第14話「策謀」
「委員会から臨時追加予算の承認が得られた」
ネルフ本部最上階。司令執務室。
フロアのほぼ全てを占める広大な空間に、ぽつりと人影がふたつ。
「やっとか。まったく手間がかかるな」
答えたのは冬月コウゾウ。呆れ果てたというように嘆息する。
「戦略自衛隊の兵器を使って使徒を殲滅したのがショックだったらしい」
指を組んで隠された口元がにやりと歪む。
「なるほど。日本が強力すぎる武器を持つことは委員会の連中には面白くないだろうな」
「つまらん連中だよ」
「まだ前世紀の権威にしがみついている、か。救われん話だな」
「補完計画の真実はゼーレが握っている。彼らは傀儡に過ぎん」
「とはいっても、表向きの権力は委員会にあるからな。あまり馬鹿にしていると面倒になるぞ」
「ああ。その面倒だ」
バサと書類を冬月コウゾウに示す。
「なんだ? 日本重化学工業共同体……ああ、例のおもちゃかね」
「予算承認の裏条件だ。つぶせと言ってきている」
「私たちにか?」
ため息をつくしかない。
「特殊監察部に任せる。無駄なことにかける時間はない」
「やりきれんな」
その言葉は委員会に対してのものか、あるいは特殊監察部を使った裏工作に対してのものか。
多分、両方を意味していたのだろう。
碇ゲンドウはここに来てもやや潔癖な老師にフッと笑った。
「ともあれ予算は降りた。零号機の改修作業も問題ない」
「弐号機はまだ来ないのかね?」
「ドイツ支部長がしぶっている。野心の多い男だ」
「葛城くんを獲られているからな」
揶揄した。碇ゲンドウに野心云々を説かれては救われまい。
にやりと軽く笑っただけで反論はせず、これからドイツに出向く、と碇ゲンドウは後を託した。
残された時間は少なく、仕事は山積みだった。
ぶつぶつと頭をかきむしりながら葛城ミサト。
どんよりした暗雲を背景に背負い、碇シンジの焼いたトーストを口にする。
綾波レイはすまし顔で野菜サラダをついばんでいる。
碇シンジが困り顔。たはは、と誤魔化し笑い。
「いつから?」
ギロっと上目遣いで少年を睨む。
「だから誤解ですって」
「あたしだってね、別に固いことをいうつもりはないのよ。でもね」
碇ゲンドウの冷酷な顔が浮かぶ。
「葛城くん、君には失望した。クビだ」
あああ〜、と幻聴に涙する。
「車のローンが。あたしのエビチュがぁ〜」
「ミ、ミサトさん?」
「だから!」
ビシっと碇シンジの鼻面を指さす。
「あたしんちで子どもを作られちゃったら困るのよ」
「違うんですって」
「素っ裸のレイを布団に引っ張り込んで! 抱きしめて!」
ブリーフを突っぱらかせて!
