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第9話「使徒再び」

 気怠い午後の授業。

 担任の数学老教諭は端末よりも黒板を使うことを好む。

 一般に端末授業は教員に受けが悪い。事前の教材研究が繁多になるためだ。

 もっともこの老教諭の場合は、それ以前に、端末が使えないのじゃないかと口の悪い生徒の噂。

 確かに出席以外で端末が使われたことがない。

 脱線の多い授業。

 恍惚とした表情で、インパクト前の思い出を語ってくれる。最初は興味を持って聞き入った雑談も、同じネタが何度も繰り返されるようになると、さすがに誰も拝聴しない。

 自然、端末は生徒同士のチャットが飛び交う。

 インパクト前であれば生徒間の私語で授業が荒れただろうが、端末チャットでは教室そのものは静かなもの。

 聞き飽きた老教師の思い出話が眠気を誘なうように流れるのみ。

 そんな教室に。

 ピッピッピッピ……!

 電子音が響いた。

 誰なの、授業中に携帯電話の電源を入れっぱなしにしてるのは!

 睨み付けるように教室を見回す洞木ヒカリ学級委員長。

「あれ、綾波さん……碇くんも?」

 思わず声を上げてしまった。

 ごそごそと携帯電話を取り上げたのは、一番可能性がなさそうな二人だった。

 耳に当てるでもなく、携帯電話のディスプレイを眺めただけ。

 碇シンジが立ち上がった。

「先生、綾波とぼく、早退します」

 なんだ、それ?

 嫉妬することも忘れて、きょとんとした視線が集まる。

 綾波レイもすでに鞄を持って立ち上がっている。

「ん。ああ、よろしい」

 あっさりと担任の許可が出た。

 それにも唖然。

「おい、センセ、どこ行くんや?」

「うん、ちょっと」

 表情が硬い。

 呆然とした級友たちを後目に、二人の姿は廊下に消えた。

「どういうこっちゃ?」

「……」

 相田ケンスケはなにやら考えている様子。

「あれ、ネルフの車だ」

 窓際の席の男子生徒が校門を見て声を上げる。

 第3新東京市においては警察車両以上の優先権を持つネルフの緊急車両が横付けされていた。

「碇と綾波が……」

 今、唐突な早退をした二人が、その車の後部座席に乗り込むのが見えた。

「あいつら、なに?」

 教室が騒然としかけた時、校内放送が響きわたった。

『授業中、失礼します。ただいま緊急非常事態宣言が発令されました。各担任の先生方は授業を取りやめ、速やかに担任教室にお戻り下さい。生徒諸君は荷物をまとめ、担任の先生の指示に従ってシェルターへ避難しなさい。日頃の訓練通り、落ち着いて行動すること……』

 ほぼ同時に市内各所の放送タワーから警報のサイレンが喧しく空に広がっていった。



「おいでなすったわね」

 などと時代錯誤な台詞ははかない葛城ミサト。

 発令所で仁王立ちになってスクリーンの使徒を睨み付けるも、苦い顔。

「なによ、あの形は?」

 第一使徒は確かにこの目で見た。憎しみの吹き溜まり。彼女の全てのトラウマの集約。

 それは確かにヒト型だった。

 第二使徒のデータは公開されていない。セカンドインパクトで失われたというが。

 ヒト型であるとの話は聞いている。

 第三使徒。記憶に新しい二週間前の出来事。身体の殆どは破棄されているが。

 ヒト型以外のなにものでもない。

 ところが、今回は。

 ナメクジなのかイカなのか、あるいはゴキブリか。

 どう見てもヒトではない。

 天使の名を冠するに相応しい生命とは思えない。

「パターン青、ATフィールドの展開も確認できます」

 問いかけるような葛城ミサトの視線に応じる青葉シゲル。

「わかったわ」

 ヒト型であろうと理解の範疇を越える存在であることは間違いない。

 どんな形をしていようが、使徒は使徒だ。

 ぎりぎりと瞳に炎が宿る。

「エヴァパイロットは?」

 発声にも気迫が漲っている。

「ファースト、サードともジオフロントに到着。本部に向かっています」

 日向マコトが確認する。

「初号機の状況は?」

「パイロット到着次第、いつでも起動できるわよ」

「作戦指揮権の委譲は?」

「まだ戦略自衛隊です」

 今度こそは出来る限り市街地の外で交戦したいのに。

 なにやってんのよ、オッサン連中はぁ!

