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第12話「解析」

「レイ」

 ネルフ本部。

 技術部診療室から戻る長距離エスカレータの上で碇ゲンドウ。

 後ろを振り向かずに声をかける。

「はい」

 ギブスはまだとれない。眼帯はさきほど診療室で外されている。

「シンジはどうだ?」

 訝しげに隣に立つ男の顔を伺う赤木リツコ。

 質問の意図がとれない。

「問題ありません」

 だが、少女は即答した。

 即答したが、これも答えになっているとは思えない。

「そうか」

 しばらく沈黙が続く。

「葛城一尉のところで住むのか?」

「……はい。そのつもりです」

 分岐点。

 綾波レイは頭を下げて、別れた。碇シンジの入院する本部病棟への道。

 碇ゲンドウと赤木リツコは執務室への道を向かう。

「かまわないのですか?」

「なにを心配している?」

「……サードチルドレンとエヴァには不審な点があります」

「今は使徒の殲滅が最優先だ」

「レイは」

「あれはユイの形質を受け継いでいる。息子に惹かれるのだろう」

 どこか違うような気がした。

 が、反論するほどの根拠を赤木リツコは持たなかった。

「今はそれでいい」

 碇ゲンドウには拘泥する暇がなかった。

「シンジが使えるのなら使う。マルドゥック機関からフォース発見の報告はない」

 実在しないマルドゥック機関。

 つまり、碇ゲンドウ自身がこれ以上の新パイロットを用いるつもりがないということ。

「パイロットの補充はなしですか」

 怪我が多すぎるパイロットたち。

 赤木リツコの研究実験が遅れがちになっている。

「セカンドを本部に移す。交渉中だ」

 碇ゲンドウはそれで話を打ち切った。



「シンちゃん、具合はどう?」

 にこやかな葛城ミサト。花束をさげている。

 ベッドサイドで本を読んでいた綾波レイが椅子をずらせ、花瓶の前の場所を譲る。

「もう元気なんですけど、食事が出来ないんで」

 胃の炎症がおさまっておらず、まだ栄養点滴に頼っていた。

「シンちゃんがいないとねえ、寂しいのよね」

「それって食事のことですか?」

 苦笑する。

「そういえば、毎日なにを食べてるの? レトルト?」

 綾波レイに問いかける。

 まさか、ミサトカレーってことはないよね?