「これで、どう言い逃れするつもりよ!?」
珍しく朝早くに目が覚めた。
昨夜のビールが多すぎたのか、尿意がしんしんと。
仕方なく寝ぼけ眼で起きあがると、隣に眠っているはずの綾波レイがいない。
「あっれ? レイもトイレかしら。あたしだって漏れそうなのにな」
ズルズルと歩いてトイレをノック。
「いない?」
とりあえず用を足してから、リビング、キッチン、サニタリー。影がない。
「まさか」
目が覚めた。
おそるおそる碇シンジの部屋のドアから覗き見る。
もっこりと大きく膨らみすぎている掛け布団。
「シ、シンちゃん?」
がばりとひっぱがしてみると、そこには下着一つ着けていない、白い流れるような曲線があった。
「レ、レイ……」
「あ、おはようございます、ミサトさん。……もう朝ですか?」
もぐもぐと寝起きの碇シンジ。
腕はしっかり綾波レイを抱きしめている。
「あぅあぅ」
あっちゃ〜、あたしがからかいすぎたのかしら。
まさか、まさか、いくらなんでも、ほんとうにやっちゃうとはぁ。
碇司令に、リツコに、なんて言えばいいのよぉ〜。
「ど、どしたんですか? あ、あれ? 綾波!?」
ようやく気づいたらしい。
「うああ、なにやってんだよ、綾波〜」
「し、白々しい!」
「違います、いや、これは」
「……おはよう、碇くん」
ふにゃんと抱きついた。
「うぁうぁ」
「まずい、これはまずいのよ……」
けたたましい朝だった。
「聞いてくださいよ、ねえ、ミサトさん」
トーストを食べきった葛城ミサト。
空になったコーヒーカップをスプーンでカチャカチャ。
「お代わり、します?」
「誤魔化されないわよ」
「じゃなくて」
だいたい碇シンジには覚えがなかった。
矛先を変えてみる。
「綾波、どうしてぼくの布団にいたの?」
「……危険だから」
「へ?」
葛城ミサトまで怪訝な顔。
「危険ってなに?」
「夜中に蹴られるから」
「蹴られるって……ミサトさんに?」
こくりと綾波レイ。
「ちょ、ちょっとなによ。あたし、そんなことしないわよ。レイに恨みなんてないんだから」
「もしかして……寝相?」
はぅ、と葛城ミサトは固まった。
「それでぼくの所に避難してきたの?」
再び、こくり。
「な、なんてこと言うのよ」
しかし、寝相の悪さは覚えがあるだけに言い返せない。
う、そういやあいつも、朝になるとソファーで寝ていたこと、あったっけ?
昔の男を思い出す。
「で、でも、それなら布団を離せばすむことでしょう?」
「ミサトさんの部屋って、今、布団を離して敷けるほど余裕ないじゃないですか」
雑然と荷物がひきちらかっているのは相変わらず。
碇シンジが時折片づけてはいたが、すぐに元の状態。
焦っていた碇シンジがくすくす笑い出した。
「部屋、片づけたほうがいいですよ?」
「わ、わかったわ。ああ、私のせいでどうにかなっちゃったなんて言われたら堪んないもんね」
とはいえ、これはもう性格の問題であって、片づけようと思って片づけられるものでもない。
「そうだ、納戸に使ってる部屋、整理してくんない? レイにはそこに引っ越してもらうわ」
「そうですね。綾波じゃなくて、ぼくがそっちに行きますよ」
『以前』、惣流アスカがやってきてからは、今の納戸のほうが碇シンジの部屋だった。
「綾波は、今ぼくが寝ている部屋で寝てよね?」
「……一緒でもかまわないのに」
「ほら、そんなこと言うから」
葛城ミサトの目がまた険しくなっていた。
「そうよ、だいたいレイ、なんで裸だったのよ?」
「……そのほうがひとつになれるから」
「ほら! やっぱり、あんたたち」
「違います、まだです、まだ!」
「ほ、ほほう、じゃあ、いつかはやっちゃうつもりなのね?」
あう、と自爆した碇シンジ。
「とにかく! あたしは保護者なんだからね。あんまり心配させないでちょうだい」
「保護者っていえば、ミサトさん、ホントに今日、学校へ?」
「あ、もっちろんよ。進路相談だものね」
ようやく話のすり替えに成功した碇シンジだった。
「お父さんのほうが良かったかな?」
「父が来てくれるはずないですよ。それにそんな暇もないでしょうし」
「……あ、そうなのよね。今、碇司令はドイツだし」
「ドイツ?」
綾波レイが答えた。
「弐号機移転の折衝に行っているわ」
「弐号機……」
「シンジくんとレイだけじゃ大変だもの。戦力は多いほど良いわ」
あ、まただ。
と葛城ミサトは感じた。
碇シンジの態度から子どもっぽさが一気に消失していく。
どこかとらえどころのない霧のような冷静さが少年の貌を覆った。
「シンちゃん、進路、考えてるの?」
忘れかけていた少年の怖さを思い出したような気がして、葛城ミサトは話題を戻した。
「別に。先のことなんて」
「だめよ。そんなことでどうするの」
身体を乗り出した。
「レイと結婚するにしろ、生活費稼げるだけの将来設計はしとかないと」
だが、このからかいは空振りに終わった。
結婚、には反応しなかったし、綾波レイもまたどこか不安げに碇シンジの顔を見つめているだけだった。
「そろそろトウジたちが迎えに来るよ。用意しよ、綾波」
「ええ」
「シンジくん?」
「ミサトさん、そんな格好でトウジたちの前に出てこないでくださいよ?」
ごたごたのせいで、寝起きのままだった。
ブラジャーもしないタンクトップの下から臍が覗いている。
「ミサトさんがそんなだから、綾波も簡単に脱いじゃうんですよ」
そう言った顔は、妙に大人びた笑顔だった。
「どう? ゆうべはゆっくり眠れた?」
野菜サラダと紅茶を出しながら碇シンジが問う。
どこか寂しそうな綾波レイ。
「だ、だって一緒の布団じゃ落ち着かないでしょ?」
「……」
じっと見つめられて焦ってしまう。
でも、綾波って本気で抱かれたがってるのかな?
