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第13話「八州作戦」

「零号機、正常に起動しました」

「ATフィールドの発生を確認」

 ほう、と安堵の吐息がそこかしこから聞こえる。

 碇ゲンドウさえもが、表情こそ変えぬものの、肩のこわばりが緩んでいるようだ。

 目立って安堵の様子もないのは、碇シンジと当人の綾波レイくらいのもの。

 今の綾波レイが再起動に失敗するはずもないことは分かっていた。

 『以前』の失敗の原因は。

 碇ゲンドウと赤木リツコには推測できたかも知れない。

 綾波レイ自身にはすでに拘泥する必要のないことだった。

 ともあれ。

 60パーセントを遙かに越えるシンクロ率で、零号機は再起動に成功した。

「すごいですね」

 伊吹マヤが表示されるデータに驚嘆の声を上げる。

 碇シンジと初号機のシンクロ数値とは比較にならない。

 もっとも。

 初号機の場合は、シンクロ率では推し量れぬ機動が可能であるようだったが。

 結局、赤木リツコもその点は、「初号機の特殊性」と納得せざるを得なかった。

 そう。ナンバー的には零号機の後であるが、そのはるか以前にすでに完成を見ていた初号機の。

「レイ。気分はどう?」

『問題ありません』

「じゃあ、このまま連動試験に移ります。いいわね?」

『はい』

 ちら、と時計を見て碇シンジに緊張が走る。

 そろそろかな?

 刹那、実験室のインターコムが電子音を響かせた。

「碇。未確認飛行物体が接近中だ」

 送受器を取り上げた冬月コウゾウにサングラスの奥から射るような視線を走らせる。

 その視線にうなづく。

「ああ、多分、第五の使徒だな」

「わかった。実験を中止しろ。総員第一種戦闘配置」

 低い発令。

「レイ、あがれ。初号機、機動準備」

「零号機をこのまま使わんのか?」

 もっともな冬月コウゾウの疑問。

「まだ実戦には耐えんだろう。シンジ、準備をしろ」

「うん、わかった、父さ……」

『碇司令』

 零号機エントリープラグからの声。

『私がこのまま出ます』

 ほう、という表情の冬月コウゾウ。綾波レイの言葉は予想外だった。

 それは碇ゲンドウにとっても。

「いかん。零号機はまだ戦闘装甲ではない」

 理にかなっているようでも、どこか腑に落ちないものがあった。

 事情も何も説明されていない少年を、起動実験すら行なっていない初号機で使徒戦に運用した男の言葉ではない。

「そうよ、レイ。まだ使徒の能力もわかんないのに、危険だわ」

 発令所に向かわず様子を見守っていた葛城ミサトが割り込んだ。

「先に、防衛システムで様子を見て作戦を立てるから。いったん降りてきなさい」

 碇ゲンドウの言葉をなぞりながらも、初号機を使う気もないようだ。

『はい』

 綾波レイの反発は、記憶にある加粒子砲による初号機胸部への打撃。

 葛城ミサトがエヴァ運用を見合わせるというのであれば、否やはなかった。

「任せる」

 碇ゲンドウはそう言い置いて部屋を出た。

「とにかくぼくも着替えます」

 見直したそぶりで碇シンジ。

「いえ、まだいいわ」

 答える葛城ミサトは指揮官の顔になっていた。



「ますますもって、人間離れしてきたわね」

「MAGIの判断がなければ、どこかの国が、開発した兵器で攻めてきたって言われたほうが納得できますよ」

 日向マコトも使徒なる存在の非常識さに嫌気がさしてきたらしい。どこか他人事のような口調になってしまっている。

「ふらふら重力を無視して飛んで来たり、ATフィールドを展開したり、加粒子砲を撃つような兵器を開発できるもんならね」

 要塞都市第3新東京市の繰り出したミサイル、光線兵器その他諸々を強力なATフィールドをもって完全に無力化。

 さらには、その正八面体の形状の突端から収束された荷電子エネルギーを撃ち出し、せっかく完成に近づいていた強羅絶対防衛線上の邀撃兵装を全て溶解した鉄の固まりに還元。

 そして、ネルフ本部直上に位置し、下部突端から出した直径20メートル近い巨大なドリル・シールドを使って、ジオフロント天井の特殊装甲板22枚をガリガリ穿孔掘削中。

 十時間後には本部に到達、全てを壊滅させるであろうこと必至。

「絶体絶命ですね」

「ま、やれること、やってやるわよ」

 鬼の形相で葛城ミサトが吐き捨て、ヤシマ作戦が始まった。



 戦略自衛隊。

 日本国がその運営維持全ての経費を担う非軍隊の形式をとれど、実質は歴とした国連極東軍。

 軍隊でもないネルフに、自らは惨敗した使徒撃退の功をことごとく奪われ、現場レベルでは複雑な……嫉妬とも憎悪とも忸怩とも言えるものが交錯していたが、ここに来て、溜飲の下がる思い。

