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第16話「タンデム」

 ……ばかシンジ?

 驚天動地の衝撃が碇シンジの全身を揺さぶった。

 立ちつくしたまま、声も出ない。

「ちょ、ちょっと、アスカぁ。初対面で『バカ』はないんじゃないの?」

 呆然とした少年の姿に慌てて取り繕う。

 チームワークのための顔合わせ、しょっぱなからこじれられては困ってしまう。

「ふ、ふん。こんなさえない奴、ばかシンジで十分よ。あんた、あたしのことはアスカさま、って呼ぶのよ?」

 ……しまった、思わず、ばかシンジなんて呼んじゃったわよ。これはさすがにまずいかしら。

 と、内心の焦りで、さらなる倒錯の世界へ真っ逆さまに落ちていく惣流アスカ。

「な、なんちゅう女や」

 まだ痛む頬を押さえながら慄然の鈴原トウジ。

「被写体としては最高かもな」

 頬の痛みは横に置いて、ビデオカメラを美少女に向ける商魂たくましい相田ケンスケ。

 頭の中では少女の手の野球帽は鞭に変じている。

 ……あれ? 行動や言葉はひどいくせに、いい表情してるよな?

 と感じたところは、カメラマンとしての資質がなせるわざか。

「シンジのやつも災難やで……」

 それぞれに思いを抱えながらも、白服の士官に連れられ、艦橋へと向かう一同である。



 空母オーバー・ザ・レインボー第一艦橋。

 作戦行動中の空母艦橋に入れるなんてと感涙こぼれる相田ケンスケはともかく、鈴原トウジはぼけっと退屈そう。

 書類を間に、厳めしい白髭の軍人と、なにやら激しくやりあっている葛城ミサトを眺める。

 Captain、くらいはかろうじて聞き取れたので、きっと艦長なのだろう。

 早口の、いや早口でなくとも英語など理解できないのでなにを言い合っているのかは分からない。

 さすが外人やで、ごっつい腕しとるのぅ。毛ぇもボーボーやわ。

 わいももっと鍛えなあかんなあ……。

 取り戻した野球帽を撫でながら、つまらないことを考えている。

 その横で碇シンジ。

「とにかく、引き渡しはシンヨコスカに入港後だ。私は国連軍太平洋艦隊旗艦艦長として輸送作戦の全責任を負っている。海上でのロボットの引き渡しは認められん!」

 心のどこかに溶け込む渚カヲルの能力か、英語は理解できるのだが、惣流アスカが気になってそれどころではない。

 ちらりちらりと、やはり退屈しきった様子の少女の横顔をうかがう。

 ……アスカ。

 まさかあのアスカなのかな?

 アスカもサードインパクトで戻ってきちゃったんだろうか?

 いくらぼくのせいで歴史が変わってきているっていっても、ドイツにいたアスカまで影響なんてないはずだし。

 影響があったにしても突然、ばかシンジ、なんて呼ばないよね?

 ってことは、やっぱり。

 ……ぼくの知ってるアスカなのかな?

 いくら悩んでみても判然としない。

 表情から内心をうかがえるほど世故に長けているわけでもない。

 ……とにかく、話してみないと。

 でも、もしあのアスカだとして、アスカはぼくも戻っていることを知っているんだろうか?

 ぼくたちの関係は最悪だったし。

 また最悪の関係が続くのかな……。

「よっ。相変わらずりりしいなァ」

 かけられた日本語は、艦橋に大きく広がった。

「か、加持ィ!?」

 な、なんであんたがここにいるのよ!?