ふと疑問を感じる。
ただくっつきたいだけ、なのかも知れないし。もしもぼくが……。
膨張しそうなので、それ以上考えるのはやめた。
「ミサトさん、起こさなきゃ」
「おはよう」
「あ……おはようございます」
ネルフ士官正式軍装に身を包んでいる。
碇シンジも、ようやくあの時を思い出した。
どこかの民間企業のロボットが暴走して……。
「仕事で旧東京まで行って来るわ。帰りは遅くなると思うから、私の分はいらないわよ」
「はい……いってらっしゃい」
そうか、忘れてたな。
「綾波、今日は、学校、休もうか?」
「どうして?」
「たぶん、すぐにミサトさんに呼ばれて、暴走ロボットを止めにいかなきゃならないはずだから」
「それはないわ。初号機は修理中だし、零号機も改装中だもの」
あっ、と驚いた。
使徒の加粒子砲を受け止めた初号機は、装甲の一部が金属疲労を起こしており、元々改装予定であった零号機と同時に修理が行なわれていた。
弐号機の到着を見越して同時作業に入ったのであろうが、弐号機の輸送が遅れ、そのために碇ゲンドウがドイツに飛んでいる。
ずいぶん歴史が変わっちゃってるんだ……。
「じゃあ、ミサトさんが危ない……」
「大丈夫よ」
「どして?」
「重化学工業共同体のロボット事故は、仕組まれたものだから」
綾波レイは事情を知っていた。
ネルフ特殊監察部によるプログラムの改変工作。暴走、炉心融解の間一髪で正常に戻る作られたエラー。
「そっか。そういうわけだったんだ……大人の事情、ってこと?」
「……碇くん」
少年の目が一瞬、暗鬱な色を帯びたような気がして、綾波レイは、自分の知識の披露を後悔した。
綾波レイ自身には特に気になることでもなかったのだが。
「ほっときなさい、ってどういうことよ!?」
喧噪に包まれるジェット・アローン制御室の隅で、葛城ミサトは赤木リツコを問いつめていた。
暴走するロボットは、各界からの招待客を集めた完成披露会場を打ち壊し、炉心融解の危機を秘めて不気味な行進中。
招待客の殆どはすでにジェットヘリで逃げ出している。
残っている招待客は、一部軍部筋と、逃げ遅れたため会場内のシェルタのほうが安全と判断した連中、そしてネルフからやってきた彼女たち2名ぐらいのもの。
「いくら陸上自衛隊が阻止作戦に入ってるっていっても、そんなの当てにならないわよ!」
だが赤木リツコは冷静なものだった。
「心配ないわよ」
「どうして!」
言いかけて、はっと気づいた。
「なるほど。裏があるってわけね?」
「そんなことは言ってないわよ?」
「隠さないで」
憤怒の相で睨み付ける。
「ロッカー室へ行きましょう?」
大したことでもないか、と赤木リツコも肩をすくめた。
「はっきりしたことは私も知らないわよ」
化粧台の前で、JAのパンフレットを燃やしながら、ロッカーを蹴りつけている友人に説明する。
「アメリカあたりの横やりだと思うわ」
「アメリカ?」
「あの国も失業アレルギーだから。E計画の利権にあぶれた企業も多いのよ。一番おいしい軍需産業は、今はネルフ関連だけだもの」
「あんなロボットで使徒と戦えるわけないじゃない」
「それはそうだけど、人類の敵は使徒だけじゃないわ。今でも戦争はやってるのよ」
「使徒には役に立たなくても、国家紛争には使えるってこと?」
「そう。N2兵器やら陽電子砲やら、日本が開発している兵器は多い。ここでまた新型ロボット兵器が日本で開発されたとなると、あちらの企業がやっていけなくなるじゃない」
「で、破壊工作されたわけ? はぁ、このご時世になんてお気楽な」
