼虫を思わせる胎児。

 鋭い視線に反応したわけでもないだろうが、ギョロリと胎児は巨大な目を動かした。生きている。

 ……始まりの人間、アダムと呼称されるモノ。

 ガチャリとスーツケースが閉じられる。

 元のようにロックを閉ざす碇ゲンドウの横で、冬月コウゾウが声をかけた。

「加持くん。君には今後は本部付きとしてなってもらう。

 作戦行動時にも、発令所への立ち入りを許可する。いいね?」

「了解しました」

 軽く答える。

 ……許可、か。要するに作戦行動時の自由行動を制限しようって腹かな?

 俺はゼーレに近すぎるしな……

 内心の憶測は表情には出さない。

「正式な辞令は明日になる。疲れたろう。今日はゆっくり休んでくれたまえ。本部に宿舎を用意してあるよ」

「ありがとうございます。でも、こっちにアパートを借りてありますのでね。そこへ帰りますよ」

 冬月コウゾウに代わって碇ゲンドウが答えた。

「そうか、好きにするといい」

「はい、では失礼します」

 総司令執務室を飄々と退散する。

 ドアが閉ざされるのを待って、冬月コウゾウが眉をしかめた。

「いいのか、碇?」

「かまわん。今はまだ使える男だ」

「しかしな」

「なにも情報が漏れない、では却って怪しまれる」

 ネルフ特殊監察部。本部支部の枠を越えた巨大な一種のスパイ組織に属しているが故か、加持リョウジの背景には他の組織の影がある。

 それはネルフ本部首脳の二人にも分かっていることだった。

「復元、といったな」

 韜晦でないのであれば、加持リョウジは逆の理解をしていることになる。

 アダムは卵から成長している段階である、と。

「老人たちも、全ては漏らすまい」

 片手で眼鏡を押し上げ、軽く嗤う。

「化かし合いだな」

 ようやく描かれた執務室天井の巨大な壁画、セフィトロの樹を見上げた冬月コウゾウは前途に嘆息した。



 なんかイライラするわねっ。

 惣流アスカは自分の机の周りに群がってくる級友たちににこやかに答えながらも、ちらちらと横目で碇シンジを気にしていた。

 綾波レイとの距離が近すぎる。

 なにを話しているのかは聞こえないが、綾波レイの机に軽く腰を乗せ、静かな微笑みをたたえている。

 そして。

 綾波レイも、笑みというほどでもないが、決して自分の記憶にあるような冷淡な態度ではない。

 どうなってんのよ?