「レイはさあ」

 葛城ミサトが答えた。

「帰ってこないのよ、ぜーんぜん」

 へ? と碇シンジ。

「どして? ミサトさんちで居るんじゃないの?」

 にへら、と葛城ミサト。綾波レイに鯨の形になった目を向ける。

「ずっとシンちゃんにつきっきりなのよね?」

「……病院で泊まってるわ」

 知らなかった、と驚く。

 だめだよ、ちゃんと帰らなきゃ、身体に悪いよ、と言いかけて。

 自分のいない葛城家と病院と、どちらのほうが身体に悪いかに悩んで言い淀んだ。

「まあ、あたしも忙しくてあんまり帰ってないんだけどさ」

 花瓶につっこんだ花をちょいちょいといじって形を整えたつもりになる。

「レイ、学校も行ってないんでしょ?」

「綾波?」

 ベッドに起きあがり、少し諭す調子になった碇シンジを上目遣いに見上げる。

「……気になるから」

 碇シンジの容態が心配で、学校にいても落ち着かないというのだろう。

 少し頬が赤らんでいる。

 こんな顔されちゃ、なんにも言えないじゃないか。

 はいはい、と葛城ミサト。

 すぐにいちゃつくんじゃないわよん、と睨み付けている。

「そうだ、退屈なら見に行く? その点滴、動かせるんでしょ?」

「点滴ははずしても良いんですけど。見に、って?」

「使徒よ。さっき回収が終わったのよ」

 少し迷った。

「……無理しないで」

「うん。でもリハビリはしなくちゃね」



「なにをしている?」

 碇ゲンドウが声をかけたのは、隣に綾波レイがいたからだろう。

「使徒を見せてもらいにいくんだよ」

 ずいぶんと軽い調子で明るく答えた。

 返事は返ってこない。そのまま背を向けて歩き出した。

「もう身体はいいのかね?」

 気を遣ったのか、冬月コウゾウが言葉を残した。

「はい。あ、今は外出許可もらって。退院はもう少しかかるそうですけど」

「お大事にな」

 とはいえ、親子の間に立ち入るつもりはなかったらしい。

 眉間にやや複雑な思いを漂わせているが、言葉は簡素だった。

 二人の上司の背中に、肩をすくめたのは葛城ミサト。

 碇シンジはと伺うが、表情は明るく見える。

 今のやりとりなどなかったかのように、登校の必要を綾波レイに説くことに夢中になっていた。

 綾波レイもまた碇ゲンドウに拘りを見せない。

 なんだかねぇ……。

 もっとも親子関係に関しては、自分も説教をする柄ではない。

「ほら、あれよ」

 見えてきた使徒の姿を指さして、思いを振り払った。

「へえ、大きいですね」

 棒読みのようにとぼけたことを口にする碇シンジ。

 今さら使徒を見たってしょうがないしね。

 ということなのだが。

 あら、可愛いこと言うじゃないの、と葛城ミサトには誤解されてしまった。

 ぽん、と頭に乗せられる。

「ヘルメット?」

「そうよん、危ないからね」

「動くんですか、使徒?」

「まさか。足場が急造だから、頼りないのよ」

「……見えない」

 綾波レイには工事用ヘルメットは大きすぎた。目深に埋もれている。

 くすっと笑う。

「可愛いね、綾波」

「……なにをいうのよ」

 照れていた。



「で? なにか分かったわけ?」

 少し危ない足取りで、使徒の周りに張り巡らされたパイプの足場から降りてきた赤木リツコに、葛城ミサトが早速問いかけた。

「なんにも、ってわけじゃないわよ」

「そりゃ、サンプルも2体目だもんね」

 厭味? とちょっとむっとした顔をする。

「見せてあげるわ」

 ケーブルが雑然と収束する簡易の解析システムに案内した。

 複雑な曲線を描くオシロスコープ。数十桁の数値を延々とスクロールさせているモニタ。

 赤木リツコはそれからもなにやら読みとれるようで説明をしてくれるが、碇シンジには分からなかったし、葛城ミサトも頷くもののどこまで理解しているのかは怪しい。

「リツコさん」

「なにかしら?」

「使徒って生物なんですよね?」

「ええ、そうね。構成する物質は異なっているようだけれど、今も言ったように、人とほとんど変わりはないわ」

「それがあんな光線兵器とか撃てるんですか?」

「エネルギーの問題なのよ」

 少し見直したような赤木リツコ。

「動力源がはっきりしないのだけれど、とにかくすさまじいエネルギーを内部で発動しているわ」

「それを放出してるってことなの?」

「そんな単純なものでもないでしょうけれどね。あるいは、ATフィールドの応用かも知れないわ」

「じゃあ」

 何気なさそうに碇シンジは口にした。

「エヴァにも撃てるんですか? 光線兵器みたいなの」

「シンジくん?」

「あ、いえ、ぼく、どうもライフル射撃、うまくないですから……目から光線なんか出たら良いなあって」

「マンガじゃないわよ」

 葛城ミサトは吹き出したが、赤木リツコは笑わなかった。

 怪しむような面もちで碇シンジを見つめる。

「エヴァは、ATフィールド自体、使ってはいるけど、原理的な部分にはブラックボックスがあるのよ」

「なによ、それ? マジ、光線が出るわけ?」

「そうじゃないわよ」