「気楽じゃないわよ。みんな自分の生活がかかってるもの。必死なのよ」
「人はエヴァのみに生きるにあらず? それは分かったけど、どうして心配ないって言えるのよ?」
「あら、私の腕を信用しないつもり?」
「へ? あんたがやったの?」
「JAのコンピュータに仕込むウィルスプログラムの開発を依頼されただけよ。実行したのは特殊監察部」
「なんでアメリカの企業の事情で、うちが絡むのよ?」
「仕方ないわ。E計画のお金を出してるのは国連だもの」
「……委員会からのお達しってことか」
碇シンジのような中学生がどう感じたかはともかく、葛城ミサトは子どもではない。
当然の事情と納得した。
「それで、あのロボット、どうなるの?」
「炉心融解の直前には止まるわよ、ちゃんと」
「……まあ、あのいけ好かない時田ってやつもこれで終わりね」
「初号機の修理やら零号機の改装やら。こんなところで時間つぶしている暇はないのにね」
顔を見合わせてため息をつく二人だった。
ネルフ本部最上階。司令執務室。
フロアのほぼ全てを占める広大な空間に、ぽつりと人影がふたつ。
「やっとか。まったく手間がかかるな」
答えたのは冬月コウゾウ。呆れ果てたというように嘆息する。
「戦略自衛隊の兵器を使って使徒を殲滅したのがショックだったらしい」
指を組んで隠された口元がにやりと歪む。
「なるほど。日本が強力すぎる武器を持つことは委員会の連中には面白くないだろうな」
「つまらん連中だよ」
「まだ前世紀の権威にしがみついている、か。救われん話だな」
「補完計画の真実はゼーレが握っている。彼らは傀儡に過ぎん」
「とはいっても、表向きの権力は委員会にあるからな。あまり馬鹿にしていると面倒になるぞ」
「ああ。その面倒だ」
バサと書類を冬月コウゾウに示す。
「なんだ? 日本重化学工業共同体……ああ、例のおもちゃかね」
「予算承認の裏条件だ。つぶせと言ってきている」
「私たちにか?」
ため息をつくしかない。
「特殊監察部に任せる。無駄なことにかける時間はない」
「やりきれんな」
その言葉は委員会に対してのものか、あるいは特殊監察部を使った裏工作に対してのものか。
多分、両方を意味していたのだろう。
碇ゲンドウはここに来てもやや潔癖な老師にフッと笑った。
「ともあれ予算は降りた。零号機の改修作業も問題ない」
「弐号機はまだ来ないのかね?」
「ドイツ支部長がしぶっている。野心の多い男だ」
「葛城くんを獲られているからな」
揶揄した。碇ゲンドウに野心云々を説かれては救われまい。
にやりと軽く笑っただけで反論はせず、これからドイツに出向く、と碇ゲンドウは後を託した。
残された時間は少なく、仕事は山積みだった。
ぶつぶつと頭をかきむしりながら葛城ミサト。
どんよりした暗雲を背景に背負い、碇シンジの焼いたトーストを口にする。
綾波レイはすまし顔で野菜サラダをついばんでいる。
碇シンジが困り顔。たはは、と誤魔化し笑い。
「いつから?」
ギロっと上目遣いで少年を睨む。
「だから誤解ですって」
「あたしだってね、別に固いことをいうつもりはないのよ。でもね」
碇ゲンドウの冷酷な顔が浮かぶ。
「葛城くん、君には失望した。クビだ」
あああ〜、と幻聴に涙する。
「車のローンが。あたしのエビチュがぁ〜」
「ミ、ミサトさん?」
「だから!」
ビシっと碇シンジの鼻面を指さす。
「あたしんちで子どもを作られちゃったら困るのよ」
「違うんですって」
「素っ裸のレイを布団に引っ張り込んで! 抱きしめて!」
ブリーフを突っぱらかせて!