 戦略自衛隊つくば技術研究所が開発を進めていた円環加速式陽電子砲の供出命令。

 命令こそ現在の国連最高首脳部である人類補完委員会から出されたものの、ネルフからの要請であることは明らか。

 技術力で一特務機関なぞに劣っているのかとそれまで嘆いていた所長も鼻高々に、虎の子、陽電子砲を送り出す。

 試作段階のため戦略自衛隊自身の手で運用できないのが唯一の心残りだが、使徒迎撃のために必要とされたことには違いはない。

 強制されたわけでもないのに、技術者集団までつけて、戦略自衛隊の手でネルフへと輸送された。



 セカンドインパクトの傷痕、未だ癒されぬ現在、全てのエネルギー・電力機関は国営になっていたこと、さらに大規模かつ少数の原子力発電所だけで日本全体の電力を担っていたことが幸いした。

 インパクト以前のように民営化されたままであったなら、いかに強権を用いたとて数時間のうちに準備はならなかったであろう。

 国内数カ所の発電所がフル稼働に入る。

 家庭用変電施設が軍事用へと切り替えられ、かねてより架設済みのジオフロントへの直通送電線が大急ぎで点検整備された。

 指定時刻に一般家庭、工業団地への送電を止めれば、大部分の電力が唯一ジオフロントへと送られる。推定総量2億キロワット。

 とても終端出力端子が保つとも思えないが、そこは気合いである。



 報道管制はあいかわらずであったが、ここまで大規模に展開するとさすがに情報の秘匿など望むべくもない。

 殊に第3新東京市内ではザルどころではなく漏洩した。

 恩恵にあずかったのは相田ケンスケ。

 ヤシマ作戦の概要はおろか、時程までも手に入れていた。

「ほんま、お前も懲りんやっちゃな」

「反省してるから、今頃の時間に、こんなとこでいるんじゃないか」

 身体を被せるようにして携帯端末を操る。夕陽が邪魔で、ディスプレイが見えにくいようだ。

「ほんとなら作戦発動時間に、二子山近くまで行きたいところなんだよ」

 作戦実施時間は真夜中午前0時、二子山にエヴァンゲリオンが位置するのだと自慢げに語る。

「勧告されている時間までにはちゃんとシェルタに入れるよ」

「あいつらの邪魔せんと応援出来るっちゅうから」

 こうして有志数名を誘い合わせ、第壱中学屋上に集まっているわけである。

 先日の使徒戦でかけた迷惑を思うと、ふたりとも忸怩たるものがあった。

 当人には笑って許されただけに、気持ちの整理がつきにくい。

「そらそれとしてや……」

 許せんこともあるでっ! っと拳を固める。

 おもしろそうな話だな、と周りの連中が興味を示した。

「今朝のことや」



 碇シンジが退院して登校してくると、葛城ミサトから聞いていた。

 ネルフ本部には入れないので、見舞いにも行けなかった。

 保安部に拘束された当日に葛城ミサトに連れられ会ったきり。電話、メールすら無し。

 学校で会うまで我慢が出来ず、相田ケンスケと二人、葛城ミサトのマンションまで誘いに行った。

 あわよくば葛城ミサトの尊顔を拝める、という期待は自分の心にも黙っておく。

 チャイムを鳴らし、腰から90度、頭を下げて待った。

「こないだは、すまなんだ!」

「許してくれ、シンジ! 本当に悪かったよ!」

 ドアが開くと同時に声を合わせて叫んだ。

 相田ケンスケはガシと出てきた碇シンジの手を握った。

 つもりだったが。

「……なにをしているの?」

 やわらかい白い手。

「あ……綾波やないか」

「あれ、トウジ、ケンスケ。迎えに来てくれたの?」

 青い髪の後ろから、きょとんとした表情の碇シンジ。

「シ、シンジ……」

「どうしたのさ。綾波の手なんか握っちゃって」

 はっと慌てて手を離し、後ろに飛び退く。

「ち、ちがうんだ、シンジ。嘘じゃない。お前だと思って……」

「なんで綾波が出て来んねん?」

「なんで、って」

 状況が納得できたのか、くすくす笑う。

「綾波もここに住んでるから」

「な、なんやとー?」

「そ、それって同棲か!?」

 ようやく狼狽から復帰した相田ケンスケが突っ込む。

「同棲って……。一緒に住んでるだけだよ」

「それを同棲っちゅうんじゃ。お、お前、ミサトはんはどないしたんや?」

「ミサトさんも一緒だよ」

 廊下の奥で手を振っている。楽しそうな状況に覗いていたらしい。