 口には出さないが怒りのオーラが立ち上る。

 メインスクリーンには戦略自衛隊と交戦中の使徒の姿。

 いや、交戦と言えるかどうか。

 絶対防衛線上の兵器群から放たれる弾幕を歯牙にもかけず、使徒はただ一直線に侵攻する。

 使徒のATフィールドは一切の攻撃を通さず、あくまで強固。

「税金の無駄遣いだな」

 冬月副司令が場違いなとぼけた感想を述べたのは、碇ゲンドウ総司令が不在だからというわけでもない。

 葛城ミサトの気迫に押されて緊張気味のオペレータたち、あるいは葛城ミサト自身を落ち着かせたかったのだろう。

 頭に血を上らせて戦争は出来ない。

「あんな攻撃じゃ、使徒の能力もわからないじゃない」

 少しは落ち着いたか、揶揄する余裕の出来た葛城ミサト。

 しかし表情は依然きつい。

 じりじりと時を待つ。

 刹那。

 冬月副司令がホットラインの赤電話をとった。

「作戦指揮権が委譲された。総員、第一種戦闘態勢」

 発令一下。

 押し込めていた空気が爆発するように、中央作戦室が動き出した。



「報道管制か。くそっ」

 第3新東京市第334地下避難所。

 携帯ビデオカメラを覗き込んでいた相田ケンスケが吐き捨てた。

 全てのチャンネルが同じ画面。

 柔らかな音楽と静止風景画像。非常事態宣言発令中を告げる字幕のみ。

「なあトウジ」

「なんや」

 思い思いに時間をつぶす周りの避難民たちを気にして、声をひそめる。

「間違いないよ、きっと。シンジと綾波。あいつらがパイロットなんだ」

「そうかも知れへんの」

 今日までは軍事オタクの友人の夢物語と笑っていた鈴原トウジ。

 さすがに先ほどの早退を見ては、疑わざるを得ない。

 未だ半信半疑、ではあるが。

「なあトウジ」

「そやからなんやねん」

「非常事態宣言ってことは、きっとまた、この前みたいな怪獣がやってきたんだ」

「たぶん、そうやろの」

「パイロットのシンジたちがシェルタに来ずに早退ってことは、あいつらが戦うんだ」

「ううむ」

 ケンスケの部屋で見せられた不気味な怪獣の肢体が思い出される。

 人間相手ならこの拳で、というところだが、化け物は願い下げだ。

 それをあんな線の細い奴らが、と思うと、なにか落ち着かない気はする。

「見たくないか?」

「なにをや?」

「ロボットだよ」

 目を爛々とさせている。

「俺たちを守るためにロボットが怪獣と戦うんだぜ」

「見る、ちゅうたかて、テレビは映らへんのやろ?」

「この上で戦ってるんだぜ。シェルタを抜け出せばこの目で見られるさ」

 呆れ果ててしまった。

「おまえなあ。なに考えてんねん」

 あくまで避難のためのシェルタ。閉じこめられているわけではない。

 だが、すでに地上の街に通じる出口は厚い防壁で閉ざされている。勝手気ままに外出できるわけもない。

 しかし、工事が完成していない通気口のタラップを使えば、外に出ることは可能だと相田ケンスケは言う。

 シェルタ構造をいつの間にどうやって調べたのやら、頭が下がる。

 ただ、自分一人では通気口に手が届かないので、手伝って欲しいというのがしつこい誘いの理由。

「そうは言うても、やな」

 好奇心がないわけでもないが。

「な、頼むよ」

「しゃあないの」

 シンジや綾波が戦こうとるっちゅうのに、のんびり避難してるのも心地悪い(ここらわるい)さかいな、と結局誘いに乗った。



「シンジ君、準備はいい?」

 発令所のマイクを通して、初号機エントリープラグ内に問いかける。

『はい、ミサトさん。いつでも』

 碇シンジの声は低い。

 すでに起動は完了している。

「使徒の攻撃能力は残念ながら不明。でも前回の使徒のことを考えると、なんらかのエネルギー兵器を持っている可能性は高いわ」

 作戦指揮権の委譲が遅れたため、時間がおしていた。

 本来行なうべきブリーフィングが出来ず、エヴァ搭乗後の説明となったのが悔やまれる。

「いきなり接近戦は危険よ。中距離で使徒のATフィールドを中和しつつ、パレットライフルで攻撃。いいわね?」

『わかりました』