「これで、どう言い逃れするつもりよ!?」
珍しく朝早くに目が覚めた。
昨夜のビールが多すぎたのか、尿意がしんしんと。
仕方なく寝ぼけ眼で起きあがると、隣に眠っているはずの綾波レイがいない。
「あっれ? レイもトイレかしら。あたしだって漏れそうなのにな」
ズルズルと歩いてトイレをノック。
「いない?」
とりあえず用を足してから、リビング、キッチン、サニタリー。影がない。
「まさか」
目が覚めた。
おそるおそる碇シンジの部屋のドアから覗き見る。
もっこりと大きく膨らみすぎている掛け布団。
「シ、シンちゃん?」
がばりとひっぱがしてみると、そこには下着一つ着けていない、白い流れるような曲線があった。
「レ、レイ……」
「あ、おはようございます、ミサトさん。……もう朝ですか?」
もぐもぐと寝起きの碇シンジ。
腕はしっかり綾波レイを抱きしめている。
「あぅあぅ」
あっちゃ〜、あたしがからかいすぎたのかしら。
まさか、まさか、いくらなんでも、ほんとうにやっちゃうとはぁ。
碇司令に、リツコに、なんて言えばいいのよぉ〜。
「ど、どしたんですか? あ、あれ? 綾波!?」
ようやく気づいたらしい。
「うああ、なにやってんだよ、綾波〜」
「し、白々しい!」
「違います、いや、これは」
「……おはよう、碇くん」
ふにゃんと抱きついた。
「うぁうぁ」
「まずい、これはまずいのよ……」
けたたましい朝だった。
「聞いてくださいよ、ねえ、ミサトさん」
トーストを食べきった葛城ミサト。
空になったコーヒーカップをスプーンでカチャカチャ。
「お代わり、します?」
「誤魔化されないわよ」
「じゃなくて」
だいたい碇シンジには覚えがなかった。
矛先を変えてみる。
「綾波、どうしてぼくの布団にいたの?」
「……危険だから」
「へ?」
葛城ミサトまで怪訝な顔。
「危険ってなに?」
「夜中に蹴られるから」
「蹴られるって……ミサトさんに?」
こくりと綾波レイ。
「ちょ、ちょっとなによ。あたし、そんなことしないわよ。レイに恨みなんてないんだから」
「もしかして……寝相?」
はぅ、と葛城ミサトは固まった。
「それでぼくの所に避難してきたの?」
再び、こくり。
「な、なんてこと言うのよ」
しかし、寝相の悪さは覚えがあるだけに言い返せない。
う、そういやあいつも、朝になるとソファーで寝ていたこと、あったっけ?