「それって、ハーレムじゃないか!」

 さすがに突っ込みすぎである。

 綾波の手、握っといて何ゆうてんねん、と鈴原トウジに殴られた。

「碇くん、行きましょう」

 綾波レイは淡々としたもの。

 眼中にない相手に何をされようと毛ほども気にしないのは『以前』と変わりないらしい。

「うん。……わざわざ、ありがとう。もう元気だから、さ。気にしないでよ」

 にこにこと二人を誘う。

「いや、そら良かった。うんうん」

「ほっとしたよ……」

 少なからず緊張しながら謝りに来たのだが、予想外の展開で混乱気味の鈴原トウジと相田ケンスケ。

 しこりを残さず仲直りできたことに感謝すべきか、美人を独占する裏切り者を恨むべきか。

「そやけど、なんで一緒に住んどるんや?」

「綾波はずっと一人暮らしだったんだけど。怪我しちゃったし……」

「それでミサトさんが面倒をみてるのかぁ」

「綾波の怪我が治るまでってことだったんだけどね」

「センセも大怪我してもたしのぅ」

「ははあ、怪我する度に引っ越しじゃ大変だから、そのまま一緒に住むってことか?」

「ま、まあね」

「ただそれだけなんか?」

「え?」

「そうだよ、好きだから一緒に、とかじゃないのか?」

「いや、それは、あの」

「なんぼしゃあないちゅうても、嫌いな男と一緒に住むわけあらへんやろ」

「綾波はどう思ってるんだ?」

「……碇くんと一緒にいたかったから」

 ストレートな返事に碇シンジまで巻き込んで固まった。

「……。ぽっ、って音、聞こえたぞ」

「綾波……」

 結局、羨ましすぎる! という感情に落ち着いた。



「……っちゅうようなわけや」

「なんてこと!」

「それは許せないな、確かに」

「相田!」

「貴様というやつは」

 なんでそうなるのと眼鏡がずり落ちる。

「碇は仕方ないよ。パイロットなんだし」

「でも、お前は!」

「綾波さんの手を握っただと!?」

 とりあえず身近にいじめられる存在を怒りの対象に選んだらしい。

「ほら、そろそろだぜ。エヴァンゲリオンが出撃する時間」

 ひきつりながら誤魔化しにかかった。

「信用できるのか、その情報?」

「あ、山が動いてるぞ」

 低い地鳴り。

 山が動くはずもないが、大きく開いていく山腹の射出口は、山自体が動いたかのように錯覚させた。

 夕陽を遮る二つの巨大な影。

「2台、いるぞ」

「片方は綾波か」

 禍々しいフォルムである。

 ゆっくりと動き出すエヴァンゲリオンという名のロボット。

 ロボットというよりどこか動物くささがある。

 応援、ということで集まったはずの少年たちは、畏怖にうたれてすくんだ。

「……すごいな」

 誰かがつぶやいた。返事はない。

 人類を守る正義の味方、などという憧憬の湧く余地がなかった。

 ありうべからざるモノ。

 どこか非現実感が漠と流れた。

「……シェルタに行こか」

 巨人は夕陽の中に溶け消えていった。



 二子山山頂。

 夜の帳が降ろされた中も、必死の作業が続いている。

 風にながされ、怒鳴り声がエヴァンゲリオン移動架台タラップで肩を並べて座る二人のパイロットのもとへも聞こえてくる。

「……ごめんなさい」

「どうしたの?」

「あなたを守れない……」

 大電力を集めた陽電子砲による長距離射撃。

 ATフィールドを中和せず、力技で一気に叩く、起死回生のヤシマ作戦。

 その陽電子砲射手の命は零号機に下されていた。

 シンクロ率も劣り、インダクションモードの操作に今ひとつ習熟しない碇シンジをディフェンスに回したのは当然の判断だろう。

 また、碇シンジ自身も、綾波レイに頼りない急造の盾を持たせるつもりはまるでなかった。

 とはいえ。

 綾波レイは悔恨に暮れていた。

 エヴァ素体との直接シンクロを行なっている碇シンジである。

 『以前』の歴史通りに進行したとしても、そのダメージは綾波レイの時の比ではあるまい。

 直前まで、自分がディフェンスになるものと思いこんでいた迂闊さが、少女の胸を締め付けている。

「心配しなくても大丈夫だよ」

 やさしく笑う。

「もう怪我はしないって言ったろ?」

「……でも」

「少しずつだけどズレも起こってる」

 初号機は使徒の加粒子砲による攻撃を受けなかった。

 その修理が必要でなかった分、全ての作業工程が早まっている。