「とにかく使徒からの中距離攻撃に注意して。300秒後に発進します」

 シャッ。

 背後の自動扉が開き、発令所に綾波レイが姿を現わした。

 ギブスのはまった右手を首に吊り下げてはいるが、ノースリーブ状態のプラグスーツに身を包んでいる。

「レイ?」

 怪訝な顔を向ける赤木リツコ。

 怪我の完治もせず、零号機もまだ使用不能である現在、綾波レイは本部待機であってもプラグスーツに着替える必要はない。

「万が一に……備えます」

 そう短く答え、後は顎をひいてじっとスクリーンを見据える綾波レイ。

「いい心がけだわ」

 ちらとその様子を横目でうかがっただけで、こちらもスクリーンから目を放さない葛城ミサトが一言コメント。

 作戦指揮官の貌は冷淡にさえ見える。

 内なる愛情は匿して漏らさず。

「リツコ。シンジ君のシンクロ率はどうなの?」

「前回戦闘時と変わらずよ。ほとんど伸びがないわ」

 起動には充分すぎるくらいの数値ではある。

 しかし自在にエヴァを機動するには心許ない。

 この2週間、テストを重ねても向上が見られなかった。

 このことが、葛城ミサトにパレットライフルでの戦闘を選択させた理由の一つ。

 シンクロによるエヴァ素体コントロールではなく、インダクションモードによる機械的操作でも扱えるパレットライフルは、低いシンクロ率でも安定して使用できる。

 習熟さえすれば、だが。

 一瞬微かに眉を寄せただけで赤木リツコへの答えに代え、葛城ミサトはエヴァンゲリオン初号機発進を命じた。



「やっぱ、当たらないなあ」

 使徒を前にしてのんびりそんなことを考えている碇シンジ。

 渚カヲルモードがちょっと入ってるらしい。

 ATフィールドは中和しているものの、パレットライフルは使徒に有効なダメージを与えることが出来ない。

 ……全弾をコアに撃ち込めれればいいんだろうけど。

 碇シンジは射撃が下手くそだった。

 葛城ミサトや赤木リツコの予測とは異なり、碇シンジは初号機を完璧に機動できた。

 いや、初号機に限らず。

 だが、インダクションモードは機械操作である。

 『以前』もうまく扱えなかったし、それは今も変わらない。

「ううん」

 近接戦闘のほうが楽だよね。

 初めからライフルなど手にせず、使徒が触手を伸ばす前に胸元に飛び込み、勝負をつけるべきだった、と反省する。

 第三、第四使徒は、精神的に最低の状態でも倒せた相手だという記憶が慢心につながったのかも知れない。

 迷っている間に射線がますますずれ、劣化ウラン弾の爆煙が視界を遮った。

「くそ、これじゃあ前と同じだ」

 発令所から、いったん離脱の命令が届く。

 が、その瞬間、使徒の輝く鞭に似た触手が爆煙の中から直線に伸びてきた。

 碇シンジの反応は速い。

 パレットライフルを犠牲にして、はじき飛ばす。

 ようやく晴れてきた爆煙の向こうに赤く光るコアを認める。

「いける」

 そのまま右拳をかため、一瞬で使徒に駆け寄った。

 速度を緩めず、突撃。

 ガキッ。

 拳がコアを破砕する……つもりだったが。

 はね飛ばしてしまった。

「しまった……」

 第三使徒とは異なる。相手は浮遊能力のある使徒。

 地に足がついているわけではない。

 初号機の猛進を支えきれず、後ろに飛んだ。

 宙をきりもみ状態で舞い、都市外縁部の丘陵に落ちた。

「前の時は、ぼくが飛ばされたんだったな」

 立場は逆だが歴史が再現されたような形。

「……まさか?」

 悪寒が走る。

 記憶にある丘陵。相田ケンスケが、碇を殴ったお前は見届ける責任があると鈴原トウジを焚き付けて危険な見学に現れた場所。

 今回は、トウジに殴られてはいない。

 だから彼らは来ない……とは思うが。

 エヴァンゲリオンの視界をズームモードに入れる。

「トウジ……、ケンスケ……」

 倒れ伏しつつもまだ活動を止める様子のない使徒のすぐそばに、腰が抜けたように座り込む二人の友人の姿があった。

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