昔の男を思い出す。
「で、でも、それなら布団を離せばすむことでしょう?」
「ミサトさんの部屋って、今、布団を離して敷けるほど余裕ないじゃないですか」
雑然と荷物がひきちらかっているのは相変わらず。
碇シンジが時折片づけてはいたが、すぐに元の状態。
焦っていた碇シンジがくすくす笑い出した。
「部屋、片づけたほうがいいですよ?」
「わ、わかったわ。ああ、私のせいでどうにかなっちゃったなんて言われたら堪んないもんね」
とはいえ、これはもう性格の問題であって、片づけようと思って片づけられるものでもない。
「そうだ、納戸に使ってる部屋、整理してくんない? レイにはそこに引っ越してもらうわ」
「そうですね。綾波じゃなくて、ぼくがそっちに行きますよ」
『以前』、惣流アスカがやってきてからは、今の納戸のほうが碇シンジの部屋だった。
「綾波は、今ぼくが寝ている部屋で寝てよね?」
「……一緒でもかまわないのに」
「ほら、そんなこと言うから」
葛城ミサトの目がまた険しくなっていた。
「そうよ、だいたいレイ、なんで裸だったのよ?」
「……そのほうがひとつになれるから」
「ほら! やっぱり、あんたたち」
「違います、まだです、まだ!」
「ほ、ほほう、じゃあ、いつかはやっちゃうつもりなのね?」
あう、と自爆した碇シンジ。
「とにかく! あたしは保護者なんだからね。あんまり心配させないでちょうだい」
「保護者っていえば、ミサトさん、ホントに今日、学校へ?」
「あ、もっちろんよ。進路相談だものね」
ようやく話のすり替えに成功した碇シンジだった。
「お父さんのほうが良かったかな?」
「父が来てくれるはずないですよ。それにそんな暇もないでしょうし」
「……あ、そうなのよね。今、碇司令はドイツだし」
「ドイツ?」
綾波レイが答えた。
「弐号機移転の折衝に行っているわ」
「弐号機……」
「シンジくんとレイだけじゃ大変だもの。戦力は多いほど良いわ」
あ、まただ。
と葛城ミサトは感じた。
碇シンジの態度から子どもっぽさが一気に消失していく。
どこかとらえどころのない霧のような冷静さが少年の貌を覆った。
「シンちゃん、進路、考えてるの?」
忘れかけていた少年の怖さを思い出したような気がして、葛城ミサトは話題を戻した。
「別に。先のことなんて」
「だめよ。そんなことでどうするの」
身体を乗り出した。
「レイと結婚するにしろ、生活費稼げるだけの将来設計はしとかないと」
だが、このからかいは空振りに終わった。
結婚、には反応しなかったし、綾波レイもまたどこか不安げに碇シンジの顔を見つめているだけだった。
「そろそろトウジたちが迎えに来るよ。用意しよ、綾波」
「ええ」
「シンジくん?」
「ミサトさん、そんな格好でトウジたちの前に出てこないでくださいよ?」
ごたごたのせいで、寝起きのままだった。
ブラジャーもしないタンクトップの下から臍が覗いている。
「ミサトさんがそんなだから、綾波も簡単に脱いじゃうんですよ」
そう言った顔は、妙に大人びた笑顔だった。
「どう? ゆうべはゆっくり眠れた?」
野菜サラダと紅茶を出しながら碇シンジが問う。
どこか寂しそうな綾波レイ。
「だ、だって一緒の布団じゃ落ち着かないでしょ?」
「……」
じっと見つめられて焦ってしまう。
でも、綾波って本気で抱かれたがってるのかな?