 目をみはった葛城ミサト、知らされていなかった邂逅に呆然とする。

 まァまァ、とネルフ特殊監察部の切れ者、加持リョウジ。ひとことふたこと艦長に話しかける。

 頑迷な太平洋艦隊旗艦艦長も、この肩書き以上の権限を握るらしい飄々とした男は扱いかねているようで、しぶしぶではあるが矛先を納めた。

「じゃあ、士官食堂に案内しよう。お茶でも飲もうぜ」

 ……アスカ、あんまり加持さんべったりじゃないみたいだな。

 連れだって加持リョウジに案内されながら、ひとつまた少女に違和感を感じて考え込み続ける碇シンジだった。



 海風が髪をなぶるように吹きすぎていく。

 少年の短い髪も。少女の長い髪も。

 そして目の前にある巨大な白布をも。

 一辺100メートルを越えるかと思える白布が風に煽られつつも、輸送船に改造されたタンカー甲板を覆い隠していた。

「これがエヴァ弐号機。制式タイプよ。あんたの初号機とは顔が違うでしょ」

 白布と甲板の隙間を押し上げ、その中に隠されていた深紅の機体を愛おしそうに示す惣流アスカ。

「初号機の顔なんてよく知ってるね?」

 少しだけつついてみる。

「え? あ、えっと、当ったり前じゃない。写真くらい、見てるわよ! あんた、ばかァ?」

 赤くなったり、怒ったり。

 ……間違いない、よね。この子はアスカだ。あのアスカだ。

 先ほどの士官食堂でのちょっとしたやりとり。

 碇シンジのクラスメイトを愕然とさせた、加持リョウジと葛城ミサトとの勘ぐりたくなる関係の暴露にも平然としていた少女。

 が、ふと葛城ミサトが口にした綾波レイとの同居には、椅子から転げ落ちるほどに動揺していた少女。

 碇シンジは、ほぼ確信を得ていた。

 ……アスカって嘘をつくのは下手なんだよね。

 しかし。

 その確信が、碇シンジの心を、甲板をよぎる風よりはるかに強く千々に乱れさせていた。

 なぜアスカが?

 サードインパクトの真実を理解しているはずの少年にも、その理由が分からない。

 ……なにも知らないアスカと今度はうまくやりなおす。

 そんな都合のいい話なんてないってことなのかな?……

 くらくて熱いぬめりを喉に流し込まれたような気分だった。

 ……アスカはぼくも時を戻ってきているんだとは気づいていない。

 そう、本当に初めて会ったときのぼくだと思ってる……

 だが。

 自分の真実を告げる勇気が湧いてこなかった。

 壊れてしまったアスカを知っている碇シンジ、最後の戦いにも助けに行けなかった碇シンジがここにいるのだと知ったら。

 惣流アスカがどういう態度に出るのか、まるで見当がつかなかったからだ。

 一気に、あの最悪の関係に舞い戻り、罵倒されることを碇シンジは怖れた。

 弐号機を見せてあげるわ、と誘われ、この輸送タンカーにやってきて二人きりになっても。

 ぼくだよ、と。

 碇シンジはその一言をいえずに、ただ懊悩に囚われていた。

「来たわね!」

 ドォン! と船体が激しく揺れた。水中衝撃波。

 弐号機のそばを離れ、素早く甲板に走り去る惣流アスカ。

 炎に包まれる駆逐艦を確認する。

「シンジ! 使徒よ」

「そうだね」

「グズグズしてらんないわ。出すわよ!」

「エヴァを?」

「そうよ。さ、あんたも来るのよ!」

 あたしの力、見せてあげるわ、ばかシンジ。



「碇くん?」

 セカンドチルドレンを出迎える件を伝えられた碇シンジの態度に不審を感じたのか。

 あるいはたんに明日の起床時間が早いことを気にしたのか、葛城ミサトは「先に寝るわ」と一足早く自室に消えた。

 その後ろ姿を見送ったあとも、食事の片づけに立ち上がろうとしない碇シンジにそっと声がかけられた。

「……あの人に会うのが怖いの?」

「そう、なのかな?」

 気弱な微笑みを返した。

「ぼくはアスカを守れなかったからね」

 紅い瞳が先を促す。

「怖いっていうより……今でも時々夢に見るんだ。エヴァシリーズに引き裂かれた弐号機」

「あなたのせいではないわ」

「そうかも知れないけど……」

 自分が動かなかった、なにもしなかったのは確かだ。

 もっとしっかり見つめていれば。

 もっとしっかり生きていれば。

「アスカはあんな目にあわずにすんだかもしれない」

 しばしの静寂。カチ、と冷蔵庫のモーター音が響く。

「……気になるの? あの人が」

「うん。ぼくの知っているアスカじゃないんだけど、ね」

 白く細い指が、少年の手にそっと重ね合わされた。

「綾波……」

「弐号機と一緒にアダムが運ばれてる」

 唐突に綾波レイは話題を変えた。

「アダムが?」

「ええ」

「そうなのか」

 南極で発見された最初の人間。

 エヴァシリーズの素体を生み出し、渚カヲルを生み出した第一使徒アダム。

 そして、セカンドインパクトという犠牲を払ってまでも人と融合できる卵へ還元しようとされた第一使徒。

「使徒はアダムに還る……だから、第六使徒は艦隊を襲ってきたのか」

「……あなたはあの人を守れるわ」

 つぶやくような言葉。

 今の碇シンジの力であれば、危なげなく第六使徒を撃退する手助けをすることはたやすいだろう。

 それは事実を告げた言葉だったが。

 碇シンジが惣流アスカに強く拘っていることに、どこか寂しさを感じていたのかもしれない。

 綾波レイの想いはわかっていた。

 だから碇シンジは、重ねられていた少女の手を、指を絡めて握り返した。

 その暖かさに。

 綾波レイはやがて溶けるように微笑みを浮かべた。



 弐号機エントリープラグの中で、碇シンジは綾波レイの微笑みを思い出していた。

 ……アスカがぼくのことをどう思っているにしても。

 今は、使徒の殲滅に集中しなくてはならない。

 惣流アスカがあの『アスカ』であるとするなら、なおさら。

 彼女を守らなくてはならない。

 そして。

 碇シンジには、加持リョウジが運んでいるはずのアダムも守らねばならなかった。

 ……誰も傷つけたくないから。

「いけるよね?」

「なに言ってんのよ? あたしを信じて、どーんと泥船に乗ったつもりでいなさいよっ」

 それって沈んじゃうよ?

