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第11話「憂悶」

「まだエヴァの実戦は2回目なんですから」

 人類の理解を超える使徒との戦い。

 エヴァンゲリオン自体にも、オーバーテクノロジーがある。

 第3新東京市の兵装システムも多く工事を残している。

 完璧な作戦指示が出来なくともそれは決して無理のないことだと、日向マコト。

 自責に暗く落ち込んでいる上司を慰撫した。

「とにかく勝ったんですよ、葛城さん」

「勝ちゃあそれでいいってもんでもないわよ!」

 思わず声を荒立ててしまってから、はっとした。

「ごめん、日向君。あなたに当たってもしかたないわね。どうかしてたわ」

「いえ」

 この新任の作戦部長の燃えるような戦闘指揮に惚れ込んでしまっている日向マコト。

 僕に当たって気が晴れるなら、いくらでも。

 そんな顔で彼女の美貌を見つめている。

「葛城君」

 上方から声が落ちる。作戦中は沈黙を守っていた冬月コウゾウ副司令。

「使徒の殲滅に成功すればそれでいい。作戦報告は明後日、碇が戻ってからでかまわないよ」

「はい、ありがとうございます」

 発令所から姿を消す冬月の後ろ姿に頭を下げる。

 異例に与えられた報告の猶予は、碇シンジの容態を心配して今にも駆けつけそうな葛城ミサトの心情をおもんばかっての事なのだろう。

 碇シンジは本部病院内の緊急処置室。

 作戦終了後、まだ1時間。

 生命に問題はないとの報告は来ている。

 治療が終わって生命維持ポッドから出てくるまでは心配以外に出来ることもないが、事務処理に猶予が出されたので、意識が戻れば付き添ってやれるだろう。

 戦後処理に頭を抱えるのは、作戦課よりも技術部。

 いらいらとする葛城ミサトの横で、赤木リツコもまた焦燥の中にいた。

「理論上、ありえないのよ」

 碇シンジに外傷が発生している。

 腹筋、背筋の裂傷、胃にも軽度ではない炎症。

 脈拍、心音の乱れ。これはフィードバックによるショック症状と説明がつく。

 しかし、エヴァンゲリオン素体の傷がそのままパイロットに現れるなんて。

「シンクロ率の計測に間違いはないわね?」

「はい、戦闘中、一定して43パーセント、振幅は1.30以内です」

 カチャカチャとコンソールにグラフを表示する伊吹マヤ。

「どういうことなのよ?」

 割り込む葛城ミサト。

「シンクロ率から予想されるフィードバックを越えているのよ」

 いや、たとえシンクロ率が100パーセントであったとしても。

 エヴァンゲリオンの損傷がそのままにパイロットに跳ね返るようでは、操縦など出来はしない。

 神経障害、精神汚染といった危険は予想されうる範囲であるが、肉体損傷はありえないはずだった。

 そもそも。

 エヴァ初号機の見せたあの高機動も不可解だ。

 50パーセントにも満たないシンクロ率で成し得る動きではなかった。

「ふん、分からないことだらけの兵器ってこと?」

「そうね」

 葛城ミサトの物言いには腹が立つが、言い返せない。

「とにかく、今夜中にエントリープラグと初号機だけはなんとか回収させて。電装部分のチェックをしてみるわ」

 すでに陽は落ちている。

 使徒の回収作業は明朝以後のこととなるだろうが。

「シンクロ率計測のアルゴリズムも見直してみます」

「ええ、お願いできたら助かるわ、マヤ」

「まかせてください。……コーヒー、煎れますね」

 立ち上がり、席の後ろにある冷蔵庫上のコーヒーメーカに向かう。

「今夜は徹夜ね」

 ピッ、と館内電話が鳴る。

 伊吹マヤを制して、赤木リツコが取り上げる。

「ミサト。あなたによ」

「シンジくん?」

 意識が戻ったの?

「違うわ、保安部から」

「……あ、忘れてた」

 鈴原トウジと相田ケンスケの身柄が本部に拘束されたままだった。



 まるで大理石の彫像が置かれているかのように見えた。

 揺るぎもしない。微かな呼気さえも聞こえない。

 限りなく張りつめて。

 綾波レイはただ緊急処置室の扉を見据えていた。

 手術中を示す赤い点灯が、廊下の椅子に腰掛ける彼女を光の影で染め上げている。

 碇シンジが救急回収班の手で運び込まれた時から、少女はここで待ち続けていた。

 不安。焦燥。悔恨。

 彼女を捉える感情は面に表れない。

 逆に。

 裡なる想いが膨らむほど、綾波レイは人形じみた無表情に覆われていった。

 なぜ?

 と、綾波レイは迷夢する。

 なぜ碇シンジが傷つくのか?

 渚カヲルの力を得てすでに人間を越えた能力を持つはずなのに。

 碇シンジは己が傷つくことを知っていたのか?

 知っていたのだとすると。

 碇シンジがあのような戦い方を選択したのはなぜなのか?

 ……必要があったから?

 では自分ならどうしたろうか。

 自らへの執着は儚い。傷つくことは怖れない。

 なのに。

 ……怖い……そう、怖いのね、私……。

 ではなにを怖れるのか。

 うしなうこと。

 ……失ないたくないもの。

 それが。

 ……絆?