ふと疑問を感じる。
ただくっつきたいだけ、なのかも知れないし。もしもぼくが……。
膨張しそうなので、それ以上考えるのはやめた。
「ミサトさん、起こさなきゃ」
「おはよう」
「あ……おはようございます」
ネルフ士官正式軍装に身を包んでいる。
碇シンジも、ようやくあの時を思い出した。
どこかの民間企業のロボットが暴走して……。
「仕事で旧東京まで行って来るわ。帰りは遅くなると思うから、私の分はいらないわよ」
「はい……いってらっしゃい」
そうか、忘れてたな。
「綾波、今日は、学校、休もうか?」
「どうして?」
「たぶん、すぐにミサトさんに呼ばれて、暴走ロボットを止めにいかなきゃならないはずだから」
「それはないわ。初号機は修理中だし、零号機も改装中だもの」
あっ、と驚いた。
使徒の加粒子砲を受け止めた初号機は、装甲の一部が金属疲労を起こしており、元々改装予定であった零号機と同時に修理が行なわれていた。
弐号機の到着を見越して同時作業に入ったのであろうが、弐号機の輸送が遅れ、そのために碇ゲンドウがドイツに飛んでいる。
ずいぶん歴史が変わっちゃってるんだ……。
「じゃあ、ミサトさんが危ない……」
「大丈夫よ」
「どして?」
「重化学工業共同体のロボット事故は、仕組まれたものだから」
綾波レイは事情を知っていた。
ネルフ特殊監察部によるプログラムの改変工作。暴走、炉心融解の間一髪で正常に戻る作られたエラー。
「そっか。そういうわけだったんだ……大人の事情、ってこと?」
「……碇くん」
少年の目が一瞬、暗鬱な色を帯びたような気がして、綾波レイは、自分の知識の披露を後悔した。
綾波レイ自身には特に気になることでもなかったのだが。
「ほっときなさい、ってどういうことよ!?」
喧噪に包まれるジェット・アローン制御室の隅で、葛城ミサトは赤木リツコを問いつめていた。
暴走するロボットは、各界からの招待客を集めた完成披露会場を打ち壊し、炉心融解の危機を秘めて不気味な行進中。
招待客の殆どはすでにジェットヘリで逃げ出している。
残っている招待客は、一部軍部筋と、逃げ遅れたため会場内のシェルタのほうが安全と判断した連中、そしてネルフからやってきた彼女たち2名ぐらいのもの。
「いくら陸上自衛隊が阻止作戦に入ってるっていっても、そんなの当てにならないわよ!」
だが赤木リツコは冷静なものだった。
「心配ないわよ」
「どうして!」
言いかけて、はっと気づいた。
「なるほど。裏があるってわけね?」
「そんなことは言ってないわよ?」
「隠さないで」
憤怒の相で睨み付ける。
「ロッカー室へ行きましょう?」
大したことでもないか、と赤木リツコも肩をすくめた。
「はっきりしたことは私も知らないわよ」
化粧台の前で、JAのパンフレットを燃やしながら、ロッカーを蹴りつけている友人に説明する。
「アメリカあたりの横やりだと思うわ」
「アメリカ?」
「あの国も失業アレルギーだから。E計画の利権にあぶれた企業も多いのよ。一番おいしい軍需産業は、今はネルフ関連だけだもの」
「あんなロボットで使徒と戦えるわけないじゃない」
「それはそうだけど、人類の敵は使徒だけじゃないわ。今でも戦争はやってるのよ」
「使徒には役に立たなくても、国家紛争には使えるってこと?」
「そう。N2兵器やら陽電子砲やら、日本が開発している兵器は多い。ここでまた新型ロボット兵器が日本で開発されたとなると、あちらの企業がやっていけなくなるじゃない」
「で、破壊工作されたわけ? はぁ、このご時世になんてお気楽な」
「気楽じゃないわよ。みんな自分の生活がかかってるもの。必死なのよ」
「人はエヴァのみに生きるにあらず? それは分かったけど、どうして心配ないって言えるのよ?」
「あら、私の腕を信用しないつもり?」
「へ? あんたがやったの?」
「JAのコンピュータに仕込むウィルスプログラムの開発を依頼されただけよ。実行したのは特殊監察部」
「なんでアメリカの企業の事情で、うちが絡むのよ?」
「仕方ないわ。E計画のお金を出してるのは国連だもの」
「……委員会からのお達しってことか」
碇シンジのような中学生がどう感じたかはともかく、葛城ミサトは子どもではない。
当然の事情と納得した。
「それで、あのロボット、どうなるの?」
「炉心融解の直前には止まるわよ、ちゃんと」
「……まあ、あのいけ好かない時田ってやつもこれで終わりね」
「初号機の修理やら零号機の改装やら。こんなところで時間つぶしている暇はないのにね」
顔を見合わせてため息をつく二人だった。