 各機器の整備にも余裕が出来ており、盾の耐久性能も『以前』より高い数値が告げられていた。陽電子砲も確実に2射以上が可能らしい。

「それに、一撃目でやっつけられるかも知れないし、ね。そうなれば、ぼくが盾を使う必要もないから」

 楽観的すぎる予想だと思う。

 納得は出来なかった。

 が、それを期待するしか綾波レイには逃げ場がない。

「S2機関があればもっと楽に、ぼく一人でも使徒を倒せるんだけど」

 考え込むような声。

「いきなり使徒を食べちゃうわけにもいかないし、ね」

 暴走はあり得ない。

 パイロットの意思で使徒を咀嚼するなどは問題が多すぎる。

「綾波、射撃は大丈夫でしょ?」

「ええ」

「任せるから」

「……わかったわ」

「時間だよ」

 すっと立ち上がる。

「綾波は、ぼくが守るから。……行こう」

 ……わたしが守りたいのに。

 そう思うものの、うなづくしかできない綾波レイだった。



「撃鉄、おこせ! 全エネルギー、ポジトロンライフルへ!」

「目標に高エネルギー反応!」

「なんですって?」

 作戦の失敗は、使徒の索敵能力の過小評価だった。

「敵、加粒子砲、来ます!」

 発射も撤退も、間に合わない。

 が、綾波レイはためらわず引金をひいた。

 使徒への命中は無理だが、放置すれば初号機が直撃を喰らう。

 双方から発射された高電荷のエネルギー線は互いに干渉し、はるかに目標をずれて着弾した。

 激しい爆発が周囲を真昼に変える。

「レイ! 移動して! 狙い撃ちされるわ」

『はい』

 零号機が陽電子砲の架台を持ち上げる。

「敵、第2射、来ます!」

 火線は零号機を捉えていた。

「シンジくん!」

 二子山に太陽が出現する。

 初号機の持つ盾が、加粒子砲を受け止めていた。

『綾波、今のうちに』

『碇くん!』

 零号機が斜面をすべりおり、陽電子砲を構え直す。

 地磁気、敵加粒子砲による磁場、電場の誤差の修正が終了した。

 すでに盾の理論上の耐久時間を超えていた。

 ATフィールドの展開が、かろうじて盾を保たせているに過ぎない。

 ……急いで。

 綾波レイの祈りと同時に発令が来た。

「発射!」

 陽電子砲からのエネルギー光弾が、今度はまっすぐに使徒に伸びた。



 初号機の融解は免れていた。

 しかし凄まじい高熱が装甲全体を覆っている。

 D型装備ではない。サーモスタットの限界を越えたエントリープラグ内LCLの水温は異常に上がっているはず。

 通信も途絶。

 零号機を駆って初号機エントリープラグを冷所に降ろすや否や、綾波レイは零号機から飛びだした。

 強制排水されたLCLの湯気の中、エントリープラグの緊急脱出ハッチに組み付く。

 プラグスーツの耐熱手袋を通してさえ熱い。

 その熱さがますます焦りを助長する。

 ……避けられなかったのだろうか。

 ……流され過ぎていたのではないだろうか。

 繰り言と分かっていても考えずにはいられなかった。

 ガコ、とハッチが開く。

 残っていたLCLの熱気に顔をしかめつつも、飛び込む。

「碇くん!」

 インテリアに力無く横たわりながらも、微笑む少年の姿があった。

「綾波……」

「怪我は?」

 大丈夫と首をふる。

「前と……逆になっちゃったね」

「わたし……」

「泣いてるよ、綾波」

 涙?

 頬を伝い、ぽたりと少年の胸に落ちた。

「悲しいの?」

 意地悪な碇シンジの言葉に、思わず笑みを浮かべてしまう。

「嬉しいの」

 涙が止まらなくなった。

「嬉しい時も涙は出るのね……」

「ありがとう」

 感謝の言葉は自分の心に向けられたものなのだろう。

 何もないと信じていたあの頃には感じられなかった自分の心。

 その心を認めてもらえた。

 それが今の綾波レイの存在理由。

 ……綾波レイが綾波レイとしてここにいる気持ち。

 言葉には出来なかった。

 それで、少年の身体に覆い被さった。

「綾波?」

 少し慌てた様子の碇シンジの声を、唇を押しつけて塞いだ。

 やがてためらいがちに髪に当てられた少年の手に安らぎを感じる。

 初めての口づけは、自分の涙の味でしょっぱかった。

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