 自分にとっての絆。

 では、碇シンジにとっての絆は?

 自分と同じものなのか。

 あるいは異なるものなのか……。

 綾波レイは無を求めていた。

 綾波レイは絶望と親しかった。

 その縛鎖を切り解いたのは、碇シンジの希求。

 だから孵った。

 だから還った。

 今の綾波レイというかたちが、ただひとすじの、碇シンジという絆のみに依っていることを。

 その危うさと脆さを。

 少女自身も気づいてはいなかった。

 やがて。

 大理石が青に染め直されたとき、迷妄の呪縛が解けた。

「碇くん」

 栄養点滴と輸血。数本のチューブが移動寝台に少年を縛り付けている。

 やり過ごしたあと、寝台を押す看護婦の後ろに付き従った。

「大丈夫よ。じきに意識も戻ります」

 無表情ながら少年を案じて待ち続けていたに違いない少女に、看護婦は言い置いた。

「病室へ移しますから」

 意識が戻るまでは面会謝絶、というつもりであったのかも知れないが、綾波レイは少年に付き添うという考えを変えるつもりはなかった。



「ほんま、すんませんでした」

「いや、トウジに無理言ったのは俺なんです」

 テーブルに置かれたジュースに手もつけず、うなだれている。

「分かれば、それでいいのよん」

 葛城ミサトの声はすでにやわらいでいる。

「遊びじゃないのよ!」

 と保安部で怒鳴りつけた時の形相はすさまじかったが、拘束を解いて本部喫茶コーナーに連れてきた時には、笑顔に近い表情も見せていた。

「そやけど、あのロボットがそんな危ないもんやったなんて」

 フィードバックについて、簡単に説明されていた。

 彼らを守るために、碇シンジが危険な戦法を選択したらしいことも。

「俺のせいで……」

 相田ケンスケのほうが自責は強いようだ。

 保安部に没収されたカメラの高額さが、少年の反省に現実感を与えているのだろう。

 葛城ミサトは、カメラは返してやってもいいのではと感じていたが、反省させるべき少年の前で保安部とそんな交渉をするわけにもいかなかった。

 その代わりにというには安すぎるが、ジュースを振る舞っていた。

「シンジくんはなんにも文句はいわないけどね。そんなわけで大変なのよ」

 コーヒーをずずっと一口。

 さすがにビールを注文する気にはなれなかった。

「綾波かて?」

「ええ、そう。レイもパイロットよ。怪我はエヴァの事故によるものなの」

「さいですか……」

「シンジくんやレイと、あんたたちが学校で仲良くしてくれたら助かるわ。パイロットって辛いことが多いから」

「はい、それくらいのことなら」

「わいらは親友やと思てます」

「だけど、こんな迷惑かけてしまって。学校へ行ってもあわす顔が……」

 ピピピと携帯電話の電子音。

「はい、葛城。あ、レイ? ……ほんと?! で? ……わかった、すぐいくわ」

「あ、お仕事ですか?」

 んふふ、と笑う。機嫌が直ったようだ。

「あんたたちも来るのよ」

「はぁ、どこへ?」

「学校であわす顔がないなら、今ここであわしなさい」



「トウジって、やっぱりトウジだよね」

 葛城ミサトに連れられて2人の級友が病室を出ていった後、くすくすと綾波レイに話しかけた。

 顔色は青ざめているが、意識ははっきりしているらしい。

 痛みももう感じてはいないようだ。

「前の時もさ、ぼくに謝るのに、殴ってくれっていったんだ」

 怪訝そうな顔に説明する。

 『以前』の世界、新箱根湯本駅での思い出。

「あの時は殴ったんだけどね」

 点滴に繋がれている怪我人に向かって「殴ってくれ」はないだろう、と愉快そうに思い出し笑い。

 だが綾波レイは表情を崩さない。

 少し乱れた掛けシーツを整えながら、少年を見つめる。

「どしたの?」

「……なぜ?」

 聞きたいことが多すぎた。

 まとめきれずに、疑問詞だけを口にする。

「なぜ怪我をしちゃったか、ってこと?」

 それもある、とこくりとうなづく。

「ぼくのシンクロ率が低いの、知ってる?」

 これにも肯定する。

「シンクロ率を上げると、初号機が……母さんが覚醒しちゃうからね」

 少女から目を背ける。

 口元から笑みを消して天井を見つめた。

「コアを通さずに、直接シンクロしてるんだ。エヴァの素体とね」

 シンクロ率は低いが、事実上エヴァンゲリオンと一体化している。

 それゆえ、高機動も可能であるし、また、素体のダメージがそのまま生身に影響するのだと碇シンジは語った。

「……どうして?」

「初号機は覚醒させない。ぼくがぼく自身でカタをつけるよ」

 綾波レイは少年の真意を汲めなかった。

 だから怯えた。

「……怪我は、しないで」

 ああ、と碇シンジは再び少女と目を合わせた。

 その表情は柔らかだった。

 シーツから手を出し、少女に伸ばす。

「心配かけたんだよね。ごめん。今日のはぼくのミスだよ。ケンスケたちのことを忘れてたから。もう怪我はしないようにするし、綾波にも心配はかけないようにする」

 綾波レイは、その手と言葉にすがった。

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