「碇くんをバカなんて呼ぶの、惣流さんくらいよ?」

 その視線に気づいたのか、無難に趣味などを尋ねていた洞木ヒカルが話題を変えた。

「アスカ、でいいわよ。……なに?」

「碇くんって人気あるもの」

「へぇ?」

「惣流さんもパイロットなんだろ? エヴァっていうのの」

「そうよ。よく知ってるわね?」

「鈴原たちが今朝から騒いでたから」

「ああ、あの絵?」

 くすっと思い出し笑い。

「シンジってば、いじめられっ子なわけ?」

「そうじゃないさ」

「人気あるもの、碇くん」

 憧れの裏返し、あるいは嫉妬で、今日はたまたまからかっただけだ、という。

「そうなの?」

 きょとんとした惣流アスカに相田ケンスケが級友たちの輪の外からカメラを向けた。

「そうさ。大変な仕事だってのは知ってるからさ、みんな。それでもいつもシンジは明るいしな」

「やさしいし」

「悔しいけど、まあカッコいいやつだよ」

「あのばかシンジがカッコイイ?」

 どうもずれている気がした。

「まぁ、アスカも同じパイロットだから、あたしたちとは見方が違うかも知れないけど」

「カッコ悪いなんて言ってないわよ?」

 そう。

 碇シンジを一番馬鹿にしていたのは自分だ。

 だからこそ、碇シンジの良さを分かるのも自分だけのはずだ……

 と惣流アスカは考えていた。

 鈴原、相田とはともかく、他の連中と仲が良かったり人気があったりした奴じゃなかったわよ。

「あ、やっぱり」

「なにが?」

「アスカも碇くんが好きなんだ」

「なに誤解してんのよ! ……アスカも、って?」

「ほら」

 惣流アスカに一目惚れらしい少年が目で示す。

「碇と綾波さん。綾波さんもパイロットだから知ってるだろ? あの二人、付き合ってるんだよ」

 実際はクラスでも二人が付き合っているのかどうかというのは謎だった。

 単にパイロットとして親しいだけだと思いたがっている連中も多かったが。

 少年がこう断定したのは、既成事実をでっちあげて惣流アスカが碇シンジに惹かれるのを阻止しようという気持ちがあったのだろう。

「な、なんですって〜!?」

 思いもかけない大声で惣流アスカは反応した。

 椅子を蹴って席を立ち上がった。

「ばかシンジ!」

 遠巻きに、成り行きを興味津々と見守る教室。

「あ、アス……惣流さん?」

「なに呼びなおしてんのよっ。アスカでいいってんでしょうが」

「なにか用?」

「あんたたち!」

 碇シンジと綾波レイを交互に睨み付ける。

「付き合ってるって?」

「誰がそんなことを? 別にそんなんじゃないよ」

 照れているわけでもなく、素っ気なく返された。

「……セカンド?」

「なによ!」

「はじめまして」

 綾波レイは微かに口元をほころばせた。

「あ……はじめまして……」

 ファーストとは初対面だったわ、と紅潮する惣流アスカである。



「そう……」

 碇シンジの話に、綾波レイも驚いたようだった。

 夜食にと碇シンジがいれてくれた紅茶を飲む手も止まった。

 ……惣流アスカが時を遡航していた……。

「だから考えてたことも、すっかりどっかに飛んでいっちゃって」

 惣流アスカには悪いが、弐号機を自分が起動し、一人で使徒を殲滅する。

 アスカを戦いには巻き込みたくない……。

 もっともそれを惣流アスカが許すとは思えなかったし、碇シンジが弐号機にシンクロしたとあればもっと大きな問題も出ただろう。

「ぼうっとしてるうちにアスカに誘われて、結局、『以前』と同じように二人で弐号機に乗ったんだ」

 ぴく、と綾波レイの肩が揺れたのは、自分には経験のないタンデム搭乗を想像したせい。

 わたしもやってみたい、とまでは思わないが。

 碇シンジはタンデムの状況の詳しい話は端折った。

 まさか惣流アスカのプラグスーツを着て勃起したとは言えまい。

「アスカのシンクロ率は高かったと思う。はっきりとは分からないけど……」

 碇シンジの記憶にある、シンクロ率が0に近くなり、起動すらできなくなった惣流アスカの面影はなかった。

 それどころか、絶好調の時をも遙かに越えているようだった。

「アスカもコアの正体は分かってたんだと思うよ」

「……弐号機は覚醒しているの?」

「そこまでは分からない」

 結局、弐号機を同化して操ることはしなかったからだ。

「アスカの力だけでも楽勝かもしれなかったけど」

 油断による第四使徒との苦戦を思い出した。空母には鈴原トウジと相田ケンスケも乗っている。

「それで、自分のATフィールドを使った」

「碇くんの?」

「うん。本部のモニタはないから、ばれないと思って」

 弐号機のATフィールドに乗せて、碇シンジ自身がATフィールドを展開した。

 相乗効果によって爆裂的なエネルギーが使徒を切り裂いた。

「アスカもさすがにちょっとびっくりしてたみたいだったけどね」

 碇シンジにATフィールドが張れるとは想像できるはずもない。

 タンデムによってシンクロ率が極端に上がったのだと納得したようだった。

「だけど」

 口調が暗くなった。

「言えなかったんだ……最後まで」

 自分も同じく時を戻っているのだ、と。

 惣流アスカを知っているのだ、と。

「どうするの?」

 このまま隠し続けるつもりなのか、と綾波レイは問うた。

「……うん」

 碇シンジと綾波レイの遡航は、相当に周囲の状況を変えてしまっている。

 そもそも、今、こうして葛城ミサトのマンションに同居していること自体、『以前』なら考えられないこと。