 突っ込もうとして、振り向いた惣流アスカに言葉を重ねられた。

「シンジ、可愛いわね?」

 やっぱり無理に着せられた惣流アスカの予備のプラグスーツ。

 自分のプラグスーツを持って来るつもりだったのに、朝、寝過ごしたミサトさんに急かされて忘れて来ちゃったんだよなぁ……。

 やっぱり恥ずかしい。

 自分の姿を見下ろしてみる。

 フィットはしているが、乳房のカップがぴょこんと飛び出ている。

 ……これってアスカの胸のサイズだよね。

 こんな時でも『膨張』はするらしい。若かった。

「いくわよ?」

 少し頬を赤らめて惣流アスカ。

 碇シンジの興奮を感じたわけではない。可愛いなどと口走った自分に、彼女は彼女で妄想が膨らんでいたらしい。

「L.C.L Fuiiung. Anfang der Bewe……、あ、あんたドイツ語できないのよね」

 ……バームクーヘンだって、ばっか。

 日本の中学生だって、I'ch liebe dich くらい知ってたわよ?……

 まだ妄想の中に片足を突っ込んでいるようではあるが、手早く思考言語形態を切り替え、日本語で自律起動シーケンスに入る。

 今はドイツ語も話せるよ、と碇シンジは言わなかった。



「あんなロボットに頼るとはな」

 ネルフ特務権限を盾に、結局作戦指揮権を葛城ミサトに奪われた旗艦艦長は苦虫をかみつぶす。

 すでに艦隊に相当の被害を受けているだけに、拒めなかった。

 その上、胡散臭い男だと警戒していた加持リョウジも、いかなる権限か国連艦隊司令部の命令書を振り回して、Yak-38改戦闘機を奪い取るように離脱していった。

 加持リョウジの機影を横目に、ふと考えに沈む葛城ミサト。

 あのバぁカ。

 にしても、なにを急いで離脱したのかしら?

『ミサト! 電源ソケットの用意できた?』

「ええ、準備できてるわ。こっちの空母に乗り移って。飛行甲板の損害はかまわないから、空母上で迎撃! 海に落ちないように注意するのよ」

 惣流アスカからの通信に現実に引き戻された。

 日本語での通信をよいことに、艦長に聞こえたらただではすみそうにない指示を出す。

『了解!』

 にしても、なんでシンジくんまで弐号機に乗ってるのかしら?

 まあ、エヴァの中が一番安全だからいいけれど。

『着艦しま〜す!』

『使徒。左舷9時の方向』

『わかってるわよ』

 ふん、こっちが命令を出す前に、うまくやってくれてるわね。

 なんせ、この艦のレーダーシステムって使徒戦用じゃないのよね。

 エヴァの哨戒システムのほうが百倍、マシか。

 ザバッ!

 予想以上に巨大な使徒の姿が海上に現れた。

 空母オーバー・ザ・レインボーの全長さえ遙かに越えている。

「でかい……。アスカ、足場に注意しなさい!」

『まかせて』

 惣流アスカの声は落ち着いていた。

 エヴァ弐号機はプログナイフを眼前に構えている。

 巨大使徒が跳ね上がり、エヴァ弐号機に迫ったその瞬間。

 ガィン!!

 エヴァ弐号機のその深紅の姿が、さらに紅い燃え立つ炎に包まれた気がした。

 4つの眼が爛と輝く。

「弐号機の……ATフィールド?」

 甲板上にどす黒い臓物と雨のような血を滴らせ、使徒はまっぷたつに裂けて海中に沈んでいった。



「これが……弐号機の力?」

 エヴァンゲリオン弐号機エントリープラグ内に装備されていた記録レコーダをMAGIに解析させた結果に、赤木リツコは瞠目した。

 碇シンジを同乗させたという。

 システム的に、碇シンジは異物として認識されるはずだ。

 タンデムによるシンクロ率の向上などという都合の良い結果が出るような代物ではない。

 零号機と初号機はともかく、弐号機はコアが根本的に異なる。

 パイロットの互換性などないのだ。

 それが。

 ドイツ支部から送られてきていた弐号機のATフィールド強度最高値を遙かに越えるエネルギーが発生し、使徒をまさに一刀両断にしていた。

「シンクロ率の増加による効果じゃないわね。いったい……」

 太平洋から帰還し、疲れた疲れたと愚痴をこぼしていた葛城ミサトに問い質したところでは、肉眼でもはっきり視認できるほどの激しいATフィールドの発現だったらしい。

 惣流アスカのパイロットとしての才能なのか。

 あるいは……。

 赤木リツコには、碇シンジがなにかのキーを握っていると思えてならなかった。

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