 それでは単純すぎるというものだ。

「可能性の問題。エヴァのエネルギーの発動に関しては予想を超える部分があるかもしれないってことよ」

「戦術が変わってくるんだけど?」

「制御できない力じゃ、戦術もないでしょう?」

「ま、そりゃそうだけど、ね」

「なんにせよ、私たちの科学じゃ、エヴァに充分なエネルギーを供給できないのよ」

「あ、電力か」

「そう。使徒のように莫大なエネルギーで動いているわけじゃないわ」

「科学の限界、か」

「つかえたらいいですね、光線」

 碇シンジはあくまで軽く言葉を置いた。



「うんうん、やっぱシンちゃんの料理はおいしいわぁ」

 シンジ特製カレーに、ビールがうまい。

「お家の中もきれいになったし、台所もピッカピカだし、シンちゃん様々」

 呆れたように旧友に白い目を向ける赤木リツコ。

「あなた、そんなことじゃ、とても結婚できないわよ」

「なぁに、いってんの。シンちゃんにもらってもらうからいいのよぉ。ねえ?」

「おかわりありますから、リツコさんもどんどん食べて下さいね」

 無視した。

 ギブスのとれた綾波レイも黙々とスプーンを口に運んでいる。

「シンジくんもたいへんね。レイといっしょにあたしの家に来てもいいのよ?」

「ありがとうございます。でももう慣れましたから」

「うう。シンちゃん……」

 うるうると感動の葛城ミサト。

 肩をすくめて、ハンドバックからカードを2枚取り出す。

「これ、更新されたセキュリティ・カード。あなたたちのよ」

「あ、すみません」

 いっしょに受け取り、一枚を綾波レイに手渡す。

「住所は二人ともここになっているから」

 磁気信号の記録なので表記はされていない。

「レ〜イ。いくら見つめても磁気信号は読めないわよん。シンちゃんと一緒の住所が嬉しいのはわかるけどさ」

 図星だったのか、きょときょとと紅い瞳を動かした。

 うーん、綾波なら読めそうな気がする。

 馬鹿なことを考えてしまった碇シンジ。

「それから明日、零号機の再起動実験を行なうわ」

 はっとする。

 零号機再起動実験の日、使徒が襲来するはずだった。

 碇シンジはカレンダーの日付は覚えていなかった。

 確かめるように綾波レイをそっと見やる。

 こく、と微かにうなづいて肯定する綾波レイ。

「学校はお昼までで早退して、本部に来てちょうだい」

「……わかりました」

「今度はうまくいくといいわねえ」

「ぼくも一緒に行ってかまいませんか?」

「あら、心配〜?」

 いたずらそうな葛城ミサトの視線。

「そういうわけじゃないですけど」

 かまわないわよ、赤木リツコは許可を与えると、腰を上げた。

 明日の実験の準備に、もう一度本部に戻るつもりらしい。



「さあ、あんたたちも早くお風呂、入っちゃいなさい」

 後かたづけもしっかり碇シンジにお任せした葛城ミサト。

 台所に声を掛ける。

「シンちゃんもお風呂、久しぶりでしょ。風呂は命の洗濯よ」

「はい、じゃあ、すみません、お先に」

 身体は看護婦さんが拭いてくれたけど……。

 ちょっと嬉し恥ずかしの記憶ににやける碇シンジ。シャンプーの泡で、赤くなっているかどうかは分からない。

 頭は洗えなかったからなあ。臭かったのかも。

 ゴシゴシと髪の毛をかきまわす。

 ……第五使徒か。今度は綾波を盾にするなんて絶対、嫌だしね。

 ザバザバと頭からお湯をかぶる。

 流されたシャンプーが目に染みた。

 壁に吊されているタオルに手を伸ばす。

『むにゅ』

「え?」

 やわらかいもの。弾力のあるもの。嫌じゃない……。って!

「あああ、綾波〜!」

 無理にあけた目にぼんやりと青い髪と白い肢体が揺れてうつった。

「ど、どうして?」

 狼狽しすぎて少女の乳房をつかんだ手をどけることも忘れている。

「お風呂。葛城一尉が早く入れと言ったわ」

「あ、いや、だからぼくがお先にって……」

「かまわないわ」

「なにがだよぉ」

 ようやく自分の手の場所に気づいた。慌ててひきはずす。

「うぁ、ご、ごめん」

「もういいの?」

「いいの、って」

 戻した手で目をこすったのが悪かった。

 はっきりした視界に、すぐ目の前の少女の恥毛が飛び込んできた。

「あぅ」

 つー、と鼻血が流れる。

「と、とにかくごめん!」

 浴室を飛び出した。

 そこに、ビールを片手に頭をかいている葛城ミサト。目が怖い。

「シンちゃん。あんた、レイの入浴中を襲うなんていい根性してるじゃない」

「ち、違いますよ、ミサトさん。綾波が入ってきたんですよ」

「言い訳なんて、男らしくないわね」

「だからぁ!」

「……勃ってるわよ?」

 股間を押さえてしゃがみこみ、さめざめと泣いた。

 ……汚れちゃったかも、ぼく。

 浴室からは綾波レイのつかうお湯の音が響いていた。

 ……また、胸を触ってもらえた。

 と綾波レイが考えていたかどうかは、誰にも定かではなかった。

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