「隠せるものでもないとは思うけど」

 空母の中で、その機会はあったのに言い出せなかったことが重荷になってしまっていた。

「アスカが何を考えているのか分からないから」

 綾波レイには拘りはない。

 これは碇シンジ自身の問題だった。

「……明るかったんだ」

 綾波レイには意味がとれなかった。

 小首をかしげて説明を促す。

「アスカが、さ。壊れたときじゃなくて、最初、出会ったときのように明るかったんだよ」

 それが懐かしく、嬉しかった。

 惣流アスカは、碇シンジを何も知らないと思いこんでいるから、明るかったのだろうと考えた。

「だから……いっちゃうと、壊れちゃうような気がして」

 関係が。

 最悪の時の関係に戻るような気がして。

「それで、なにも言えなくって……」

「そう」

 肯定するように言葉をおく。

 少年の心の痛みは理解できた。理解できる気がした。

 そして綾波レイにも、どうすればよいか、は判断できなかった。

「明日になれば、弐号機パイロットも転校してくるわ」

 『以前』、よろしくと高飛車に声をかけてきた惣流アスカを冷たくあしらったことを思い出した。

 学校にいけば、綾波レイも時を戻ったという惣流アスカと対面することになる。

「綾波も……黙っていてくれる?」

「そのほうがいいの?」

 いずれ暴露するのであれば、そして碇シンジが言い出しにくいのであれば、自分が説明してもいいと綾波レイは思った。

 だが、碇シンジは静かに笑った。

「ぼくが言わなくちゃいけない、と思うから」

 逃げるつもりはなかった。

 碇シンジがぐずぐずと躊躇し続けた本音は、結局、明るい惣流アスカを楽しみたかったというだけなのかも知れなかった。

 もうほんのしばらくでも。



 ……なぁにが「はじめまして」よっ、すましちゃってさ!

 授業の始まりのチャイムで引き下がった惣流アスカ。

 『以前』の記憶が災いして、綾波レイとは初対面であることを忘れていた自分の粗忽への苛立ちを、綾波レイの態度にぶつけた。

 机上の端末に表示されるテキストを眺めもせず、眉間にしわを寄せている。

 ……にやり、って笑ったわよ、あいつ、絶対。にやりって。

 男子生徒なら見ほれる綾波レイの微笑も、惣流アスカには碇ゲンドウレベルになるらしい。

 もっとも。どちらが真実なのかは分からない。

 ……どうやら、あたしの知っている過去とは少し違うみたいね?

 綾波レイから「はじめまして」などと言われるとは思いもよらなかったし、人形じみた冷淡さもないようだ。

 そもそも、葛城家に同居しているなどというのがおかしい。

 ……時間の歪み、ってやつかしら? それとも多層世界?

 なにやら妖しい擬似科学まで引っぱり出したが、うまく説明のつくものでもない。

 自分自身の時間遡航の説明も結局はつけられなかったのだ。

 エヴァの力、と漠然と納得する以外なかった。

 どちらにせよ、自分自身がここにいる。

 そして少し態度に違和感があるとはいえ、碇シンジもここにる。

 惣流アスカは理屈に拘ってやるべき事を見失う性格ではない。

 直感で行動していく、目前の障害は実力で排除する。

 ワケわかんなくても、降りかかった火の粉は払いのけるのが当然!

 となれば当面の問題は。

 ……じゃあ、これから、このあたしにどこに住めっていうのよ!

 一人暮らし、は考慮に値しなかったらしい。

 あたしの力で、ママのいるエヴァ弐号機の力で、弱虫シンジを守ってやるんだから。

 あたしの食事の世話はシンジがするのよ!

 むぅっ、と綾波レイを睨み付ける。

 記憶にある綾波レイは、いつも窓の外をぼんやり眺めていたものだが……。

 その紅い瞳は明らかに碇シンジに向けられていた。

 ……怪しいわね。

 まぁ、ばかシンジはあの女に惹かれてた面はあったみたいだけど、あの女のほうがねえ……。

 碇シンジばかりか、綾波レイまでもマンションに引き取っているというのなら、葛城ミサトがさらに惣流アスカを引き取るだろか?

 うーん、と頭をかきむしる。

 ……だいたい、シンジと同居なんてことになったのは、うん、ユニゾン訓練よね。

 誰が望んだ訳でもない、命令で無理矢理同居させられたのだ。

 ってことは……まあ使徒は歴史通りにやって来てるようだから。

 やはりユニゾン訓練は強制されるだろう。

 そうよね、こっちから言い出すことじゃないんだわ。

 ファーストはユニゾン訓練には邪魔だから追い出してもらって……。

 うふうふ、とほくそ笑む。

 いや、でもそうなるには問題がひとつ、あるわね。どうすればいいかしら……。

 ギリッ、と歯をかみしめる。

 ……やだ、あたしがシンジなんかと一緒に住みたがってるみたいじゃない。

 そうじゃないわよ、家政夫代わりにつかってやるだけよ!

 赤く頬を染めて、ぷるんぷるんと首をふる。

「惣流さんって……」

 授業の初めから延々と繰り広げられ続けている惣流アスカの百面相。

 気づいていた教室の約半数の生徒たちは、可愛いと好意を寄せるべきか、変わり者と一歩引いたほうがいいのか決めかねて、彼らも頭を抱えていた。

スポンサードリンク

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 

スポンサードリンク

Linkフリー

エヴァンゲリオンのファンフィクション小説−Kaworu My Love−
エヴァンゲリオンの二次小説「終わりのはじまり」
エヴァって何?という人は初めてのエヴァンゲリオン